松岡洋右は明治十三年(1880年)に廻船問屋の四男として山口県に生まれたが、十一歳の時に父親が事業に失敗して破産してしまい、十四歳の時にアメリカに渡り、働きながら学校に通った。彼は著書に「アメリカでルンペンをやりました」と書いているが、早朝から薪割りを命じられるなど、使用人としてのノルマをこなしながらの通学であったという。
少年時代の米国留学時に日清戦争が勃発した時の体験
今回紹介したい本は、昭和十一年に松岡洋右が中国の大連で、小学校の生徒と父兄に対して講演した内容を書き起こした『少年に語る』という本の一節であるが、彼がアメリカに渡ってしばらくして日清戦争が始まり、その頃の体験について述べている部分がある。
日清戦争が始まりますと、多くの人は、日本という国があることを知らぬのであるから一体どういう戦争が始まったのだろうかという訳なのである。そうすると、支那に日本と名の付く省が、即ち地方が一つある、それが支那の中央政府に反旗を翻した、それが日清戦争というのだ、こういう話をしてた人もあった。…日本人ははじめから俺の国は偉いと思って自惚れているけれども、アメリカやヨーロッパでは、日本という国は何処にあるか知らないものが多かったという有様でありましたが、さてそれからどうなったか。
私は十五歳でありましたが、子供心にも残念でもあり心配でもありました。日本という国があるということを知っている者でも、多くは支那というあの大きな国の脇に、海の中にちょこっとした日本の島がある。第一これを見ただけでこれは戦(いくさ)にならぬ。かわいそうに今に支那にひどい目にあわされるぞという見方であった。まるで提灯に釣鐘だ。日本というやつは馬鹿なやつで、あんな大きな国にどうして食ってかかったかというような話。私は日本人でありますからそうは思わぬが、こういう米国の中にいると子供心にもつい心配であった。
それから毎日新聞を見ると、天津とか上海とかいう所から来る戦争の電報が載っている。大概日本軍が負けたという電報です。とうとう鴨緑江を渡る戦の時に私は余り心配だから支那人の町に子供ながら行ってみた。それは支那人の町に行きますと、漢文で戦争の電報が掲げられていたからである。今でも覚えておりますが、鴨緑江の戦いは支那の軍が大勝である。日本軍は大部分撃滅された。その日本人の血で「鴨緑江は為に紅(くれない)になっている。そうして、その鴨緑江の河に充満している日本の将卒の屍、山の如くであって、為に徒して渉るべし」と書いてある。えらいことだ、支那の兵隊が、日本人の屍で鴨緑江が埋まっているので、その上を歩いて渡る事が出来ると書いてある。これは例の漢文、「白髪三千丈」の類いとは思うたが、それでもそれを読むと余り好い気持ちはしなかった。そんなに負けた訳はあるまいと思うが、兎も角それが鴨緑江の戦いの第一報である。
これは少し挿話的のことでありますが、面白いことには、始めは頻々として支那から来る電報が先、日本から来るのは何時でも遅れる。先に支那から来た電報では、何時でも日本が負けている。二三日するとやっと、日本から新聞電報が来る。それによると支那の電報は嘘ということになっている。そこで後には私どもは、上海や天津から日本軍がひどく負けたという電報が来ると、それは必ず支那の軍隊がひどく負けたということであるとして、安心するようになった。 驚いたのはヨーロッパ人とアメリカ人、日本はその後連戦連勝、牙山という所に於いて本当の戦らしい戦があった。これば世界を第一驚かした。それからそのうちに従軍記者から日本が勝ったという電報が来る。そうすると、最初に見くびっていただけに反動を起こして、あべこべに極端に走って、日本軍はすてきに強いということになりました。
ある外国の従軍記者の電報の中に、日本軍の行動は、まるで時計の機械みたいだ。きちっとして一分の狂いもなく、きちきちと動いている。これには支那の兵隊も敵うはずがない、というようなことが書いてありました。それくらい今度は西洋人が驚いた。数は日本軍は必ずしも多くない。支那の兵隊はなかなか多い。その頃の支那の軍隊は、今から考えると名将軍が海軍にも陸軍にもいた。海軍なんかは支那の軍艦の方がずっと大きかった。日本の軍艦は小さかった。軍艦の大きい小さいから言ったら、日本は負けるのが当たり前。それが勝つ、何べん戦っても勝つ。ここに於いて世界が非常に驚いたのであります。というと、あなたがたはすぐ早合点して、それは日本の強いのには驚いたろうと鼻を高くなさろうが、そうじゃない。実はあまりに支那が弱いのに驚いたのです。
それまでは欧米の強い国でも、支那を侵しては参りましたけれども、半分は怖がって居った。あの大きな図体の国。その頃でも三億以上も人口があった。そうして四千年の歴史をもっている。…それであるからして、この頃は保守的で頑固で改めぬからよほど遅れてはきたけれども、しかしなかなか底力のある国であるとこう思っていた。この象が目を覚まして飛び上がったら大変だ、大ごとになるかも知れぬぞ、これが当時欧米人の想像してた支那であって、欧米は密かに半ば怖がっておったのであります。ところが、小さな日本と太刀打ちしたら、たわいもなく負けた。それじゃこれは象じゃないぞという話になった。…中略…さあ、それから大変なことが始まった。それまでは余り支那をいじめたりなんかするとどんなことになるかも知れぬと思うて、少々こわがっておったのが、日本と戦をしてみればたあいもなく負けたのである。
(松岡洋右『少年に語る』日本両親再教育協会 昭和11年刊 p.11~18)
ハハアこの象の足は土で出来ている。だからてんで起ちあがる事が出来ないのだ。それじゃ殺してしまおうか。そして皆が寄って体をバラバラに切って分けようじゃないかということになった。…そうするとどうも日本はたまらぬことになった。支那には勝ってみたけれども、ヨーロッパやアメリカの強い国が、支那にどんどん出っ張って来て、すぐお隣の支那を殺して、そうして分けてしまい、そこに自分の国の出張所を出してくれた日には、日本はたまらぬ。日本はそういうことを起こさすために戦をやったのでも何でもない。…
どの国にせよ、為政者にとって都合の悪いことは自国民に伝えないことが多いのだが、中国という国の報道は昔も今も同様で、嘘を平気で広めるところがある。しかし、嘘であることは他国の報道ですぐに明らかとなる。
欧米は日本の強さよりも支那のあまりの弱さに驚いて、それまで控えていた支那の分割を開始している。
日清戦争後下関条約で日本に割譲された遼東半島は、ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉によって清国に返還を余儀なくされ、この三国干渉の見返りにロシアはシベリア鉄道に接続しウラジヴォストークにいたる東清鉄道の敷設権を清国より獲得し、ドイツは中国で起こった宣教師殺害事件を口実に山東半島南西の膠州湾を占領し、1898年に99年間の期限付きで租借して青島市を建設し、ドイツ東洋艦隊の基地にしている。
すると再びロシアが清国に迫り、遼東半島の旅順・大連を租借し、不凍港を獲得。それを見て、1898年に香港の対岸九龍半島と山東半島東端の威海衛をイギリスが、1899年に広州湾をフランスがそれぞれ租借した。
このように欧米列強が相次いで清国を食い物にしたことから、中国でキリスト教の排斥と扶清滅洋を唱えた義和団が蜂起することになるのだが、戦後の歴史参考書はいまだに戦勝国を忖度しているようなところがあって、理解しづらいものとなっている。その時代に西欧がいかなる動きをしたかについては、戦前の本の方がはるかにしっかり書かれているのでよく理解できる。
国際連盟脱退について
松岡は1933年(昭和八年)にジュネーブの国際連盟会議に全権大使として出席し,日本軍の満州撤退勧告案が42対1、棄権1で採択されたことに抗議し、議場を退場したことが教科書などで記されて、「こうして日本は、国際協調路線から大きく方向転換して、孤立化への道を進んだ」などと書かれているのだが、当時は西欧以外の国々は日本とタイを除いてすべて西欧の植民地であった。しかも肝心のアメリカもソ連も国連に参加しておらず、主要国が中国大陸に食指を動かすために国連を利用して日本に圧力をかけていた側面も見逃せない。
松岡がこの年に青少年に対して講演した内容が書き起こされて『青年よ起て : 世界変局と大和民族の使命』(GHQ焚書)という本に纏められている。その一節を紹介しよう。
日本人は当然第一義的に考えて見なければならぬ自分の国の利害関係を、ともすれば棚に上げる傾向がある。満州事変があれ程やかましくなった一つの理由はここに存する。かような傾向を助長させてきた一つの根性は、属国根性である。而して多くこの根性は無意識的に持ってるのであって、それは無理はない事である。日本は八十年前世界と交通を始めた。そして外国の進歩に驚いて、やみくもその模倣に浮き身をやつした。教育まで模倣した。そしてただ欧米を偉い偉いと思い込んで、遂にそれが潜在意識となったのである。殊に国際関係に於いては、欧米でやることには「長いものには巻かれろ」「御多分に洩れまい」等という考え方で、お付き合いをするのである。満州問題の如き一面から見ると、この心理作用の産物である。
今より十五年前に、パリで欧州大戦の終局を告げるための講和会議が開かれ、十四年前に欧州の平和は形の上に一応は回復された。
欧米各国は、それぞれ自国の利益本位で方針を樹て、ともかく大戦後に処すべく一生懸命に努力して来た。然るに日本はどうしていたか。
一九二二年、ワシントン会議に於いて日英同盟は破棄された。日本丸という船にとって日英同盟は国際の海を乗り切る舵であった。その舵が無くなった。しそて舵のない船が波のまにまにフラフラして漂っていた。世界五大国の一つとなり、海軍に関する限り三大国の一つとなった日本が、舵をなくしてただ風のまにまにフラフラしていたということは驚くべきことである。もしかような暢気な国が欧州にあったとしたら、とっくの昔に行方不明になってたろう。幸いに極東のはてに国があるので、まあ今日まで行方不明にもならずに済んだのであろう。こういうと、諸君はそんなことはないというかも知れないが、それは欧州の事情を知らぬからである。この十数年間、太平な顔をしていられたのは主として地理的関係のお陰である。一体、パリ講和会議以後、十四年間何をしていたか。「長いものには巻かれろ」「御多分に洩れまい」という属国根性以外に、わが国に如何なる方針なり識見があったか。九ヶ国条約について述べれば、日英同盟を破棄されてびっくりした。とっくに破棄される運命のものであったという事さえ予知または予想し得なかったのだ。私は現に講和会議から帰って、遠からず日英同盟は破棄されると言ったが、当時ほとんど信ずる者が無かった。いわば英帝国の瓦解を防ぐに相当大きな役割を勤めたばかりの日本を、英が捨てるなどいうことは到底日本人の頭に浮かびもしないことである。しかし国家の実際を見ると、日本人からこれを見れば意外なことがしばしば平気で行われるのである。心中をいたしかねぬ日本人には、欧州戦争がやっと終わったばかりに、自分を救ってくれた同盟国日本を見捨てるという気持ちは到底了解できぬのである。もっとも西洋人には心中ということは解らぬ。日本人にしか分らぬ。この心理がよく究められぬ以上、大和民族なるものはよくわからない。
ところがわれわれにもまた西洋人の考え方、動き方がよくわからぬ。日英同盟が破棄されて踊朗他。この面くらった心理状態で以て、日本の利害を慎重に考えないで、御多分に洩れないという心理作用が主となって、九ヶ国条約に印判をおしたのである。また国際連盟もアメリカのウィルソン大統領が提唱したのだ。それにもかかわらずそのアメリカは終に加入しないと言い出した。ここに非常な差が起こって来たのである。しかるに日本はお構いなしである。パリで国際連盟に入ると言うたのだから仕方がないとでも考えたか、兎も角、アメリカもロシアも入らない国際連盟に入った。元来ロシアもアメリカも入らない国際連盟はすでに世界的ではなく、主として欧州の連盟となったのであって、東洋の日本にはあまり深い関係はないのである。そんな国際連盟などには日本は最初から入るべき筋合いではなかった。最初からこの足の踏み出しが間違ったために、十三年後に満州問題に関連して祟ったのだ。最初から連盟に入りさえしなかったら、この二年来あんなにこづかれはしなかったろう。これは一例であるが、何事によらず、足を踏み出す前に自己本位によく考えて見るが良い。熟考を欠いたのである。
(松岡洋右著『青年よ起て : 世界変局と大和民族の使命』日本思想研究会 昭和八年刊 p.92~96)
わが国の外交姿勢は昔も今も大国に追従することばかりで、どこまで国益を考えているか疑問に思うことが多いのだが、昨年来米中対立が鮮明化している状況では八方美人的な外交姿勢はもはや通用しないと思う。下手をすれば欧米から制裁を受けたり日米同盟が破棄されることもありうるのだが、日本人は「同盟」が解消されることはないと安易に考えているのか、国会では憲法改正の議論は何も行おうとせず、世界が中国を非難している状況下にもかかわらず、対中非難決議も止められてしまった。
そんなあいまいな態度を続けていてわが国は大丈夫なのか。日英同盟が簡単に破棄された歴史を忘れてはいけない。
松岡洋右の著作リスト
敗戦後松岡はA級戦犯容疑者としてGHQに逮捕されたが、結核が悪化したため東京裁判に出廷したのは一度だけで、その罪状認否は全被告人中ただ一人英語で無罪を主張したそうだ。公判中の昭和二十一年六月に死去したので、彼の著作はすべて著作権保護期間が満了しているのだが、国立国会図書館では11点はデジタル化されているにもかかわらず、ルール通りにネット公開がなされていない。
松岡がジュネーブの国際連盟会議で行った講演集『松岡全権大演説集』も、国立国会図書館のデジタル化資料送信サービスに参加している図書館に行かないとアクセスできない現状にある。
タイトル (*太字 はGHQ焚書) | 著者・編者 | 出版社 | 国立国会図書館URL | 出版年 |
Address of the Hon. | 松岡洋右 著 | 文成社 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和8 |
An address on Manchuria, its past and present and Reply to Prof. Shuhsi-Hsu’s criticisms and observations | 松岡洋右 著 | 不明 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和4 |
Building up Manchuria | 松岡洋右 著 | The Herald of Asia | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和13 |
Die Bedeutung des deutsch- japanischen Abkommens gegen die Kommunistische Internationale | 松岡洋右 著 | Nippon Dempo Tsushin-sha | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和13 |
Economic co-operation of Japan and China in Manchuria and Mongolia : its motives and basic significance | 松岡洋右 著 | 中日文化協会 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 不明 |
Japan’s case as presented before the special session of the assembly of the League of Nations | 松岡洋右 著 | Japanese Delegation to the League of Nations | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和8 |
動く満蒙 | 松岡洋右 著 | 先進社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272734 | 昭和6 |
*興亜の大業 | 松岡洋右 著 | 第一公論社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453861 経営科学出版より復刊 | 昭和16 |
最近の滿洲國事情 | 松岡洋右 述 | 日本經濟聯盟會 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和11 |
支那南方革命の實地踏査 新日本同盟パンフレツト ; 11 | 松岡洋右 述 | 新日本同盟 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和2 |
少年に語る | 松岡洋右 著 | 日本両親再教育協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276601 | 昭和11 |
昭和維新 : 道義日本確立の急務 | 松岡洋右 著 | 第一出版社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1239490 | 昭和13 |
樞軸國に使して | 松岡洋右 述 | 葛城書店 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和16 |
須らく堅忍持久せよ | 松岡洋右 述 | 国民精神総動員 中央聯盟 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1034284 | 昭和13 |
*政党を脱退して日本国民に訴ふ | 松岡洋右 述 | 大阪毎日新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448607 | 昭和9 |
*青年よ起て : 世界変局と大和民族の使命 | 松岡洋右 著 | 日本思想研究会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447743 | 昭和8 |
世界の変局と日本の覚悟 | 松岡洋右 述 | 帝国在郷軍人会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445766 | 昭和9 |
第五十九議會に於ける 國務大臣に對する余の質疑 | 松岡洋右 著 | 東方公論社 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和6 |
太平洋会議における二講演 東亜小冊. 第4 | 松岡洋右 述 | 東亜経済調査局 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1193192 | 昭和4 |
大陸の青年に與ふる書 : 松岡前總裁記念出版 | 松岡洋右 著 | 滿鐵社員會 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和16 |
天皇政治と道義日本 | 松岡洋右 著 | 政党解消聯盟 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1455495 | 昭和10 |
*東亜全局の動揺 : 我が国是と 日支露の関係・満蒙の現状 | 松岡洋右 著 | 先進社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1466075 経営科学出版より復刊 | 昭和6 |
独伊蘇の情勢と我現状 | 松岡洋右 著 | 国民教育研究会 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和16 |
なぜ既成政党の解消を叫ぶか? : 一年の行脚を了りて | 松岡洋右 著 | 政党解消聯盟 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1455633 | 昭和10 |
何が危機か? : 青年よ祖国を見直せ | 松岡洋右 著 | 松岡後援会本部 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1455581 | 昭和9 |
*日独防共協定の意義 第一出版時局叢書. 第1 | 松岡洋右 著 | 第一出版社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268211 | 昭和12 |
日本孤立せず : 国際聯盟脱退一周年 | 松岡洋右 述 | 東京日日新聞社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1455430 | 昭和9 |
日本民族の理念 : 松岡洋右大獅子吼集 | 松岡洋右 著 | 岡倉書房 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和16 |
非常時局に直面し 松岡洋右氏の憂国の叫び | 松岡洋右 著 | 久留米市・ 佐賀市有志 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1455128 | 昭和9 |
*非常時とは何ぞや | 松岡洋右 著 | 政党解消聯盟 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和9 |
*非常時に際し全国民に愬ふ : 一国一党論・政党解消論 | 松岡洋右 著 | 文明社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452417 | 昭和9 |
松岡外相演説集 | 松岡洋右 著 | 日本国際協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1439012 | 昭和16 |
*松岡全権大演説集 | 松岡洋右 述 | 大日本雄辯会講談社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和8 |
満洲国の建設と日本人の努力 | 松岡洋右 述 | 日満実業協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1272729 | 昭和11 |
*満鉄を語る | 松岡洋右 著 | 第一出版社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257839 | 昭和12 |
滿鐵生成の恩人小村壽太郎侯 : 小村侯銅像建立記念出版 | 松岡洋右 述 | 飫肥毎日新聞社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和13 |
滿蒙に於ける日支經濟提携の根本義 満蒙パンフレット | 松岡洋右 著 | 中日文化協会 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和4 |
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