関東大震災の貴重な記録は今日に活かされているのか~~その2.横浜の大火災

関東大震災

関東大震災における横浜市の惨状

前回は大正12年(1923年)9月1日に起きた関東大震災における東京の被害の中心に書いたが、神奈川県においては震源に近かっただけに建物の倒壊が特に多く、火災の被害もまた大きかった。

当時の横浜市の人口は約42万人で東京の約220万人と比べて5分の1程度の規模の都市であったのだが、横浜市の住家全潰棟数は約1万6千棟と東京市の1万2千棟よりも多かった。また死亡・行方不明者については、横浜市は2万5千人で、東京は約6万6千人であったのだが、人口規模を考慮すると横浜の被害の方が大きかったと言える。(内閣府報告書『1923関東大震災』)

http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai/pdf/1923–kantoDAISHINSAI-1_04_chap1.pdf

関東大震災でドーム屋根が焼失した横浜正金銀行本店(Wikipediaより)
耐火・耐震の建物であったが、ガラスを溶かして火が侵入した。行員は地下に避難して助かった。

地震の直後に出版された『帝都震災大火実記』には横浜市における震災初日の状況をこう記している。

 横浜市では一日正午頃最初は水平動の地震が三十秒続き、それから上下動に変わったと思う間もなく、全市の住宅は滅茶滅茶に潰されてしまった。身をもって逃れたものはまだしも幸いである。屋根の下に抑えられ、壁の下に挟まれ、出るに出られず援けを呼ぶ悲鳴が彼方にも此方にも耳をつんざく

 桜木町の広場から見渡すと、あたかも昼食時で火を使用していたこととて各戸から数十条の黒煙が立ち上り、間もなく西方の烈風に煽られて紅蓮の舌は潰れた市街の上を流るるように這いまわる。まず横浜貿易新報の後から起った火の手は元町小学校に移り、貿易社をも舐め尽す頃には、北から燃えて来た猛火は桜木町駅及び電話局を焼き、眞金町や住吉町から燃え立ち、その他にも十数箇所から同時に黒煙を漲らせるので横浜市は忽(たちま)ち黒煙に包まれてしまった。正金銀行、県庁、市役所等は地震には潰れなかったが猛火の為に焼き尽くされた。

 かくて午後七時頃には市役所、正金銀行、グラウンドホテル、横浜船渠会社、桜木町駅をはじめ屈指の建物悉(ことごと)く烏有に帰し、全市火の海と化し横浜市は全滅に帰した。

表現社 編 『帝都震災大火実記』p.65~67 (大正12年刊)
帝都震災大火実記 - 国立国会図書館デジタルコレクション
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横浜市には横浜港周辺に多くの工場があり、石油会社のタンクも多かったのだが、それらが大音響とともに爆発し、さらに石油が海に流れたために港の船にも延焼していったという。

東京の本所被服廠跡ほどの大規模なものではなかったようだが、横浜でも各地で火災旋風が起こっている。火災旋風は前回記事で詳しく書いたが、大規模な火災時に発生する竜巻状の空気の渦で、強大なものは荷物や人をも巻き上げることがあり、横浜でも家族が約10間(18.1m)も吹き飛ばされた記録がある。この火災旋風の為に横浜でも多くの人命が失われたのだが、地震の翌年に中央気象台が著した『関東大震災調査報告. 気象篇』p.52~62には、横浜で発生した15の火災旋風について詳しく記録が残されている。

関東大震災調査報告. 気象篇(藤原咲平) - 国立国会図書館デジタルコレクション
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『横浜大地図 附大正十二年大震火災区域』 赤い部分が焼失地域

上の図は大正12年11月に制作された『横浜大地図 附大正十二年大震火災区域』だが、横浜の大部分が焼失してしまったことがわかる。

上の図は『大正一二年関東大震災日本赤十字社救護誌』に出ていた表だが、横浜市の全焼・半焼世帯は5万6千世帯で、全世帯の56.4%が焼けたとある。

横浜公園に避難した人々が助かった事情

前掲の『帝都震災大火実記』には最も火災被害がひどかった場所についてこう記している。

 ことにひどいのは桜木町駅前から横浜公園までの凄惨さで言語に絶している。馬車道交差点辺では一台の電車が車体だけ焼け残って、その前後に三四人乗客らしい人が真黒焦げになったまま倒れていたがとても正視するに忍びない惨状であった。その辺から足を進めると焼死死体はほとんど数えることが出来ぬほど横たわっている。四方八方から突風にあおられて襲い来た猛火に包まれ悲惨な最期を遂げた者であろう。…

(中略)

 横浜公園ではさしもの広い公園も半裸体や眞裸体の避難民で一杯に埋まっている。しかしここへ逃げて来た人は身だけを救うことが出来たので、あの猛火が公園一帯を包囲した時には洪水そのままのように、公園内の広場を満たした水道大鉄管の破裂による濁水に首を浸して、辛うじて蒸し殺しにされるのを免れたのであるから、みたところどれが男か女か判断のつかぬ人ばかりで、中には手ぬぐいやら窓かけやらで間に合わせの繃帯をした重傷者らしいもの、あるいは吹きまくる火の粉が目に入ってとうとう失眼したらしい小児を抱く母と姉とがただ茫然としている。眞に現世ながらの生き地獄である。一方横浜駅から岸壁までの間に自動車、荷馬車、自転車、電車などが焼けてただ鉄の骨だけが残っているのが幾百台あるかもしれない。…

表現社 編 『帝都震災大火実記』p.73~75 (大正12年刊)
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文中にあるように横浜では水道管が各地で破裂し、水道が使えなくなっていた。そのために火が消せないままに人々は大きな公園などに避難したのだが、たまたま横浜公園では水道管の破裂により園内に大きな水たまりが出来ていたという。この公園にも猛火が襲ったのだが、水たまりに首を突っ込むことで多くの人が命拾いをしたという。もしこの避難場所に水たまりがなければ、本所被服廠跡のように火災旋風にやられて多くの死者が出ていたことは確実である。

横浜市のホームページに関東大震災後の横浜市の被害を写した画像が紹介されている。上の画像は「寿小学校より関内外」を撮影したもので、「寿小学校」というのは、かつて横浜市中区翁町にあった小学校であるが、ここから横浜公園は歩いてすぐの場所なのである。

寿小学校より関内外

震災被災者に水や食糧は行き渡ったのか

この大震災を生き延びた約40万人の横浜市の人々の多くは自宅を失い避難生活を余儀なくされた。しかしながら避難者の生活を支えるべき神奈川県、横浜市の職員はもちろんのこと、流通や運送に関わる企業従業員の多くが震災被害者であった。作業場や倉庫なども地震や火災で破壊されており、さらに電気も水も使えなかったのである。

このような状況下で、横浜の人々は避難生活に長い間苦しまざるをえなかった。『関東大震大火災記』にはこのような記述がある。

 横浜に於ける災害の窮状は正にその極に達し、わずかに祝融(しゅくゆう:火の神)の難を免れた神奈川、戸部、弘明寺、本牧の各一部に悉(ことごと)く密集してとたん張りの急造小屋に漸く雨露を凌ぎつつあるが飲用水の欠乏と食糧の不足は益々悪疫流行を助長せしめている。現に神奈川の弘明寺の一部の如きは食糧の配給殆ど皆無に近く一週間わずかに玄米五合が一家夫婦に対する配給である如き真に粥を口に糊し得ぬ状態にある。しかも飲用水の配給又ほとんど変わらず。一里乃至二里近くも空腹をかかえて汲みに行くの有様である。ところがここに奇怪極まる事には、本牧・戸部の避難民は一切の配給円満に行われつつあることで、その間一部市会議員連が己れの地盤に対する人気取り方策として横暴にも配給物の専断をなしつつある噂高く、昨今県立当局に対する非難の声がやかまし

辰省堂編輯部 編 『関東大震大火災記』 p.72(大正12年刊)
関東大震大火災記 - 国立国会図書館デジタルコレクション
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地元議員の人気取りのために、避難場所によって配給に不公平が生じていたかどうかは今となっては確認しようがないが、避難生活に必要不可欠な食糧や水などの配給が、避難民に充分には行き渡らなかったことから様々なトラブルが発生していたようだ。

大正15年に内務省社会局がまとめた『大正震災志. 上』には横浜の食糧等の配給問題についてこう記されている。

 陸上の秩序は、陸軍兵力の不足、警察力の無力、並びに住民相互制裁の欠如の結果、無秩序にして略奪強盗等頻繁に行われ、百鬼夜行の状況にあったので、海軍これに応援して、二日漸くその秩序を回復した。殊に食料品の欠乏については、罹災民の自制心を失わしめ、犯罪を助成せしめたるの原因を作らしむるの傾向があった。然るに、一時に配給機関の不備は、糧食品を満載せる船舶の続々入港し、舳艫(じくろ:船首と船尾)相接する盛況を呈しながら、需要を満たす能わなかったので、山城および春日両艦の努力を借り、各艦搭載の糧食は勿論、他船の糧食をも揚陸に努めたるも、運貨船及び人夫の不足に非常の困難を感じた

 当時港内は一面の油海にして、流木死体その間に出没し、船艇の駛走するもの稀に、昔日の大商港の面影を止めず、桟橋は陥没又は崩壊し、倉庫は若干を除くの外、倒壊して使用に堪えざるもの多く、その外廓完全なるものも、或は庫内火焔が尚止まないので危険が夥しかった。或は掠奪の跡散乱し、足を容るるの余地なきものありて、一見利用の道なきが如くであったが、その後漸く使用し得べき二三の倉庫を整理し得た。

 震災前防波堤内に在りし艦船は、震災当時港外に避難し、任意に錨泊せる結果、港外の錨位全く無秩序であったが、数多の港務部員中唯一の生存者にして、自身頭部に負傷せる神奈川県港務部長が、海軍號兵二名の助力を得て、商船コレヤ丸に在りて港務の整理に従事し、奮闘して整理を速進せしめた。

内務省社会局 『大正震災志. 上』 p.604~605(大正15年刊)
大正震災志. 上 - 国立国会図書館デジタルコレクション
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船で援助物資を送っても、当初は港に錨泊する場所もなく、使える倉庫も少なく、港務に従事する人材も不足していたのである。荷物を陸揚げすることが遅々として進まない状況では、避難者に必要な物資を届けることが極めて困難な状態が続いていたのである。

内閣府の防災情報ページに平成20年3月に作成された「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1923関東大震災【第2編】」がアップされている。

その報告書によると、神奈川県庁は9月2日に大阪商船のパリ丸より外米8千袋を徴発し、3日の午後より陸揚げ作業を開始しようとしたのだが、陸揚げに必要な艀船の多くが焼失しており、人員確保も困難であったために、翌日夕方までに100袋しか陸揚げできなかったという。その後他府県や民間企業などから食糧等の救援物資が続々と到着したのだが、やはり陸揚げ作業が滞り、輸送が円滑に進むようになったのは陸海軍の援助が得られるようになった11日(10日とする史料もある)以降のことだそうだ。避難者たちは何日も空腹に苦しんでいたはずなのだが、このような行政側にとって不名誉な史実は殆んど何も伝わっていないのではないだろうか

また横浜市の水道設備は完全に地震によって破壊されており、水道からの水の供給は不可能であった。横浜市は9月2日に水道の復旧工事に着手し、復旧するまでの間は湧き水や井戸水、港内の船舶に蓄えられていた飲料水が用いられたが、水量は不充分であった。そこで横浜市は8日にようやく飲料水を輸送して大岡川河口の弁天橋際に給水所を設置し、水道の復旧工事については陸軍の工兵隊の出動を要請して、11日以降少しずつ水道の利用が出来るようになったが、完全復旧したのは12月だったという。

http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/13_chap3-2.pdf

水と食糧が不足したために避難者の多くは飢えていた

当時の記録を読んでいると横浜の避難民の空腹と疲労は極限に達していたようだ。

大正12年に神戸新聞社が出版した『大地は壊れたり :関東壊滅大震災実記』には、こう記されている。

 市役所では二日正午から庁内に大釜をすえ大炊き出しを開始し、炊き上がるとすぐ自動車に満載して市中に出かけるが、炊き出しと聞いて避難者市役所付近に群衆大混雑を極め、握り飯自動車とみるや群衆は忽ち包囲して自動車を止め、係員の手をまたず自動車によじ登って手づかみにするやすぐ頬張るさまはまるで餓鬼の如く、一昼夜ぶりにやっと飯粒を口にした事を思えば哀れにもいたましい云々と。

 けれども、これらわずかながらも食を得られしは上々の部であった。荒廃の街区には一滴の水なく食料をひさぐ所とてない。その中を灰と塵とにまみれながら行き来する人々を見てあれば、その灰とすすと汗にまみれた顔を拭おうともせず、片手にしかと濁水入れしサイダーの空き瓶など持ちながら、これを唯一の命のかてとしているものがあると思えば、風呂敷にいと大切げに一塊の氷を包み、そのとけてしたたる一滴一滴をまみれつく塵埃とともに風呂敷の外から吸うてゆく者もある。ある者は僅少のビスケットに一時の上を凌ぎ、あるものは紅ショウガの一片を後生大事としゃぶりてゆく。

 食なくして疲れ果てしものは、所嫌わずあたりの焼跡にどっかと身を構えて、衰えし瞳を閉じるのであった。

田淵巌 著 『大地は壊れたり :関東壊滅大震災実記』p.50~51 (大正12年刊)
大地は壊れたり : 関東壊滅大震災実記 - 国立国会図書館デジタルコレクション

このように当時の記録では、横浜の避難民は家をなくしたうえに、食べるものも水も充分に与えられない日が何日か続いたのである。昭和元年から翌年にかけて横浜市役所が纏めた『横浜市震災誌』には「(9月)2日税関構内の焼け残り倉庫で略奪が行われ、引き続き、根岸、本牧、神奈川、その他の残存地域に於ても、また同様のことがあったのは遺憾であった。(第一冊p.23)」とまるで他人事のように記されているのだが、東京が助けに来てくれるだろうとか「一日二日の絶食ぐらいは誰も彼も体験した(同書 p.23)」から市民も我慢してくれるだろうとの考えがあったために対策が後手後手になってしまったようである。横浜市はもっと早い段階で倉庫にあった食糧を避難所に配分することを決断し、同時に被災していない地方の自治体に援助を要請するべきだったのだが、市職員の多くが罹災していたために判断の出来る責任者がいなかったのであろう。

たとえ自治体の業務担当者の多くが罹災したとしても、災害避難者の食糧対策や給水対策が遅れることは本来あってはならないことなのだが、震災時の初動を誤れば、関東大震災時の横浜と同様のことが、どこの自治体でも起こり得ることだと思う。

現状では、全国各地の自治体は独自の震災対策を立案しており、いずれも震災時には対策本部を設置し、指揮命令系統を詳しく定めて公表しているのだが、対策本部で活動する予定のメンバーやその家族の多くが被災した場合には、震災直後から計画通りに機能することは到底期待できないだろう。被災しなかった地域からの応援や自衛隊の支援を早く要請することが重要だが、他地域から本格的な支援を受けるまでには日時がかかることはやむを得ない。つまるところ大地震直後の食糧・飲料の不足の問題に対する解決策は、国民一人一人がせめて2~3日分の非常用飲料と食品を自宅に備蓄することを心掛け、避難する際にリュックに忘れずに入れておくことなのだと思う。

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