前回は、カラカウア王が国際親善訪問から帰国後、王権の強化を図るとともにハワイの伝統・文化を復活させようとしたことがアメリカを強く刺激することとなり、アメリカの圧力により憲法を押し付けられ、カラカウア王の国政に対する権限のほとんどを奪われたことを書いた。
アメリカにより憲法を押し付けられ、国王家と国家の弱体化を仕掛けられた国である点については、戦後のわが国はハワイ王国と少し似ているのだが、今回は、その後アメリカが、いかにしてハワイ王朝を転覆させてアメリカの領土に編入したかについて書くこととしたい。
カラカウア王の死

国際親善訪問から帰国後のカラカウア王の在世時代は、ほとんど政治的混乱時代であった。
カラカウア国王には、このままではアメリカに併合されてしまうという強い危機感があった。『ハワイを繞る日米関係史』(GHQ焚書)には、次のように解説されている。
王が前王ルナリロと王位を争った時、
「祖先の血を受けるハワイの人々よ、起て!今は国家存亡の秋である。ルナリロの宣言こそは汝らを欺くもの、彼の背後に数多の外国人傀儡師のあるを知らざるか。」
といった書き出しで、漸次に富を奪われ人口衰亡の途にあるハワイ島民の感情に訴え、ハワイ人口の増加対策をとなえ、全国土はそれらの人民によって経営さるべきこと、政府の要職はハワイ人によって占められるべきこと、等々の政綱を掲げたことを考えても、即位後の数年は現実の勢力に打ち負かされていた民族の熱情が蘇ったものと言わなくてはならない。国王の専制的態度は一八八七年(明治二十年)に革命を惹き起さんとしたが、王の譲歩によって流血の惨事は免れたが、憲法の大改正を見るに至った。これによって責任内閣制は確立し、アメリカ人の政治的勢力は再び挽回されたが、これにも増してその勢力を不動の基礎に置いたのは、同年十一月に行われた互恵条約の修正であろう。即ち、これによってアメリカは真珠湾の使用に就いて絶対の権利を得たのである。勿論それが太平洋制覇を目指す軍事的目的にあったことは言うまでもない。
吉森実行 著『ハワイを繞る日米関係史』文芸春秋社 昭和18年 p.71-72
一八七五年に締結された互恵条約は、アメリカとハワイ両国間の生産品に対しては輸入に際して相互に関税を非課税とするが、その代わりにハワイは「領土は決して租借割譲するべからず。条約によって付与されたる特権は決してこれを他国民に譲与すべからざる」という条項を吞まされており、アメリカ以外の国に領土を割譲することが禁止されていた。ところが、さらに一八八七年十一月に重要な修正がなされ、アメリカ政府は真珠湾に出入し、アメリカ船舶の積荷や修理等に必要な施設を建設する権利をハワイに認めさせたのである。
さらに同年の憲法改正で、白人はハワイに帰化しなくとも国法遵守を宣言すれば参政権が与えられる一方、有色人種は参政権が認められなかった。
かくしてハワイの政治・経済はアメリカに完全に支配されるようになっていった。
一八九〇年のマッキンレー関税条例があらゆる砂糖を無税とした結果、ハワイ製糖業者は直接キューバやジャバやブラジルとの競争を余儀なくされ、ハワイはたちまち不景気に襲われた。即ちマッキンレー条例の議会通過後間もなく、ホノルルの粗糖値段は一日のうちにトン当たり百ドルから六十ドルに暴落し、耕地の地価や砂糖の株も追従的に値下がりを見せた。
この経済的危機に就いて、一八九二年十一月二十日、ハワイ駐箚アメリカ公使スチブンスが本国政府に宛てた報告には左の如く述べられていた。
「耕地や精糖工場の所有者たちが受けた被害は、千二百万ドルを下らず、その損失の大部分は当地及びカリフォルニアのアメリカ人に課せられている。…中略…」
かかる経済的な悲運を挽回して、ハワイを繁栄の道に向かわしめるには、ただ二つの途がある、と彼は言う。
「大胆強硬に之を併合するか、さもなければ之と『関税同盟』を結ぶかである。本官はむしろ前者を可とする。」
ここまで来ると、併合はもう一歩手前まで来ていた。
同上書 p.76-77
カラカウア王はその後体調を崩し、失意と孤独の内に一八九一年一月にサンフランシスコのパレスホテルにて死亡し、その志を継いだ妹のリリウオカラニ女王が即位することになる。

アメリカは如何にしてハワイ王朝を転覆させたか
リリウオカラニ女王は、アメリカ人を中心とする共和制派との対決姿勢を強め、純粋なハワイ人の王朝を回復するために、憲法の改正に着手した。
アメリカの圧力により貧しいハワイ人やハワイに帰化した移民たちの選挙権・被選挙権が奪われ、国王の権限が剥奪されていたのを改正したい気持ちはよくわかるのだが、この憲法を変えようとしたことがアメリカを刺戟し、ハワイ王朝の衰亡に拍車をかけることになってしまった。
一八九三年一月十四日、ハワイ人の一党が王宮に向かい、女王にアメリカ人の権限に制限を与える新憲法を捧呈してその発布を請願した。その内容は以下のような内容であったと言われているが、ハワイ人としては当然の主張だと思う。
・上院議員の任免権を国王に復すること
・内閣大臣は国王が任免権を持つこと
・ハワイ人には人頭税を免除し、白人はハワイ人と結婚した者以外はこの特権を与えないこと 等

当日午後、多数のハワイ人は王室の内外にまたは王宮の階段や政庁の内外に群集していた。此時、女王は出御になり、召に応じて参内せる内閣大臣に新憲法草案を交付し、これに記名調印を命じた。彼等は之を拒んで政庁を退出し、急を市民に告げて国王のクーデターを阻止するよう協力を求めた。
武装する一隊は直ちに組織された。かくて閣僚は再び王宮に到り、国王にその企図を断念されんことを諫奏した。
王の意は容易に決しなかったが、ややあって新憲法發布はひとまず延期されることとなった。…中略…王は更に群衆に向ひて、宣告して曰く、
「余が企図は大臣の不忠により妨害せられたり。故に余がかつて嘉納し汝等に約束したる新憲法は今之を発布するを得ざると雖も、好機来たらば速やかに之が施行を怠らざるべし。」
同上書 p.79-81
白人の大臣たちは新憲法を認めることを拒否し、「国王がクーデターを起こした」と市民に告げ、直ちに武装集団を組織して、女王による新憲法発布を延期させたのだが、ハワイ人の多くがこの新憲法を待ち望んでいたことは女王の言葉を読めばわかる。
しかしながら白人たちは、直ちに次の行動を開始した。
一方白人派はこれを以て事の終局と認めず、直ちに十三人の治安委員を設けて非常対策に備え、翌十五日白人市民の大集会を開いた。席上治安委員の選定せられたことにつき諒解が求められ社会の安寧と市民の権利を保持するために必要と認める場合には、如何なる処置をもとり得る権力をこれら委員に付与することが議決された。翌十六日再び集会は開かれた。この会合に於いて委員等は市民の意向を察知し、君主政治を廃して直ちに仮政府を構成する準備に着手した。
即ち、同島駐劄のアメリカ公司に依頼して財産保護の目的をもつて軍艦ボストン号より海兵の上陸を求めた。
同上書 p.81-82
アメリカ人たちは軍事力を使って君主制を廃止させようとし、十六日にはすでに百五十名の武装した米海兵隊がハワイに上陸してホノルル市内を制圧し、イオラニ宮殿を包囲させ、軍艦ボストン号の主砲はイオラニ宮殿に照準を合わせたという。
ハワイ人側においても集会がもたれて千四五百名が集まり、原住民の牧師と共に白人の災いが至らず王位が安泰であることを神に祈祷したという穏健なものであった。これでは、アメリカ人には対抗できるはずがなかった。

次に白人の治安委員たちは政庁を奪取し、群衆に向かって王政の廃止と臨時政府の設立を宣言する。この時に大統領となったサンフォード.B.ドールという人物は、もともとは布教のためにハワイに来たプロテスタントの宣教師一家の出身で、ドール・フード・カンパニーを創業したハワイのパイナップル王ジェームズ・ドールはその従弟にあたるのだそうだ。
こうして臨時政府は、王宮・警視庁・兵営の引き渡しを要求し、国王は王宮を退き、兵営は翌日占領させたという。
アメリカ大統領ハリソンは、ハワイ臨時政府代表がワシントンに到着すると、リリウオカラニ女王から派遣されていた陳情使節を無視して、直ちに内閣の意見をハワイとの併合の方向にまとめ上げて、次のような大統領教書を発表している。

合衆国は何等王政転覆を扶助せず、革命は全くリリオカラニ女王の革命的施政に起因したものである。女王の施政はハワイに於けるアメリカの優越する利益を非常な危殆に陥れたばかりではなく、外國の利益をも危殆にした。…
女王リリオカラニの復位は望ましいことではない。その復位はアメリカの援助がなくては非常な不幸を招き、商業上の利益を悉く破壊してしまうであろう。ハワイ諸島に於けるアメリカの勢力と利益とは増進されねばならない。ここに於いて採るべき道は二つある。
ハワイをアメリカの保護國とすることがその一つである。他の一つはその完全なる併合である。
ハワイ人民の利益を最も善く著しく増進し、また、アメリカの利益を適當に保證する方法は併合以外に求められない。…これによって列強が本諸島を占領しなくなるのは當然のことである。外国に同諸島を占領されることはアメリカの安全と世界の平和に一致しない。
同上書 p.125-126
軍艦と海兵隊をハワイに差し向けて支援していながら、「アメリカとしては革命を起こした勢力を援助した覚えはない。ただ女王が過激な政策をとったために王座から追われたのである。」とはよく言ったものであるが、ここで面白いことが起きる。

この教書を発表したハリソン大統領の任期があと二週間しかなく、一八九三年三月四日に就任式を終えたばかりのクリーブランド新大統領の考えはハリソンと異なり、アメリカ公使が許可なく米軍を用いてハワイ王朝を転覆させた非行は許されるべきものではないというものであった。
新大統領は上院に条約案の撤回を求め、ハワイ問題調査団の派遣を決めたために併合はしばらく見送られることとなる。

前回記事でカラカウア王が訪日時に、王女と山階宮親王との結婚の話の提案があったことを書いたが、そのカイウラニ王女が着任早々の新大統領に面談してハワイ王政転覆の不当性を訴えたのだそうだ。彼女の美貌と感動的なスピーチにアメリカのマスコミも一気にハワイ王家を味方するようになったらしい。
クリーブランド大統領がハワイに派遣したハワイ問題調査団は、この一連の動きは米国人宣教師の二世・三世グループが仕組んだ陰謀であり、さらに米国公使が米軍艦と海兵隊を使ってハワイ王朝を葬ったことを明らかにし、その報告を受けてクリーブランド新大統領はハワイ王国に謝罪したのだが、ハワイ臨時政府はそれを内政干渉としてはねつけたのだそうだ。
その後米国で議会工作がなされて一八九四年一月のアメリカ連邦議会において上院議員の多数がハワイ臨時政府を支持したために、リリウオカラニ女王を復位させようとした米大統領の目論見は外れてしまった。
こうした状況下でハワイ臨時政府は、クリーブランド大統領の在任中にアメリカにハワイを併合させることは難しいと判断し、次の一手として、アメリカの独立記念日である七月四日にハワイ共和国の独立を宣言してハワイ王家を廃絶させ、初代大統領にドールが就任している。
すると王党派の反撃が開始される。一八九五年一月に王党派はホノルルで王政の回復を企てるも数日の銃撃戦の後に政府に鎮圧されてしまう。
『ハワイを繞る日米関係史』にはこう書かれている。
一八九五年一月、王党の一味はホノルルに於いて反乱を起こし王政の回復を企てたが力及ばず、その指導者たちは悉く共和政府の軍法会議に附せられ、罪を糾弾された。リリオカラニもまた逮捕され、王宮に幽閉されたが、自ら書面を以て反乱に関係なきこと、共和政府を承認すること、政治上その他の権利を一切放棄する等を言明し、なほ共和政府に対し忠誠を誓う宣言書を提出した。そこで政府は十月、女王を放免して之に市民権を付与し、ここに反乱の最後の幕は閉じたのである。
同上書 p.130
ハワイ王朝は少数のアメリカ人の繁栄の為に滅ぼされてしまったのだが、同様な方法で欧米に滅ぼされた国は他にもハワイ以外にも多数存在するにもかかわらず、戦後のわが国ではそのような歴史がほとんど封印されてしまっていることを知るべきである。
アメリカのやり方に抗議した日本
ここでわが国がハワイ革命の報を受けて、わが国が軍艦を差し向けたことを書かなければならない。
カラカウア王との約束で明治十八年から始まった日本人のハワイ移民はこの年までに二万五千人を数えていたそうだ。軍艦を差し向けたのは、日本人移民の生命と財産の安全を守るためというのが表向きの理由だった。

ハワイ王朝が倒れて約一ヶ月後の二月二十三日に巡洋艦「浪速」と、五日遅れてコルペット艦「金剛」が相次いでホノルル港に入り、米軍艦「ボストン」のすぐ近くに投錨したが、「浪速」の艦長は東郷平八郎であり、同じ艦上には、先代国王カラカウアからカイウラニ王女との結婚を求められた山階宮が、今は小松宮依仁親王(後の東伏見宮依仁親王)となられて乗船していたという。
ハワイ臨時政府は、ドール大統領が米国軍艦公訪の際に、二十一発の礼砲の発射を「浪速」に要請したのだが、東郷艦長は「その理由を認めず」と突っぱねたそうだ。ホノルル港の各国軍艦はこれにならい、この記念日はハワイ王朝の喪に服するような静寂の一日に終わったという。
その後のハワイ
一八九八年に米西戦争が勃発し、この戦争を有利に展開するための恒久的な補給基地が必要との理由でクリーブランドの次の米大統領であるウィリアム・マッキンリーの署名により、この年の七月七日にハワイがアメリカに正式に併合されたのである。
現在のハワイ州の四〇%にのぼるカメハメハ王朝の土地は米政府が譲り受け、真珠湾のウィッカム基地やハワイ国際空港などが作られ、カホオラベ島のように先住民を追い出して、島全体が射爆撃標的にされたところもある。
一方共和国の実権を握った宣教師の息子たちは、所有していた土地をそのまま私有地として認められて、大地主として併合前と同様に経済の実権を握ったという。
その後、ハワイに移住していた多数の日本人たちは、その後大挙してアメリカ本土に移り住むようになった。そのために日本人移民が問題視され、アメリカでの排日移民運動へとつながっていったのだが、こういう歴史の流れを知らなければ、何故カリフォルニアで排日運動が起こったかわからないと思うのだ。
ところで、ハワイの歌として誰でも知っている「アロハ・オエ」(アロハ=愛する気持ち、オエ=あなた)はハワイ王国最後の王であるリリウオカラニ女王が作詞・作曲したものである。
よく歌われている日本語の歌詞は、女王の書いた原詞を無視して書かれたものだが、原詞の邦訳を読み、雨を白人勢力、花や鳥や人をハワイの人々と考えれば、リリウオカラニ女王が愛する祖国を失う悲しみや無念に思う気持ち、ハワイの人びとを愛する思いや感謝の気持ちが自然と伝わってくる。
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