支那や満洲の赤化状況
コミンテルンの赤化工作により全世界で共産主義勢力が拡大していったのだが、彼らは共産主義革命を実現させるべく、テロの計画を立てるようになっていった。昭和六年(1931年)三月二十一日の京城日報には、中国共産党の一味が満洲の主要都市で大暴動を起こす計画があることが発覚し、中国共産党員二十四名が検挙されたことが報じられている。

…撫順(ぶじゅん)特別支部はその際撫順炭坑における支那坑夫を煽動して賃銀値上げ待遇改善を要求し、同盟罷業に終り直ちに大暴動を敢行して紅軍を組織して、撫順八大炭坑発電所機械工場、オイルセール工場等を破壊し、日支両国の主要官衙交通通信機関を破壊し及び両国の主力官民を暗殺し、総べての資本機関を奪取し彼等の手に収め、撫順を占領して撫順に地方ソビエット政府を樹立せんとするものである。…中略…
…撫順特別支部は…中国共産党満洲省委員会に直属し…先般北満間島吉敦方面で行われた放火、鏖殺、官公衙通信機関等の破壊事件は皆彼等一味の行為である。
『神戸大学新聞記事文庫』思想問題5-113
満洲においては中国共産党だけでなく、ソ連共産党も全満洲赤化のために活発に動いていた。昭和七年四月二十九日の東京朝日新聞は第二松花江鉄橋爆破と日本軍の列車転覆を企んだソ連共産党員の指導者五名のほかに八十八名が捕縛されたことを報じている。

【ハルビン特派員二十七日発】北満一帯にわたり列車運行の妨害をなし北満の治安を攪乱している犯人は、ハルビン特別警察署の活動により、別電の如く九名を指導者とする全満ソヴエト共産党ハルビン戦闘義勇隊の分子の仕業であることが判明した。指導者五名の外に八十八名捕縛され厳重取調べの結果、四月八日松花江鉄橋爆破事件は全く義勇隊の活動の第一歩として着手された陰謀で、幸に未然に発見された。松花江鉄橋の中央部に黄色火薬三十六貫目を装備して鉄橋を根本的に破壊する積りであったが、満洲国巡警に発見され現場からはロシア製黄色火薬(十サンチ、五サンチ立方)露文地図および鉄橋補修工事の明細設計図を押収した。その設計図は東支鉄道管理局第三課アフチニコフなるものが同僚から盗みだして爆破班に与えたもので、この外嫩江鉄橋およびハルビン松花江大鉄橋の調査書も盗み出した事実も判明し、第二、第三の鉄橋爆破計画のあることが明かになった。…中略…
捕縛された者の自白によれば軍用列車の顛覆事件も同様この義勇隊のプログラムの一つであるといっているが、巧妙な組織のため直接にはお互に同志であることを知ることが出来ないと。
『神戸大学新聞記事文庫』外交115-145
満州では中国共産党とソ連共産党に撹乱され、いくら犯人グループを逮捕しても赤化工作が止むことはなかった。
一方支那の湖南省では官軍と共産軍が占領を繰り返し、多くの住民が主に共産軍らにより虐殺されたという記事が昭和六年六月二十七日の大阪朝日新聞に出ている。中国共産党はやることが「匪賊」と変わらなかったので「共匪」と呼ばれることが多かった。

【上海特電二十七日発】長沙よりの半官的の報告によれば江西省境に近い平江、瀏陽地方は湖南における共産土匪の根拠地であるが、両地方にてここ数年来共匪軍のためにまた官軍のために殺戮された人民の総数は三十九万五千余名に達するという。共産軍はサウェート政府をつくりその占領中は毎日のごとく人民をまとめて惨酷な刑に処したが、その中には彼らの占領を肯ぜぬために全町の住民が虐殺されたのも二、三あるという。
この地方は数年来幾度となく官軍と共匪軍とが占領を繰返したもので、その度毎に双方から住民は虐殺され、共匪軍撤退の後には首なし死体の山が築かれるという。その中には子供まで混っている。女は共匪軍のスパイやエロに用いられ官軍でも宣伝隊として特別婦女連隊を組織していると…
『神戸大学新聞記事文庫』思想問題5-136
わが国の赤化工作の拡大
昭和三年三月十五日に日本共産党員やその支持者千六百人が治安維持法違反で全国一斉に検挙(三・一五事件)されたのち治安維持法が厳罰化され。昭和四年四月十六日には再び全国一斉に検挙が行われ(四・一六事件)、同年には四千九百四十二人治安維持法違反で逮捕されている。日本共産党は大量検挙により大打撃を受けたものの、モスクワの幹部養成学校(クートヴェ)帰りの風間丈吉を中心に党中央が再建され、大衆化方針が功を奏し、わが国の様々な職場や学校に共産主義思想が拡がっていったのである。
昭和六年九月一日の大阪毎日新聞の記事の見出しには「全協系の魔手大蔵省内に伸ぶ」とあるが、「全協」というのは「日本労働組合全国協議会」の略称で、日本共産党の影響下にあった非合法・革命的な労働組合のナショナルセンターである。

全協一般使用人組合(教育労働組合、俸給生活者組合、評議会、医務労働ならびに映画従業員組合が去る五月三十一日従来の一般使用人組合と合同したもの)の暗躍は、既報の如く全日本小学校教員の赤化組織にまで進展したが、さらに大蔵省内において別項の如く一般使用人組合の潜行運動が暴露し、関係官庁に重大な衝動を与うるに至り、ために検察当局はひどく神経を悩ましている。
右はさきに共産党事件に連坐しいわゆる解党派の認定の下に保釈出所を許可された党の幹部級村尾薩男、河合悦三、水野成夫、菊田善五郎、豊田直、浅野晃の六名が、さる六月二十五日の共産党公判初日から一回も法廷に顔を出さず、完全に地下にもぐり込み盛んに活躍を続けたもので、彼等は公判廷で相被告から裏切者と罵倒を浴びせられているに対し、自分らは一日も早く出所して労働者農民に働きかけ、党の組織再建のために潜行運動を遂行せんがため判検事を一時ごまかしたに過ぎぬと声明したまま行方不明となり、自来一般使用人組合の小学教員赤化組織確立および大蔵省内の細胞組織に刺激を与えていたもので、警視庁当局は来る五日再開さるべき共産党統一公判を控えて逃走組の捜査に力を注ぐこととなった。
『神戸大学新聞記事文庫』思想問題5-148
上記記事に全協の赤化工作が「全日本小学校教員の赤化組織にまで進展」していたとあるが、同年九月十九日の大阪朝日新聞には、教員赤化の組織網がほとんど全国に及んでいたことが報じられている。
文中の「エドキンテルン」というのは一九二二年にモスクワで設立された「教育労働者インターナショナル」の略称で、組織の思想的根底や世界的な戦術(資本主義打破、反帝・反戦運動、プロレタリア独裁の支持など)は、コミンテルンおよびソ連共産党が打ち出す基本路線(方針や指令)に完全と同調していた。

エドキンテルンの指令によって活動する新興教育講習会、全協の全日本小学校教員赤化運動、反宗教運動に連絡をもつ教員左翼運動など左翼陣営の魔手はあらゆる方面から全国中、小学校数員間に侵入し、しかも夏休を期し、躍進的な進展を示し、現に東京では四十余名の現職小学教員を取調べ十数名の男女教員を解職し、埼玉県でも既に数名の起訴収容者を出している。
文部省学生部が各府県に命じて調査したところによると教員赤化の組織網は全国に及び北海道、東京、京都、大阪、神奈川、兵庫、新潟、埼玉、千葉、愛知、岩手、秋田、沖縄三府九県からはいずれも数名乃至十数名の左翼教員を出し殆ど収拾のつかない状態にあり、この実情にいたく周章した文部省学生部では十八日午前九時から本省会議室に右関係各府県の視学官十八名を招集し、第一回思想問題対策地方教職員協議会を開催した。
『神戸大学新聞記事文庫』思想問題5-155
教員が赤化すれば、学生もその影響を受けることは言うまでもなく、学生の間で共産主義思想が拡がっていき、様々な団体が生まれていった。十二月二十日の東京日日新聞には次のように報じられている。

日本における共産主義運動は三・一五、中間検挙、四・一六及び田中清玄一派のいわゆる共産党行動隊の一斉検挙以来、その鋭鋒をおさめ潰滅したかにみえたが、共産党外廓運動としての無青(無産青年新聞)無新(第二無産者新聞)反帝同盟、モップル(赤色救援会)ナップ六団体、N・P・E(日本プロレタリヤエスペランチスト同盟)等の活躍は、執拗に且つ広汎に継続されている実情に鑑み、内務省警保局では警視総監をはじめ全国各長官に対し、これ等の一斉掃滅を指令した。果然共産党外廓運動の中心勢力である無青、無新の潜行運動の中軸が学生群であること発覚…
これ等各大学、専門学校の左翼組織は単に学徒として共産主義運動を研究するというようなものでは全然なく、完全に共産主義団体の組織の一班となっているもので従ってかれ等学生は共産主義運動の一員となって実際運動にたずさわっている。
かれ等は実際運動の一つとして自分の郷里に向って働きかける。地方各府県の左翼組織は最近では多くかれ等学生の活躍によって作られている。
『神戸大学新聞記事文庫』思想問題5-170
学生が赤化すれば、様々な職場に共産主義者が入り込むことになる。昭和七年二月十一日の東京朝日新聞には、陸軍幹部を養成する総本山である陸軍士官学校にも赤化分子がいて、四名が退学処分されたことが報じられている。

なぜ赤化分子が陸軍士官学校に入ることが出来たのであろうか。高橋洋平著『帝国陸軍―デモクラシーとの相剋』(中公新書)の「はしがき」によると、昭和改元前後の帝国陸軍の新兵の思想問題に対する態度も柔和なもので、当時は左翼思想、進歩思想の全盛期であり、兵隊にも左翼運動に関わりのある人物がたくさん入営してきたという。
AIに聞くと、当時の陸軍士官学校や海軍兵学校は学力試験と身体検査、身上調査(家族構成、健康、経歴など)が中心で、思想チェックは左翼対策に偏っていたようである。
無産派の多数が国家社会主義に転向
治安維持法が主に標的にしたのは「国体の変革」や「私有財産制度の否認を目的とする結社」であり、共産党系や革命的左翼が中心であったのだが、暴力革命を否定し、天皇を中心とする社会体制を認める場合は同じ左翼でも弾圧されることはなかったようだ。

昭和六年の満洲事変を契機にわが国でファッショ運動がおこり、昭和七年(1932年)の一月八日に昭和天皇の暗殺を狙った襲撃事件(桜田門事件)が起きた。犯人は「韓国人愛国団」に所属していた李奉昌であった。その事件から十日後に無産政党である社会民衆党までもが、コミンテルン的な社会民主主義を放棄してファシズムに正式に転向することを決定したことを大阪朝日新聞が報じている。

社会民衆党の動きが他の無産派に動揺を与えて、労農大衆党の有力団体が「国家社会主義」に転向を表明したことが、三月十三日の東京朝日新聞に出ているのだが、彼らの転向は本物であったのだろうか。彼らが暴力革命を否定し、天皇を中心とする社会体制を肯定したとしても、彼らが実現したい社会の理想までもすっかり変えたとは考えにくい。あきらめて転向した者もいただろうが、転向を偽装した者も少なからずいたのではないか。
血盟団事件と五・一五事件
二月九日には第二次若槻内閣時代の蔵相であった井上準之助が血盟団員にピストルで暗殺される事件があり、選挙後の三月三日には三井財閥の総帥・団琢磨が暗殺されている。血盟団は井上日召によって結成された右翼テロリストの集団だという。メンバーには東大、京大、国学院大の学生がいて、ピストルは海軍の将校から入手したとされている。

また五月十五日には海軍青年将校が、陸軍士官学校生徒や愛郷塾生らと協力し、内閣総理大臣官邸・立憲政友会本部・日本銀行・警視庁などを襲撃し、第二十九代内閣総理大臣の犬養毅を暗殺する事件が起きている(五・一五事件)。

この事件も右翼テロリストが起こしたとされているのだが、五・一五事件の首謀者が残した檄文(一部)には次のように書かれている。
…国民よ!武器を執つて立て(、)今や邦家救済の道は唯一つ「直接行動」以外に何者もない、国民諸君よ!
天皇の御名に於て君側の奸を屠れ!
国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ!
横暴極まる官憲を膺懲せよ!
奸賊、特権階級を抹殺せよ!
農民よ、労働者よ、全国民よ祖国日本を守れ!
而して、陛下聖明の下、建国の精神に帰り国民自治の大精神に徹して人材を登用して朗らかな維新日本を建せよ。民衆よ!…
五・一五事件「檄文」ウィキソースより
「天皇の御名に於て」と述べていることから首謀者は右翼だとされているのだが、彼らは天皇陛下の命令を受けたわけでもなく、陛下の意向を確認したうえでテロを実行したわけではない。彼らがやったことは、共産主義者がやろうとしていたことと同じ「政権の転覆」であったのだが、日本共産党員は「治安維持法」による取締が厳しく組織が壊滅的状況にあって動けなかった。そこで一部の共産主義者が右翼に転向を偽装して「治安維持法」違反による検挙を避け、テロを仕掛けたかということも考えられる。
Wikipediaにも書かれているが、血盟団事件も五・一五事件も、これだけの大事件でありながら、いずれも求刑よりもはるかに軽い判決が出され、特に血盟団事件の被告は恩赦により早期に出獄し復権を果たしており、四元義孝については近衞文麿(元首相)や緒方竹虎(元国務大臣)のブレーンとして活動しているのは極めて奇妙である。かなり裏がありそうなのだが、この点についての理由は未だに解明されていない。

当時のコミンテルンは共産主義者に対し、ブルジョアの軍隊に反対するのではなく進んで入隊して、内部から国家を崩壊させるように努め共産革命に導けと指導していた。またレーニンは革命を成就させるためであれば手段は問わないとも述べていた。多くの共産主義者は治安維持法によって大量検挙となるよりも、国家社会主義への転向を表明したほうがよいと考えたのではないか。そうでなければ、共産主義者が大量に国家社会主義に転向したことは考えにくいのだ。
当時の青年将校の思想状況について特別高等警察の宮下弘氏が皇道派の大物・真崎甚三郎を訪れ、その時真崎から聞いたことを『特高の回想』という本に書いていることが気になっている。
真崎大将が言った言葉が印象的であったので覚えているんですが、「君、世間は知らないんだが、二.二六事件の青年将校たちをふくめて、みんなアカなんだよ。統制派も皇道派もそんなものはありゃしないんだよ。アカがなにもかも仕組んでいろんなことをやっているんで、軍もアカに攪乱されているんだよ」というんですね。
宮下弘『特高の回想』田畑書店 1978年刊 p.153
「アカ」というのは共産主義や社会主義の思想に染まった者の隠語だが、陸軍大将であった真崎甚三郎が「軍もアカに攪乱されている」と言っていたことはかなり重大である。統制派とか皇道派とかに関係なく、陸軍大将の指示通りに動かない軍人が当時の陸軍に相当数いたと理解して良いだろう。
特高の宮下氏はテロを実行したメンバーの活動資金について、「軍や官庁の機密費であったり、テロをおそれる財界からの寄付金であったりして、かなり潤沢だったようだ(同上書p.156-157)」と書いているが、この点も重要である。
さらに、『ビルマの竪琴』を書いた竹山道雄も『昭和の精神史』で意味深なことを書いている。
インテリは天皇と祖国を否定したが、国防に任ずる将校たちは肯定した。ただし、彼らが肯定した天皇と国体は、既成現存の『天皇制』のそれではなかった。
私は一人の青年将校を知っていた。職業軍人ではなくて教師だったが、つねに激しい調子でブルジョアを攻撃していた。…中略…
この将校が熱心に説く国体明徴をきくと、そこに思いうかべられている一君万民の天皇とは、国民の総意の上に立つ権力者で、何となくスターリンに似ているもののように思われた。
竹山道雄『昭和の精神史』講談社学術文庫 p.47~48
そもそもスターリンのような人物を天皇に据えるという考えの持ち主は右翼のはずがないのだが、当時は「天皇制を肯定する」と主張していれば、警察からマークされることはなかったようなのだ。このような人物は少数であったことを信じたいところだが、将校クラスにいたことは間違いがないのである。
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