日露戦争に出征した猪熊敬一郎の遺著『鉄血』を読む~~GHQが焚書処分した明治期の著作3

日清戦争・日露戦争

 前回は「GHQ焚書」で、一兵卒として日露戦争に出征した大月隆仗の戦記である『兵車行』を採り上げたが、今回は歩兵第一連隊の小隊長として出征し、連隊旗手として軍旗を奉じて二〇三高地に突撃した猪熊敬一郎が書いた『鉄血』を紹介したい。この本は、猪熊が明治四十年に肋膜炎に冒され、その後病床に仰臥しながら自分が体験した日露戦争記を書き上げたものである。原著は明治四十四年九月に刊行されたのだが、猪熊はその前月に帰らぬ人となってしまった。この本は、猪熊が心血を注いで書き上げた遺著であり、昭和四年に戦記名著刊行会から発行された『戦記名著集 第1巻』及び、昭和十四年に潮文閣から刊行された『戦記文学全集 第7巻』に収録され、この二点がそれぞれGHQの焚書処分を受けている。

鉢巻山の死守

 猪熊は陸軍士官学校出身で陸軍少尉であったので、軍人として旅順要塞攻囲戦をどう書いているか、一部を紹介することとしたい。
 その前に、簡単に、日露戦争における旅順要塞攻囲戦がいかに重要な戦いであったかを説明させていただく。
 ロシアは遼東半島の旅順の地に難攻不落の要塞を築き、旅順港を極東艦隊の根拠地としていた。
 この旅順要塞があるために日本海軍はこの港には近づくことができず、またロシアの極東艦隊はこの湾内に閉じこもったまま出てこない。日本海軍は三たび旅順港閉塞作戦を敢行したがうまくいかず、陸軍に強く要塞攻略を要請してきたのである。
 既にロシアはバルト海にあるバルチック艦隊を日本海に送ることを公表していたので、海軍としては出来るだけ早く旅順港の艦隊を全滅させ、その上でバルチック艦隊を迎え撃たねば海戦での勝ち目はない。もしロシアに日本海の制海権を奪われれば、いずれ陸軍も海軍も糧食・弾薬が尽きて、日露戦争でわが国が勝利する可能性はなくなってしまう。
 わが国がこの戦争に勝つためには、旅順要塞を陥落させたうえで、陸上からの砲撃によりロシアの極東艦隊を撃ち沈めることが求められていたのである。

爾霊山付近敵陣地地図(『鉄血』より)

 猪熊の所属する第一連隊は、爾霊山(にれいさん:二〇三高地)西北にある海鼠(なまこ)山の北端にある鉢巻山を夜襲する命を受けている。

 (八月)二十二日午前四時、大なる損害もなく鉢巻山は我が軍の占領する所となったが、敵は早朝五時半逆襲を企て、その成らざるや、さらに七時頃第二回の逆襲を行い、一度占領せし掩堡(えんぼ)の中に進入して来る程で、我らは多大の死傷を生じた。敵の逆襲し来るや、彼我肉接し、銃を以て打ち、石を投じ、組み合い、突き合い、鮮血たちどころに地を染め、伏屍堆をなし、その惨劇殆んど見るに耐えない。かつ敵は海鼠山より我を側射し、巨弾しばしば我が陣地に爆裂し、この儘にして推移せば維持困難なること火を見るよりも明らかなれば、旅団予備たりし我らの大隊の兵ありしことはその散兵濠より見ても明らかで、これに対するわが軍は僅かに二中隊である。勝敗の数甚だ危ぶまるるものがある。

 けれども命令は如何ともすることが出来ず、分隊毎に躍進して、海鼠、鉢巻両山の中央脚に達した。時しも敵は予ら予備隊のの前進を発見して全射弾を集中し死傷算なく、前に斃れ、後ろに傷つくと見る間に、予もまた胸部に一弾を受けた。驚き探れば天なる哉。敵弾は左ポケット内の繃帯包みを貫き、右腋下を過ぎて飛び去り、予は微傷をも負わなかった。予は深く幸運を天に謝し、さらに前進を起こす時しも、予の後方より予を呼ぶものあり。顧みれば連隊旗手角田少尉負傷して斃れたのであった。予は直ちに軍旗を捧持し、旗手代理となってさらに前進した。

 雨の如き弾丸の下を潜ってようやく海鼠山の麓に達すれば、敵の鉄条網は直ちに我が勇敢なる兵士の幾十人かを奪った。この時鉢巻山を見やれば、敵は更に必死の勇を以て第三回逆襲に出て殺傷無数、山上ほとんど人影を見ず、連隊長は声を枯らして予らを呼ぶのであった。山巓(さんてん:山頂)には敵の重砲弾の爆裂する響き間断なく、さながら火山の噴出を見る様である。

 予は軍旗を捧げ鉢巻山に攀登したが、山険にしてしばしば躓(つまづ)き脚を失して仆るるに加えて、山頂に爆裂する砲弾と爆破さるる岩石との破片は霰(あられ)の如く頭上より落下し、彼我の死体は断片に当たりてくだけ、臓腑は露出し、衣服は火となりて燃え、凄愴とも何とも形容の辞(ことば)がない。辛く山巓に達した時はほとんどみな重傷者のみで、将校は連隊長、副官ほか一二名に過ぎない。軍旗の山頂に翻るや、衆ふたたび勇を鼓し、士気さらに振るう。

猪熊敬一郎 著『鉄血 : 日露戦争記』明治出版社 明治44年刊 p.49~51

鉢巻山の地獄生活

 なんとか鉢巻山を死守し磐龍山のニ砲台を勝ち取ったものの、野戦隊の三分の二は死傷してしまった。戦闘も惨絶であったが、それからの幕舎生活もまたとんでもない地獄であった。

 人間の生活と言おうか獣の生活と言おうか。獣とてもかくまでにはない。嗚呼鉢巻山の地獄生活!

 八月二十二日より軍は内地より補充兵の来たるまで、各部隊をして現在地を死守せしむることとなった。我が連隊もまた依然として鉢巻山を固守するのである。鉢巻山は敵塁中の一部に凸出して、深く敵中に孤立している有様で、右は海鼠山より、左は寺児溝北方向高地より側射を受けるため、後方との連絡は全く絶え、昼間は伝令の負傷するもの相次ぎ、遂に決死の兵のみを募って伝令に充てることとなった。

 まず第一に為さなければならぬ仕事は宿営地である。側射を受けるため頻々死傷者を生ずるので、やむなく海鼠山に対し堤防を造るのであったが、悲しいかな海鼠山は我が鉢巻山よりは高く、敵は我を瞰射するの好位置にあるため、この堤防もあまり用をなさない。更に敵の逆襲に備えるためには散兵濠も造らねばならず、後方連絡のためには交通濠も造らねばならぬ。数日来の戦いによって生じた累々たる死体も埋葬しなければならぬ。しかもこれらの作業は昼間は敵弾の目標となるゆえ行うことができない。夜間一睡をもなさずして之に従うのであった。加うるに損害に損害を重ねて人員いたく減少していることとて工事の進歩遅々として捗(はかど)らない。

 予は連隊旗手となった上、勤勉なる連隊副官と旗手の仕事を努めねばならなくなった。かくの如き有様ではあるが、しかも爾霊山攻撃以後の惨況に比べれば、わが連隊はまだまだりっぱなものであった。

 夜間のみの仕事とてしたいの埋葬は殊に困難であった。山は全く岩石から成っているので、深く掘っていたらば一つの穴にも多大の時間を要する。砲弾に砕かれたものは誰の死体やら全然わからない。仕方がないから死体を打ち重ね、浅い穴を掘って石片にてこれを蔽うばかりである。しかも死体のあり次第その位置に適宜に埋めるので、鉢巻山の半面は皆墓地になってしまった。この墓地の間にまた穴を掘って我らは幕舎生活をいとなむのであるが、この一時的な埋葬を行った死体は、夏の炎天下のこととて四五日の後には盛んに腐敗し、死体の脂は岩の隙を洩れて掘開した幕舎の中に浸透し来たり、紛々たる臭気は嘔吐せんばかりであるけれども、どうすることもできない。この臭く汚き墓穴同様の幕舎に、烈日に頭を蒸されつつ、敵や来ると待っている時の心、とても言葉に現わし得るものでない。

 何を食べている? 八日の間ただパンばかりである。水? 水は一滴も飲めぬ。交通濠の完成せぬため、糧食はかろうじてパンを送るのみ。水気のないパンを食らえば平常でも渇くのは当然である。しかも水は一滴も得られない。山麓に僅かに雨水の瀦留(ちょりゅう)しているところがあるけれども、まったく敵前に暴露しているので、出れば必ず敵弾が集中する。一口の生水は実に人間一匹の生命と取換えっこをしなければならない。予の口中は全く荒れて物の味わいは少しもわからなかった。給養の粗悪かくの如くであるから、下痢患者と夜盲症は日一日と増加してきた。当時は夜間の作業であるから、夜盲症ばかりは全く無用の人足、実に以て情けない次第。

同上書 p.52~55

 このような状況下で、敵は毎日海鼠山から小銃を以て接近し、また椅子山、黄金山から幕営地にめがけて夕刻に六発大砲を打ってきたという。全く生きた心地がしなかったのではないだろうか。ようやく二十九日になって、後方から飯を炊いて夜間に二日分が送られるようになったが、翌日には一日分が腐敗してしまったという。猪熊は「人間であるという観念は日に日にうすらいでしまって、どうも人間である心地がせず、人をも我をもただ国家の為に漸次消耗していく物品のように思惟するに至った。」と書いている。

爾霊山(二〇三高地)

 話はさらに、海鼠山守備戦、爾霊山攻撃、奉天会戦と進むのだが、紹介すると長くなるので、興味のある方はぜひ「国立国会図書館デジタルコレクション」で覗いて頂ければありがたい。わが国が日露戦争に勝つために、父祖たちが多くの犠牲を出しながら、奮闘努力して勝利したからこそ今の日本があることを忘れてはいけないと思う。

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またこの本は雄山閣から復刊もされている。

GHQが焚書処分した明治期に刊行された本

 復刊された書籍やいくつかの作品を収録した全集のうちの何冊かが焚書処分されたケースでは、原著の刊行時期を調べることは容易ではないので、とりあえず、現時点で原著が明治期に刊行されていることが判明している著作をリスト化してみた。探せばもっと出て来るのではないかと思うが、多くが日露戦争に関する著作である。

タイトル著者編者出版社国立国会図書館デジタルコレクションURL出版
軍事小笠原長生 春陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774404明治38
世界ニ於ケル日本人渡辺修二郎 経済雑誌社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992281明治26
赤堀又次郎 東京国民書院https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774220明治42
鉄血 : 日露戦争記猪熊敬一郎 明治出版社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774222明治44
鉄蹄夜話由上治三郎 敬文館https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774223明治44
肉弾桜井忠温 ・画英文新誌社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/904708明治39
武士道新渡戸稲造 
櫻井
丁未出版社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/758905明治41
兵車行
: 兵卒の見たる日露戦争
大月隆仗 敬文館https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774461明治45
北清観戦記坪谷善四郎 文武堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774468明治34
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