満州漢人化運動
前回記事で本土で暮らせなくなった漢人が大量に満州に移住したことを書いたが、満州人の故地であり、かつては住民の大半が満州人であった満州に大量の漢人移民を送り込んで漢人が支配するように地域を拡大することが長野の言う「民族戦」なのである。
満州は満州事変が起きる前から漢人化が進んでおり、一九三一年に満州事変が起きて一時的に漢人の入満が制限されたもののその後も漢人の移住が進み、満州事変当時三千二百万であった人口は、昭和十五年頃には四千三百万になっていたという。満州事変も漢人による「満州漢人化運動」の中で理解すべきなのである。
満州に於ける漢民族の充実は、ここに満州を完全に漢人化し、満州を漢人の手に独占せんとする運動が行われるに至り、 遂に満州に於ける民族戦を展開し、満州事変を惹起するに至った。満州漢人化運動の動機は種々あるが、その主要なるものは次の如くである。
第一は古来行われた漢民族膨脹運動の連続である。漢民族が今日の大をなすに至ったのは既に述べた通りに、漢民族の外部発展と、弱小民族の浸蝕同化作用の絶えざる努力の結果である。少数民族は単に武力と政治を以て漢人に対して来たが、支那民族はその民族の多数と経済力と、漢人特有の文化により、 然る後にその領土を占有して自己の一部とする。この運動を満州人に対しても施し満州人を溶解し去ると共に、ここを漢人化して完全に彼等の手に占有せんとしつつある。 これは漢人の伝統的政策であつて、漢人は自民族により世界の統一を志す民族侵略者といえる。彼等は弱小民族の独立存在を認めない。
第二は支那支配階級の搾取本能から生れ出たものである。支那の軍閥官僚の徒は、人民を搾取して利を得る外は何事も考えていない。当時の東三省*軍閥もまた同じで、金融権を壟断して不換紙幣を濫発し、満州の特産品の買占めにより利を貪り、交通、鉱山、工業、森林等いやしくも利のあるところ彼等の占有に帰せざるものなく、甚だしきは質屋から女郎屋までも開いた。支那人は支配階級が搾取的であるだけでなく、人民も矢張り同じで、商人はつまらぬ品物を蒙古人に高く売付け、その代償として蒙古人の毛皮を安く買落して暴利を貪り、地主は朝鮮人を苛刻なる條件の下に小作せしめて暴利を得るだけでなく、漸く開墾が出来れば追い出して新な荒地を開かせ、且つ非常な高利で金を貸す。即ち支那人の満州に来るや他民族を搾取する。
*東三省:遼寧省・吉林省・黒竜江省の三省のことで満州を指すこの動機を促進せしめたものは、満州の開発により、財力の豊富と位置の優秀なるにより、ここに拠って政権を争わんとしたこと、さらに支那人は他国に散々金を費わせ骨を折らせ、出来上った所でこれを頂戴しようとする慣用手段を取る。租界回收の如きこれである。満州に対しても同じことで、日本の努力経営により今日の如く立派に出来上ると、御苦労樣ともいわず頂戴に出掛けたのである。人民の方では既に述べたように、支那本部殊に山東方面の動乱と凶作の結果である。
長野朗『民族戦』柴山教育出版社 昭和16年刊 p.207~210

わが国は日露戦争以降莫大な投資をして、満州の鉄道、道路、通信、上下水道などの公共インフラから大学などの教育機関、博物館、図書館などを建設し、企業の誘致も行ったのだが、支那人はこれら日本人が築き上げた満州の権益を、排日運動を仕掛けることで奪い取ろうとしたのである。わが国が満州につぎ込んだ資金は十七億円と言われており、昭和初期の予算規模が十五~十九億円であることを考慮するとかなり大きな金額であったのだが、結局わが国は敗戦によりすべてを失ってしまったのである。
しかしながら漢民族膨張運動は満州を取り込んだことでで終わったわけではなく、彼らはその後モンゴルやチベットやウイグルを取り込みさらに台湾を呑み込もうとしている。当然台湾の次にはわが国も狙っていると考えられるのだが、わが国の政治家も官僚も財界もマスコミも学会も、圧力がかかっているのか何も知らないのか、中国が領土を拡大してきた歴史について触れることがない。

話を元に戻そう。満州漢人化は清朝末期の混乱に乗じて進行していったのだが、清朝が滅亡した後に成立した国民党も共産党も満州漢人化を推進する方針であった。
一九二二年五月の共産党第二次全国大会の宣言中に次の如く現われている。
一 支那本部(東三省*を含む)を統一して真正の民主共和国とす。
二 蒙古、西蔵、回疆三部の自治を実行して民主自治邦とす。
三 自由連邦制を採用し、支那本部、蒙古、西藏、回疆を統一して中華連邦共和国を建設す。
この主張は満州の漢人化と共に、蒙古、新疆を自治邦とし、露骨にロシアの政策を現している。
*東三省:遼寧省・吉林省・黒竜江省の三省のことで満州を指す国民党の満州対策は明かに満州の漢人化で、彼等の民族主義は支那伝来の漢民族主義であり、 倒満興漢はその一つの現われである。
孫文の三民主義の中にもこの点はよく現われている。
即ち「古来民族生存の道理から推して、支那を救い支那民族を永遠に生存せしめんとせば、民族主義を唱えねばらぬ。 支那の人口は四億だが漢人種以外のものは僅か一千万に過ぎないから、先づ同一血統、言語、文字、宗教、習慣を有する一個の民族と見做すことが出来る」といって少数民族の地位を認めず、又「支那は今日までその大なる人口を以て蒙古人、満人の侵略に対し決して滅亡しなかっただけでなく、漢人は却って彼等を同化して漢人に変ぜしめた。今日多くの満州人は漢人の姓を名乗っている。 従ってたとえ日本人や白人が来て支那を征服しても支那人はこれ等日本人及白人を吸收してしもうから心配はない」といい、また支那歴代の民族侵略については 「支那は以前文明の民であり強盛な国家であつて、自ら中華と称し、他を蕃夷と名づけ、天下の主を以て任じた。かくて支那は民族主義から世界主義に進み、 従って歴代皆帝国主義を採用して他民族を征服した。即ち幾千年来平天下の主義を実行し来ってアジア各小国を完全に征服し終った」と述べている。実際に於て国民党は民族意識が最も熾烈で、国民党政府になってから、 他民族に対する漢人化運動は急速に進められ、満人、蒙古人、回族の地を侵蝕してはこれを漢人の勢力範囲に入れ、そこに県を設け省を設けたことは既に述べた通りである。満州でも従来の各省は次第にその範囲を広げ黒龍江省はホロンバイルを併せ、吉林は西に伸び、奉天は洗南一帯を漢化して沈昌道を設けた。かうした満州の漢人化は、ここに各民族との争闘を展開し、 弱小民族を侵蝕して遂に日支の衝突となった。
漢民族満州発展の鋒先にかかって、 第一に抹消し去られたのは満州族と東部蒙古族とである。
同上書 p.211~213

戦後の歴史叙述ではわが国は侵略者扱いにされているのだが、わが国は漢族、満洲族、蒙古族、ウイグル族、チベット族の「五族共和」をスローガンにして満州帝国を支援し、満州人も満州文化も満州文化も残そうとした。ところが満州を飲み込んだ漢人は、少数の満州人を追い払い、今では満州語も満州文化も残されていない。
満州人は如何にして消されたか
長野は満州族は「抹消し去られた」と書いているのだが、満州人はどのような経緯で姿を消してしまったのか。満州はかつて満州人の故地であり人漢人はほとんどいなかったのだが、満州人が清を建国した際に支配階層が北京に移ってしまい、その結果満州の人口がが少なくなってしまっていた。その後清国が弱体化してくると「封禁の地」であった満州にロシア人が入ってくるようになり、清国政府はロシア人に踏み込まれるくらいなら漢人の方がましだと判断して満州移住を認めてしまい、大量の漢人が満州に移住するようになった経緯にある。そのために満州人よりも漢人の人口が圧倒的に多くなってしまい、そのために漢人が、満州の地を自分の土地だと主張することに繋がっていった。長野がこの本を出した一九四一年の段階では、満州人がどこにいるのか分からなくなっていたという。
満州は満州族の故土であるが、満人の数はいたって少なく、その上に満州朝廷は支那本部統一のため、 満族壮丁の大部を挙げて漢人の統治に使用したため、満州はますます空虚となった。そこで満州朝廷は漢人にその留守を襲われることを虞れ、 しかしかかる不自然な状態は決して永続するものでなく、満州朝廷の力が弛むとともに、禁令も自然に破れて、漢人は潮の如く満州に侵入した。およそ世の中に支那人くらい食えない民族はあるまい。彼等は海千山千の妖女の如く、他に征服されながら、何時の間にかその生血を吸ひ尽くすのである。他民族に征服された元と清の時代は、かえって漢民族が大に膨脹した時期である。かつ永く支那にかかり合った者ほど酷い目に遭う。清朝はその適例である。三百年の統治のため、民族も郷土も失った。
漢満両民族の争闘に於て、漢人は農耕民族であり、満人は牧畜民族でありあるいは地主として遊惰な生活を送り、経済的に劣っている。満人の文化が甚だ低かったのに、漢人はとにかく四千年の文化をもっている。また漢人はその数に於て比較にならない程多い。かつ満州が人口に於て空虚であったことは、漢人の発展を容易にした。 もし満州が漢人で充され土地が耕されていたならば、漢人進入の禁令を布かなくとも、漢人の発展は甚だ困難であったろう。水や空気が空虚なものを充すやうに、 人口の流れも空虚な地点に向って進むのは自然である。殊に一度南満で遼河流域に於ける沃土の甘味を味わった漢人には奧地北満への進出は止められない誘惑であったろう。
こうした漢人に有利な要素が備っている上に、更に漢人の満州移住を促進するような事件が次から次へと起って来たことは既に述べた通りである。ただ満人の最後の防御線は満人が政権をもっていたことで、この政権を利用して人為的な封禁政策を取っていたに過ぎない。然るに漢人はその得意の方法により、支那本部に散在して漢人を抑えていた満州八旗も、すっかり漢人に同化され、満州には漢人勢力の侵入を見るに至り、満州の漢人化は急速に行われ、今日では満人の姿は全く旅行者の眼の中から消え去った。現在四千万に近い満州住民の中に、満人が尚三百万人は残っているといわれているが、その数の如きも確かでなく、それに満人は一ヶ所に集っているのでなく、各地に分散して漢人の間に混在しているが、漢人の伝統的な同化政策により、その姓名の如きも漢人の姓を名乗り、風俗習慣言語も漢人化しているから全く見分けがつかず、半ば漢人化し、漢人の中に消え去りつつある。
同上書 p.213-216
満州人は一番長く支那とかかわった民族であると言って良いが、わが国が満州国の建国を援けた段階ですでに満州の国も民族も文化も漢人によって抹消されつつあった。中国には「洗国」という考え方があるようだが、周囲の国の民族を漢人に入れ替えて国を奪い取ることが中国の歴史の中で何度も行われてきたことを知るべきである。
漢人の蒙古侵略
この時期に漢人化政策で侵略されていたのは満州だけではなく、東蒙古族も同様であった。東蒙古族について長野は次のように解説している。
蒙古人も満人と同じ運命の下に置かれている。蒙古王公の土地は今の四平街から新京附近にまで及んでいたが、漢人に侵略されて逐次西方に退却し、今では全く西方奥地に追い詰められて身動きも出来なくなっている。満州ではロシアの東漸は支那の蒙古人圧迫を増大せしめ、光緒三十四年には東三省蒙務局を設定した。東三省総督から出した意見書の中には「露人は日本のために失ひたる所を必ずや蒙古に得んとするであらう。其衝に当るのは東蒙古だから、 これを愚昧なる遊牧民に一任しては置けない」とあるが、 実は広大にししかも肥沃な東部内蒙古を完全に東三省総督の管下に置かんがためであった。
かうして蒙古人は漸く大興安嶺の彼方、 ホロンバイルの地に僅か七万の人口を擁し微か余命を止めているが、漢人は怒濤の如く興安嶺の麓までひしひしと詰めかけている。ただホロンバイルの地が農業に適せず、遊牧しか出來ないため、漢人の侵入が自然に阻止された形である。更にもう一つはロシアの態度で、 ロシアがホロンバイルを重視するのは、 シベリアは長い側面を曝露しているため、 この側面を漢人に対して防護するためには、 漢人のやうな深刻な侵略民族の代りに、無害な蒙古民族が緩衝地帶として存在することが必要である。…中略…
東蒙古方面では満鉄沿線の四平街付近まで以前は蒙古の王地であったが、今では蒙古人の影もなく、すっかり漢人の土地となっている。更に西方四流沿線も、全く漢人化し、漢人の前線は洗南・通遼等の鉄道沿線から、更に遠く西方にまで前進している。蒙古人は牧畜を業としているから、農耕を業とする漢人とは競争出来ない。漢人が土地を開墾すれば、そこには牧草が無くなるから、蒙古人は漸次未墾の土地を求めて移住する。従って漢人の開墾線が進むに従い、蒙古人は次第に退却を余儀なくされる。しかるに漢人は毎年この方面だけでも数万人が移住し、開墾線はだんだんと進んで、蒙古人は殆んど退くべき余地なきまでに追い詰められた。今日興安省の人口は百数十万人でその中には漢人もあり、蒙古人は山河と民族とを失いつつある。
支那人の蒙古侵略には二つの方法がある。一つは商人を先鋒として派遣することであり一つは蒙古王公を騙して土地を捲き上げることである。
支那商人は南洋に於けると同じく、実に蒙古侵略の第一線をなすもので、蒙古人の好きそうな煙草や雑貨等を持込み、これを羊と交換し、蒙古人の無智に乗じて暴利を貪り次第に経済的勢力を占めて行く。
また支那人が蒙古王公を抱き込むには、官憲は結婚政略を用ひ、あるいは王侯を招待してこれを酒と女で蕩かし、あるいは阿片を吸わせ、その間に乗じて巧く騙して土地を捲き上げるのである。これ蒙古の土地は王侯に所有権があるからである。 蒙古人が一般に粗末な幕営内に馬糞を焚いて生活しているに反し、蒙古王侯と僧侶だけは堂々たる宮殿と大寺院に納って贅澤三昧に耽り、ために国土を売って人民生活の基礎を失わしめ、また自ら滅びている。
蒙古人の中には留まって漢人の間に伍して耕作を試みるものもあるが、 それは少数で、 かかる連中は漢人化している。 蒙漢人の接触地帯には両民族の雑婚も多少行われている。
同上書 p.216-220

東蒙古族も満州人と同様に漢人によって中心部から追い出されてしまったのだが、農業に適さないホロンバイルの地で漢人の侵入が阻止されているという。ホロンバイルはロシアとの国境にある大きな町で、かつてノモンハン戦争の舞台となったところである。今は内モンゴル自治区にありフルンボイル市と呼ばれているようである。この都市においても今では人口の八割以上が漢人となっており、蒙古族、回族、満州族、朝鮮族などの少数民族は合わせて十七%しかいないという。
長野の文章に、蒙古族の庶民が苦しい生活を強いられているなかで蒙古王侯や大寺院の僧侶たちは国土を売りながら贅沢三昧の生活をしていたことが書かれているのだが、庶民を苦しめながらそれを改善しようともせず、贅沢三昧をしているどこかの国の今の政治家や官僚や財界人と似てはいないか。
次回は漢人による朝鮮人圧迫などについて書くこととしたい。
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