経済力がなければ戦争は出来ない
前回は陸軍省つわもの編輯部が著した『思想戦経済戦』の「思想戦」に関する内容の一部を紹介させていただいたが、今回は「経済戦」について書かれている内容の一部を紹介させていただく。

破壊力の強い武器が開発されて戦場の範囲も広がり戦術も変化して、戦争の規模がどんどん拡大して、戦争のために必要な資金が大幅に増加していった。経済力がなければ戦争が出来ないのはいつの時代も同様だが、必要とする資金が昔とは比較にならない。
日露戦争(548日間)で両軍合して約四十億円、一日平均にして見ると約七百万円余であり、(第一次)世界大戦(1556日間)では、驚く勿れ二千八十三億五百万ドルを要し一日平均額に一億三千三百八十八万ドルという膨大な数字を示している。
戦争が、この樣に大規模になっては、とても中途半端の準備で戦争をやるというわけにはいかない。のるか、そるか、真に国を賭して戦う場合にのみ、こうした大規模の戦争が行われるのである。殊に今日の世界の情勢は政治的にも経済的にも世界各国が、複雑な関係を結んでいるのであるから、将来戦は単に一国と一国とのものではなく、一国対数国、数国対数国さらに所謂世界大戦になる可能性が多いので、いざ戦争となれば、いやが応でも、この膨大なる数字の中に手足を動かすのであって、戦争こそはあらゆる事業の中で最も莫大な資本を要するのである。
欧州大戦(第一次世界大戦)当時、ドイツでは一日平均一億乃至一億三千萬マルクを国庫が支払っていたという事である。つまりこれだけの金が軍需品供給者に、官吏軍人に、労働者に分配されたわけである。
逆にいえばこれだけの金が一日平均なければ戦争が続けられなかったという事になる。もう一つ遡れば、これだけの金を用意しなければ戦争を開始する事は出来なかったといえるのである。
世界大戦で既にそうであった。将来もしも、第二の世界大戦の如きものが起ったとするならばもっともっとその額は上るに違いない。
(『思想戦経済戦』軍事科学社 昭和9年刊 p.79-81)
日露戦争の両軍の戦費が約四十億円とあるが、AIに現在価値を尋ねたところ数兆円から十六兆円と回答が返って来た。また第一次世界大戦の両軍の戦費の二千八十三ドルは、現在価値にして約七百兆円前後という。ついでに第二次世界大戦の直接戦費を聞くと、主要参戦国で約一兆三千億ドルで、現在価値にして三千五百から四千三百兆円という回答であった。
敵国の弱体化を図るための経済戦
大規模な戦争を遂行するためには、人員動員、戦艦、戦闘機、兵器などの調達で巨額の戦費が必要になることは言うまでもなく、戦争が長引くと結局のところ経済力の強い国が最後に勝利を得る結果になる。そのために、特定の国を弱体化させるために、平時から経済戦が仕掛けられることが多い。
昔から敵の糧道を絶つといって、武力を用いずして敵を屈服させるにこの方法を用いた実例が多くあるが、 これなども経済戦の一つであって、 その他金融を絶ち貿易を絶つ等敵の所謂兵站力を減少させるのは皆この経済戦の現われである。
経済封鎖という言葉が近代戦に用いられているが、 これは全面的に行う経済戦であって、かつてドイツは欧州大戦に於てこの経済封鎖の圧力のために敗戦の苦盃を嘗めさせられたが、 その困難は思い餘るものがあるであろう。
つまり国の懐具合を極力低下させて、戦争するにもせられない状態にしむける事が、今日の各国の政略であって、現在の世界は如何にすればその目的を達し得るかに腐心しているのである。
経済戦はその一つの手段である事はいうまでもなく、 その最も重要な役割を持っている事も無論である。
けれども、 考えて見れば、 他国の 具合を悪くして反対に自分の 具合をよくするのが各国の行う経済戦の立て前であるから、 何としてもそれは無理な話である。
おまけに自分の懐具合がよくなれば、他人の貧乏につけこんでその上に足腰も立てない様にしておこうというのが人間の浅間しさで、国と国との間でもやはり、利己に邪魔になる国はなるべく貧乏させて、 その上に而もどかんと一つ頭を撲っておけばよけいな心配をしなくてもすむと考えがちである。
だから日本はどうしても、 この経済戦に負ける事は出来ないのである。
出来るだけ懐具合をよくして、他国から喧嘩を吹きかけられても、直ちにはね返すだけの用意をしておかなければならない。
(同上書 p.90-91)

支那は自国が日本から一方的な軍事侵略を受けている被害者であると世界に喧伝し、「国際連盟規約第十六条」を用いて世界規模で日本を経済的に干上がらせようとしたことが昭和七年一月十日の大阪朝日新聞に報じられている。その後国際連盟はリットン調査団を出して、日本の行動を「自衛とは認められない」と非難しつつも「侵略国」とまでは認定せず、十六条の発動(経済制裁)は見送られた。
ブロック経済

経済制裁が見送られると、今度は主要国が経済ブロックを作り、日本に高い関税を課すことによって、日本が開拓してきた商圏を奪い取ろうと動き出した。
日本のみでなく世界各国は今日、 そのために経済ブロックを形成して将来戦に於ける経済封鎖に備えるとともに、これによって平時に於ける経済戦を有利に展開している。
人間はバンのみでは生きられないが、 同時にバンなくしては又生きられない。
国家も同様で、経済力のみで国家の発展は遂げられないが、経済力なしには国力の発展は期し得られない。
ところが、欧州戦後の世界の不景気によて、各国ともこの経済力が非常に弱ったのである。
それで、考えたのは、他国の事は先づ度外視して、自国の経済力の発展を如何にしたらば回復出来るかと考えた末、 このブロック経済をその一つの打開策として実行するに到ったのである、(ブロックとは一塊りという意味で、昔から合従連衡という言葉があるがこれも政治的の意味のブロックである。今日使われているブロックは主として経済的の意味である。)
それには、 自国本位で、 他国を遠慮なく抑えて、 今迄の他国の有していた経済上の権利や利益を取り上げなければならなくなった。
たとえばイギリスとその自治領及植民地のブロックは、 インド、カナダ、オーストラリア、 英領アフリカ等を含んでいるが、 それらのブロック內の自給自足を計るが、 ブロック以外の国の貿易には高い関税を課して商品を入れない様にし、又他国が必要な商品も売らない様にするといった調子で、万事がブロック本位の利益を図るのである。
(同上書 p.94-95)
わが国はインドから大量の原綿を輸入していたのだが、イギリスの経済ブロックで国内の紡績業や紡織業が高い関税をかけられたために製品を輸出することが出来なくなり大打撃をうけた。アメリカも本国と植民地、およびメキシコ、南米を加えたブロックを形成し、ブロック外諸国に対しては世界一高率関税を実施するようになった。
そうなるとわが国も同様なブロックを作って対抗するしかないのだが、当時はアジアやアフリカのほとんどの国が欧米列強の植民地であり、わが国が確実に組める相手は満洲ぐらいしか存在しなかった。

これに対して日本は、勢い、満州国と相結んで日満経済ブロックを形成して、世界の各ブロックに対抗せざるを得ないし、又外国からの脅威を排して、物資の自給策を確立しなければならないのである。
更に日本としてはこれに支那を加え、 日満支の経済ブロックを形成して欧米露に対していく事が出来れば一層好都合なのである。ところが、これでもまだ鉄や石炭の点では十分だとはいえない。
日満支に印度、南洋等を加えて、大アジアブロックを形成する事が出来ればこれは最も理想的なブロックという事が出来る。インドの鉄、綿、南洋の石油、その他、原料も食量も豊富である。
この大アジア経済ブロックを日本が盟主となって統制する日が来れば、日満で一億、支那で四億、 インドの三億五千万、 南洋を加えて約十億の人口を擁する大市場が展開され、 自由にこのブロック內の貿易が行われるので、 日本の前途も誠に洋々たるものがあるといわねばならない。こういえば、又も日本の侵略主義かと誤解されるが、これは経済上の話で、各国はブロック経済内の一国としての独立国であり、所謂、売り買いだけをお互いに自由に有無相通ずるのであるから別に侵略も何もあるものではない。
併し乍らこれはやはりどうしても政治的の問題であってその実現はむつかしいのであるから、少くとも日満両国だけは緊密に手をつないで、お互いに助け合わねばならないのである。
従来、満州国は外国から三億円位の品物を買っている。その中一億円は支那、一億円は日本、一億円はその他の外国からという状態で、将来は日本がその大部を占めるに至るかも知れない。
だが単にこの購買力のみの点からいえば、満州国は今日のところ大きな市場とはいえないのであって、どうしても支那市場をこれに加える事が必要になっているて来る。
ところが支那市場は、アメリカ、イギリス、ロシア等各国が目をつけているのである。その事は、その事は到底不可能である。
といって、日本が、インドへ、オーストラリヤへ、南洋へ、アフリカへ、カナダへ、と最も売れそうなところへ商品を売りに行ったとすれば、 どっこいここはイギリスのブロックでございますとはねつけられてしまうのである。かく日本とイギリスブロツクの衝突は避け得られない事実である今日、 日本はどうすればいいのか。やはり、究極の対策としては、どうしても日本は大アジア経済ブロックを完成して東洋諸国がお互いに仲よく経済的発展をするという方針を樹ててそれに邁進する外に途はないという事になる。
狭い国土で多くの人口を抱えていたわが国は、移民する道はふさがれて、商売で生きる道を探ろうとすると邪魔されるのだから、せめて、隣近所だけは懇意なお得意になったり、なって貰ったりして仲よくやって行くより外はないといわねばならない。
(同上書 p.97-)
それでもよく売れた日本商品
経済戦はつまるところ生きるための戦いである。天然資源の乏しいわが国は、よい品物を生産して海外に売ることで稼ぐしかない。いくら厳しい条件を突き付けられても生きるためには商売を続けるしかなく、日本商人は高関税にもかかわらず海外市場で健闘していたという。
だが一方、こうした世界列強のブロツク経済戦の中にあって、日本は決して閉口はしていない。良品で安価な日本商品はどしどし各地に侵出している。
「日本の綿製品、 人絹、 雑貨の進出は勿論であるが、 更に日本刃物は高関稅を突破して、 刃物の本場たる英国に、 シェフィルド刃物の半値で侵入し、時計王国たるスイスには、日本製の懐中時計、掛時計が進出し、ボヘミヤガラスで有名なチェコ・スロバキアには日本硝子が堂々濶步し、 工業国たる英、 米、 独に懐中電燈、 電球、 玩具等が怒涛の如く流れ込みつつある」
とパリのある雑誌で「恐るべき日本の侵出」を論じている。「フューメ (イタリー)日本綿布に占領さる」とか、 「二ポンド十シルの自転車日本より侵入し、年に二万台は英国に輸入されんとす」とか、ともかく各国は日本品の進出に悲鳴を上げているのである。
「近時、日本は欧州の疲弊を尻目に次第に国力を伸張しつつあり。今にして欧州が覚醒せずんば、遂に日本の動的勢力の前に屈伏せねばならぬだろう」
とイタリアのムッソリーニ首相が警告している程であるから、まんざらその悲鳴も単なる誇張とも思われない。のみならず、彼らは、日本は、世界に向ってソシアル・ダンピングを行っていると悲鳴を悪口にかえている始末である。
如何に爲替の条件が有利であるとしても、 高関税を潜ってそれ程進出して来るのは畢竟日本は生産費以下で商品を投げ売りし、そのために労働者は甚だしい虐使に甘んじているのに違いない。 これは正に人道上の問題であるととんでもない事をいい出すものさえある。
だが、彼らのいうこの種の所謂ソシアル・ダンピングを日本が行っているなどとは結局、一種の悲鳴に過ぎないので、日本は堂々と、日本独自の生産過程で生産を行い爲替の有利な条件も手伝って、良品を安価に提供しているのであるから、各国の民衆に感謝されてこそ当然で決して人道上何ら恥づるところはないのである。
(同上書 p.101-103)
今も日本の製品が高品質かつ廉価であることから、日本製品を市場から排除するために競合国で様々な工作が行われているのだが、同様なことが戦前でも起こっていたと考えればよい。欧米は日本の労賃が低いとかダンピングをしているとの世論づくりに熱心であったのだが、当時アメリカの植民地であったフィリピンの新聞記者は日本を擁護する記事を書いていたという。
これについて、マニラの新聞記者、エム・ファロランが左の様にいっている。
『世界が、日本の製品に圧倒されるのは、日本の労働賃銀が安いからだというものがあるが、これは間違っている。金額にして少ないという事は、何も生活の標準と不可分の関係を持つものではない。少ない金で、多くのものが、買えるような経済機構の下にあっては、労働者の幸福は、 少額の賃銀によって確保され得る。
例えばフィリピンの如き日本よりも賃銀は高い。しかしながら電気でも、活動でも、ラジオでも、その他彼等の日常生活を豊富にする便利は遙かに日本よりも少ない。
これから考えても、 ただ賃金が金額としては外国より低いということだけで、日本の労働者は搾取されているなどとはとんでもない結論である。
もし実際、日本の労働者が搾取されているとすれば、彼らが温順に、かつ且幸福に職業に従事している実状は説明出来ない事になるではないか。
私は日本の大工場を視察したが、風呂とか、娯楽室とか、食堂とか、総て完備し、かくの如く労働者の健康や幸福に注意する使傭人が外国にあるであろうか』『日本はダンピングをやっているという非難があるが、これも当らぬと思う。
一体ダンピングなるものは、ダムプされる市場も迷惑を蒙むるに相違ないが同時にダムプする方も悪影響を蒙る。例えば両刄の剣の如きものである。ダムプする国は一時的にはともかく、長時間に亘る場合には結局その産業を破壊するところまで行きつく。何となればダンピングによって、産業はその必要、かつ正当なる利潤を喪うからである。
然るに日本の産業を見るがよい、ダンピングの声は海外に於て高いにも拘らず、年ごとにその隆盛を記録しつつある。産業が隆盛なのは、その産業の利潤が、相当もしくは相当以上にあることを物語るものであるから、換言すれば日本製品はダンピングされていないという事になる。それにも拘わらず外国は、日本はダンピングをやっているとやかましく的外れの矢を放っているのである。
日本の產業は日本人でなければ出来ない克己と、 節約と、 努力と能率との賜ものである。しかも原料は主として海外に仰ぎ、為替の逆調や運賃などの開きがあるにかかわらず、よくこれらのものを征服し、しかもかつ海外市場に於て、外国品と競争に堪えるのである。実に驚くべき現象である。
この原因を外的理由にのみよるものと見るのは外人自身の誤りであり、私はこれを日本人に内在するところの特異性に負うものであると見ている。』殆んど日本の言わんとするところを代弁しているといっていいので、 これは決してお世辞ばかりではないと信ずる。公平な第三者の眼で見ていった言葉に違いない。
こうした日本の正当な進出に対しても、イギリスあたりは、盛んに攻撃の矢を放って日本品駆逐の経済宣戦を布告している。日英会商の決裂、日蘭会商の絶望等はその現われである。その他の諸国も、関税引上げ、輸入割当等の手段で日本品に対する防護を講じている。
(同上書 p.103-105)
高関税のハンディを乗り越えて、日本の商品はダンピングをしなくとも品質の良さで売れていたのである。
昭和八年七月二十一日の報知新聞に英国の綿業研究家バーナード・エリンガーが、日本の綿布はダンピングによる不正競争であるとする自国強者の主張は誤りであると力説したことを報じている。

その当時、日本も英国も羊毛、綿花等の原料品を全部輸入に仰いでいたのだが、マンチェスター紡績は赤字で日本紡績は黒字を計上していた。もし日本がダンピングをしていたというのが真実であれば、黒字になるはずがないではないか。また日本政府が補助金を出していたわけではなく、従業員が奴隷のような労働をしていたわけでもない。改善するべきは英国側にあったのだが、日本が悪いことをしたことにして日本製品を市場から排除し、自国の貿易額を維持しようとしただけのことではなかったか。
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