満州占領のあと韓国を占領しようとしたロシア

義和団の乱から日露戦争

日露戦争に導いた人物

 わが国が日英同盟を締結した二ヶ月後に、ロシアは清国との間に三回に分けて満州から撤退するという満州還付条約を締結したのだが、第一回目の撤兵は実施したものの、翌一九〇三年四月に二度目の撤兵を行なうという約束を実行せず、むしろ奉天から満韓国境方面に兵力を増強し、さらに森林保護を理由に韓国の龍岩浦(りゅうがんほ:鴨緑江河口)を占領してしまった

 そしてロシアは、7月には兵力で以て韓国を圧迫して龍岩浦租借条約を結ばせている。我が国が韓国に強く抗議したことにより韓国はこの契約の無効を声明したが、ロシアはこれを無視し、龍岩浦に要塞工事を起こし、ポート・ニコラス(当時のロシア皇帝:ニコラス二世)と改称して龍岩浦の占領の既成事実化を進めていったのである。

アレクサンドル・ベゾブラゾフ

 このような冒険主義的な政策は皇帝の信任を得ていたアレクサンドル・ベゾブラゾフが主導したが、それに対して危惧する声もロシア指導層に少なからず存在した。当時大蔵大臣であったセルゲイ・ウィッテは『ウイッテ伯回想記. 上巻』にこう記している。

セルゲイ・ウィッテ

 ベゾブラゾフという退職騎兵大尉がいた。・・・中略・・・いったいロシアを日露戦争に引っ張って行くような大冒険をやってのけたベゾブラゾフという男はどんな人物であるか?・・・中略・・・

 ベゾブラゾフの説くところはこうであった。

我々は断じて朝鮮を放棄するわけには行かない。しかし我々は関東州占領後、日本との急激な衝突を避けるためにやむなく朝鮮を放棄したのである。少なくとも公式には一度挑戦を放棄したのである。だから今となっては、隠れた非公式の手段で朝鮮に勢力を扶植するよりほかに途はない。それには全く個人的な性質をおびた各種の利権を獲得しなければならない。そして実際は政府が指導者となり支援者となって、組織的に漸次に朝鮮を占領するのである」

・・・中略・・・

 ベゾブラゾフの計画実行はいよいよ具体的に決定された。

 この陰険な仕事は無論日本人に全部知れわたってしまった。日本人はロシアでは表面では朝鮮から手を引いたと見せ、裏へ廻ってやっぱり挑戦を占領する野心があるのだ――と解した。日本人が極度に我々に反抗するようになったのは極めて自然の成り行きと言わねばならぬ。遂には支那人と、これを支持する日本人ばかりではなくイギリスやアメリカまでがロシア軍の満州撤退を要求するようになった。

ウイッテ 著『日露戦争と露西亜革命 : ウイッテ伯回想記. 上巻』ロシア問題研究所 昭和5年刊 p.208~211

 当時陸軍大臣であったアレクセイ・クロパトキンもベゾブラゾフを批判している。

アレクセイ・クロパトキン

 品性劣等な投機師は陛下に対して自分の論理を納得させることに成功した。この危険な政策はベゾブラゾフ、ウォガーク、アバーザその他の政策であって、実際真にロシアを愛する者の政策ではない。彼らはいかがわしい忠義を盾に一九〇三年における極東の危険を作ったのだ。これが明日何をもたらすか何人も知らなかった。この如き動揺政策が、いはば自国の運命を転換するものだと決心するまでに日本人の神経を攪乱した。それゆえに、我々が攻撃に転ずるや(また朝鮮方面に進出するや)日本人は逆襲に転じて我が軍を撃破することになったのだ。

大竹博吉 訳編『満洲と日露戦争 : 外交秘録』ナウカ社 昭和8年刊 p.241

 なぜロシアが龍岩浦を占領したかについては、当時の軍艦の燃料は石炭であり、後に開発された石油推進の軍艦に較べて、トン当たりの航続距離が二割程度しかなかったことを知る必要がある。次のサイトで軍艦金剛の実験が出ているが、平均速力二十五.四ノット(時速四十七km)で運行させるのに毎時四十一.五トンもの石炭が必要だったという。

巡洋戦艦は石炭を焚いて疾駆する | 電脳 大本営
巡洋戦艦「榛名」は明治44年4月に発注されました。英国で建造されたネームシップ「金剛」に続いて二番艦「比叡」は横須賀海軍工廠で建造。三番艦「榛名」を神戸川崎造船所に建造させ、4番艦「霧島」を三菱長崎造船所に注文したのです。 一枚の写真からこ...

 当時のロシアは旅順とウラジオストックに軍港を持っていたが、艦船に積載できる石炭の量には限界があり、ロシアがさらに南に勢力を拡大していくためには、新たな石炭供給基地の獲得が不可欠であったのだ。

対露交渉の開始

 満韓に対する侵略の意図を隠さないロシアの動きは、俄然わが国の国論を硬化させたことは言うまでもない。
 しかしながら、伊藤博文や桂首相らは、この危機を戦争に依って打開するというのは最後の手段であり、出来得る限り外交により解決を図ろうとし、ロシアの満州に対する特種権益を認める代わりに、日本の朝鮮に於ける優越権をみとめるという「満韓交換論」で決着させようとしていた。

 明治三十六年(1903年)八月に、わが国は対露直接談判を開くに至り、わが国がロシアに主張したのは
① 清韓両国の独立と領土保全の尊重
満州を日本の利益外とするなら韓国も露国の利益の範囲外として相互に承認すること
③ 中立地帯を設けるなら韓国側だけではなく、満韓境界の両側五十㌔を中立とすること。
④ 日本が韓国に軍事援助を行う権利を認めること
だったが、ロシア側は満州の独立と領土保全にはふれずに、わが国が韓国に派兵することを禁止し、更に韓国北部を中立化することで、満州におけるロシアの自由行動を安全ならしめようとしたという。
 談判は翌年一月まで五ヶ月に及んだが、ロシアは頑として自らの主張を譲らず、その一方で極東のロシア軍には動員令を下し、満州には戒厳令を敷くなど、急ピッチでわが国との戦争の準備を進めていった

対露強硬論の高まり

 政府は何とか戦争を回避しようと動いていたが、陸海軍部の考え方は早くから「対露強硬論」であった。
 菊池寛の『大衆明治史』(GHQ焚書)に、明治三十六年(1903年)五月に開かれた外務、陸軍、海軍の強硬論者が集まった記録が出ている。参謀本部第二部長福島安正少将の意見書が披露されたという。

福島安正

「・・・今戦わねば、あの凄まじい勢いで東洋に入ってきているロシアが満州で力を充満し、朝鮮に進出して来るのは明らかだ。そうなっては、たとえ協定など結んでいたとて反古同然となり、日本は大陸から永劫駆逐されるはもちろん、壱岐対馬はもちろん、九州まで手を付けようとするだろう。これを思えば、今進んで戦うより外に道はない。万一戦に負けるが如き最悪の場合に陥っても、日本国民が発憤すれば、百年を待たずして、必ず復讐することが出来る。断じて妥協すべきではない」

 参謀本部第二部長が、こんな悲壮な決意を持ったのであるから、当時の事態が如何に楽観できぬものだったか察せられよう。

菊池寛『大衆明治史』汎洋社 昭和17年刊 p.250~251

 さらに六月には、東京帝国大学教授戸水寛人ら七人の法学博士が桂総理大臣、小村外務大臣に宛てて意見書を提出している。

「・・・ただ切に望むらくは、たとい露国政治家たるもの甘言を以て、我を誘うことあるも、満韓交換またはこれに類似の姑息策に出でず、根底的に満州還付の問題を解決し、最後の決心を以て、極東の平和を永久に維持するの大計画を策せられんことを・・・

同上書 p.258
新聞集成明治編年史. 第十二卷 p.80~82

 満州、朝鮮を失えば日本の防衛が危うくなるとし、対露武力強硬路線を唱えたものだが、この意見書は東京日日新聞、東京朝日新聞に掲載され、その後七博士は桂首相に面談を求め、その後も矢継ぎ早に新聞に論文を発表したという。当時の大学教授、博士の名声は今日とは考えられない程高く、彼らが対露開戦論を唱えたことは、国民の士気を高揚させる上で大きな役割を果たしたとことは間違いがない。しかし伊藤博文は「我々は諸先生の卓見ではなく、大砲の数と相談しているのだ」と冷淡だったようだ。

 また議会も政府の姿勢を「軟弱外交」として批判的であった。十二月十日の第十九議会開院式では桂内閣弾劾決議案が可決され、議会は解散されている。

国民を団結させたもの

 日本のような小国がロシアのような大国と戦うためには、国民に相当な覚悟がなければならないのだが、国論をして対露開戦に向けさせたのは政治家の力ではなかったようだ。

 菊池寛はこう述べている。

外務、陸軍、海軍の少壮主戦派といい、対露同志会、七博士の活動といい、これらの対外硬派の活動が我が国論を喚起し、いわゆる国民精神総動員の実を挙げたことは、大きなものであった。
 桂や伊藤が、日露戦争に於いて、よく官民を指導して、混然とした国内態勢を以て、戦勝の栄誉を得たことを賞賛する者が多いが、実はこれらの立派な団結は、上から命じて出来たものではなく、国民の間から盛り上がった溌溂たる組織であったことを、今日われわれは十分に反省しなければならぬと思う。」(同上書 p.261)

開戦の決意

 ロシアとの交渉は何も進展せず、朝鮮の鴨緑江岸龍巌浦に兵隊まで繰り出す始末であった。満州では譲っても朝鮮では譲らない考えであった桂首相も、最後の手段である開戦もやむなしとの考えに変わっていった。政府は戦時大本営条例、軍事参議院条例などを交付し、英国より軍艦二隻(のちの日進、春日)を購入している。

 年が明けて明治三十七年(1904年)一月六日にロシアから最後回答のようなものが届いたという。菊池寛はこう記している。

 ・・・その内容は日本の韓国に対する特権、即ち日清戦争に於いて、幾多の犠牲を払って得た権益を、あくまで一方的に否認し、韓国に中立地帯を設け、その縄張りを相互に決めようとという、極めて虫の良い回答なのである。
 これは到底わが国の忍び得ざるところである。一月三十日午前、さしも露国に対して和協的であった伊藤博文は、桂首相をその官邸に訪問して、日露問題は遂に最後の断を下さざるべからざる時期に逢着したと、その決心を語っている。

 その席には、小村外相と、海軍大臣の山本権兵衛がいたが、山本は終始黙然として、深く沈思するものの如くであった。開戦ともなれば、軍部大臣として如何にその責任を果たすべきか、またはたして必勝の算はあるのであろうか。一座には重苦しい空気が流れた。

同上書p.268~269

 一方ロシアは既に対日作戦計画を立案して裁可を得、旅順ドックの竣工と同時に、日本に対して戦争を始めるとの情報が二月一日に入った。
その翌日には、ロシアの極東艦隊が旅順を出港したという重大情報が入り、ことここに至って桂首相は元老らとも謀り、御前会議を奏請するに至る。

 二月四日午後、明治天皇は伊藤山縣松方井上等諸元老、大山参謀総長、桂首相、山本海相、寺内陸相、小村外相、曽根蔵相らを御前に召して、会議が開かれた。
会議では一人の異論もなく、満場一致でロシアに対する開戦が決議され、ロシア政府に対して国交断絶の旨が通達された。

 日本帝国政府は、ロシア帝国政府との関係上、将来の紛糾を来たすベき各種の原因を除去せんがためあらゆる和協の手段を尽くしたるも、その効なく、帝国政府が、極東における鞏固かつ恒久の平和の為なしたる正当の提言ならびに穏当かつ無私なる提案も、これに対して当に受くべきの考慮を受けず、従ってロシア政府との外交関係は、今やその価値を有せざるに至りたるを以て、日本帝国政府はその外交関係を絶つことに決したり。

同上書 p.271~272

 日露開戦を決定したものの、当初の歳入規模は二憶三千万にすぎず、長期戦になれば国家財政がもたない。政府はすぐにその対策にかかるのだが、その点については次回以降に記すこととしたい。

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