避難民たちが朝鮮人の暴動を怖れた背景の調べ方
今まで関東大震災の火災や津波の被害について書いてきたが、最近の一般的な教科書ではこの震災についてこう記している。
1923(大正12)年の関東大震災により、さらに大きな打撃を受け、東京・横浜の下町はほとんど焼野原となった。死者・行方不明者は10万人を超え、被災者は340万人以上に達した。被災地域には戒厳令がしかれたが、この大混乱のさなか、「朝鮮人暴動」の流言がひろまり、これに不安を感じた住民の自警団などの手で多数の朝鮮人が殺されるという事件もおこった。
(『もういちど読む山川日本史』p.276)
しかしながら、そのような流言が拡がった時代背景や、朝鮮人が殺害されたことの具体的な記述は何も記されていない。
よくよく考えると、どんな流言にせよ避難民の誰もが「そんなことはありえない」と考えれば広まるものではない。流言が急速に拡がったということは、避難していた多くの人々が「そういうことが起きてもおかしくない」と考えたことを意味することになるのだが、さらに避難民が自警団を作ったということは、余程怖ろしいことが起こることを想定していたということになるのである。なぜ、避難民たちは朝鮮人の暴動をそこまで怖れたのだろうか。当時の新聞記事などから、その背景が分かる記事を『神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ新聞記事文庫』で探してみることにした。
このデータベースは当時の神戸大学経済経営研究所によって作成された明治末から昭和45年までの新聞切り抜き資料で、一面記事や三面記事は少ないが解説記事が豊富で、当時の新聞論調を知るのに非常に役に立つ。
記事の探し方について簡単に説明すると、上記URLから新聞記事文庫のメインページに進み、簡易検索ボックスに、例えば「不逞鮮人」と入力して検索ボタンを押すと、記事の見出しや本文にそのキーワードが含まれる287件の新聞記事がヒットする。 「不逞鮮人」とは共産主義を主張し行動する朝鮮人の当時の呼称である。
この新聞記事検索の検索キーワードは複数でも良く、キーワードの組み合わせを変える事により記事の絞り込みが可能である。次に記事の表示順を「出版年」とすると、年別に記事が並ぶので、記事の見出しを見て読みたい記事を実際に読んで、良い記事を探せばよい。引用に際しての申請手続きは特に必要なく、『新聞記事文庫』の記事番号を記載することが利用上のルールになっている。
また京都大学人文科学研究所の水野直樹氏の、「戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索」は新聞の見出しだけのデータベースではあるが、登録件数が神戸大学のものよりはるかに多いので、当時の新聞でどのような記事が多かったかの見当を付けることが出来る。(追記:令和2年5月までは使えたのですが、今はリンクが切れてしまいました。)
朝鮮独立運動との関連について
検索結果の記事リストを見ると、大正8年頃から朝鮮半島において独立の動きが始まり、当初は米国宣教師が関与していた記事が見られるが、その翌年からソ連が関与している記事が散見されるようになり、その後活動が一段と過激化するようになる。
上の記事は大正9年の大阪朝日新聞の記事だか、「琿春(こんしゅん)」というのは現在の吉林省延辺朝鮮族自治州東端にあり、東はロシア、南は北朝鮮と国境を接している。記事には、
過激派の露国将校五名は不逞鮮人質鮫以下二百名とともに西門外に在る日本人を鏖殺の目的にて襲撃し物資、金品の掠奪は第二の目的となし居たり。即ち彼等は共産主義の国家を建設すべき目的にて邦人の駆逐を第一となしたるものの如く、パルチザン*の行為と毫も異る所なし。頑強に抵抗して最後まで踏止まりし邦人は悉く射殺したるが、銃剣にて幾箇所も突刺したる婦人の頸を更に縊り、子供の頭蓋骨を一撃に割るなど其非道苛虐を極め、現に予は血に塗られたるそれらの死体を親しく目撃せり。
(新聞記事文庫 外交(45-066))
*パルチザン:非正規の軍事活動を行う遊撃隊。ここではロシア赤軍の別動隊。
私の別のブログで、この記事の半年前である大正9年(1920年)3月に起きた尼港事件で、ロシア人、中国人、朝鮮人からなる四千名の共産パルチザンがニコラエフスク市を包囲し、七百数十名いた日本人のほとんど全員が惨殺されたことを書いたが、同様の事件が琿春でも半年後に起っているのである。
上の記事は関東大震災の5か月前の大阪朝日新聞の記事だが、北京に本拠地を置く義烈団という組織は朝鮮独立の目的を果たすために要人暗殺などのテロも辞さない方針を固め、前年より各地で爆弾を投じる活動を始めている。他にも李承晩らによって上海に結成された、上海仮政府という革命組織が存在したのだが、義烈団の方が過激な組織であったという。
この北京の義烈団は上海仮政府の不平分子が大正七年吉林で創設し大正八年北京に本部を移した結社である、即ち上海仮政府が温和派と武断派の二派に分れ温和派は総て温和の手段を以て朝鮮独立の目的を貫徹せんと主張し、武断派は武力爆弾の偉力を以て目的を達せんと主張したため両派の意見一致せず遂に両派は分裂し、仮政府は依然たる温和派の集りとなって了った、憤慨して脱出した武断派は北京に集合し義烈団なる過激結社を造り、上海の仮政府と対抗し朝鮮独立の目的を達するには徹頭徹尾武力を以てするの計画を樹て着々その歩を進めたのである。
…(中略)…
彼等の計画は先ず朝鮮及び内地に於ける主要官府を爆破し、文武大官、親日鮮人の有力者を暗殺してその気勢を挫き、その虚に乗じて一般鮮人に独立思想を鼓吹せんとして己に昨年の七月頃より朝鮮及び内地に海路陸路に依り労働者その他に変装せしめて決死隊を送り武器及び爆弾を巧に密送したものである、昨年上海で田中大将を狙撃した金益相も義烈団の決死隊員であり過般京城の鐘路署に爆弾を投じた金相玉も矢張り義烈団から派遣された決死隊の一員であった又昨年九月十二日に総督府に爆弾を投じ、同年八月十四日鴨緑江の鉄橋を爆破せんと企て、又有吉政務総監の着任を南大門駅頭に邀撃せんとしたのも義烈団より派遣された決死隊員の所為で、己に内地朝鮮には相当の手配りを了してあり、団の目的を実行し又実行せんとした。
新聞記事文庫 政治(30-042)
上の記事も関東大震災の5か月前の大阪毎日新聞の記事だが、朝鮮の革命勢力の運動資金の一部は片山潜や大杉栄などの日本の社会主義者の支援を得ていたことが書かれている。 この記事を見ると上海仮政府もかなり過激な組織であったようだ。
片山潜氏の南下以来、日鮮露支の社会主義者無政府主義者よりなる各団体は、朝鮮独立党員を援助し、朝鮮を以って前記日鮮露支の社会主義共産主義無政府主義者の根拠地たらしめんとする計画行われ、片山潜氏を中心とする日本社会主義者の行動は活発となり、目下露領に入れり等伝えられる。大杉栄氏並に藤田浪人氏等の同主義者は依然支那領内にありて片山潜氏を援け画策に従事している模様で、北京にある不逞鮮人の首領等は、日本社会主義者との連絡により武器並に運動資金の豊富なる供給を得ていると。此計画の実現を容易ならしめるため、近々北京に於て日鮮露支の社会主義者、共産主義者、無政府主義者を網羅せる一大社会同盟組織される模様で、目下大杉栄、朝鮮人呂蓮亭、支那人陳独秀、露国人ダクチャン等その準備に奔走中である。尚此の運動の実際的方面の現れとしては在北京の不逞鮮人首相金若山、金昌淑の二名は露国人を傭い入れて爆弾製造に努め露人を通じて爆裂弾を買い入れ既に三百個を手に入れ決死隊を組織して朝鮮内に潜入せしめんとしつつありて、その軍資金として二万円の送附を上海仮政府より受けたと伝えらる。
神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 社会3-16
震災前4ヶ月の新聞記事見出しを追う
大正9年の国勢調査によると、日本本土に朝鮮人が40591人居住(内東京2480人、神奈川748人)していたが、その後朝鮮半島から続々と流入しそのような過激な革命組織のメンバーが日本本土にも送り込まれていて、武器弾薬などが見つかっているのだが、それ以外にも朝鮮人による物騒な事件が各地で相次いでいたようである。
京都大学の「戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索」で、大震災が起きた大正12年の4月から8月で、朝鮮人に関わる物騒な事件の記事見出しを一部だけ拾ってみた。
『八幡で捕へた鮮人/義烈団員の一員か/直ちに朝鮮へ押送する』 大阪朝日 1923/4/21 夕 〔2/5〕 北九州・福岡 【民族運動】
『神戸の怪鮮人/暗殺団員か』 大阪朝日 1923/4/22 夕 〔2/8〕 神戸・兵庫 【民族運動】
『今夏までに内地への渡航鮮人一万を突破せん/義烈団事件以来当局の警戒厳重なるも鮮内不況の結果続々労働者流出す/思想善導の急務』 京城日報 1923/4/24 〔3/2〕 ・全国 【渡航】
『秘密文書を糸巻きにして懐中した怪鮮人/周到を極めた潜入と赤化の陰謀』 大阪朝日 1923/4/24 〔7/8〕 神戸・兵庫 【民族運動】
『神戸で検挙された怪鮮人は朝鮮赤化の宣伝組/所謂仮政府連とは別派の陰謀/秘密文書を糸巻に巻込む』 福岡日日 1923/4/25 〔1/2〕 神戸・兵庫 【共産主義】
『内鮮人の乱闘/五百六十余名の人夫が棍棒,拳銃を持出して労働争議』 京城日報 1923/5/1 夕 〔2/7〕 愛知・ 【名古屋】
『鮮人土工四十名、入乱れて争闘/円山川堤防工事で給料の事から衝突を惹起』 神戸新聞 1923/5/18 〔7/3〕 豊岡・兵庫 【社会】
『内鮮人七十余名/赤坂駅東で乱闘/内地人数ヶ所の重傷/鮮人一名人事不省(山陽線複線化工事)』 芸備日日 1923/6/4 〔〕 福山・広島 【喧嘩】
『爆薬で警官三名を傷けた密漁漁夫の大検挙/北九州に潜在する朝鮮人/爆薬の出処は炭坑地か』 福岡日日 1923/6/10 〔1/2〕 ・山口 【社会】
『借金取に鉄棒/鮮人火夫の暴行』 福岡日日 1923/7/2 〔1/11〕 下関・山口 【社会】
『大阪に二万人の鮮人/半数近くは浮浪生活/自動車の女助手、芸妓が二人宛』 大阪朝日 1923/7/20 夕 〔2/1〕 大阪・大阪 【労働】
『怪鮮人来る/義烈団員と称せらる者/上海から郵船日光丸で神戸へ/文書入鞄と共に一名捉まる』 神戸又新日報 1923/8/1 〔7/1〕 神戸・兵庫 【民族運動】
『鮮人納屋から爆薬其他太刀槍等堆積/門司署の火薬類取締 尚秘密裡に活動』 九州日報 1923/8/8 〔1/5〕 北九州・福岡 【警備】
朝鮮人にかかわる犯罪や暴力沙汰の記事が新聞に載っていない日は少なく、彼らはただ犯罪率が高いだけではなく、義烈団などテロ組織のメンバーが続々わが国に潜入しており、武器や弾薬を隠し持っていた事実などが明らかになっていたのである。このような記事が何度も何度も新聞の紙面を賑わしていたことを考えると、関東大震災時に避難者の多くが朝鮮人を警戒したことについては、充分に理解できることなのである。
震災の後に、朝鮮人が掠奪や暴行を行った記録も多く、自警団が朝鮮人を殺害した記録も存在するが、身を挺して善良な朝鮮人を守った日本人も少なからずいたのである。
問題は日本本土に潜入していた朝鮮人のテロ集団なのだが、彼らが大量の武器や爆弾を保有していたということは、日本本土で何か大きな事件を仕掛ける計画があったことを意味する。それが何であったかについては、次回以降に記すことにしたい。
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最後まで読んで頂きありがとうございます。ブログ活動10年目の節目に当たり、 前ブログ(『しばやんの日々』) で書き溜めてきたテーマをもとに、今年の4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しています。通説ではほとんど無視されていますが、キリスト教伝来以降ポルトガルやスペインがわが国を植民地にする意志を持っていたことは当時の記録を読めば明らかです。キリスト教が広められるとともに多くの寺や神社が破壊され、多くの日本人が海外に奴隷に売られ、長崎などの日本の領土がイエズス会などに奪われていったのですが、当時の為政者たちはいかにして西洋の侵略からわが国を守ろうとしたのかという視点で、鉄砲伝来から鎖国に至るまでの約100年の歴史をまとめた内容になっています。読んで頂ければ通説が何を隠そうとしているのかがお分かりになると思います。興味のある方は是非ご一読ください。
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