戦時だけでなく平時においても行われる「謀略戦」
戦後の日本では、どこかの国の謀略があったといった話はたいていの場合「陰謀論だ」とのレッテルが貼られて、それ以降国民の大半が思考停止に陥るパターンが多いのだが、かなり以前から世界の主要国で「謀略戦」が行われていたことは紛れもない事実であり、現在も同様なことが各国で行われていることを知る必要がある。山中峯太郎が以下述べていることは、今こそ日本人が学ぶべき内容ではないだろうか。
思想戦は、謀略戦の中の一要素である。
「謀略戦」とは、平戦両時(平時も戦時も)ともに、相手国の総合的国力を、あらゆる方面から崩してかかる裏面の一大工作なのだ。この「謀略」は既に昔から各国に用いられ、戦争のあるところに必然に謀略が暗躍し、世界大戦に於いて各国ともさらに大規模に組織した。しかも戦後から平時にわたり、今なお各国の間に激成されているのだ。国際謀略 ジュネーブの(国際)連盟を初め、二国以上の外交機関が集まるところ、必ず裏面の工作が行われる。ことに戦争勃発に際しては、積極的に馬力をかける。ドイツの謀略組織は伝統的に整備され、古く一八七〇年の普仏戦において、フランス国内に二万人以上の間諜を暗躍させ、辣腕なスチーベルがそれを統御していたことは、有名な事実である。近くは世界大戦に、英国アイルランドに暴動を起こすべく、米国内のアイルランド系米国人の同情を喚起して、英米間を離間しようとした。が、これは失敗した。
国際謀略に成功したのは英国だった。大戦の進捗するとともに、米国がいずれかに参加するか、中立を維持するかは、連合国側もドイツ側も全戦局の勝敗を左右するものとして、対米謀略に極力熱中した。その時、米国商船がドイツ潜水艦の為に撃沈されて、米国世論が激昂していた。この気勢を観て英国海軍の軍令部当局は、かねて探知していたドイツ海軍軍令部の特別暗号を用い、ドイツ潜水艦に米国ルシタニア号の撃沈を無電で密令した。英国の悪辣な謀略である。その結果、巨船ルシタニアが撃沈され、米国世論は対独開戦に沸騰して、遂に米国を連合国側に参戦させた。英国の謀略の成功である。…中略…
コミンテルンが、現在、支那と蒙古と満州国に「抗日」運動を使嗾し、同時にソ連が南京の五十㌔無電帯と呼応して、ハバロフスク無電帯から猛烈な反日宣伝を全世界に放送しているのも、国際謀略の一つである。
米国の作家バイウォーターに、英国が書かせた有名な「日米戦争」の煽動小説の宣伝も、米国の新聞二千のうち約七百の新聞社中に英人記者が活躍し、日米間の離間を策動しているのも、国際謀略なのだ。たとえばメキシコ西北海岸地方を買収するとの虚説を流布して、米国人の神経を尖らせた如き、また、英国の労働党、米国のC・I・O運動その他に日貨排斥を、あるいは日本抑圧の気勢を煽動するなど、いずれも対日謀略でないものはない。ソ連が今、支那政府の内部を侵食して抗日長期戦を支持策動しているのも、明白な国際謀略である。英国の対日支政策もまた然りだ。国際謀略は今後ますます対日抑圧を目標として、太平洋連合陣の結成と共に激化されることを、我々は予期しなければならない。
山中峯太郎著『日本を予言す』偕成社 昭和12年刊 p.66~69
英国船籍の豪華客船ルシタニア号がドイツ潜水艦の攻撃を受けて沈没した事件は一九一五年五月のことで、第一次大戦はすでにはじまっていたのだが、アメリカはヨーロッパ問題には介入しない外交姿勢を堅持していて参戦していなかった。ところが、ルシタニア号に乗っていた百三十九人のアメリカ人のうち百二十八名が犠牲となったことで世論が沸騰し、のちに第一次大戦にアメリカが参戦へと傾くきっかけとなったとされている。この事件については、ドイツが英国海軍省の暗号を解読できていて、ルシタニア号に大量の弾薬が搭載されていたことを察知して、ドイツの判断で爆破したという解説がなされているのが多いようだが、イギリスがマスコミにそのように報じさせて広めた可能性が考えられる。小説や映画ではドイツが悪者にされているようだが、その論拠はどこにあるのだろうか。もちろん、山中峯太郎のルシタニア号に関する見解が正しいかどうかもよくわからないのだが、いつの時代においてもどこの国でも、どこかの国の陰謀によってなされたことは、仕掛けた側の証拠が出てこない限り、何が真実かを判定することは難しいものなのである。わかっていることは、この事件がきっかけとなってイギリスが希望していた通りにアメリカが参戦に傾いていったということだけなのである。
またバイウォーターという人物はイギリス生まれで、一九〇一年に家族がアメリカに移住し、彼は十九歳の時にニューヨーク・ヘラルド紙に入ったのちにロンドンに海外特派員として派遣され、そののち英国海軍のスパイとなったという男である。彼が日米離間の為に書いた小説というのは、大正十四年に翻訳出版された『太平洋戦争:日米関係未来記』の事だと思われるが、その本で彼は、真珠湾の空襲は予測しなかったが、当時アメリカの植民地であったフィリピンやグアム島などを日本軍が占領することなどを描いている。
経済謀略に包囲され、弱点が掴まれていた日本
世界では通用する工作が、わが国で仕掛けることが難しいということもあったようだ。第一次世界大戦では、ドイツ軍がタンネンベルグの会戦において敵国のロシア軍に間諜を放ち、ロシア軍の前進配備と行動が無線でドイツ軍司令部に刻々通報されていたそうだが、軍紀の厳しい日本軍ではそのような工作は困難であり、敵は思想戦を仕掛けて戦線と国内銃後の隔離を計る工作を行うことを予測している。
また山中は、第一次大戦でドイツに仕掛けられた「経済謀略」で、物資が欠乏し価格が暴騰して全国民が非常に苦しい生活を余儀なくされたのだが、今のわが国はかつてのドイツのように経済謀略によって包囲されており、今後この情勢が深刻化することの覚悟が必要だと述べている。
日本はどうか。平時に於いても各国の関税政策の障壁は日本商品の進出に対し、封鎖状態を示している。これまた経済謀略の一つなのだ。ドイツ海軍ストース大佐は言う。
「日本の現在は、(第一次)世界大戦前のドイツに極めて似ている。隔離された孤立の状態、海外貿易に対する各国の抑圧、国内に於ける思想傾向、即ち国粋的勢力と外来勢力との妥協促進が、それである。かくて国家も国民も、世界を支配しつつある力の本質(英米ソ列国の包囲的制圧)を見極め得ない大なる危険が、かつてドイツに於ける如く日本に於いても発生してきたのだ。日本あるが故に、世界政策の指導者は、唯一の障碍である日本を滅却し尽くそうと、日に日に焦慮しているのだ。日本はかくして、日本の直面せる大なる危険を予期しているだろうか。」…中略……日本の資源は長期戦に堪え得るかについて、米国人のハニイゲンの観測の中に言う。
「一八七〇年の普仏戦争後、十回の近代戦争の中で、五回は八ヶ月から一年の間に終わっている。たとえば普仏戦は十ヶ月、米西戦は七ヶ月半、露波戦は十一ヶ月で終わり、一八九四年の日清戦は九ヶ月で終了した。これらの数字、特に日清戦の期間は重要である。なぜなら、対日制裁を仮想し得る日本の戦争は、疑いもなく日本と支那との戦争であるからだ。日支開戦の時に、日本は支那の指導者間の分裂を計算に入れなくても、両国比較上の支那の劣勢を考えただけで、支那の大部分の征服を、少なくとも一ヶ年以内には実現し得ると判断するに相違ない。この一ヶ年という数字は実に重大である。一ヶ年の期間は、連盟の制裁、鉄と石油の産出不足も、日本の直接障碍になり得ないからだ。一ヶ年の期間における補給準備は、日本国内に完整している筈である。信用し得る貿易新聞の「世界の石油」によると、
『過去数年間に日本海軍は、石油の貯蔵量を増加した。貯蔵量の正確な数字は発表されない。が、多分六百万乃至二千万バレルであり、それは一ヶ年に於ける工業および政府の全需要に該当する数量であろう。』
この貯蔵の上に普通民間の貯蔵量を加えると、少なくとも一ヶ年の全需要に応じ得ることは、何らの疑いもないことである。
日本は鉄鋼についても、同様の地位にある。…中略…かくて数ヶ月から一ヶ年にわたる戦争に、日本の戦時資源は脅威されない。日本の戦闘機構は北支の大部分の領域に於いて、ジュネーブとワシントンの諸協定から、何らのハンディキャップを受けることなく活躍し得るのだ。他からの障碍に易々と打ち勝ち、どっかりと腰を据えて、望むときに条約の談判を成し得るようである。」
ハニイゲンはさらに、「日本の弱点」について言う。
「しかしながら、長期戦に於いては、非常に異なる位置に日本が立たされるであろう。石油、鉄のほかに、なお絶対必要な原料物資の中のある物は、日本に不足しているのだ。日本は全国をあげて、この不足を補うべく躍起になっている。その様子は、はっきりと見えるようだ。短期間の戦争を遂行し得るのは疑いのない日本も、長期にわたる時、果たして耐え得るであろうか。ドイツは大戦中、あの如く持久し得たのだ。故に日本も種々の弱点があろうとも、長期戦を遂行し得るに相違ない、という意見は、かなり思慮を欠いたものである。…中略…
日本はその糧食の八パーセントを輸入に依っている。日本の領土である朝鮮と台湾からの移入は、約十パーセントにあたる。大戦前のドイツは約十五パーセントを外国に仰いでいた。即ち、外国と植民地から輸入が遮断された時、ドイツよりも日本の方が、なおさら危険な地位に立つのだ。この如き事態は、日本の場合に於いては、海軍が敗れるか封鎖された時に生じるであろう。かくして戦略的な資源の見地から、日本の地位を概括すると、日本は短期的に於いて世界を相手に十分に戦い得る。が、長期戦になると、事態は非常に変わるだろうことが判断される。
日本は小銃の原料である蒼鉛(そうえん)とアンチモニーが、致命的に不足している。ニッケルなしには、日本の軍需工業が不具になる。亜鉛、クローム、タングステン、マンガンの欠乏は、戦闘機械の製作のみのみでなく、製造機械の製造装置をまで停止させる。日本がたとえマンガンの多量を貯蔵し得たとしても、その必須の補助材料のしかも内地に不足している鉄なしには、マンガンだけでは大して効果がないのだ。
日本はそれに、石油を燃料とする海軍と機械化した将兵をもっている。その軍備に耐え、その点で比較的に恵まれている列国と角逐するためには、石油の豊富なる場所を、どこかに獲得しなければならない。また綿花を欠乏すれば、日本は全工業面に致命的変動を生じるだろう。この変動は労働争議を必ず誘発するであろう。いよいよ最後に、列国の対日制裁が発動し、しかも不幸にして日本海軍が予期に反して敗れ、諸港湾が封鎖される如き事態が起こったと仮定すると、日本は全く糧道を絶たれ、あたかも大戦中のドイツと同等の危険な状態に立つであろう。かかる状態の下に日本が持ちこたえ得るなどとは、到底、信じられないことだ。結局、英米などの強国による制裁、あるいは封鎖の下には、日本が遂に、敗北を免れ得ない運命にあるのだ。」
以上すべて外人の観測である。この観測の当否を判決するためには、的確な数量を列(なら)べなければならない。だが、その発表は許されないことだ。ただ我らが確信をもって言い得ることは、
同上書 p.71~81
「日本人は国難に直面する時、各自の献身と忍耐によって、長期戦を必ず遂行し得る奉仕的実生活を体現する国民だ。その結果は、数量以上の国力を発揮し、あらゆる外敵判断を覆すであろう。」
日清戦争は九ヶ月、日露戦争は一年七ヶ月で終わったのだが、大東亜戦争は三年八ヶ月かかっている。わが国の資源は乏しく、多くを輸入に頼らざるを得なかったために補給路を断たれると弱いとの米国人ハニイゲンの観測はそのとおりなのだが、日本人は「欲しがりません、勝つまでは」などのスローガンで消費支出を抑制したり、木炭自動車を開発したり石炭の液化によるガソリンの代替品を造るなどして軍に必要な石油が届くように協力するなど様々な工夫をして、アメリカが当初想定した以上に長い期間にわたり粘り強く戦ったのである。
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