「歴史ノート」で日本海海戦のことを二回にわたり書いてきた。
バルチック艦隊は、七ヶ月以上もの長い航海を続けてきたため将兵は相当疲労しており、船体にはフジツボなどの貝類が付着し、機関も摩耗していた。ロジェストウェンスキー司令長官にとっては、一旦ウラジオストックに戻って船の整備をし、将兵の英気を充分に養い、ウラジオストック艦隊と合流してから雌雄を決することを望んでいたのだが、わが連合艦隊からすれば、敵艦隊がウラジオストックに戻る前に決戦に持ち込むことベストであった。
しかしながら、この時代にはレーダーのようなものは存在せず、敵艦隊がウラジオストックに向かうのに、朝鮮海峡を通るのか、津軽海峡を通るのか、宗谷海峡を通るのかがわかっていなかった。
ロジェストウェンスキー司令長官は、日本艦隊の勢力を分散させる目的で、一部の仮装巡洋艦や拿捕船等に、日本の東海岸や黄海方面に向かうことを命じたのだが、これらの艦船がその後どのような行動をとったのかはあまり知られていない。GHQが焚書処分した小笠原長生(おがさわら ながなり) 著『撃滅 : 日本海海戦秘史』に詳しく書かれているので、その内容を紹介させて頂く。
仮装巡洋艦の行動
日本艦隊を分散させることが目的であるならば、当然のことながら日本の偵察隊に姿を見せることが必要であったはずなのだが、東に航路をとった二隻は太平洋側沿岸に姿を見せることなく帰国の途に就き、内一隻は民間船を撃沈する等の悪事を働いたようである。
ロ提督が朝鮮海峡に入るに先立ち、我が艦隊の注意を他に誘致せんがため、仮装巡洋艦テレーグおよびクパーニを我が東海岸に、同リオンおよびツネーブルを上海を経て黄海方面に、それぞれ作動せしめたのである。しかるに前者はついにその姿を我が沿岸に現わさず、両艦協議のうえ、長居は恐れと早速帰国の途に就き途中で相別れたが、日本艦隊から遠ざかったとみると、いや気の強くなったのならないの、このまま手を束ねて帰ったのでは、スラブ魂の面目が立ち申さぬ。
小笠原長生 著『撃滅 : 日本海海戦秘史』p.496~498
分捕功名は武士の慣(なら)い。と・・・まずテレーグは六月五日香港を北に距る百五十哩(マイル)の地点で、蘭貢米(らんぐまい:ビルマ米)七万俵を搭載して本邦に回航中のアイコナ号を呼び止め、おれの大砲は火に飢えて夜啼きしているぞと、凄文句をならべてこれを撃沈した。それでも後難を憚ってその乗員は自艦に収容したが、同十九日に出会った蘭国汽船バラック号に停船を命じて、ソラこれを遣るから何処へでも持っていけと、アイコナ号の乗員を無理押し付けに引き渡して解放し、続いて同月二十二日には、食料・鉄器等をシンガポールより本邦へ送るべく、航行中なるデンマーク汽船プリンス・マリー号を捕え、エイ此奴(こいつ)も面倒だと撃沈してその乗員を収容し、バタビヤに入港してこれを陸上に追放したが、因果覿面(いんがてきめん:悪事の報いが現れること)とうとうここでオランダ政府から武装解除を申渡された。
またクパーニの方は六月十四日サイゴンに入り、石炭を搭載した上、二隻の運送船を率いて同港を発し、これは神妙に本国に帰港した。
では黄海方面に向かった二隻についてはどうであったのか。
次は、呉淞(ウースン:現上海市宝山区)港口まで運送船を護送した後、黄海方面に活躍するの命を受けたリオンとヅネーブルの動作である。これも両艦呉淞港口で相別れ、リオンは山東高角付近まで北航し、同角を南南東に距る六十哩(マイル)の地点で、小樽より天津に航行しつつある大阪商船会社の雇入れたドイツの汽船テタートス号を、有無を言わず引捕らえたが、足手纏いだ沈(や)っちまえと砲火を浴びせ、六インチ砲はよく当たるのうとニヤリとして益々図に乗り、禁制品をもっていない英国汽船ヒラーナン号まで取押え、グズグス言うとこれだぞと、砲門を開けたり閉めたりして脅迫したうえ、遂にその貨物を海中に投下せしめたなどの乱暴を演じて本国へ引き上げた。
同上書 p.498~499
またヅネーブルの方は、呉淞口よりすぐに南下し、これ以て所々で本領を遺憾なく発揮し、六月四日には香港より本邦に回航中の英船セント・キルダ号を撃沈したのみか、日本行郵便物の一部を破棄するという乱暴を働いたから堪まらない。前々より彼らの所為に業を煮やしていた英国政府は、とうとう癇癪丸を破裂させ、こんなまねをされてだまっていては大英帝国の面目にかかわると、すぐさまロシア政府に向かい、
「英国政府は、貴国仮装巡洋艦ヅネーブルの、英国汽船セント・キルダ号を撃沈したることを不当の措置と認める。それについて貴政府の御意見が承りたい。」
返答次第ではその分に捨て置かんぞとばかり厳談に及んだので、露国政府は一も二もなく閉口し、六月二十四日リオン及びヅネーブルに、
「両艦は何時までもグズグズせずに速やかに本国へ帰れ。且つ途中で中立国の船舶に干渉することは罷りならぬ。」
と厳達し、両艦は早々分捕り功名を擲(なげう)って帰国したので、欧州への航路波静かになった。そうして本編に出て来た露艦全部の結末がついた。
1900年に起きた義和団の乱の鎮圧のために組織された八ヶ国連合軍のうち、ロシアやイギリスやフランスやドイツの兵が北京や通州などで略奪や暴行を働いたことは以前このブログに書いたが、海上に於いて戦艦が民間船を故意に撃沈するような行為に及んだ事例は、この時代に他にも存在するのであろうか。被害に遭った船にとっては許せない行為である。
日本海海戦から遁走したロシア艦
上記の事例はバルチック艦隊の中で日本海海戦に参加する前に、別のルートをとって帰国したロシア艦の事例だが、日本海海戦に参加しながら途中で戦線離脱したロシア艦がある。軍令部 編『日本海大海戦史』(GHQ焚書)に記録がある。一部を紹介すると、
日本海海戦に於いて大敗せる露国太平洋第二、第三艦隊三十八隻中撃沈もしくは捕獲を免れたるものは総数十二隻にして、即ち巡洋艦オレーグ、同アウローラ、同ジェムチウグの三隻は司令官エンクウィスト少将に率いられマニラに遁走して米国政府のために抑留せられ、巡洋艦アルマーズ、駆逐艦ブラーウィ、同グローズヌイの三隻はウラジオストックに遁走し、巡洋艦イズムルードはウラジーミル湾に入り擱岸して破壊し、駆逐艦ボードルイ、特務艦コレーヤ、同スウィーリは上海に逃れて武装を解除し、駆逐艦プレスチャーシティーもまた同所に逃れんとして中途に沈没し、特務艦アナヅイリは本国に逃走せり。而してその逃走の顛末大略は次の如し。
エンクウィスト司令官はオレーグに坐上し巡洋艦隊を指揮して二十七日の昼戦に参加し、夜に入りてより極力北方に逃れんとしたりしが、我が駆逐隊艇隊の猛烈なる襲撃を受けて遂にその目的を達する能わざりしのみならず、諸艦相分離して留まるものは僅かにオレーグ、アウローラ、ジェムチウグの三隻のみとなり、しかのみならずその主力艦隊の所在をも失いたるを以て同司令官は遂に北航を断念し、夜半針路を転じて南西方に航走し、対馬東水道を経て二十八日の暁五島宇久島の北西二十五海里の地点に達せり。オレーグは艦首のみにても十個の弾痕を印し、戦死者十五名、負傷者三十名を生じ、アウローラは損害更に甚だしく、艦長エゴリエフ大佐重傷を負い、二十名の戦死者、九十五名の負傷者を生じ、ジェムチウグもまた多少の損害あり。かつ各艦残存の石炭にては到底宗谷海峡を迂回してウラジオストックに達すること能わざるを以て、エンクウィスト司令官はまず上海に至り、さきに避難せしめたる露国運搬船より二十四時間以内に石炭を搭載し、再び海上に出て、損所に応急修理を施しさらに進退を決せんと欲し、・・・以下略
軍令部 編『日本海大海戦史』昭和10年刊 p.277~278
巡洋艦オレーグ、同アウローラ、同ジェムチウグはいずれも煙突が破壊されていたため石炭を消費した割には推進力が弱く、何とかアメリカ領フィリピンのマニラにたどり着いたのだが、船の修理は許されず、そこで抑留されてしまっている。その後アウローラという巡洋艦が数奇な運命を辿り、今日ではロシア革命の象徴の一つとして記念艦が今日に残されているという。その点について少し補記させて頂く。
アウローラについては以前このブログでも書いたが、バルチック艦隊がリバウ港を出航して間もない時期に、英国海峡沖でイギリスの漁船を日本の水雷艇と誤認して、猛烈な砲火を浴びせてその一隻を撃沈してしまう事件を起こしている。その際にアウローラも日本水雷艇の探海燈と間違えられて、僚艦の砲撃を浴びせられ、水線上に四個の砲弾を受け、数名の死者を出したいわくつきの船である。
この船がオレーグなどとともに日本海海戦から南方へのがれてフィリピンに達し、マニラで抑留されたのだが、1906年にバルト海に戻っている。1916年大改装のためにペトログラードに回航されたのだが、その当時のペトログラードは革命前夜の緊張感が漂っていたという。1917年二月革命が勃発すると、アウローラの乗組員の一部は反乱に参加し、多くの乗組員がボリシェビキに同調。そして十月革命時にアウローラは外洋への航海命令に反し、冬宮攻撃に参加したとされている。
アウローラがロシア革命にどのような貢献をしたかについては諸説があるようだが、現在この船はロシア革命の記念艦として、サンクトペテルブルグのネヴァ川河畔に海軍博物館の一部として公開されているようだ。
日露戦争に関するGHQ焚書
GHQ焚書のリストから、タイトルに「日露戦」のほか、日露戦争の主要な戦いをタイトルに含むものを集めてみました。
タイトル | 著者・編者 | 出版社 | 国立国会図書館デジタルコレクションURL | 出版年 |
一兵の見たる旅順要塞戦 | 亀谷浤夫 | 鏡水書院 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和10 |
軍事談片* | 小笠原長生 | 春陽堂 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774404 | 明治38 |
撃滅 : 日本海海戦秘史 | 小笠原長生 | 実業之日本社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1171597 | 昭和5 |
此一戦* | 水野広徳 | 博文館 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774165 | 明治44 |
此一戦*、軍事談片* 旅順戰話 戦記名著集 : 熱血秘史. 第4巻 | 水野広徳 小笠原長生 | 戦記名著刊行会 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和4 |
日露大海戦を語る : 参戦二十提督回顧卅年 | 相馬 基 編 | 東京日日新聞社 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和10 |
斜陽と鉄血 : 旅順に於ける乃木将軍* | 津野田是重 | 偕行社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/942023 | 大正15 |
従軍記者の語る日露戦争裏面史 | 新聞之新聞 編 | 精華書房 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和10 |
少年日露戦争物語 | 遠藤早泉 | 文化書房 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和7 |
青年日露戦史 | 矢儀萬喜多 | 増進社 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和17 |
戦争秘話(日露戦役)第一輯 偕行叢書 3 | 樋山光四郎 編 | 偕行社 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和10 |
第三十二回陸軍記念日に当り 日露戦役を偲ぶ | 陸軍省新聞班 編 | 陸軍省新聞班 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221279 | 昭和12 |
第三回旅順閉塞隊秘話 | 匝瑳胤次 | 東京水交社 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和9 |
ツシマ 日本海海戦記 | 藤原肇 訳 | 大観堂 | デジタル化されているがネット非公開 内務省検閲発禁図書 | 昭和18 |
鉄血 : 日露戦争記* | 猪熊敬一郎 | 明治出版社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774222 | 明治44 |
日露戦役話集 大戦余響* | 鳳秀太郎 編 | 博文館 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954055 | 大正6 |
日露戦争を語る. 外交・財政の巻 | 時事新報社 編 | 時事新報社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1218392 | 昭和10 |
日露戦争物語. 上巻 | 芦間圭 | 大同館書店 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1717387 | 昭和10 |
日露戦争物語. 下巻 | 芦間圭 | 大同館書店 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1720535 | 昭和10 |
日露戦役戦陣余話 | 青木袈裟美 | 陸軍軍医団 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和9 |
日露戦役の思ひ出 | 陸軍省 つはもの編輯部 編 | つはもの発行所 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1110524 | 昭和9 |
日露戦争思出の記 ミスチェンコ騎兵大集団営ロ逆襲実見記 | 黒沢礼吉 編 | 黒沢礼吉 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和11 |
日露戦争を斯く戦へり | 鹿野吉廣 | 正直書林 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和12 |
日露戦地の懐旧 | 山崎有信 | 山崎有信 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和8 |
日露大戦秘史 永沼挺進隊 | 中屋重業 | 公論社 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和14 |
日露戦塵肉弾山行かば | 原田指月 | 三水社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1873736 | 昭和3 |
日露陸戦新史 | 沼田多稼蔵 編 | 兵書出版社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/942003 | 大正13 |
日清 日露戦役 回顧録 上賀茂村出身者集 | 帝国在郷軍人会 上賀茂分会 編 | 帝国在郷軍人会 上賀茂分会 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和11 |
日清日露戦争物語 : 附・アジアの盟主日本 | 菊池寛 | 新日本社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1718008 | 昭和12 |
日清日露両戦役及世界大戦 に於ける我が戦時財政 | 大蔵省大臣官房 財政経済調査課 編 | 千倉書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272744 | 昭和12 |
日本海大海戦とハワイマレー沖海戦 | 松尾樹明 | 精華書房 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和17 |
日本海大海戦史 | 軍令部 編 | 内閣印刷局朝陽会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1466371 | 昭和10 |
風雲回顧談、兵車行*、旅順閉塞* 戦記名著集 : 熱血秘史. 第9巻 | 大月隆仗 桃陰 | 戦記名著刊行会 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和5 |
兵車行 : 兵卒の見たる日露戦争* | 大月隆仗 | 敬文館 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774461 | 明45 |
名将回顧 日露大戦秘史 陸戦篇 | 高田廣海 編 | 東京朝日新聞発行所 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和10 |
名将回顧 日露大戦秘史 海戦戦篇 | 星野辰男 編 | 東京朝日新聞発行所 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和10 |
旅順閉塞* | 桃陰 | 厚生堂 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950779 | 大正3 |
旅順要塞総攻撃 | 木村惣平 | 岡倉書房 | 国立国会図書館/図書館・個人送信限定 | 昭和10 |
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