萬徳寺
前回の記事で紹介させていただいた若狭彦神社から東に800m程度のところに真言宗の萬徳寺(小浜市金谷74-23)がある。この寺はこの地に以前からあった極楽寺を南北朝時代に再興して正照院に改称し、戦国時代に若狭国を治めた若狭武田氏が当寺を祈願所として国中の真言宗本寺とし、慶長七年(1602年)に空性法親王より萬徳寺の額面を賜り寺号を萬徳寺に改めたと伝わっている。
前身の極楽寺については記録が残っていないようだが、萬徳寺ご本尊の阿弥陀如来坐像は平安時代後期に造られた檜の一木造りで国の重要文化財に指定されている。おそらく極楽寺の歴史はこの仏像と同様に古いものだと思われる。この貴重な仏像を立派な本堂の中でじっくり鑑賞することが出来る。
この寺には他にも国指定重要文化財の絹本著色不動明王三童子像(平安時代末期)、絹本着色弥勒菩薩像(鎌倉時代)を所有しているのだが、いずれも公開はされていなかった。
萬徳寺の庭園は国名勝に指定されており紅葉の名所として「日本の紅葉名所百選」にも選ばれているのだが、残念ながら十一月二十日に訪れた時はほとんど色づいていなかった。
庭園には樹齢五百年、根回り3.5mの国天然記念物のヤマモミジがあり、ネットでは素晴らしい紅葉の写真を観ることが出来る。
国分寺
萬徳寺から国分寺(小浜市国分53-1)に向かう。
天平十三年(741年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に国分寺、国分尼寺の建立を命じたのだが、若狭国ではその時点では地方豪族の氏寺であった太興寺廃寺が転用されて若狭国分寺とされ、平安時代初期に現在地に建立されたと考えられている。
鎌倉時代の中期の文永二年(1265年)成立の『若狭国惣田数帳案』には僧寺・尼寺の寺領が記載されており、同時期までは両寺院の存続していことがわかるが、その後は衰退したようだ。
慶長十六年(1611年)にかつて金堂が建っていた跡地に釈迦堂が建立されたが、その後大破してしまい、現在の釈迦堂は宝永二年(1705年)頃に再建されたものだ。内部を観ることは出来なかったが、中には木造釈迦如来坐像(軀部は鎌倉時代、頭部は江戸時代の作:小浜市指定文化財)が安置されている。
釈迦堂の道路を挟んで西側にはコンクリート造りの薬師堂があり、木造薬師如来坐像(鎌倉時代:国指定重要文化財)、木造釈迦如来坐像(鎌倉時代:小浜市指定文化財)、木造阿弥陀如来坐像(鎌倉時代:小浜市指定文化財)が安置されている。
若狭歴史博物館
国分寺から1km程度走ると若狭歴史博物館(小浜市遠敷2丁目104)がある。
「若狭のみほとけ」の展示室には小浜市円照寺の地蔵菩薩立像(平安時代:小浜市指定文化財)、飯盛寺の不動明王二童子像(平安時代)など平安時代や鎌倉時代に造られた迫力のある仏像が多数展示されており、効果的な照明によりそれぞれ四方からじっくりと拝見することが出来る。国の重要文化財に指定されている仏像など全体の四割程度は複製品であったが、しっかり作り込まれていて、なかなか見ごたえがあった。展示されている仏像は随時入替が行われているようで、若狭にはまだまだ貴重な仏像が残されていることが分かる。
「若狭の祭りと芸能」の展示室には、若狭で四季折々に行われる祭や神事で用いられた舞面や衣装などが展示され、「若狭のなりたち」の展示室には、旧石器時代から縄文・弥生時代の出土品などが展示され、「若狭から都への道」の展示室には「御食国」若狭と天皇の食膳コーナーで、平城京の出土品に若狭関係の荷札(木簡)が多数発見され、若狭で獲れた海産物が都に運ばれて、高貴な人々食膳にどのような味付けがされて並んだのが再現されていて興味深かった。『延喜式』によると、若狭国は十日毎に「雑魚」、節日ごとに「雑鮮味物」、さらに年に一度「生鮭、ワカメ、モズク、ワサビ」を御贄として納めることが定められていたらしい。
また「若狭への海の道」の展示室には、小浜出身の杉田玄白が著した『解体新書』の原書や世界及び日本図などが展示されていた。
常設展とはいえ予想していた以上に見ごたえがあり、入場料は高校生以下と70歳以上は無料で、その他は一人310円とかなり割安なうえにJAFの会員証を提示するとさらに2割引きとなる。小浜に行く予定のある方はぜひこの博物館を旅程に入れることをお薦めしたい。
妙楽寺
次の目的地の妙楽寺(小浜市尾崎22-15)に向かう。この寺は養老三年(719年)に僧行基が本尊を刻んで岩窟に安置し、延暦十六年(797年)に空海が諸国を廻っていたときに、本尊を拝して堂舎を建立したと伝えられている。
この寺も紅葉の名所として有名なのだが、仁王門の周辺の紅葉はまだ青かった。まっすぐ参道を進み本堂付近に出ると少しだけ紅葉が楽しめた。
本堂(鎌倉時代:国指定重要文化財)は若狭における最古の建造物で、本尊の木造千手観音立像(平安時代:国指定重要文化財)はヒノキの一木造である。本尊は長い間秘仏とされてきた経緯にあるが、今では観光客に公開されている。保存状態は極めて良好で、現在も金箔に覆われていて大変に美しい仏像である。内陣には他にも木造聖観音菩薩立像(平安時代:県指定文化財)などが安置されていて、貴重な建物の中で貴重な仏像を静かに参拝できることは有難いかぎりである。
上の画像は地蔵堂で、木造地蔵菩薩坐像(平安時代:県指定文化財)が安置されている。
圓照寺
次に訪れたのは圓照寺(小浜市尾崎22-15)。
この寺は、昔、春日明神の神託によって刻まれた大日如来像を、奈良三笠山より若狭国堂谷の地に遷して一宇を建立し遠松寺と号したことに始まり、のち南川の大洪水による災害により、文安元年(1444年)に対岸の現在地に移して円照寺と名を改め、真言宗より臨済宗に改宗したと伝わる。
本堂の右側に寛政七年(1795年)に再建された大日堂があり、その中に木造大日如来坐像(平安時代:国指定重要文化財)と脇侍の木造不動明王立像(平安時代:国指定重要文化財)が安置されている。
県指定名勝の庭園も見たかったのだが、受付を呼んでも出て来られなかったのであきらめた。観光客の少ない平日の中途半端な時間帯には、人手が少なくて対応できないのだろうか。
この日に妙楽寺の前に訪れた多田寺(小浜市多田29-6)も同様であったが、この二寺を訪問する方は、予め予約を入れておいた方が良いかもしれない。ちなみに多田寺の本尊の木造薬師如来立像、日光菩薩像、月光菩薩は奈良時代から平安時代の作とされ、すべて国指定重要文化財である。
羽賀寺
次に訪れたのは羽賀寺(小浜市羽賀82-2)。寺伝によると、霊亀二年(716年)に元正天皇の勅願により行基が創建したされ最盛期には子院十八を数えたが、その後天暦元年(947年)の洪水で流出し再興されたという。
そして元弘の乱(1331~1333年)で焼失した後再興されたが、応永五年(1398年)に再び焼失し、永享八年(1436年)に再興されている。
歴代領主・藩主から保護されてきたことから、羽賀寺にも数多くの寺宝を残している。
上の画像は羽賀寺の本堂(室町時代:国指定重要文化財)で、本尊は檜の一木造りの十一面観音菩薩立像(平安時代:国指定重要文化財)で、造立当初の彩色がほぼ完全に残されている。他にも、木造千手観音立像(平安時代:国指定重要文化財)、木造毘沙門天立像(平安時代:国指定重要文化財)を保有している。
小浜市の魅力
前回紹介させていただいた明通寺、神宮寺、今回採り上げた萬徳寺、国分寺、妙楽寺、圓照寺、羽賀寺の七寺のほかに、多田寺(小浜市多田29-6)を総称して「小浜八ヶ寺」というのだが、いずれも小浜市の中心部からは少し離れたところにある。八つの寺を一日で回るのはかなり厳しく、一泊二日で計画を立てるしかないのだが、バス便が少ないので車で周遊するしかないだろう。小浜市の公式サイト『まるっとおばま』で案内しておられるのなら、小浜駅から八ヶ寺を巡回するバスのようなものを走らせるか、あるいはどこかの旅行会社が八ヶ寺を回るツアーを企画してはどうかと思う。少し宣伝が必要だとは思うが、小浜の八ヶ寺はツアーを組んで拝観する価値が十分にある。古い寺や神社とその文化財が、周囲の美しい自然景観とともに残されており、貴重な仏像を昔の人々と同様にお堂の中で間近に拝見できるところは京都や奈良でもそれほど多くはなく、私にとって小浜八ヶ寺を巡った満足度は高い。
小浜市の魅力は寺だけではなく、海産物がとても美味で価格がリーゾナブルであること。上の画像は明通寺の観光のあとで立ち寄った宝来屋で食事をしたのだが、地元でしか出回らないアカヤガラという魚の刺身はとても旨かった。主人に聞くと、毎日朝に獲れたばかりの魚を仕入れるのだが、日によって魚の種類は異なるのだそうだ。アカヤガラは高級魚なのだそうだが、普通の刺身定食の価格で提供していただいてとてもありがたかった。
二日間の旅行の食事はすべて小浜で頂いたが旅館の食事も、二日目の昼食で食べた海幸苑の小浜丼も良かったし、最後に立ち寄った若狭小浜お魚センターで買った魚は近くのスーパーなどの味とは比べ物にならないほど旨かった。思い切って沢山買えばよかったと今になって思う。このセンターの北側にある赤井商店の果物・野菜も生産者から仕入れているようで、新鮮ないいものが買える。
小浜市の中心部はほとんど廻ることが出来なかったのだが、散歩で歩いた小浜市三丁町の古い町並みは素晴らしかった。中心部には高成寺、八幡神社、空印寺、発心寺など行きたい寺社が残っているので、また計画を立てて小浜を訪ねたいと思う。
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