GHQ焚書のリストからフランスに関する本を探していると、没収廃棄されて戦後の日本人に読めなくされている本は、フランス本国に関する本よりもフランスの植民地に関する本が圧倒的に多い。
今のベトナム・ラオス・カンボジアは戦前はフランスの植民地で、かつては「フランス領印度シナ」あるいは略して「仏印」と呼ばれていた。
最近NHKスペシャルで「戦国~激動の世界と日本」が放映され、それ以来私の新旧ブログのアクセス数が急増し拙著も売れていることは有難い限りなのだが、戦国時代から江戸時代初期にかけて大量の日本人が奴隷として、また傭兵として、この地域やフィリピンなどに売られていった事実については、戦後はほとんど知らされることがなかった。
このような史実は戦前にはいろんな本に書かれていたので、昔はかなり知られていたと思われる。以前このブログで紹介したGHQ焚書の加藤武雄 著『豊臣秀吉』は子供向けに書かれた秀吉の伝記なのだが、日本人が奴隷に売られていたことがしっかり記されている。
さすがにNHKスペシャルでは日本人が奴隷にされたことまでは触れなかったようだが、この点については拙著で紹介した通り、信長・秀吉の時代にイエズス会宣教師として来日していたルイス・フロイスの記録がいくつか存在する。一例をあげると、天正十五年六月十九日(1587/7/24)に九州征伐で博多にいた秀吉が、イエズス会日本準管区長のガスパル・コエリョに使いを出して伝えた言葉が記録されている。
…予(秀吉)は商用のために当地方(九州)に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行していることも知っている。それらは許すべからざる行為である。よって、汝、伴天連は、現在までにインド、その他遠隔の地に売られていったすべての日本人をふたたび日本に連れ戻すように取り計られよ。もしそれが遠隔の地のゆえに不可能であるならば、少なくとも現在ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。予はそれに費やした銀子を支払うであろう。
(ルイス・フロイス「日本史4」中公文庫p.207~208)
秀吉が、金を払うから日本人奴隷を連れ戻し自由放免せよとまで述べたにもかかわらず、コエリョは協力する意思を全く示さなかったばかりか、取締まらない日本側に問題があると答えてさらに秀吉を激怒させてしまい、「伴天連追放令」が出されることになるのだが、詳しく知りたい方は是非次の記事を参考にして頂きたい。
今回紹介したいのは 田沢丈夫 著『仏印事情』で、フランスの植民地となったこの地域に関することがらがコンパクトにまとめられている。日本人が奴隷や傭兵として売られたことまでは触れていないが、江戸幕府が海外渡航を禁止したのち、この地域でフランスがキリスト教の布教を開始し、占領地を拡大していった歴史がまとめられている。
…山田長政が当時のシャム国で大いに活躍していた頃には多数の日本人が仏印に渡航し、当時既に来航せるポルトガル人、オランダ人、シナ人等に伍して我が大和民族南方発展の第一線に立って大いに活躍していたのであって、ことに交趾支那(こうちしな:フランス統治時代のベトナム南部)のフェフォおよび安南のツーランあるいはカンボジアのビニヤル、プノンペン等にはいわゆる日本人町を形成して、相当の勢力を有していたのである。しかして当時の日本人町は、今日の疎開の如き形式で居留民の中から一名の統率者を選任して疎開の長とし、その指揮統制の下に自国の法律に従って生活していたのであって、全く治外法権を許された自治制の町であったということである。
現在の仏印地方には、原住民族としてインド文化を有するインドネシア族が居住していたのであるが、東北方からは安南民族、東南部からはチャム族、また西南地方からはカンボジア人が攻め入ったので、インドネシア族は漸次西北部すなわちトンキンの西北部とかラオス方面へ追い詰められてしまった。ところがチャム族はチャンパ王国を創設して一時は非常の勢力であったが、ついに安南族と衝突し征服せられてしまった。またカンボジア人は西暦四百年頃には既にクメール王朝を作った程であるが、前述のとおりジャバ軍やシャム軍に侵入されて惨憺たる目に遭っている。
こういう小国相争う状態であったればこそ、優秀なる武器を有しておったフランスが侵入して来るやたちまち征服されてしまったのである。
仏印の門戸を初めて叩いた者はポルトガル人、次いでオランダ人であるが、ここに本拠を据えて積極的活動を開始したのはフランス人であった。フランスはインドにおいて英国と植民地争いをして遂に敗れるや、インドシナ半島に転向したのであるが、まず交趾支那すなわち西貢地方に布教を開始したのが手始めである。ところが当時安南国は南北に分かれていて、北は大越と呼び南は廣南と呼んで、廣南にはいわゆる現安南帝国の第一世たる阮福映を武力援助して大越軍を破り、ここに現安南帝国の基礎を樹立したのであるが、その代償としてツーラン港および同半島ならびにこれに近接する諸島の割譲を受けた。これが仏国の仏印における領土獲得の濫觴(らんしょう:はじまり)をなすものである。
このあとも土民間の抗争を利用ながら、フランスは少しずつ領土を拡大していったのだが、この本にはこの地域の歴史だけでなく、この地域の文化や風習、統治機構、教育状態、財政状況、経済資源などがよくまとめられている。現在のベトナム・ラオス・カンボジアをよくご存じの方は、戦前の状況と比較されたら新しい発見があるのではないだろうか。
田沢丈夫 著『仏印事情』羽田書店 昭和15年刊 p.57~59
下のリストはGHQ焚書の中でタイトルに「フランス」「仏」を含む著作を集めたものである。全部で36点あり、「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されているのは8点である。
タイトル | 著者・編者 | 出版社 | 国立国会図書館デジタルコレクションURL | 出版年 |
印度支那、仏印、タイ、 ビルマ、英領マレー | 室賀信夫 | 白揚社 | ||
欧州大戦における 仏軍自動車の作戦輸送 | 大谷清磨 | 菊池屋書店 | ||
海南島より仏印 | 井出浅亀 | 皇国青年教育協会 | ||
各國統制經濟に關する調査 第五卷フランスの統制經濟 | 東京商工会議所 | 東京商工会議所 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446287 | 昭和12 |
スメラ民文庫 仏印事情 | スメラ民文庫 編輯部 編 | 世界創造社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1111454 | 昭和16 |
世界大戦における 仏独両軍戦術思想の変遷 | 廣 良一 訳 | 偕行社 | ||
泰国、仏印と日本人 | 福中又次 | 婦女界社 | ||
大東亜共栄圏叢書第一編 更生仏印の全貌 | 金子鷹之助 | 愛国新聞社 出版部 | ||
大東亜共栄圏読本 仏印の話 | 芹川信久 | 西台塾出版部 | ||
泰、仏印飛びある記 | 金田信儀 | 善隣社 | ||
独仏、伊仏休戦協約全貌 | 片倉藤次郎 訳 | 朝日書房 | ||
独仏関係 | 鈴木啓介 | アルス | ||
南洋叢書. 第2巻 仏領印度支那篇 | 東亜経済調査局編 | 東亜経済調査局 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1440286 | 昭和16 |
日英米仏伊軍艦集. 1935年版 | 海軍研究社 編 | 海軍研究社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1109500 | 昭和10 |
晴れ渡る仏印 | 森 三千代 | 室戸書房 | ||
仏印案内 | 南洋協会 編 | 目黒書店 | ||
仏印概要 | 秋保一郎 | 海洋文化社 | ||
仏印研究 | 井出浅量 | 皇国青年教育協会 | ||
仏印事情 | 田沢丈夫 | 羽田書店 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1278606 | 昭和15 |
仏印縦走記 | 中野 実 | 大日本雄弁会 講談社 | ||
仏印進駐記 | 大屋久寿夫 | 興亜書房 | ||
仏印の鉱産資源 | 渡辺源一郎 | 国際日本協会 | ||
仏印の住民と習俗 | 山川寿一 | 偕成社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460169 | 昭和17 |
仏印の生態 | 水谷乙吉 | 岡倉書房 | ||
仏印の農林資源 | 農林省南方資源 調査室 編 | 週刊産業社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1719165 | 昭和17 |
仏印の農業経済 | 森 徳久 | 東洋経済新報社 | ||
仏印への途 | 小松 清 | 六興会出版社 | ||
仏領印度支那概説 | 日本印度支那協会 | 日本印度支那協会 | ||
仏領印度支那事情 | 博文館 編 | 博文館 | ||
仏領印度支那の 幣制と金融事情 | 東亜研究所 | 東亜研究所 | ||
仏蘭西植民地 | カルル・ヘーネル | 岡倉書房 | ||
フランス制圧六週間 | 真木昌雄 | 第一公論社 | ||
蘭印、英印、仏印 | 井出諦一郎 | 三省堂 | ||
蘭印・仏印史 | 大江満雄 | 鶴書房 | ||
蘭印、仏印の近状 前編 | 神戸市 産業研究所編 | 神戸市 産業研究所 | ||
両大戦間に於ける 独・仏・英の社会政策 | ドイツ労働戦線 労働科学研究所編 | 世界経済調査会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062018 | 昭和17 |
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ブログ活動10年目の節目に当たり、前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、2019年4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しています。
通説ではほとんど無視されていますが、キリスト教伝来以降ポルトガルやスペインがわが国を植民地にする意志を持っていたことは当時の記録を読めば明らかです。キリスト教が広められるとともに多くの寺や神社が破壊され、多くの日本人が海外に奴隷に売られ、長崎などの日本の領土がイエズス会などに奪われていったのですが、当時の為政者たちはいかにして西洋の侵略からわが国を守ろうとしたのかという視点で、鉄砲伝来から鎖国に至るまでの約100年の歴史をまとめた内容になっています。
読んで頂ければ通説が何を隠そうとしているのかがお分かりになると思います。興味のある方は是非ご一読ください。
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