GHQ焚書リストの中から商業・貿易に関する著作を抽出してみた。平和な時代であればこのジャンルの書物は実務的な記述が中心にならざるを得ないが、国際情勢が悪化して戦争が近づいてきたり、わが国も戦争に巻き込まれるとなると、商業や貿易も自由な活動が困難となる。当然のこととして軍需が優先することになるのだが、国民の生活は守らなければならず、政府は武力戦だけでなく、経済戦、貿易戦でも戦わねばならなくなる。戦前戦中にはそのような趣旨で記された本がいくつか出版されている。
小倉一郎著『決戦貿易の潮流』
最初に、小倉一郎著『決戦貿易の潮流』の冒頭の文章を紹介したい。
今日の戦争が武力的戦闘以外に貿易戦、思想戦の如き戦闘形態が重要な要素をなすに於いては、敵国の国民経済層を撹乱し、自国にとって戦時に必要な物資を確保出来るか否かは死活的な意義をもってくる。この場合最も理想的なことは自国に於いてすべての物資の自給が出来ることが望ましいのであるが、今日各国の経済機構が世界経済との関連を有する限り到底望み難い。そこで各国は可能なる限り自給率を高め、アウタルキー*の完成に向かって必死の努力を傾けているのである。
一方敵国の国民経済層の攪乱手段として、敵国の完全なる経済封鎖、即ち世界経済関係の遮断が最も徹底的な方法である。経済戦争はこのほか、敵国植民地の占領、敵国の船舶及び積荷の拿捕あるいは撃沈、または空襲による軍需工場破壊等の様々なる形態は、敵国の戦時経済に対する攻撃であるとともに、また自国の戦時経済の強化を目的とするものである。
*アウタルキー:自給自足戦時経済においては本質的に傾向的過剰需要あるいは供給不足である。それは言うまでもなく戦争自身が物資の無制限とも言うべき消費であることによる。戦時の以上需要は平時経済に何らかの矛盾を生ずるものであり、その矛盾を最小ならしめ、かつ生起した矛盾を速やかに止揚する方策が戦時経済統制にほかならない。戦時異常需要を調達する貯蔵調達、借入調達、輸入調達、自己生産調整の諸形態は多少の程度においてみな複合して採られる。それゆえに戦時経済遂行のための大方策は第一にこれらの一切の調達形態を可能ならしめることである。
国防経済によって貯蔵調達の準備をなし、また自己生産調達を可能ならしめる生産力を培養することは勿論であるが、同時にブロック経済の確保並びに借入調達輸入調達を可能ならしめる盟邦を設けておくことなど、戦時経済において最も重要である。欧州大戦の勝敗が経済戦争によって決定されたことが明確となって以来、各国の国防経済は自己生産調達を目指せるものと言うべく、アウタルキーの目標もここにある。戦争が相対戦争であるときは貯蔵調達の外に借入調達が可能である。それは借入先、輸出先の諸国が平時経済であり、輸出市場、輸入市場ともに依然として開けているからである。しかし世界的の全体戦争となれば各国ともに他国の自由なる輸入市場たることを得ない。かくして自己生産調達を確実な根拠とせざるを得なくなり、国防経済上のブロック経済の形勢が要請せられ、戦時経済の独自性を保持せんとする方向に進むのである。
小倉一郎著『決戦貿易の潮流』図書研究社 昭和18年刊 p.3~5
「欧州大戦の勝敗が経済戦争によって決定された」と書かれているのは、第一次世界大戦でドイツは個別の武力戦では勝ち続けたが、食糧封鎖を受けた上に大凶作となり、食糧が大幅に不足して国民の七十六万人が飢饉の為に死亡した。このような史実は以前このブログで紹介した丸本彰造 著『食糧戦争』(GHQ焚書)に詳しく書かれているので確認していただきたい。第一次世界大戦が勃発する前のドイツの食糧自給率は九割程度であったのだが、世界規模の長期戦では食糧などの重要物の自給が出来ていなければ勝ち目はないのだ。
しかるにわが国のテレビに登場するようなコメンテーターは、「他国から安価に輸入できるのであれば、輸入すればよい」という趣旨の発言を繰り返すのだが、そのために政治家も国民も、わが国の三十八パーセントという低い食糧自給率の数字に危機感を覚えなくなってしまっている。実際のところ我が国は、農薬も肥料も大半を海外から輸入しているので、実態の食糧自給率は一割程度しかないとも言われている。しかも農業従事者の高齢化が進んでおり、あと数年もすれば食糧生産はさらに低下する可能性が高いのだが、もし世界的に異常気象などで食糧危機が到来した際に、あるいは世界が大きな戦争に巻き込まれた際に、わが国政府は国民の食糧をどうするつもりであるのだろうか。国の穀物の備蓄は二か月程度しかない。現状のまま放置すれば、わが国は世界の先進国のうちで最も深刻な飢えに直面することになるだろう。
国防費を増やすことも重要だが、それ以前に食糧の自給率やエネルギーの自給率を高めることが国防の為に不可欠である。重要物資の多くを海外からの輸入に依存しているような国は相手国に厳しいことが言える状況になく、まともな外交ができるはずがないことを知るべきである。
福田敬太郎著『経済新体制と商業組織』
福田敬太郎著『経済新体制と商業組織』は、日本海軍が真珠湾攻撃を行った二ヶ月前に出版された本である。著者福田敬太郎は商学博士で当時神戸商業大学(現神戸大学)の教授で、昭和二十四年に神戸大学学長に就任し、昭和四十年から日本商業学会の会長を務めた人物である。同書の冒頭の部分を紹介したい。
今や全世界は大転換の時期に際会している。およそ世界歴史の変遷を顧みるとき、我々は四つの大転換期を発見する。即ちその第一は第四世紀から第六世紀にかけての民族の大移動であり、そこにローマ帝国の滅亡という劇的場面が展開された。第二は第十二世紀から第十三世紀にわたっての十字軍の時代であって、その時に東洋文明と西洋文明とが接触して世界歴史は一大飛躍を示した。第三の転換は第十六世紀から第十七世紀に行われたところのマーカンテリズム(重商主義)の所産であって、これを具体的に言えば新大陸の経営によって起こったところの世界の拡大であり、特にアングロ・サクソン民族の支配する大英帝国の勃興である。而して現在は実に第四の転換期に相当するのである。今日の世界歴史の変化は第一次欧州大戦以来継続しているものであって、その特色はマーカンテリズムの清算であり、大英帝国の没落過程である。
それゆえに今日の世界歴史の大転換の真の意義を明らかに知るためには、如何にして大英帝国が勃興し、世界の経済的覇権を掌握するに至ったかということを知る必要がある。およそ世界の経済は県が時代の変遷とともに移りつつあることは何人も認めるところである。栄枯盛衰は世のならいであって、最近二百年の沿革を顧みても相当目まぐるしい変化があった。
即ちイギリスが興隆する前にはスペインとポルトガルとが世界を二分して覇を争っていた。しかるに今から百五十年ほど前からイギリスの力が次第に強くなって来た。殊に産業革命という経済上の大変化があって以来、イギリスの生産力が非常なる勢いで増加し、世界中の如何なる国を相手としても経済上の競争に負けないという自信が出来た。そこでいわゆる自由貿易の旗印を高く掲げて世界市場を風靡したのである。かくて近年に至るまでイギリスが世界経済の覇権者として自らも認め他国もそれを許しておった。しかしながらイギリスの世界経済制覇も決して揺るぎなき万代の礎をもっている訳ではなく、常にそれに対して競争者も出て来るし、競争者の力が強い場合にはイギリスも自然に覇権を譲渡せねばならぬという傾向も現れて来た。イギリスの競争者として最初に戦った国は古くから商業立国主義を取っていたオランダであった。オランダとイギリスと争っていた頃からフランスが強敵として頭を擡げて来た。オランダの方は早くイギリスに屈服したけれども、フランスは相当長い間イギリスと略対等の力で世界制覇に乗り出して来た。
それから時代はやや後になるけれども、イギリスに対して経済的競争を挑んできた国はドイツである。第一次世界大戦は、多くの人々が認める如く、イギリスとドイツとの世界経済における争覇戦であったとも言い得る。しかるにその時にはドイツは不運にも失敗して、世界経済覇権をイギリスに把持せられたまま隠忍自重せねばならなかった。それに代わって現れたイギリスに対する競争者はアメリカである。アメリカは特殊の地理的条件を持ち豊富なる天然資源に恵まれており、次第に実力を養いつつあったが、第一次世界大戦の後においては押しも押されぬ立派なる経済的覇権者としてイギリスの後継たる貫録を示して来たのである。
イギリスの経済学者マーシャルがその著『産業貿易論』の中で、イギリスの経済的覇権が段々と他の国々との競争によって失われつつあることを憂いて色々書いている。その中に日本のことが書いてある。…中略…マーシャルの言うには
「日本は東亜の一角に居って西洋文明を吸収しながら、西洋の一つの国に対抗して充分に戦い得る力を養いつつある。日本人は精力的にして野心に満ちた国である。過去僅か三十年間の発達によって、将来を占うとその発展力は恐ろしいもののようであり、世界の経済的覇権に挑戦してくるものとして見逃してはならない」
福田敬太郎著『経済新体制と商業組織』富山房 昭和16年刊 p.1~5
経済的覇権という視点で世界史を俯瞰すると非常に判りやすくなるのだが、世界史の教科書などでは大抵の場合国が衰退した原因を政治的要因だと書かれることが多くて大きな流れが掴みにくい。わが国で戦後広められている歴史叙述では、英米中露がこれまでに経済的覇権を握るために如何なることをしてきたかについて多くが伏せられている。
「商業」「貿易」関連のGHQ焚書リスト
GHQ焚書リストの中から、タイトルに「商(業)」や「貿易」を含む書籍をまとめてみた。全部で41点存在する。
タイトル | 著者・編者 | 出版社 | 分類 | 国立国会図書館デジタルコレクションURL 〇:ネット公開 △:送信サービス手続き要 ×:国立国会図書館限定公開 |
出版年 | 備考 |
欧州動乱と貿易対策 | 大阪市産業部貿易課 | 大阪市産業部貿易課 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1684383 | 昭和14 | |
大蔵大臣 商工大臣 池田成彬 | 大沼廣喜 | 大観堂書店 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1227541 | 昭和13 | |
経済新体制と商業組織 | 福田敬太郎 | 冨山房 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1067934 | 昭和16 | 新経済体制叢書 ; 3 |
決戦貿易の潮流 | 小倉一郎 | 図書研究社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1068100 | 昭和18 | |
興亜商事要項 上巻 | 大阪実業協会 編 | 東洋図書 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和16 | ||
興亜貿易の研究 | 新田直蔵 | 大同書院 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1245402 | 昭和15 | |
国政一新論叢 第十輯 通商と国防研究 |
国政一新会 | 言海書房 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1219368 | 昭和10 | |
国防貿易論 | 油本豊吉 上坂酉三 平野常治 | 巌松堂書店 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1871292 | 昭和17 | 国防経済学大系 |
支那事変解決の諸問題と支那における 商品流通 |
神戸市産業課 編 | 神戸市産業課 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1071599 | 昭和15 | 産業講座資料. 第17輯 |
商業者の新体制と企業合同 | 伊東岩男 | 伊藤書店 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1265488 | 昭和16 | |
商工生活者と国防経済 | 野中宏 遠藤一郎 | 伊藤書店 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1067843 | 昭和16 | |
商船十話 | 武蔵野蛙生 | 日本船用品協会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1059947 | 昭和17 | |
商品担保と物資統制 | 綱島克巳 | 文雅堂 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1278027 | 昭和14 | |
新商人道 | 森 松蔵 | 文川堂書房 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1039375 | 昭和17 | |
青年学校商業教授書. 上巻 | 湯川征吉 | 明治図書 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1463833 | 昭和14 | |
青年学校新体制商業読本 前編 | 森富次郎 | 大正洋行出版部 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和17 | ||
世界貿易の将来 | フェルジナンド・フリード 工藤長祝 訳 |
鉄十字社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1872271 | 昭和16 | |
戦時下中小商業者の生く道 | 斎藤榮三郎 | 伊藤書店 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1245942 | 昭和15 | |
戦時下の中小商工業金融論 | 岡庭 博 | 慶応書房 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1271481 | 昭和13 | |
戦時商業経済提要 | 安藤春夫 | 伊藤文信堂 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和16 | ||
戦時貿易統制令の解説 | 商工経営研究会 編 | 大同書院 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1263165 | 昭和15 | |
戦時貿易統制と輸出振興 | 平野常治 | 時潮社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1245938 | 昭和14 | |
戦争経済と商工会議所 | 小穴 毅 | 商工行政社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1263159 | 昭和14 | |
戦争・貿易・海賊 | 小林知治 | 日本書房 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1272119 | 昭和7 | |
大東亜共栄圏の貿易と通貨 | 堅山利忠 | 日本出版社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1068059 | 昭和18 | |
闘ふ商戦隊 | 西巻敏雄 | 郁文社 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和17 | ||
通俗商品学 石炭、石油、代用燃料 | 大阪毎日新聞社 編 | 大阪毎日新聞社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1271487 | 昭和13 | 戦時経済早わかり. 第3輯 |
通俗商品学 鉄鋼と非鉄金属 | 大阪毎日新聞社 編 | 大阪毎日新聞社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1271496 | 昭和14 | 戦時経済早わかり. 第5輯 |
通俗商品学 皮革,ゴム,木材,化学製品 | 大阪毎日新聞社 編 | 大阪毎日新聞社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1271515 | 昭和14 | 戦時経済早わかり. 第10輯 |
統制と興亜の新商道 | 小菅康暉 | アジア社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1067753 | 昭和16 | |
ナチスの商業政策 | 西谷弥兵衛 | アルス | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1278449 | 昭和15 | ナチス叢書 |
南進日本商人 | 日本経済研究会 編 | 伊藤書店 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1683561 | 昭和16 | |
南方圏商品学 | 南種康博 | 地人書館 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1902866 | 昭和18 | |
南洋に於ける日本の投資と貿易 | 樋口弘 | 不明 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1267568 | 昭和16 | |
南洋の資源と共栄圏貿易の将来 | 景山哲夫 | 八紘閣 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1871212 | 昭和16 | |
日蘭会商を中心として観たる 日蘭印貿易の現状 |
寺尾 進 | 南方経済調査会 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和11 | 南方国策叢書 | |
日本戦時貿易政策論 | 中井省三 | 千倉書房 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1687215 | 昭和15 | |
晴れの商船士官 | 藤田伝雄 | 輝文堂書房 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1068383 | 昭和19 | |
ヒリッピンに於ける資源及貿易 | 日本貿易振興株式会社企画部 編 | 高山書院 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1068052 | 昭和17 | 貿易対策資料 ; 第1輯 |
比律賓の資源と貿易 | 日本貿易研究所 編 | 日本貿易振興協会 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1065687 | 昭和17 | 調査彙報 ; 9 |
満支貿易と共栄圏貿易 | 米谷栄一 | 中央公論社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1872060 | 昭和18 | 東亜新書 |
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