柳条湖事件が起きるまでに満鉄施設が何度支那人に襲われたか
このブログで何度か昭和六年(1931年)に満州事変の発端となった柳条湖事件のことを書いてきた。
繰り返しになって申し訳ないが、満州事変に関するわが国の戦後の歴史叙述では、昭和三十一年(1956年)十二月に発行された雑誌『別冊 知性』第五号に、元関東軍参謀の花谷正の名前で「満州事変はこうして計画された」という記事が掲載されて以降、柳条湖事件は関東軍が満鉄線路を爆破したことが通説となっているのだが、この雑誌の記事は花谷正本人が書いたものではなく、当時二十三歳の東大生であった秦郁彦が花谷に取材し、自分の名前を伏して花谷正の手記として発表されたものだという。当時は満州事変にかかわった本庄繁、板垣征四郎も、石原莞爾もすでに他界しており、その雑誌記事の真偽は今となっては確認のしようがないのだが、満州事変が関東軍の自作自演であると主張する研究者の根拠は、今もこの記事にあるという点が気にかかるのだ。
このブログで戦前戦中の歴史書を引用させていただいたが、昔はいずれの本も新聞も、支那兵が爆破したと書かれていて、日本軍がやったと主張していたのは支那ぐらいであったのだが、支那以外の国々の論調は支那兵が爆破したことについては疑っていなかったのである。そもそも、その頃は満鉄線路が支那人によって爆破されるような事件は日常茶飯事であった。
わが国の戦前の書物や新聞をいくら紹介してもあまり説得力が乏しいと思うので、今回はアメリカの外交官であったラルフ・タウンゼントが1933年に著した『暗黒大陸中国の真実』という本を紹介したい。この人物は、アメリカ人で、コロンビア大学卒業後、新聞記者、コロンビア大学英文科教師を経て国務省に入省し、1931年に満州事変が起きた後、上海副領事として中国に渡り、第一次上海事変を体験した。その後福建省の副領事として赴任し、1933年に帰国したのち外交官を辞し、大学講師を務める傍らこの著作を同年に刊行している。
このブログで少し前に、支那の匪賊や兵匪、共匪についての新聞記事を三回に分けて紹介させていただいた。「匪賊」とは徒党を組んで掠奪や身代金目的の誘拐行為など不法行為を繰り返していた集団を言うが、支那では「匪賊」のメンバーであった者が雇われて正規兵となったり、共産党の配下に入ったりして今まで同様の悪事を働いていた。新聞の記事になるのは余程の大きな事件が発生した時ぐらいなので、満州における匪賊にかかわる事件の頻度はそれほど高くない印象を持ってしまうところだか、小規模な事件まで含めると実際には毎日のようにどこかで起こっていた。ラルフ・タウンゼントは満州鉄道に関する被害について以下のように解説している。
汗と涙の結晶である満州の鉄道は、満洲が無法地帯であるがゆえに減益となるばかりか、鉄道付属施設が破壊等の反日政策の脅威に晒されていた。日本側の報告によれば、一九二九年と一九三〇年の損失は以下のとおりである。
鉄道運行妨害……一七一件
鉄道運行中の強盗……一八九件
鉄道施設の略奪……九二件
電線の略奪……二六件
これに対して中国側は「日本人の護衛を撤退させ、中国人に護衛させよ」と言ってきた。滑稽極まりない回答である。自国の鉄道の警備でさえ出来ない国が他国の鉄道を守れるはずがない。そこで登場するのが張学良である。日本との条約を勝手に破棄し出した。日本は、いわゆる軟弱外交と非難された男爵幣原*が外務大臣であった。幣原は「中国との交渉には寛容と忍耐が求められている」と発言している。*幣原:幣原喜重郎のこと。武力を用いず対中融和外交を行った
この間、中国人は何をしていたか。例によって反日運動を盛り上げるネタにしたのである。そこで「軟弱幣原外交は全く通じない。中国人の暴虐ぶりは減るどころか激増しているではないか」と大日本帝国陸海軍は噛み付いた。何も今に始まったことではない。いずこの国も中国人には恩を仇で返されてきたのである。
話を続けよう。一九二九年のアメリカの株価暴落で日本の絹産業が打撃を受けた。貿易が停滞し、日本の労働者、その家族数百万に不況風が吹き荒れた。中国では、国民党の反日運動が吹き荒れていた。そして満州では、それ以上に張学良の反日運動の嵐が吹き荒れていた。日本人の怒りは、いや増しに増すばかりである。中国はとっくに期限の切れている借金の返済を渋るどころか、返済を拒否すると宣言する始末である。こういう中国側の動きを見せつけられて「毅然とした態度を」という意見が確実に強くなっていった。
中国人は世界に関たる詐欺師、ペテン師である。アメリカ人に略奪から人殺し迄何でもしながら、責任逃れだけは上手である。国全体が乱れていようが構わない。しかし、無政府状態で国が乱れていようとも、権力を握っている軍、役人にその気があれば何かできるはずである。しかし、自主独立の気概のない国の常で、問題が頻発すると、権力者は外国に責任転嫁するばかりである。「食糧を強奪する帝国主義打倒に全力を尽くせ」と、来る日も来る日も貼り紙をし、ビラを撒いて扇動しているのは、何を隠そう中国政府自身である。そして暴動が起こると、「当局には一切責任ございません」とするのを茶番と言わず何と言おうか。
ラルフ・タウンゼント『暗黒大陸中国の真実』芙蓉書房出版 p.259~261
このように支那半島では反日運動の嵐が吹き荒れていて、たとえばわが国が経営していた満州鉄道について話題を絞っても、何度も車両や線路等が襲撃されて毎週数回は被害を蒙っていたのである。一方当時の外務大臣であった幣原喜重郎は列強と協調を図り、支那とも融和することを優先して、わが国に被害が出ても厳しく抗議するようなことをせず、そのために支那の反日運動はむしろ激化していった。
柳条湖の鉄道爆破事件
そんな状況下で、満州事変の発端となる柳条湖事件が一九三一年九月十八日に起きている。タウンゼントはそのすぐ後に中国行きを命じられ上海副領事に着任したのだが、彼は満州事件に関する中国側の主張に疑問を呈している。
「日本は戦争の口実を作るため、自分で自分の鉄道を爆破した」と中国側は抗議したが、そうとも思えない。第一、必要がない。中国側は毎週のように次から次へと新たな妨害工作を仕掛けていたのであり、この年も、隠忍自重する日本軍に対し、ニ、三日するとすぐ徴発行為を繰り返していたのである。誰がどのように鉄道を爆破したかは未だに全容が明らかになっていない。わかっていることは、とにかく爆破され、日本の鉄道守備隊が攻撃し、中国兵を追い払ったという事実だけである。
奉天を手にすれば満州全土を征服するのは容易(たやす)い。これで中国は満州でぐずぐず言うことが出来なくなったと考え、条約に則って鉄道を建設した。収益は当然日本のものである。契約期間中は日本のもので、契約期限が切れれば返還することになっていた。長きに亘る無政府状態、風見鶏の軍閥、排外主義官吏、過激学生秘密結社等が結託し、自らの悪事を隠すため暴徒を煽動する。これに日本の堪忍袋の緒が切れたのである。もちろん、満州の地に日章旗を打ち立て、新帝国を樹立する夢もあったのは確かである。あれだけ挑発行為を仕掛けられ、泣き寝入りをすることを良しとしない者が日本軍には少なくなかった。しかし、「もしも」の話であるが、もし中国政府が外国権益の破壊運動を地下で煽動しないで、日本の権益が保護されていたなら、満州を征服などしなかったかもしれない。
同上書 p.263
関東軍は二日か三日も待てば中国は必ずどこかで妨害工作を仕掛けることはわかっているのだから、反撃すると決まれば手順を決めおいて、ただ相手が仕掛けるのを待てば良いだけのことである。失敗すれば世界から叩かれるリスクがあることがわかっていて、関東軍側から自作自演をする必要がどこにあろうか。
真実を伝えなかったアメリカの新聞
しかし、アメリカには匪賊が何度も悪事を繰り返してきたという情報が伝えられず、アメリカの対日感情は悪化していく一方であった。なぜアメリカに正しい情報が伝わらなかったかについて、タウンゼントは次のように書いている。
宣教師は別にしても、中国にいる外国人で中国人に同情するものはまずいない。「自業自得だ」というのである。考えてもみよ。商品略奪事件が何年も続くのに、政府には保護策を打つそぶりもないのである。それでもなお、中国人に憐憫の情を示すものがいるだろうか。…中略…
ところが宣教師だけは不思議なもので、中国人に迎合するばかりでまことに滑稽である。中立を保つべき第三国人が表立った動きを取ることは好ましくないのにもかかわらず、宣教師たちは公然と日本を非難した。…中略…アメリカ人の情報源は宣教師である。中国には大勢いるが、日本にはごくわずかしかいない。したがって、日本の情報はほとんど入らず、入る情報はほとんどが中国情報である。したがって、世論は「日本人が殺人狂と化した」となる。…中略…
アメリカの新聞界は名探偵シャーロック・ホームズ気取りで「アジア大陸征服作戦を練る日本」などととんでもないことを書く。…中略…
同上書 p.264~267
アメリカの世論が、こうまで対日批判一辺倒となったのはなぜか。満州事変に至るまでの事情が伝わらなかったからである。一面トップは「日本軍奉天占領」「全満州に侵攻」である。これでは狡猾な日本軍が、物陰から襲い掛かるヒョウのように「何も悪くないかわいそうな人間にいきなり噛み付いた」と思い込んでしまう。何年も前から中国当局は略奪行為を黙認し、反日プロパガンダを煽動した。線路に石を置き、日本人を狙撃、殺害した。およそ考えられる妨害行為を煽る反日プロパガンダをしたのは他ならぬ中国政府である。このような経緯をアメリカは知らない。
宣教師はこれまで、彼らの暴虐行為に最も長く苦しめられてきた経緯にある。にもかかわらず、彼らはなぜか反日を貫いた。タウンゼントは満州事件のあと日本領事に抗議文を送りつけた宣教師と会い、彼らがなぜ反日であるかを探ろうとしている。
中国人の暴虐に、それも政府援助の暴虐に長く苦しめられているのは他ならぬ宣教師である。「中国人の誇りが傷つけられた」と抗議した宣教師がいたが、窓の外を観よ。数年前、校舎は放火され、焼け跡が今でも残っているではないか。焼いたのは誰だ。同僚と信頼を寄せた中国人教師ではないか。教え子ではないか。校門を見よ。放火事件の頃、可愛いはずの中国人ギャングが対立するギャングをパーティ等と偽って誘い出し、隠し持っていたマシンガンでなぎ倒し、死体の山を築いたのではないか。三年前、自宅の西では、一生を神に捧げた高齢の女教師が二人「帝国主義の手先」とされ、拷問のあげく、殺されたのではないか。拷問され殺されたり虐殺されたりした米英人の墓だらけである。一晩で九人も虐殺された人達の墓もある。あの抗議文を送りつけた宣教師の住む住宅で、「有望な中国人」に裏切られ、命からがら逃げ伸びた経験がない人はいないはずである。
同上書 p.264~265
ところで、あの抗議文を日本領事に送り付けた宣教師のお宅に招かれ、話を伺う機会に恵まれたので早速こう尋ねた。
「ほかの人間だったら罪になるようなことの十倍も悪いことをしている中国人をなぜ特別扱いするのですか?」
返事はこうだった。
「アメリカ人にアメリカ人の戦い方があるように、中国人にも中国の持って生まれた戦い方があるのです。彼らは彼らなりの努力をしているのです」
この宣教師からはこれ以上のことを聴きだせなかったという。タウンゼントは「常人には理解不能」と書いているが、彼らはこれまで仲間を何名も虐殺されていて、この国では反日の姿勢を貫かないと自分の命が危ないと考えていたのではないだろうか。いわば自己保身のために中国の反日に迎合し、米国新聞社の取材時には中国を代弁するような発言しか行わなかったことが、アメリカがさらに対日批判を強める一因となったと考えられる。
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コメント
いつの時代も宣教師は欧米の権力者達の金もうけや植民地化のための道具です。
中国のありとあらゆる権益を手にしたい欧米の権力者達にとって日本は邪魔な存在だったのだと思います。その後日中戦争と大東亜戦争と中国の共産化と奴らの思い通りに進行しました。
たろうさん、コメントありがとうございます。とても励みになります。
全ての宣教師が彼らの道具であったとまではいえません。満州国における日本の立場を理解し、満州国を認めるようローマ教皇庁を動かしたのはフランスのカトリック宣教師たちでした。
そしてローマ教皇は正式に満州国の独立を承認しています。それにより、カトリックを国教とする多くの国が満州国を承認しました。
https://hdl.handle.net/20.500.14094/0100283778
また日中戦争や大東亜戦争や中国の共産化がすべて権力者達の思いどおりになったわけでもありません。欧米は殆んどの植民地を失いました。
いつの時代も主要国についていく国もあれば、反対する国もあり、バランスを取りながら世界は動いており、主要国の思い通りにはなっていません。