第一次世界大戦を仕掛けたのもユダヤ人
前回の記事で『ナチスのユダヤ政策』(GHQ焚書・内務省検閲発禁図書)の中から、ロシア革命もドイツ革命もユダヤ人が仕掛けたことを解説している部分を紹介したが、第一次世界大戦(文中では「第一次欧州大戦」)もユダヤ人が仕掛けたことが記されている。
ユダヤ人が、第一次欧州大戦を企図したる目的としては、全ヨーロッパの没落、キリスト教及び回教の破壊、世界革命、パレスチナの復興、世界絶滅戦の第一次戦などが挙げられている。
一九一九年一月一六日にユダヤの大新聞たるジューイッシュ・ワールド(Jewish World)には、次の如き記事が掲げてある。
「国際ユダヤ群が、この大戦を欧州に強制した目的は、単に巨額の富を集積するというばかりではなく、この資本に依って、次のユダヤ世界戦争の企図の可能性を獲得するためであった。」
かくて、一九一四年六月二八日、サラエボに於いて、オーストリア大公夫妻はフリー・メーソンの会員ユダヤ人プリンチップなる十九歳の青年と、やはりフリー・メーソン会員なる数名の共犯者の弾丸の下に斃れ、このピストルの音によって、ヨーロッパ第一次大戦の幕が切って落とされたのであったが、しかも、おどろくべきことは、この事実の予言が、既に一九一二年九月十五日の国際秘密結社機関誌に掲載されていることであった。
「恐らく、近き将来には、オーストリア大公に関するスイスのオート・マッソンの次の言葉が事実に於いて了解されるに至るであろう。『彼は立派な男である。処刑されるということは惜しいことである。彼は王位継承への過程の中に生命を失うであろう。』」
この暗殺計画は数年以前になされ、ただその決行者を求めていたにすぎなかったのであった。
又、イギリスの戦時内閣の支配者は、その背後にあるユダヤ人ロスチャイルドであり、イタリアにあってはフリーメーソンの勢力者たるローマ市長エルネスト・ナタンであり、彼は国庫を支配するリュギイ・ラザッチと連絡を持ち、イタリアを戦争に投じたものは彼であると称されている。
淸水宣雄 著『ナチスのユダヤ政策』,アルス,1941刊 p.51~53
第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件のことはWikipediaに詳しく書かれているのだが、この解説には「ユダヤ人」という言葉がどこにも出てこない。これでは事件の本質と第一次世界大戦の本質を理解することは難しいと言わざるを得ない。
戦前戦中の本には多くの本に書かれていて新聞にも書かれていたような事実が、戦後の日本人には封印されているということが少なくないのだが、ユダヤ人に関連した史実の少なからずがタブーにされていることを知るべきである。
恐るべきユダヤ人の宣伝工作
しかしながらユダヤ人には国がなく、軍隊もない。単発のテロだけでは世界を巻き込む戦争に発展することはあり得ない。どうして彼らは、第一次世界大戦を仕掛けることができたのか。
第一次欧州大戦における最も恐るべき武器の一つは「宣伝」であった。
しかもこの宣伝戦の背後にあって、この武器を握ったものはユダヤ人であった。
―ーユダヤの宣伝網は完全に世界を支配し、自由主義的民主主義的イデオロギーによって、ドイツの勃興を抑圧し、ドイツのカイゼル主義に対して戦うことこそ人類のための正義の戦いなりとの宣伝を世界に撒布し、一方に於いてアメリカをも参戦せしめると同時に、他方においては、ドイツの長期戦に対して、絶大なる反戦的効果をおさめたのであった。イギリスにあっては、ロイター通信を始めとして大新聞がユダヤ人の経営するところであり、世界のユダヤ通信網と連絡を持つは勿論であるが、同時に、イギリスの対敵宣伝部をロイド・ジョージの委嘱によって指導したるユダヤ人ノースクリフを忘れてはならない。彼こそは近代宣伝戦の基礎をつくりたるものと言うべきである。
ここに欧州大戦を通じて活躍したるユダヤ人ワールブルグの三人兄弟がある。ポール、マックス、フェリックスの三人である。
長兄ポールは、アメリカのユダヤ人ローブの娘と一八九五年に結婚し、ニューヨークのユダヤ銀行クーン・ローブに直接参加。一九〇二年にはアメリカに国籍を移し、一九一一年には合衆国政府に銀行信用を集中する計画を提案し、Federal Reserves Board なる中央銀行を設立せしめた。
これは戦争に於ける迅速な金融を為さしめ、同時に市場の動揺を避けんがためのもので、ポール・ワールブルグは自らその社長となり、一九一二年にはこの銀行は戦争に備えて設立せられたるものなることを宣言した。
しかも戦争はその翌々年の一九一四年には始まったのである。彼は戦争勃発と共に、クーン・ローブ及びワールブルグ銀行を退き、国防会議に参加することによって、むしろ、アメリカの全銀行及び金融機関を支配したのである。
かくて長兄がアメリカにあって、連合軍の財政を握っている間に、次兄マックス・ワールブルグはドイツにあって、かのドイツ財政を独裁せるラーテナウとの協力によって、ドイツ財政を自由になしつつあったのであり、かくして、戦争の終結した時、クレディットは余すところなく使い果たされて、ドイツは全くの消耗に導かれたのである。…中略…
第三番目の兄弟フェリックス・ワールブルグは、ハンブルグとニューヨークとの二つの金融機関の連絡係として、ドイツとアメリカの外交官旅券を交互に使用ことによって、兄二人の利益にも増して大なる利益を獲得し、然もその利益をもって、ユダヤの大事業たるロシア革命を成し遂げたのである!
ワールブルグは、これまたユダヤ人ヤコブ・シッフ以上にロシア革命のために主としてトロッキーを通じて資金を融通した。
かくしてヤコブ・シッフのクーン・ローブ銀行とワールブルグ銀行は、ソヴィエト銀行として、掠奪せる宝石の売却を引き受けるとともに、ツアー側に保管せられたルーブルを一挙にしてその手に収めたのである!かくして恐らく数億のロシアの富は、ニューヨークとハンブルグのユダヤ人の手に完全に収められたのであり、ヤコブ・シッフとワールブルグの関係を見れば、ポール・ワールブルグはシッフの義弟であり、フェリックス・ワールブルグは彼の婿であり、マックス・ワールブルグはヤコブ・シッフの妻の娘の義兄弟である。
かくてこの一例をのみ見るも、第一次欧州大戦が、ユダヤ人によって如何に操られたるかを察することが出来るのである。
まことに、ヨーロッパ大戦を企図し、ヨーロッパ大戦を思うがままに処理せるものは、ユダヤ人なりと言うべきである。
彼らは、今や、自己民族を迫害し来れるヨーロッパ人に対する復讐として、ヨーロッパの没落壊滅を企図しつつあるのである。
彼らは、常に、共産党と資本家と、一見全く相反する二つのものを操りつつあるのである。プロレタリアとブルジョア、この矛盾する二つのものを自ら操りつつ、欧米の壊滅を期するのである。――常に同時に矛盾する二つのものを所有することこそ、ユダヤ人の最も特異なる方策と言うべきである。
同上書p.53~59
狙った国の国民を分断して国内対立を煽り、国家を内部から崩壊させる手法は古くから行われてきたのだが、ユダヤ人は世界の大手マスコミを支配していて、世界の与論を誘導できるようになっていた。 「情報工作」とも「宣伝工作」とも呼ばれるこの手法は今も世界で行われているが、昔からわが国は、他国の仕掛けるこの種の工作に弱かった。戦前戦中は警鐘を鳴らすマスコミや知識人もそれなりにいたのだが、今のわが国は各国が仕掛けてくる工作にまともな対応が出来ない国になっている。まともな政治家を選ばないと、これからもわが国の富が外国勢力に毟り取られ続けていことになるだろう。
ナチスの抬頭
ヒットラーは一八八九年にオーストリアの小さな町の下級税理士の子として生まれたが、十四歳の時に父を失い、二年後には母をも失った。画家になろうとしてウィーンに出たものの美術学校の試験に不合格となり、建設労働者として貧しい生活を送っていたのだが、彼は人口二百万のウィーンの人口のうち約一割しかいないユダヤ人が、政財界を支配していることに気が付いた。
彼はユダヤ人の問題を研究し始めた。彼がユダヤ問題を研究すればするほど、ユダヤ人が全く新しき姿となって彼の眼前に浮かび上がり、しかもユダヤ人が常に社会民主主義の指導者なることを知るに及んで益々ユダヤ問題の重要性を知り、時のウィーン政権が全くユダヤ人の手にあり、国民は民主主義的に益々頽廃しつつあることを悟ったのである。
かくて彼は、一九一二年ミュンヘンに移り、依然として建築関係の仕事をなしつつ益々読書研究をなすのであった。
(第一次世界)大戦勃発!
ヒットラーの出征!
しかもドイツ帝国はユダヤ人ラーテナウ一派の完全に握るところとなり、遂に敗戦!
カイザー(ドイツ皇帝)の退位!
ドイツ帝国の滅亡!
(ワイマール)共和国の成立!
屈辱極まる休戦条約!
しかもヒットラーは、この時、毒ガス弾のために両眼は失明せんとし、病院に収容されていたのであった。
一瞬にして変革せられた世界!―ー三十歳のヒットラーが漸く病癒えて退院し、伍長の服を着て懐かしのミュンヘン兵隊に帰ると、軍隊は既に赤化されていた!
バイエルンはカート・マイスナーというユダヤ人の共産主義者によって政権が握られ、ミュンヘンには完全な共産政治が行われていたのである。
同上書 p.70~71
ヒットラーは共産主義に反対して兵営を追われたが、間もなくバイエルン政府も崩壊してしまう。再び彼は兵営に戻りドイツ労働党の党員となって政治活動を開始し、一九二〇年二月二十四日にはミュンヘンに於いてナチス党を結党した。
ナチスの運動は、この間にも着々と進展し、一九二四年の総選挙には、ドイツの民族的自由の運動を主張して三十二の議席を得るまでに発展。その後の経済恐慌とドイツに対する世界的圧迫は、国民をして寧ろ国粋主義を切望するに至らしめ、ヒットラーの出獄以降は急激なる発展を示し、国内の経済今期有、国債問題、失業問題などにて、ナチスの勢力は共産党に正面的に対立し、一方イタリアのファシズムの政策をも加えることによって、一九三〇年にはその勢力は、社会民主党、中央党に対立する勢力迄拡大するに至った。
かくして共産党排撃によりドイツ民族精神を強調し、遂に三三年一月三十日に至り、ヒットラーを首班としてナチス内閣の成立を見、ナチス専制の第一歩は踏み出された。
その後ヒットラーを首班とするナチス政権の独裁は、ワイマール憲法を停止し、ナチス政綱による諸般の改革を企図し、ナチス専制の一国一党主義を強行し、連邦改革法を以って中央集権を確立し、ドイツは完全なるヒットラーの独裁下に、国粋社会党の目睹せる「第三帝国」の実現を見た。
かくて、一九三四年六月三十日には、突撃隊総司令レーム、前首相フォン・シュライヘル等が銃殺されて、いわゆる清党運動起こり、さらに一九三四年八月二日には大統領ヒンデンブルグ師の逝去を機会として、大統領なる名称はこれをヒンデンブルグに捧げ、宰相たるヒットラーは直ちに大統領の職権をも兼摂して「総統」と呼称し、名実ともに完全なる独裁者となる。
かくして、ナチス主義は全面的に積極化され、ローゼンベルグの「二十世紀の神話」はその基礎理論となり、ユダヤ人排撃が主要なる政策として取り上げられ、一般ドイツ民族主義の徹底化がなされるに至ったのである。
同上書 p.77~78
戦後出版された本などでは、ドイツ革命がユダヤ人の共産主義者によって行われたことに触れないことがほとんどであるが、当時ドイツに於けるユダヤ人は人口の1%にも満たなかった。この史実に触れないで、ドイツ国民がナチスを熱狂的に支持したことを理解することは不可能である。
GHQに焚書処分されたナチス関連書籍
GHQ焚書リストから、本のタイトルに「ナチス」「ナチズム」を含む書籍のリストは以下のとおりである。
「〇△」欄の「〇」は、「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されている本で、「△」は「個人向けデジタル化資料送信サービス」の手続きをすることによって、ネットで無料で読むことができる。
上記のリストのうち、『日本とナチス独逸』が昨年復刊されています。
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