淡路島三原平野の史跡と文化財を訪ねて 淡路島旅行①

兵庫

 淡路島は何度か旅行をしているのだが、淡路島の南部にある三原平野は、古代から中世にかけて淡路国の政庁がおかれていたことから多くの史跡が存在し、また人形浄瑠璃の発祥の地であることに興味を覚えて、先日旅程を組んで淡路島各地を巡って来た。今回は三原平野を中心にレポートしたい。

天明の縄騒動と天明志士紀年碑

天明志士紀年碑と天明志士の碑

 国道28号線の広田交差点を北西に進むと広田八幡神社があり、その東にある大宮寺(だいぐうじ:南あわじ市広田広田898)の境内の山手に「天明志士紀年碑」、その横に板垣退助が撰文した「天明志士の碑」が建立されている。いずれも、天明二年(1782年)に起きた淡路島最大の百姓一揆である「天明の縄騒動」の犠牲者を顕彰する碑なのだが、そもそもどのような事情で百姓一揆が起こったのであろうか。

 当時淡路島を領有していた阿波藩は、参勤交代や幕府から命ぜられる相次ぐ土木工事のために財政が悪化しており、安永四年(1776年)には藩士の俸禄を六割カットするなどの対策を講じていたが、安永十年(1781年)に新たなる収入源として藩庁から各組頭庄屋を通して縄の供出を命じ、それを商人に取扱わせて運上金を取ることとした。ところが商人の要求する製縄の規格が厳しく、農民たちは安い賃料で過酷な労働を強いられることとなった。当時は悪天候による凶作が打ち続いており、農民たちは困窮のどん底にあえいでいたところに縄を供出を求められ、天明二年五月に十二ヵ村の百姓が起ちあがったのが「天明の縄騒動」である。

大宮寺(だいぐうじ)

 五月三日の夜に山添村など三ヵ村の百姓が下内膳村組頭庄屋宅へ押しかけ、縄の代わりに筵ででおさめることを認めてほしいと陳情した。十三日の夜には大宮寺の鐘を合図に、別の六ヵ村の百姓が縄の供出の中止を求めて中筋村の組頭庄屋宅に押しかけて強訴し、十五日の夜にはさらに三ヵ村が加わって、十三日の申し出に対する藩側の回答を要求した。
 「百姓一揆」といっても、農民が暴動を起こしたわけではないのだが、当時においてこのようなことが起きると、江戸幕府から藩の統治に問題があると見做されて藩主が処罰されたり改易されることがありうるので、藩としては穏便な対応を取らざるを得なかったのだが、このようなことが何度も起きては困るので、強訴を行ったリーダー格の農民らが処罰されるのが普通であり、農民にとっては強訴を行うことは誰かが厳しい処分を受けることを覚悟の上であったのだ。

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 阿波藩は農民の要求を受け入れて命令をとりさげたのだが、一方で一揆の首謀者として、広田宮村の才蔵とと山添村の清左衛門を打ち首とし、桑間川に晒したという。以降この二人は義民として地域の農民から長く敬慕されることとなり、犠牲者を供養するために広田では五尺踊りが、八木大久保では大久保踊り(兵庫県民俗文化財)が伝えられている

 阿波藩が淡路島を統治していた時代は、縄騒動の話は秘かに親から子へと語り継がれていたのだが、明治になって淡路島が徳島藩から分かれる分藩運動が起こり、その後の経緯は省略するが淡路島は明治九年(1876年)に兵庫県に編入され、自由民権運動の高まりの中でようやく縄騒動の話が公然と語られるようになっていく。
 明治十五年(1882年)に『自由新聞』でこの話が採り上げられ、自由党の有志によって天明の志士たちの記念碑を建設する運動が起こったのだが、権力に抵抗した一揆の指導者の碑を建てることは明治期に於いても容易ではなかったようで、何度も申請が却下されたという。しかしながら明治二十九年(1896年)に板垣退助が第二次伊藤内閣の内務大臣に就任してようやく話が前に進むようになり、大宮寺の裏山に板垣退助の撰文になる志士の碑が建設され、その後明治四十年頃にその左隣に「天明志士紀年碑」が建てられた経緯にある。そして二人の命日である三月二十三日には「天明志士之碑」の前で毎年天明志士春季大祭が行われ、五尺踊りが奉納されているのだそうだ。

 いずれの碑も、淡路島が徳島県の一部のままでは建立されることがなかったと思うのだが、淡路島が兵庫県に編入される経緯について知りたい方は、以前このブログで書いた記事を覗いていただければ幸いである。

町(ちょう)送りの一揆と嗚呼此墓(ああこのはか)

「嗚呼此墓」

 淡路島には一揆の犠牲者の供養碑が他にもある。広田から国道二十八号線を4km程西に進むと郷社八幡神社があり、その裏手に安楽寺(南あわじ市八木養宜上915)という寺がある。そして寺の本堂の右手前に「嗚呼此墓」と刻まれた小さな墓がある。寺にはこの碑の由来について解説する案内板のようなものは存在せず、しかも他の石仏に隠れてわかりにくい場所にあるのだが、いまもこの墓は地域の人々によってお参りがなされているようだ。

 この辺りはかつて上八木村と称したが、この村の農民は洲本・福良間を行き来する役人の荷物を、西は国衙まで約6km、東は広田中筋まで約3.3kmの道のりをわずかの賃銭で運ばされる「町(ちょう)送り」の負担が課せられていた。そのために村の百姓は農業を妨げられて困窮していた。
 村人たちは町送りの廃止と賃銭の値上げを求め、天保三年(1832年)十一月十七日、弥三助(やそすけ)と林太(りんた)を中心に、藩庁への強訴をしようとして洲本に向かった。これを「町送りの一揆」という
 強訴したことによって藩は町送りの賃銭の値上げを認めたのだが、上八木村の庄屋柏木孫七郎は閉門、弥三助と林太は郡外追放に処せられた。「嗚呼此墓」が建てられたのは明治三十六年(1903年)のことだが、建立が遅れたのは天明の縄騒動のケースと同様に、一揆の犠牲者を供養することが憚られた時代が長く続いたからであろう。

養宜(ようぎ)館跡

養宜館跡之碑

 次に訪れたのは養宜館跡(南あわじ市八木養宜中191)。
 暦応三年(1340年)足利尊氏の命を受けた細川師氏(もろうじ)は、阿波から淡路へ攻め入り、立川瀬の戦いで淡路国人衆を破り養宜館へ入った。以後、師氏の子孫がここにとどまって、淡路の守護大名として君臨したという。しかしながら七代尚春(ひさはる)が永正十六年(1519年)に阿波の三好之長(みよしゆきなが)に殺されて淡路細川家は滅亡し、その後まもなくこの館も廃されたものと考えられている。

 養宜館跡には今では薬師堂と集会場があり、集会場の右横に「志士武田萬太夫之碑」がある。
 幕末にペリーが来航した翌年である安政元年(1854年)に、淡路島はわが国の経済の中枢部である京阪神を控えた国防上の重要な場所であるとし、岩屋と由良に砲台を築造することとなったのだが、守備の兵隊が必要となることから淡路の各地から農民が集められたという。武田萬太夫は中八木の庄屋でこの時に農兵隊長として農兵の指導にあたった人物だが、後に勤王の志士たちと交わるようになり、文久三年(1863年)の天誅組による大和挙兵の前に同志と共に捕えられ投獄されている。明治維新後に出獄したのちは政治から離れて百姓をしたり、明治十二年(1879年)には兵庫に移住して商売を営んだようだが、明治二十一年(1888年)に死去したという。

成相寺(なりあいじ)

 次に訪れたのは成相寺(南あわじ市八木馬回394)。国道28号線の鳥井交差点から大久保の集落を抜け成相川沿いの道を走ると馬回(うままわり)の集落に入る。すぐ左手に寺の中門がある。
 この寺は仁治四年(1243年)に紀州根来寺との争いで淡路に流された高野山悉地院(しっちいん)の実弘上人(じっこうしょうにん)がこの寺を再興したと伝えられるが、いつ創建されたかについては記録がないのでわからない。
 その後淡路守護職となった細川氏がこの寺の復興に力を注ぎ、大門、六角堂、大師堂、多宝塔、奥の院ほか多くの僧坊を持つ大寺院となり「淡路高野」と呼ばれていたという。しかし永正十四年(1517年)に三好之長に淡路が攻め込まれ細川家が滅亡すると、この寺も多くの堂宇を失っていった。元禄年間には本堂、大日堂だけが残されていたのだが、その後正徳五年(1715年)に中門が再建されたという。

成相寺 中門

 上の画像は中門だが、実は本堂と中門を結ぶ直線の延長線上に大門も存在しているのに気が付かなかった。案内板には大門の事が書かれていなかったのでいつ再建されたかは不明だが、嘉永四年(1851年)に刊行された『淡路国名所図会』の成相寺の絵には大門も描かれている。この絵と現在とを比較すると、成相寺の境内は今の数倍広かったことが理解できる。

『淡路国名所図会』成相寺 「がらくた」置場より

 寺には室町時代後期の作と言われている成相寺伽藍絵図(県指定文化財)や、平安時代初期に制作され島内で最古の仏像である本尊の木造薬師如来立像(国指定重要文化財)があるのだが、残念ながら無住の寺院であり拝観するには事前の手続きが必要なようだ。
 本堂の左側に収蔵庫があり、木造薬師如来立像(国指定重要文化財)、大日如来坐像(南あわじ市指定文化財)などの寺宝が収められており、『せきどよしおの仏像探訪記』によると、南あわじ市教育委員会に事前申し込みをすれば拝観できるようである。他に中門の二天像(持国天、多聞天像)が南あわじ市の文化財に指定されているが、二天像はいつでも拝観できる。

成相寺 本堂

 上の画像は寺の本堂だが、この寺は淡路島の紅葉の名所として有名である。

  本堂の右側に大日堂があり、石段を登っていくと高野山の守り神である天野・熊野・金峯の三明神が祀られている天野神社がある。
 寺も神社も、境内全体は美しく掃き清められており、地元の保存会の方の努力には感謝するしかない。

 また境内には大きなイブキの木がある。案内板によると、この樹はこの寺の中興の祖である「実弘上人のお手植えで樹齢数百年といわれる」とあり、実弘上人のお手植えが事実なら樹齢八百年弱という計算になる。由来はともかくとして、南あわじ市の天然記念物に指定されているこの樹は、幹回り七メートル、高さ十六メートル、東西十四メートル、南北十六メートルもある巨木で一見の価値がある。

 あまり観光客が来ないような史跡や寺社の何か所かを訪れたのだが、いずれも地元の人々によって古きよきものが大切にされ美しく保たれていることに感心してしまった。地域の人々が先祖に感謝しリスペクトする気持ちがあってこそ、地域の伝統や文化が継承されて行くものだと思うのだが、多くの地域で若い世代への継承がうまくいっていないという問題がある。
 三原平野は人形浄瑠璃の発祥の地としても有名だが、次回は淡路人形浄瑠璃の歴史などについて書くこととしたい。

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