戦後になってわが国に関する史実の多くが封印されたことは何度も書いてきたが、わが国とは無関係な史実についても多くが封印されている。たとえば「奴隷制」に関する問題がそうだが、戦前・戦中にはこの問題は普通に論じられていた。
福沢諭吉の婿養子で「電力王」の異名をとった福沢桃介が、実業界を引退したのちの昭和七年に『西洋文明の没落 : 東洋文明の勃興』を著し、「奴隷制」について次のように解説している。戦後の書物でこの制度について詳しく論じられることは少ないと思う。
奴隷は西洋の古代において、バビロニア、アッシリア、エジプト、ギリシャ、また降ってはローマ時代にも、言語のうえではすでに存在していたのであるが、中世に至るに及んで、宗教上の原因が主となり、これへ経済上の原因も加わって、この奴隷制度は中絶してしまった。しかも近代に至り、不思議にも再び復活するに至ったのは、前に述べた如く、海外に進出していた貿易業者の必要から生まれたものである、と観なければならぬ。これが即ち、いわゆる『近代奴隷(モダン・スレーブリー)』で、15世紀の中葉にその濫觴をおくのである。
1442年、ヘンリー親王が、アフリカの西北岸を探検しての帰りに連れてきたのが、ヨーロッパにおける奴隷再現の最初のものであるが、その当時は、単に好奇心を満足せしむるために、奴隷は蓄えられたというにすぎなかったのであるが、それがいよいよ大規模に取り扱われるようになり出したのは16世紀の末葉頃からである。
爾来17世紀、18、19世紀を通じてこの奴隷は、ヨーロッパ人により売買されていたのである。
奴隷売買は、なぜ非常に儲かったかと言えば、いわゆる近代奴隷は、古代における奴隷とは全く違っていて、全然その人格を認めず、人間を牛馬視するものであったからで、古代の奴隷は同じく『奴隷』と称せられても、その人格を認められ、なかんづくギリシャ時代は、王室の家庭教師なんかにさえ奴隷がいたのである。また、ユダヤの明君アブラハムの妃になった夫人も奴隷で、その間にできた子供が、王位についたということも歴史にある。さらに、エジプトの女王クレオパトラの侍婢達にも、奴隷は沢山にいたのである。…中略…
奴隷はよく言語を理解し、巧みに事を弁別して、大いに経済的価値を発揮するから、馬や牛に較べて、数倍の市価を生ずるに至るのは理の当然で、為に奴隷は非常に高い値段で売買されたのである。そこで、歴史的に『あの時代には奴隷はいくらした。この時代にはいくらであった』ということを記述してみたいのであるが、それには材料が乏しくて困る。蓋しヨーロッパの学者達は奴隷については書くことを嫌い、これを抹殺したがっているからで、ために奴隷に関する記録は、文献の上にほとんど残っておらず、これを探すにも、これを立証するにも困るほどである。
福沢桃介 著『西洋文明の没落 : 東洋文明の勃興』ダイヤモンド社出版部 昭和7年刊 p.36~39
わが国にキリスト教が伝来して以降ポルトガルとの貿易が開始されようになると、多くの日本人が奴隷として売られていったことは、ルイス・フロイスの記録をはじめ国内外で記録が残されている。そのことを理解した上で、当時のイエズス会の世界戦略を知らないと、なぜ秀吉が伴天連追放令を出し、徳川家康、秀忠、家光の時代にキリスト教を厳しく禁じたかを正しく理解することができないと思うのだが、戦後の教科書や日本史の通史にはこのようなことは書かれていない。
このテーマについては拙著『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』に出典を示して詳しく書いたので、興味のある方は覗いて頂きたい。戦前戦中においてはこのような史実を書いている本は少なからず存在したのだが、戦後になってからは長きにわたり、欧米にとって都合の悪い歴史はほとんど封印されたままの状態にあったと言ってよい。
福沢は、この本で当時奴隷がいくらぐらいで取引されているかについて述べたあと、どの程度の人数が取引されたかについてこう書いている。
アフリカ大陸において捕獲された奴隷の延べ人員は果たしていくらであったであろうか。イギリスやアメリカの学者たちは、流石に遠慮してこれを書いておらぬが、ドイツの学者たちは、ある程度の数字を発表している。同国で有名な植民学者チンマーマンの『植民史』、ゾンバルトの『近代資本主義』および『奢侈と資本主義』の両著中には、所々にその数字が載っている。
これらによると、18世紀の末頃アフリカにおいて、一年間約五十万人の奴隷が捕獲されたとのことである。もちろんその時分は奴隷捕獲の非常に盛んな頃であったから、これを標準として平均することはできないが、チンマーマンの数字とゾンバルトの数字を合わせて概略計算すると、アフリカ大陸において総計一億五千万人の奴隷が捕獲されたように思われる。
奴隷にされたのはアフリカ大陸の黒人ばかりではない。アメリカ大陸のアメリカインディアンも奴隷になったのである。初めコロンブスがアメリカインディアンを発見した時には、これを赤人または銅色人種と名付けた。これはコロンブスが発見した西インド諸島は、銅色の染料を産する土地で、しかも非常に暑い所であるから、土人はすべて裸身で生活し、その銅色占領を皮膚に塗りつけて、赤色にしていたのを、コロンブスの一行は、土人の皮膚の色が元来から赤いものであると思い違え「赤色人種」と名付けるに至ったのであるが、その実は赤くもなんともなく、なおかつ黄色人種である、ということが後年に至って判明したのである。
アメリカインディアンが、かく奴隷にせられた結果、その数は大いに減ることになった。元来アメリカインディアンは病原菌を持つことの非常に少ない民族であったに反し、世界中で最も多くの病原菌を持っているのはヨーロッパ人で、病原菌の巣窟であるといわれているほどであるから、そのヨーロッパ人によって植え付けられた病原菌は、非常なる勢いでアメリカインディアンに伝染し、…かなりの数が、この病原菌に犯されて病毒のために倒れ、従って奴隷として残った者は少ないのである。
また南洋諸島の褐色人種、すなわち普通一般に馬来(マレー)人と称せられている民族も、奴隷にされた。そのことはマルクスの『資本論』中の『近世植民地説』という編に出ている。それにはセレベス、ボルネオ、ジャバ等でのありさまが書いてあるが、かなり沢山の奴隷が捕獲されている。即ちアフリカの黒人ばかりでなく、東洋人たる南洋諸島の褐色人も…インドの海岸あるいはインドシナ半島、シナ海岸などで莫大なる数が奴隷にされている。
こうして全世界において概算三億以上の者が――すなわちアフリカの黒奴だけで一億五千万、それから来馬人其の他を合算して三億以上の者が、ヨーロッパ人のために奴隷にされ、ヨーロッパ人に莫大なる金もうけをさせてやったということになる。
(同上書 p.42~44)
それから福沢は、ヨーロッパの近代文明は奴隷制度のたまものであると書いたのち、産業革命後には奴隷制度が衰退し、代わって近代的工業組織が勃興して、諸原料や食糧の確保、販路拡大のためヨーロッパは勢力範囲の拡張を図り、十九世紀には世界大陸の九分の八がヨーロッパ人が支配することとなり、二十世紀の初頭にはさらに極東の分割問題まで進んでわが国も分割される可能性があったことに触れている。戦後はこのような観点から書かれた歴史書は皆無と言ってよく、ページ数が92とそれほど長くないので、興味のある方は一読を勧めたい。
GHQに焚書処分された書籍の中から、タイトルに「西洋」「欧州(洲)」「欧米」を含む64冊をリスト化した。内容については戦前・戦中の日本人が欧州・欧米の情勢や歴史を解説した本が大半だが、日本の歴史とは関係が薄いはずの西洋の歴史について、なぜ戦勝国は戦後の日本人に読ませないようにしたのか、どのような史実を彼らが隠そうとしたのかを知るきっかけとなれば幸いである。
「国立国会図書館デジタルコレクション」で19冊がネットで公開されている。
タイトル | 著者・編者 | 出版社 | 国立国会図書館デジタルコレクションURL | 出版年 |
裏から見た欧州の外交戦 | 長谷川了 | 今日の問題社 | ||
欧洲広域国際法の 基礎理念 | 安井郁 | 有斐閣 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1269826 | 昭和17 |
欧洲広域圏の建設 | 東京かぶと新聞社編 | 東京かぶと新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1439279 | 昭和17 |
欧洲情勢と支那事変 | 本多熊太郎 | 千倉書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1261509 | 昭和14 |
欧州戦局の推移 | 欧亜通信社 編 | 欧亜通信社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438859 | |
欧州戦争をどうする | 石丸藤太 | 国民新聞社 | ||
欧州戦争を繞りて 列国の態度並軍備比較 | 小山与四郎編 | 海軍有終会 | ||
欧州戦と青年 | 浜田常二良 | 潮文閣 | ||
欧州戦乱の真相 | 原田瓊生 | 原田瓊生 | ||
欧州大戦 上 | 仲小路彰 | 世界創造社 | ||
欧州大戦史の研究 第一巻 | 石田保政 述 | 陸軍大学校 | ||
欧州大戦における 仏軍自動車の作戦輸送 | 大谷清磨 | 菊池屋書店 | ||
欧州大戦に於ける 独逸空軍の活躍 | 陸軍航空本部 | 軍事界社 | ||
欧洲大戦の見透し | 渡辺翁記念 文化協会 | 渡辺翁記念 文化協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1036265 | 昭和14 |
欧州大戦をめぐる 列強戦備の全貌 | 篠原武英 | 人文閣 | ||
欧州大動乱と東亜連盟 | 田中直吉 | 立命館出版部 | ||
欧州動乱読本 | 太平洋協会編 | 豊文書院 | ||
欧州動乱と貿易対策 | 大阪市産業部 貿易課 | 大阪市産業部 貿易課 | ||
欧州動乱と次にくるもの | 三島康夫 | 今日の問題社 | ||
欧州に戦雲漲る | 松下芳男 | 小冊子書林 | ||
欧州の運命 | 重徳泗水、 丸山政男 | 高山書院 | ||
欧州の危機 | アンドレ・ジーグフリード | 香川書店 | ||
欧州の現勢 戦局の展望と地政学 上 | 金生喜造 | 古今書院 | ||
欧州の現勢と独英の将来 | 山本實彦 | 改造社 | ||
欧洲の現勢と準戦時経済 | 武藤孝太郎 | 武藤孝太郎 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1440427 | 昭和12 |
欧州の宣伝戦とは 戦争は戦争でない | 山口勝治 編 | 厚生書院事業部 | ||
欧洲はどう動く | 朝日新聞社 編 | 朝日新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100322 | 昭和10 |
欧洲を繞る世界情勢 | 白鳥敏夫 | ヨーロッパ問題研究所 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1462801 | 昭和15 |
欧米一見随感 | 古井喜実 | 良書普及会 | ||
欧米外交秘史 | 榎本秋村 | 日本書院出版部 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268550 | 昭和4 |
欧米勢力の東洋進出 | 太平洋問題調査部 | 日本国際協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1280854 | 昭和14 |
欧州大戦史の研究 第二巻 | 石田保政 述 | 陸軍大学校 | ||
欧州大戦と 日本産業の将来 | 小島精一 | 千倉書房 | ||
欧米の動きと支那事変 | 鶴見三三 | 岡倉書房 | ||
欧米より祖国へ | 三富秀夫 | 鉄道時報局 | ||
危機に立つ欧州 | 星野辰男 編 | 朝日新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1261454 | 昭和12 |
危機の欧洲 | 河相達夫 述 | 日本青年外交協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1100094 | 昭和14 |
決戦迫る欧州戦局 | 甲斐静馬 | 甲斐静馬 | ||
国民主義と欧米の動き | 蜷川新 | 日本書院出版部 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1172063 | 昭和6 |
今日の欧州 | 加瀬俊一 | 東京日日新聞社 | ||
最近の欧米教育 | 星野華水 | 数学研究社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1075972 | 昭和8 |
新欧羅巴の誕生 | 山本實彦 | 改造社 | ||
西洋戦史 欧州大戦 下ノ1 | 仲小路彰 | 戦争文化研究所 | ||
西洋戦史 欧州大戦 下ノ2 | 仲小路彰 | 戦争文化研究所 | ||
西洋文明の没落
: 東洋文明の勃興 | 福沢桃介 | ダイヤモンド社出版部 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130737 | 昭和7 |
戦時欧州飛脚記 | 斎藤祐蔵 | 清水書房 | ||
戦争史. 西洋古代篇 | 伊藤政之助 | 戦争史刊行会 | ||
戦争史. 西洋中世篇 | 伊藤政之助 | 戦争史刊行会 | ||
戦争史. 西洋近古篇 | 伊藤政之助 | 戦争史刊行会 | ||
戦争史. 西洋近世篇 | 伊藤政之助 | 戦争史刊行会 | ||
戦争史. 西洋最近篇 | 伊藤政之助 | 戦争史刊行会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1221129 | 昭和15 |
旋風裡の欧米 | 岡田忠彦 述 | 中央朝鮮協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099529 | 昭和11 |
大東亜経済と欧州新経済 | 桑原晋 | ダイヤモンド社 | ||
第二次欧州戦は 何れが勝つか | 関根郡平 | 健文社 | ||
第二次欧州大戦の 経済的影響 | 勝田貞次 | 景気研究所 | ||
第二次欧州大戦の研究 | 清沢 冽 | 東洋経済出版部 | ||
第二次欧州大戦史略 | 原田瓊生 | 明治書房 | ||
第二次欧州大戦と ドイツの経済力 | 南満州鉄道調査部編 | 博文館 | ||
第二次欧州大戦と ヒットラー総統 | 松山悦三 | 不明 | ||
第二次世界大戦の勝敗 第一部欧州大戦の巻 | 石丸藤太 | 刀江書店 | ||
独逸の戦争目的
: 欧州新秩序の輪郭 | 景山哲夫 | 大同印書館 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1459237 | 昭和16 |
動乱欧州を衝く 独乙の欧洲新秩序建設 | 長谷部照俉 | 誠文堂新光社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1044294 | 昭和16 |
ナチス経済と 欧州の新秩序 | 小穴 毅 | 朝日新聞社 | ||
訪欧所感第一次 | 加藤完治 | 地人書館 |
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ブログ活動10年目の節目に当たり、前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、2019年4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しています。
通説ではほとんど無視されていますが、キリスト教伝来以降ポルトガルやスペインがわが国を植民地にする意志を持っていたことは当時の記録を読めば明らかです。キリスト教が広められるとともに多くの寺や神社が破壊され、多くの日本人が海外に奴隷に売られ、長崎などの日本の領土がイエズス会などに奪われていったのですが、当時の為政者たちはいかにして西洋の侵略からわが国を守ろうとしたのかという視点で、鉄砲伝来から鎖国に至るまでの約100年の歴史をまとめた内容になっています。
読んで頂ければ通説が何を隠そうとしているのかがお分かりになると思います。興味のある方は是非ご一読ください。
無名の著者ゆえ一般の書店で店頭にはあまり置かれていませんが、 お取り寄せは全国どこの書店でも可能です。もちろんネットでも購入ができます。
内容の詳細や書評などは次の記事をご参照ください。
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