大政奉還から王政復古の大号令までの公議政体派と討幕派の動き

王政復古の大号令

慶喜が大政奉還したことについての外国公使などの感想

 前回の「歴史ノート」で、徳川慶喜は大政奉還したのち、大名の合議制で平和的に政治体制を変革し、自らがそのリーダーとなることを考えていたと書いた。

 しかしながら、討幕派の薩摩藩や長州藩は、飛距離も命中精度も殺傷力も格段に高い最新鋭の銃をトマス・グラバーから大量に入手しており、旧式の武器で第二次長州征伐を戦った幕府軍は、兵の数では圧倒していたにもかかわらず長州軍に完敗してしまっている。

徳川慶喜

 慶喜は最新鋭の銃の威力を知り、フランスの支援を受けて軍制改革に着手したものの、幕軍や佐幕諸藩が装備していた銃の大半は旧式のままであり、もし内戦になった場合には、勝てる可能性は乏しかった。だから慶喜は、討幕派の機先を制して大政奉還することで討幕の名目を奪って内戦を回避し、平和的に政治体制を変革することを決断したのである。

 この慶喜の重大な決断について、諸外国はどのような反応をしたのであろうか。イギリスの外交官であるアーネスト・サトウは著書にこう記している。文中の「大君(たいくん)」は将軍・徳川慶喜と読み替えて良い。

 11月16日(慶応三年十月二十一日)の真夜中、外国奉行の一人石川河内守(石川利政)がハリー卿を訪ねて来て、大君は政治の大権を天皇(ミカド)に返還したので、今後は天皇の命令の執行機関に過ぎなくなるだろうという、重大な情報を伝えたのである。われわれはすでに他の方面から、大君が退位して将軍職はなくなるだろうということを耳にしていた。すでに、この月の14日に小笠原壱岐守(外国事務総裁小笠原長行)は内々でわれわれに対し、今後政治の大綱は有力な諸大名の合議によって立てられ、大君の決裁は天皇の認可を受けなければならなくなると告げたのである。

(アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新 (下)』岩波文庫 p.81)

 このように慶喜の決断は一週間後に横浜のイギリス公使館に伝えられたのだが、公使のパークスは慶喜が大政奉還の挙に出たことに強い感動を覚え、この英断によって内戦は回避されると予想し、慶喜は新しく生まれる政権においてリーダーシップを取ると考えたようだ。パークスがハモンド外務次官に宛てた11月27日付(十一月二日)の半公信にはこう記されている。

 わたしは、内戦は避けられるのではないかと期待している。大君が自ら権力を放棄しなかったならば、内戦は不可避であったと思われる。…

 …いずれにしても、大君は時代の要請にふさわしい人物であることを証明し、最大の効果をもって譲歩をおこなう瞬間を正確に判断したと思われる。このような変革を生み出した大君の高邁な動機と勇気に対して、わたしは称讃があたえられてしかるべきであると思う。この行動は、大君の支持者たちの明白な意志と利益とに反して行われたものなのである。

(萩原延壽『遠い崖――アーネスト・サトウ日記抄 6』朝日文庫 p.30~31)

 同書には、フランス公使のロッシュの反応も紹介されている。

 くりかえしていうが、われわれは大君の叡智と能力に全幅の信頼を置いてよい。過去がわれわれに未来を保障してくれる。…われわれとかくも明白に利益を同じくしている側(慶喜)の勝利に、われわれは無関心でいられようか

(同上書 p.38~39)

と、ロッシュも慶喜側の勝利を信じて疑わなかったのである。

 またアーネスト・サトウは、慶喜が大政奉還を決断した理由について、著書でこのように推測している。

 当方の見るところでは、慶喜は薩摩、長州、土佐、備前などから責めつけられ、いや気がさしている。また、列藩会議を招集しようと決意したのは、自は勢力の一致を目的とするもので、それが実現すればおそらく大多数の票を得て元の職へ復帰することもできるし、それにより大君の権威を前よりも確固たるものにすることができると考えたからだ

(『一外交官の見た明治維新 (下)』岩波文庫 p.85)

 このように主要国は、慶喜が最終的に主導権を握ることを予想していたのである。

慶喜の進退に関して国内の二つの考え方の対立

 ところが、大政奉還ののち朝廷は諸大名を京都に招集し、衆議公論によって王政復古の策を定めることになっていたのだが、形勢を観望するため上京を辞退する大名が相次ぎ、将軍職を巡る慶喜の進退に関し何ら主体的な意思決定ができぬまま事態は推移していったのである。

 国家の重要案件以外は徳川家に任されていたのだが、今後の重要案件について如何なる方法で決定していくかについて、二つの大きな考え方の対立があったという。井野辺茂雄 著『幕末史概説』には次のように解説されている。

 その一は土佐藩を中心とする公議政体派であり、他の一は薩長二藩を中心とする主戦派であった。土佐藩の宿論は、上下の議事院を開き、上院には宮・公卿・大名、下院には諸藩士及び庶民中より議事官を選任し、公共の政を行うというのであるが、同時にまた官制改革の必要をも認め、坂本の立案によれば、新たに関白・議奏・参議の三職を置き、関白は公卿より選任し、太政を総裁するもので、私に三條実美をもってこれを擬し、別に内大臣を置きて関白の副貳たらしめ、私に慶喜をもってこれに擬す。…その意見が徳川氏を阻害するものにあらざりしは明らかである。しかるに幾もなく慶応三年十一月十五日(1867/12/10)の夜坂本は、京都蛸薬師の旅寓に於いて、中岡とともに刺客の手に斃れた

(井野辺茂雄 著『幕末史概説』紀元社 昭和二年刊 p.598~599)
国立国会図書館デジタルコレクション
坂本龍馬

 土佐藩を中心とする公議政体派は徳川慶喜を政治に参与させる考えであったのだが、主戦派ははじめから慶喜を排除する考えであった。坂本龍馬の暗殺の犯人について井野辺茂雄は、京都見回り組が実行犯であるとする通説を述べたのち「はたしてその通りであるか、あるいは政権奉還のことなどを含んで暗殺したのか、その辺の事情はなお詳らかではない」と書いているが、この本の出版当時は薩長に忖度してこのようにしか書けなかったのではないだろうか。龍馬の暗殺に関しては、旧ブログでも書いたが、私は主戦派の関与があった可能性が高いと考えている。

 坂本龍馬の死後は後藤象二郎が諸藩を遊説し、諸大名の会議を催そうとしたがなかなか集まらなかったという。

 尾州・越前・芸州・肥後の諸藩皆賛同し、漸く勢力を占めるようになったが、諸大名は朝廷の召命あるにもかかわらず、譜代の多くは徳川氏と君臣の義を絶つに忍びずと称して上京を辞し、しからざるも譜代と同じく形勢を観望するのみ。その十一月までに闕下に来集せるものは僅かに十余名に過ぎないので、後藤は有力の諸藩だけでも良いから、簾前盟約の事を行わねばならぬとて、越前の中根雪江、尾州の田宮如雲、肥後の溝口孤雲等と共に東西に奔走した。

 土藩を中心とせる公儀政体派が、徳川慶喜をしてなお政治に参与せしめようとしたのは、公議世論を重んずる精神からでているけれども、同時にまた徳川氏に対する歴史的の関係深く、これを棄つるに忍びなかったことも、確かに別個の原因であろう。然るに薩長の二藩は徳川氏の勢力を根底より破壊するとともに、慶喜をも除外しなければ、革新の治を布くことができないとて、公議政体派の圧政に全力を傾注している

(同上書p.600~601)
国立国会図書館デジタルコレクション

クーデター計画と「ええじゃないか」騒動

 このように新しい体制を決めようにも京都に諸大名が集まらない状況下に、薩長は別の動きを進めていた。

 前回の記事で『討幕の密勅』が正式な手続きを経て出されたものではないことを書いた。この書類が岩倉具視から十月十四日(11/9)に薩摩藩と長州藩にひそかに渡され、同日に慶喜が大政奉還の上表を提出し翌日に勅許されたことで、慶喜の追討や会津・桑名二藩の誅伐の実行は中止とされている。しかしながら、この密勅にもとづき薩摩藩、長州藩、芸州藩の三藩が政変のための出兵同盟を締結し、続々と兵を京都に送り込んだのである

 前回も書いたが、この時期の朝廷は、慶喜の従兄である二条斉敬が摂政に就任しており、賀陽宮朝彦親王ら佐幕派の上級公家が主導権を握っていた。だから慶喜は、朝廷で自分の意に沿わない決裁がなされる懸念は小さいと考えていたのだが、討幕派の岩倉具視や薩摩藩は、二条摂政・朝彦親王らの佐幕派の朝廷首脳を排除し、自派の皇族・公家を擁して新体制を樹立し、慶喜から実権を奪う計画を練っていたのである。そのためにはまず朝廷を武力で威嚇しクーデターを起こすことが必要であったのだ。

岩倉具視

 岩倉具視は文久二年(1862年)以来蟄居処分を受けていたが、慶応三年十一月八日(1867/12/03)に洛中に住むことを許され、自邸で同志と密議を繰り返していた。前出の『幕末史概説』には討幕派の動きをこう解説している。

 …中山・正親町三條・中御門の三卿と共に、西郷、大久保等を引見して朝政革新のことを謀議していたが、土藩の公議政体論ようやく諸藩の間に勢力を占めんとするを喜ばざりし西郷・大久保等は、八月十八日の政変*に倣い、二条関白等の佐幕派を退け、慶喜の将軍職を褫(うば)い、薩長二藩の勢力を基礎とせる新政府を組織せんことを具視と説いた。具視これに応じ、中山以下の三卿をも誘い、おりしも島津茂久、浅野茂勲が入京し、毛利内匠の西宮に到着せるのに勢いを得て、王政復古令渙発の議を決す。

*八月十八日の政変:文久三年八月十八日(1863/9/30)孝明天皇・中川宮朝彦親王など幕府を支持する勢力が、攘夷親征を企てる三条実美ら尊攘派公家と背後の長州藩を朝廷から排除したクーデター

(同上書 p.602)
国立国会図書館デジタルコレクション

 ところが、討幕派の密議が何度も岩倉邸で行われていたことを幕府は察知していなかったという。

 偶然であったかどうかについては諸説があるが、当時の西日本において伊勢神宮のお札が降ったとのうわさが流れ、多くの男女が「ええじゃないか」と唱えて狂喜乱舞するという出来事が各地で起こっている。岩倉具視の伝記である『岩倉公実記』には、この騒動のおかげで幕府から岩倉邸が警戒されなかったことが書かれている

 「ヨイジャナイカ、エイジャナイカ。臭いものに紙を貼れ、破れたらまた貼れ。エイジャナイカ。エイジャーナイカ。」と言う。皆狂奔酔舞し、一群去れば一隊また来る。街頭織るが如し。夜に入れば各その頭上に燈を戴き、綵花を飾る。八月下旬に始まり、十二月九日王政復古発令の時に至って止む。蓋し具視が挙動もこの喧閙(けんとう:さわがしいこと)のために蔽われて、自然と目に触るることを免れるなり

(『岩倉公実記. 下巻 1』皇后宮職 明治三十九年刊 p.103)
国立国会図書館デジタルコレクション

 「ええじゃないか」の掛け声は近畿や四国などの西日本で記録があるが、東海地方では掛け声がなかったという。また歌詞は各地で異なり、Wikipediaにその事例が出ている。

 例えば「今年は世直りええじゃないか」(淡路)、「日本国の世直りはええじゃないか、豊年踊はお目出たい」(阿波)といった世直しの訴えのほか、「御かげでよいじゃないか、何んでもよいじゃないか、おまこに紙張れ、へげたら又はれ、よいじゃないか」(淡路)という性の解放、「長州がのぼた、物が安うなる、えじゃないか」(西宮)、「長州さんの御登り、えじゃないか、長と醍と、えじゃないか」(備後)の政治情勢を語るもの、などがあった。

ええじゃないか - Wikipedia

 歌詞に「長州」が出ているのを怪しく感じるのは私ばかりではないであろう。長州藩から大量の兵士が京都に向かう途中に備後(現広島県東部)や西宮(現兵庫県南東部)を通ることになることと関係があるのではないだろうか。

 旧ブログで「幕末の『ええじゃないか』は世直しを訴える民衆運動だったのか」という記事を書いたことがある。今ではリンクが切れてしまっているので原典が分からなくなってしまったが、以前このような記事を公開している研究者がいた。

 『ええじゃないか』は大坂から西宮神戸を経て、山陽道を東進した。また淡路島と四国に上陸し、阿波から讃岐、さらに伊予に広がっている。

 山陽道の要衝である備後国の尾道の御札降りは、十一月二十九日から始まっているとされるが、「ええじゃないか」が、十二月三日に始まっているとする史料もある。この日付には重要な意味がある。というのはその前日の十二月二日に上京途中の長州藩兵の一部が尾道に上陸し、暫時滞在しているからである。すなわち十月十四日の大政奉還のさいに討幕の密勅を受けた長州藩は、ただちに大軍を上京させる準備に取りかかり、十一月二十八日より三田尻港からぞくぞく出発させた。そして十二月二日にはその一部である鋭武隊、整武隊が尾道に上陸したのであり、その翌日の三日から御札降りが始まり、「ええじゃないか」騒ぎとなっているのである。ここには長州軍の移動を幕府に蔽い隠すためのなんらかの作為があったのではないだろうか。なお薩摩、長州と出兵盟約を結んでいた芸州藩も十二月一日一大隊を尾道に派遣している。尾道の「ええじゃないか」では、「ヱジャナヒカ、ヱジャナヒカ、ヱジャナヒカ、長州サンノ御登リ、ヱジャナヒカ、長ト薩ト、ヱジャナヒカ」と歌われ、上陸した長州藩兵も一緒に踊ったという。

 やがて長州軍は幕府の情報網をかいくぐって、西宮附近に上陸、大坂を迂回して入京し、鳥羽伏見の戦いで幕府軍を戦うのである。

幕末の「ええじゃないか」は世直しを訴える民衆運動だったのか
学生時代に教科書や参考書をいくら読んでもピンとこない叙述はいくつかあったが、江戸時代末期の「ええじゃないか」は変な出来事だとは思いながら、「一般庶民が新しい世の中が生まれることを期待して自然発生的に起こった」という説明を鵜呑みにした記憶があ...

 最初は自然発生的なものであったのかもしれないが、歌詞に「長州さんの御登り、えじゃないか」とあったり、長州軍の移動とともに『ええじゃないか』騒動が動くことは本来ありえないことであり、『岩倉公実記』に明記されているように「十二月九日王政復古発令の時に至って止む」ということもおかしなことである。少なくとも、大政奉還から王政復古までの狂喜乱舞の多くは討幕派によって仕組まれていた可能性が高いと考えるのが自然ではないかと思われる。

 かくして討幕派は準備万端を整え、十二月八日(1868/1/2)に岩倉具視は自邸に薩摩・土佐・安芸・尾張・越前各藩の重臣を集め、いよいよ王政復古の断行に向けて動き出したのである。

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 通説ではほとんど無視されていますが、キリスト教伝来以降ポルトガルやスペインがわが国を植民地にする意志を持っていたことは当時の記録を読めば明らかです。キリスト教が広められるとともに多くの寺や神社が破壊され、多くの日本人が海外に奴隷に売られ、長崎などの日本の領土がイエズス会などに奪われていったのですが、当時の為政者たちはいかにして西洋の侵略からわが国を守ろうとしたのかという視点で、鉄砲伝来から鎖国に至るまでの約100年の歴史をまとめた内容になっています。
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