明治二年正月の横井小楠暗殺を追う

明治初期の暗殺事件

 前回の記事で奇兵隊が明治二年(1869年)に政府に反旗を翻したことを書いたが、明治の初期には政府の要人が相次いで暗殺されている。同じ明治二年の一月に参与の横井小楠(よこい しょうなん)が暗殺され、九月には兵部大輔の大村益次郎、明治四年(1871年)には参議の廣澤真臣(ひろさわ さねおみ)が暗殺された。教科書や通史には、この時期に相次いで政府の要人が暗殺されたことに触れていない本が大半なのだが、なぜこのような重要事件について書かないのであろうか。

横井小楠

 今回は、三人の中で最も年長であった横井小楠がどのような人物であり、彼が暗殺された経緯についてまとめておくことと致したい。

横井小楠と『国是三論』

 横井小楠は文化六年(1806年)八月十三日に熊本藩士の次男として生まれ、通称は平四郎で実名は時存(ときひろ)といい、後に小楠、沼山と号した。天保十年(1839年)に江戸に出て、藤田東湖や佐藤一斎らと交わり、帰藩後は熊本に家塾小楠堂を開いて実践的朱子学を唱えて多くの門弟を育てた。また彼は当時「三儒傑」の一人とされ、藤田東湖、佐久間象山と並び称されるほど著名な学者であった。

松平慶永

 安政五年(1858年)に越前藩主松永慶永に招かれて福井に滞在し、万延元年(1860年)に『国是三論』を著して開国通商、富国強兵、士道の重要性を説き、藩では彼の論策をもとに改革が行われて、由利公正らの主導により越前物産総会所という藩内物産の専売所が設けられ、さらに長崎に越前屋という交易会社が作られて、生糸の輸出で越前藩に莫大な利益をもたらしたという。

 『国是三論』は講談社学術文庫に収められていたのだが絶版となってしまい、今では「国立国会図書館デジタルコレクション」で「個人向けデジタル化資料送信サービス」の手続きをすれば読むことが可能となっている。この本には、今日にも通じるような内容が処々に記されている。花立三郎氏の現代語訳で紹介させて頂く。

 世界諸国の政治をひろく論ずる力量があって初めて日本の国を治めることができ、 日本国を治める力量があって初めて一藩を治めることができる。同様に、一藩を治め支配する力量があって初めて一つの職分が果たせるのである。これが道理の当然というべきもので、「公共の道」においては天下の政治と一藩の政治とを分けて論じてはならない…。

横井小楠『国是三論』講談社学術文庫 昭和61年刊 p.30

 封建制のもとで鎖国をしていたのであるから、凶作の年は藩の収入は厳しく、かといって豊作の年が豊かであるとも限らなかった。民間の生産物はこれまですべて商人に売り渡されていたのだが、悪徳商人に騙されて僅かの代金しかもらえないことが多々あり、そのことが、農民から苛酷な税の取り立てが行われることの原因となることが少なくなかった。
 小楠は、本来民間の生産物は藩が買い上げて藩の倉に収めるべきであるとし、これまで藩の財政は窮屈であったが今は外国との貿易の道が開かれたのであるから、「外国を相手に信義を守って貿易を行い、利益をあげて収入を確実にすれば、主君は仁政を施すことが出来て、家来は『民賊』となることを免れよう」と、開国したことの意義を説いている。

 今のわが国の為政者に「世界諸国の政治を論ずる力量のある」者は皆無に近いと思うのだが、この本を読むと、小楠が当時の世界の動きについて相当研究していたことが伝わってくる。

 イギリスはヨーロッパ州の西のすみに位置する孤島で海をめぐらす国であるため、一番航海に力を入れ、植民地の拡大につとめて国の富強をはかっている。日本の文禄のころ、オランダが最初にインドに商売をはじめて大きな利益をあげると、イギリスはこれをうらやんで後から追いかけ、その他フランス・アメリカ・イスパニア・ポルトガルもそれぞれ商館をたてて後から追いかけ、その他フランス・アメリカ・イスパニア・ポルトガルもそれぞれ商館をたてて通商に乗り出した。

 インドはアジア州の南の大部分をしめ、国内は東西南北と中部との五つに分かれている。土地はよく肥え産物は豊かで、各国の中でも一番の国であるため、イギリスはついに沢山の軍艦を派遣し、戦争をくりかえして、土地の王を追い出し国を奪ってしまった。今日ではインドの南・東・中の三部はすでにイギリスの植民地となり、西部・北部だけにそれぞれの国王が残っているという状況だ。ヨーロッパ人は以前から、インドが産物が豊富な点で世界一なので「世界中の宝庫」と呼んでいたが、その世界中の宝をイギリスが独占したのである。こうした事情で、イギリスのインドを大事にすることは本国以上で、駐留軍の兵備も厳重をきわめている。イギリスは世界の強国で、ヨーロッパ・アジア・アフリカ・オーストラリアの諸州にわたって支配下に併合した植民地は三十五地方におよび、世界人口の五分の一を有して強大無比と称しているのも、インドという富庫があるために、その勢力を盛んにすることができたのであろう。

 一体西洋の諸国は、昔から今にいたるまで大小の戦争を絶え間なく繰り返してきたが、なかでも文化年間(1804~17)のナポレオン戦争は今までにない大戦争だといわれ、これよりヨーロッパ諸国の陸軍の制度は一変したのであった。それでも近年のロシアとトルコ・イギリス・フランスとの戦争、すなわちクリミア戦争(1853~56)はナポレオン戦争以上の大戦争といわれている。

横井小楠『国是三論』講談社学術文庫 昭和61年刊 p.78~80

 彼はこのあとロシアの情勢についても詳しく述べているのだが、世界の情報を集めることが容易ではなかった幕末期に、これだけの知識をどうやって収集したのかと驚くばかりである。

幕政だけでなく明治新政府にも参画した

 その後文久二年(1862年)になって越前藩主松永慶永が将軍家茂から幕政参与として折々登城するように命じられると、小楠も慶永に請われて幕政に参画することとなった。そして彼は幕府への建白書として『国是七条』を起草し、八月には大目付・岡部長常に招かれて説明を行い、一橋徳川家では徳川慶喜に対面して幕政について意見を述べたという。

 しかしながら小楠は、同年十二月に熊本藩江戸留守居役の吉田平之助の別邸で三人の刺客の襲撃を受けている。不意のことであったため、床の間に置いた刀を手に取ることが出来ず、身をかわして宿舎の越前藩邸に戻って刀を持って現場に戻ったのだが、既に刺客の姿はなく仲間は負傷していた。熊本藩では、彼が事件の際に敵に立ち向かわずに一人で脱出を図ったことは武士にあるまじき振舞いであるとし、処分が沙汰された。越前藩の擁護もあり、小楠は切腹は免れたものの、知行召し上げ、士席差放の処分が下されている。この事件後彼は文久三年(1863年)八月まで福井に滞在し、その後熊本に戻って浪人生活を過ごしたという。
 一方、藩主の慶永は、勅使の三條實美、姉小路公知の求めにより文久三(1863年)年二月に上洛したのだが、京都では長州藩など尊王攘夷派の勢力が強く、可能な限り公卿らを説得して攘夷の無謀を訴えたものの思うような成果を上げることが出来ず、徳川慶喜が尊王攘夷派と妥協しようとしたことを機に、政治総裁職の辞表を提出して越前に帰国している。

 熊本に戻った横井小楠は慶応三年まで肥後沼山津に閑居して、坂本龍馬など天下の志士と交通したり、門人を指導して過ごしていたのだが、慶応三年(1867年)十二月九日に王政復古の大号令が出され、同月十八日に熊本藩に対し、人材登用のため横井小楠御召の達書が朝廷から下ったという。
 しかしながら藩当局にとっては、藩が家禄を召し上げ士席を剝脱した経緯にある小楠が、一躍廟堂の中枢に用いられることになるのは問題であり、本人が病気であるとの理由でいったん断ったのだそうだ。しかしながら、小楠の人となりを伝え聞いていた岩倉具視が、早々彼を上京させることを命じたことから、藩は小楠の士籍を復して上京させることにしたという。

 小楠は明治元年(1868年)四月に勇躍して御召に応じ、制度局判事を命ぜられのちに官制改革のため新たに参与となっている。この時参与となった者は次の十一人であったが、六十歳の彼は最年長であった。

三岡八郎(由利公正)、福岡孝弟、小松帯刀、木戸孝允、後藤象二郎、大久保利通、廣澤真臣、横井小楠、西郷隆盛、副島種臣、岩下佐治右衛門

凶刃に斃れる

 ところが小楠には持病があり病床に臥せる日が多く、七月頃から重態となり本人も死期が近いことを覚り、遺書も準備したという。幸いに九月になって出勤ができるほどまでに恢復し、京都で明治二年(1869年)の正月を迎えた。小楠が初出勤をした翌日に事件が起こったのである。『偉人叢書第五 横井小楠』には次のように記されている。

 そもそも小楠暗殺の計画は十津川浪人を中心として集まった保守攘夷論者数十名の間に、前年十二月中旬からすすめられていた。彼らはかっては天誅組の大和挙兵にも参画せんとした連中で、当時は全く時流に取り残されて不平満々たる徒輩であった。新政以来万事洋風に改変されて行く時勢を憤慨し、その張本人は小楠であって、しかも彼は耶蘇教を国内に弘めんとする由であるから、皇国のため一日も早く之を除かねばならぬというのであった。この計画の黒幕となっていた人物は十津川郷士の上平主税(かみたいら ちから)であって、策謀は主として上平の寓居ですすめられた。刺客は上田立夫、土屋延雄、中井刀弥尾、前岡力雄、鹿島又之丞、柳田直蔵の六人であって、上田がその牛耳をとっていた。

赤尾藤市『偉人叢書第五 横井小楠』三教書院 昭和15年刊 p.151~152

 小楠はわが国にキリスト教を広める考えはなくむしろ憂慮していたのだが、保守攘夷論者の眼には開国を推進した論客がそのように映っていたのであろう。彼らの計画は正月三日に確定し、翌四日に決行することになっていたのだが、連絡の不備から五日にずれ込んだという。

 小楠は、自己の身辺にかかる運命の迫りくるのも露知らず、この日も正装で太政官に出仕し、龍顔を拝し奉って、やがて退朝したのは今の時刻で午後二時すぎであった。駕籠(かご)は寺町御門を出で寺町通りを南に下った。駕籠脇には若党二人、更におくれて当日の護衛番たる横山助之進、下津鹿之助の両人が随っていた。

 見えがくれに小楠の駕籠の後をつけた刺客は、ともに用意の黒衣で顔を包み、やがて駕籠が丸太町を過ぎた刹那、上田がまず駕籠を目がけて発砲すると、それを合図に一同それっとばかり斬り込んで来た。不意打ちを喰らって駕籠脚の乱れた瞬間、上田と中井が左右から各々一刀を駕籠の中に突っ込んだ。あわや一刺しと思う間に素早く飛び出した小楠が短刀を引き抜いて身構えるのを、兇徒の一団は前後左右から殺到した。駕籠脇にいた二人の若党は早くも重傷を受けて倒れ、護衛に当たっていた前記両人は銃声に驚いて素破や師の一大事とばかりに駆け寄らんとしたが、それと見るより刺客ニ、三人が斬りかかって来た。必死になって師を救わんと焦(あせ)ったが、両人とも頭部や肩に敵刃を蒙って近寄ることが出来ぬ。かくて敵味方双方白刃を閃(ひらめ)かして、血烟(ちけむり)立つ乱戦の修羅場と化した。

 かかる間に小楠は駕籠を後ろ楯に四方から迫りくる敵を短刀一振で支えていたが、何分にも永らく病み疲れた上に老体であって、意のままに働き得ずたちまちにして数刀を浴びて遂に斃れた。 

同上書 p.153~154

 実行犯のうち柳田は襲撃時の負傷で数日後に死に、中井は逃走して行方不明となり、残る上田・津下・前岡・鹿島は翌年十月に処刑されたのだが、なぜこんなに犯人の処刑が遅れたのであろうか。

犯人の処刑が遅れた事情

 処刑が遅れたのは、当時においては、小楠を襲った十津川浪人に同情する声が大きかったことによる。

 刺客等の行動を義挙となし、あるいは落書に、あるいは貼文などによって世人の刺客に対する同情を買わんとするもの、中には刑法官知事に建白書を提出して、刺客の助命運動をなすものすらあった。一方政府大官中にもこれに同情を表した者があり、刑法官知事大原重徳の如き実にその一人で、当時岩倉に提出した意見書の中に「国家の御為私欲を離れ、誠実赤心より出でたることなれば、たとえ所為はあしきにもせよその情を採って先とし、法を之に加えて判断すべし」と…まで極言している。大原は既に早くから頑固なる攘夷家として知られている。小楠一件についてかかる意見を有するものが刑法官にあっては、刺客の処断について問題が起こるのも当然であろう。

 さらに当時の守旧派の勢力を代表していたものに弾正台(今日の検事局と警視庁とを兼ねた如きもの)があって、これがまた建議書を提出して、小楠はキリスト教を信奉し国賊とも言うべきものであるから、犯人の罪一等を減ずべしと主張した。

同上書 p.159~160

 庶民や武士だけでなく政府内においても刺客に同情する空気が存在した。刑部省は弾正台に対して小楠が国賊である根拠の提出を求めたのだが、弾正台は古河十郎を九州に出向させて、古賀は阿蘇神社で入手した『天道覚明論』に「小楠」の筆と認められる奥書があり、その本には皇室を転覆させることが記されていることを根拠とした。しかしながらその本に書かれている内容は、小楠のがこれまで論じて来た内容とは全く相反するものであり、明治三年十月の廟議ではこの本は小楠が著したものではなく偽書であると断じられて、犯人四人の死刑が執行された経緯にある。

 徳富蘇峰の父・一敬は横井小楠の門下生であったそうだが、蘇峰は『近世日本国民史 第七十八巻 新政扶植篇』で、明治初期の政治情勢について次のようにまとめている。

 新政府の敵は、今や佐幕党でもなければ、因循党でもなかった。むしろこれまで新政府の建立者であり、少なくともその味方であり、かつ同志であった。彼らは真面目に攘夷を目的とした。彼らは熱心に皇政復古を祈願とした。しかるに一旦幕政の解体するや、これに代わる政府は攘夷政府でなくして、却って幕府以上の外国和親政府であった。而して等しく皇政復古と称するも、新政府の復古は、むしろその精神にありて、形態には存しなかった。而してその形態に存せざるところに於いて、彼らに大いなる失望を来たさしめた。

 攘夷と復古とを標識として、天下の人心を倒幕に集中せしめたる公家及び雄藩の主動者は、一たび新政府を建立するや、忽ちその看板を塗り替えた。その旗色を一変した。されば公家の中にも、三條、岩倉等に対して、不平、不満を懐く者は、決して鮮少ではなかった。ただ彼らは公家であったために、あまりに手荒き措置を敢えてするほどの元気もなければ、果断も持ち合わせなかった。諸般の武士等に於いては、さらにより甚だしき者はあった。薩藩の中にも、西郷、大久保、小松等に対して、その胸中平らかならざる者は少なくなかった。その中には恐らくは島津久光の如き巨頭さえも、数えねばならぬであろう。…中略…

 薩藩同様と言わんよりも、長藩はより以上の心配を、木戸、廣澤、大村等にかけた。而して長藩は攘夷論を強調し、天下の浪士を、長藩に引き付けたる因縁のために、ことさら煩累が多かった。…卿等は攘夷論一天張りにて幕府を倒したが、今や卿等もまた幕府同様、攘夷論のために、当惑至極の状態に陥ったのではないかと冷笑せられるも、強いて弁解の言葉を作るわけには参るまい。

徳富蘇峰『近世日本国民史 第78巻 (新政扶植篇)』近世日本国民史刊行会 1960年刊 p.102~104

 明治新政府の初期は問題だらけでいつ転覆されてもおかしくなかったのだが、よく持ちこたえたものだと思う。しかしながら、このような薩長にとって都合の悪い話は、戦後の教科書やマスコミの解説などで多くの場合伏せられてしまっている。
 戦後の通史は今も薩長中心に描かれているというのが現実なのだが、たまには違った視点で描かれている戦前の著作等に触れて、昔の政治情勢を考えてみることも大切ではないだろうか。

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コメント

  1. シドニー学院 より:

    しばやんさん、こんにちは。いつも群馬の地から寛解を祈っております。

    >戦後の通史は今も薩長中心に描かれているというのが現実なのだが、・・・
    しばやんさんのお陰で、神戸大学附属図書館デジタルアーカイブや国会図書館デジタルコレクションを閲覧するようになり、時間がいくらあっても足りない状況です。これ以上ない証拠資料を教えて下さり、とても感謝しています。そこから小栗上野介の動画を作っているときに、福井市立郷土歴史博物館の松平春嶽(慶永)の随想録『逸事史補』に、斉昭の春嶽にあてた手紙の展示を見つけました。そこには次のようにあります。

    「外国人との交際の道は最良の方策ではない。しかし、今の時勢をどうすることもできない。貴公は、まだお若いからこれからのご参考にしていただきたい。とても攘夷など行うことはできない。ぜひ交易和親の道を開きなさい。その時はご尽力なされよ。斉昭は老年だから、攘夷の大親分になってこれまで通り世を渡ってゆくから、私は死ぬまでこの主張を変えることはない。貴公にはこのことを伝えておきます。」http://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/tenji/kaisetsusheets/88.pdf

    徳川斉昭が亡くなったのが1860年9月29日なので、おそらく公武合体運動以前から斉昭らは攘夷が不可能であることが判っていたことになります。教科書やメディアが伝える公武合体運動や尊王攘夷は、日本国内の分析ばかりで英国軍が約15年間横浜に駐留していたことなど、その背後にある外国勢力の武力についてほとんど触れないので、目晦ましの茶番といったところではないでしょうか。戦前の本を調べていくと、正邪を逆にした「維新三傑や英国が悪で、旧幕府軍が善」とすると納得の歴史になると思います。

    前々回までしばやんさんがユダヤの記事を出されていましたが、私も半年前から昭和17年満鉄調査部の『タルムード研究資料』を基にユダヤ教(パリサイ派)の歴史の動画を作っていました。一般公開だったのが、昨年暮れに突如国会図書館内限定となり閲覧出来なくなりました。途中まで取っておいたスクリーンショットを使い、また原典が同じである『世界攪乱の律法』を参考にして動画を作っています。お時間のある時にご覧いただければ幸いです。

    ユダヤ教禁断の歴史『タルムード研究資料』昭和17年 満鉄調査部
    https://youtu.be/AA98eadLi18

    • しばやん より:

      シドニー学院さん、コメントありがとうございます。来週から放射線治療が始まるのでこれからも通院生活が毎日のように続きますが、なんとか早く寛解したいものです。

      神戸大学や国会図書館の資料を閲覧するようになると時間がいくらあっても足りませんね。歴史分野に於いて、これまで「専門家」「学者」と呼ばれている人々の多くが、いかに偏った叙述をして来たかがよくわかりますね。「学会」という狭い世界に永らく生きて来た人々は大御所の学説を忖度してか、通説と大きく変わることが少なくて面白みに欠けるところがあります。戦前に出版された書物やここ数年間民間の研究者が発表された書物の方がはるかに説得力があって面白いです。『逸事史補』に出ている徳川斉昭の言葉は、恥ずかしながら初めて知りましたが、戦後に垂れ流されてきた斉昭のイメージからすると意外に思う人が多いような気がします。

      それにしても『タルムード研究資料』が、急に国会図書館内限定となるのは理解に苦しみますね。ドウブノフ 著『近世猶太民族史』(全二巻)南満洲鉄道 昭和17年刊も最近になって国会図書館内限定になっています。他にもそのような本がいろいろあるのでしょうが、ユダヤに関する資料や書物は簡単にアクセスされないよう動いている勢力が今も存在していると理解するしかないですね。ビデオは後程視聴させていただきます。

  2. シドニー学院 より:

    しばやんさん、拙動画のご視聴並びに長文のコメント、誠にありがとうございます。本来ならば動画コメント欄に返信すべきところですが、諸般の事情によりこちらでの返信ご容赦下さい。
    『タルムード研究資料』は、本当の世界史を我々に伝えてくれる貴重な本かもしれません。しばやんさんのおっしゃる通り、日本人にユダヤについての研究をさせまいとする勢力が今も活動していると考えるしかありません。彼らが、およそ二千年をかけて何重にも仕掛けた複雑極まりない迷路を辿っていくと、残虐な世界征服プログラムが見えてきます。そして、その世界征服プログラムが、いよいよ最終段階の様相を呈してきたと感じます。

    愛宕北山著『猶太と世界戦争』昭和18年
    https://dl.ndl.go.jp/pid/1438981/1/173
    P308に、ユダヤ人でワイマール共和国外相の実業家ラーテナウが「ユダヤの世界支配の成就の過程としてのみ、世界史には意義があると公言した」とあります。彼らに不都合な歴史は、露骨に抹殺されていくのがまるで可視化されているようです。
    四王天延孝陸軍中将著『猶太思想及運動』
    https://dl.ndl.go.jp/pid/1878651/1/109
    P176には、1776年に出来たイルミナティの綱領の中に「愛国心の廃止 、家庭の破壊 (結婚およびすべての道徳並びに児童の家庭教育組織を含む )」とあります。この通りにユダヤ人のエマニュエル大使が、性自認や女子トイレ廃止といったLGBT法案を強引に通そうとしています。
    同書巻末の「シオンの議定書・第十議定」
    https://dl.ndl.go.jp/pid/1878651/1/254
    P466には、「不和・紛争・闘争・怨恨や、食糧不足・悪疫伝播を以て民衆を困り果てさせ、結局吾々の金を借りて吾々の支配下に入るほかに手はなくするのである。もし吾々が 各国民にほっと息をつき休息をする余裕を与えると、吾々に都合のいい時期はついに来なくなるであろう。 」とあります。悪疫伝播はコロナ騒動であり、これから食糧危機も強引に起こす計画だと推測されます。そして、われわれ非ユダヤ人には「ほっと息をつき休息をする余裕」も与えられないとあります。

    以前に紹介したかもしれませんが、四王天延孝の上記『ユダヤ思想及運動』から短い動画も作っています。お時間のある時にご覧いただければ幸いです。
    『第1インターナショナルからコミンテルンへ』
    https://youtu.be/47EPn_261iE
    『外務省公文書&ユダヤ教現地調査』
    https://youtu.be/J8rK2rsdh4U

    末筆ではございますが、どうかくれぐれもご自愛ください。

    • しばやん より:

      シドニー学院さん、コメントありがとうございます。
      日本のマスコミは真実を伝えませんが、世界の動きを見ていると、彼らの陰謀が多くの国々で民衆に暴かれて暴動が起きているようですね。日本の有権者も早く気づいて欲しいものです。
      コロナで失敗した彼らは、次に食糧危機を煽ろうとしていますが、コオロギ食が世界で受け入れられるとはとても思えません。
      並行して通貨危機を起こそうとしますが、世界でドル離れが急速に進行しており、わが国の政府はアメリカの言いなりに、ドルを買わされて世界にバラ播く役割を演じさせられています。政治家や高級官僚がアメリカと対等に交渉できなければ、国富が毟り取られて行くばかりです。
      ユダヤ問題はシドニー学院さんが随分前から情報発信しておられましたね。ユダヤ人の問題は、各国に寄生して民間組織で工作しているので、公文書にはほとんど残ることがなく、そのために「陰謀論」で片づけられても反論することが難しかったのですが、戦前並みにしっかりと研究が続けられることが必要だと思います。

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