経済界が日米外交に多大な影響を与えて来た
前回に引き続き白柳秀湖の『日本外交の血路』(GHQ焚書)の一部を紹介させていただく。前回は、わが国の外交が経済界の意向を受けてワシントン会議(1921~22年)以降に方針転換がなされたことを書いたが、それ以前の外交も同様に経済界の意向を強く受けていたのである。しかしながら経済界の主張は、ワシントン会議では平和主義を唱えながら、話題が満州になると態度を一変して軍閥を後押しせよと主張し、米国の排日問題に関しては沈黙するなど全く一貫性がなかった。
満州における日本の利権を覆されることは、ただちに満州における工業の根を枯らされることに当たる。根を枯らされては、元も子もなくなってしまう。元も子もなしにされてしまうことは、多少の犠牲に変えられぬ。一戦を賭しても、あるいは国民の血の最後の一滴となるまでもこの利権を擁護してもらいたいという。これが工業的資本家の腹蔵なき要望である。そこで満州にことが起こるとどこからともなく運動費が出る。支那浪人が働く。七博士*が蹶起する。国民大会が開催せられる。群衆が外務省の鉄門をよじ登る。少年刺客が匕首を閃かして当局に迫る。人馬が国境に集まるということになって来る。もちろん運動費は直接には出まい。また、運動するものが、必ずしも己は工業的資本主義の手先であると意識しては働けまい。しかしながら資本主義的組織の精巧細緻を極めるや、蜘蛛の巣とも網の目とも例えようのない微妙なものである。一の目から二の目、二の目から三の目というように辿って行くと最後のくくりは、唯一の資本主義に帰する。そうして彼らが何故に満州問題のみに蹶起し、米国の排日問題に対しては絶対に沈黙を守るか。その理由は自然に明らかになる。満州に対しては軍国主義、米国に対しては平和主義、その理由はこの一点に存する。…中略…
*七博士:日露戦当時主戦論を主張した東京帝大教授戸水寛人ら七人の博士しかしながら満州にあっては工業的資本家といい、米国にあっては商業的資本家というが、本国に落ち合ってみれば同じ谷川の水である。もし彼らが、今一段その階級的自覚を強めたならば満州問題で虎の子のように大切にする軍閥を、ワシントン会議の際、あんなに誹謗して、米国人に媚びずとも、何とか聡明な方策があったであろうと思う。…中略…
幸いにして世間のいわゆる軍閥、ことにその首脳連は、今日の大勢に対して全く盲目である。近来世間に軍国主義を排斥するの声が高く、したがって軍隊そのも嫌忌せんとする傾向が著しいのは、一に新思想、なかんづく社会主義の罪であると誤解している。故に軍閥の首脳連は新思想を見る蛇蝎の如く、在郷軍人を利用し、あるいは簡閲点呼を機会として盛んに新思想を攻撃し、新思想家を目の敵のようにしているが、著者の観る限り、著者の知れる限りに於いて今日社会科学の基礎の上に立っている思想家、即ち文芸人を除く社会的思想家の中には絶対に戦争を否認したり、軍隊そのものを無用とするようなわからずやは極めて少ない。政治家で尾崎氏、学者でキリスト教系のある人々の軍備に対する意見など、むしろ社会主義仲間の笑い草となっている。然るに軍隊の首脳者連は、まったくこの関係を誤解している。そうして世人の軍閥を罵り、軍隊を嫌忌するはその原因一に新思想家、特に社会主義の言論にありと妄談している。ワシントン会議は一人の社会主義者も随伴しなかった。然るに外国の新聞まで利用して、日本に軍閥のあること、軍閥以外の日本人、ことに実業家は大の平和主義者であることを宣伝した者は何人であったか。
同上書p.180~183
軍部は社会主義などの新思想を目の敵としていたのだが、文芸人を除く新思想家の中には戦争を否認したり、軍隊を無用とする者は極めて少なかったという。ワシントン会議は一人の社会主義者も随伴しなかったが、わが国にとって厳しい軍縮を飲まされている。ワシントン会議に訪米したメンバーは財界人であったのだが、彼らはアメリカの新聞まで利用して日本政府にプレッシャーをかけ続け、アメリカにとって望ましい結論に導こうとしたのだ。
アメリカの排日運動に対する政府のスタンスが代わった
もっとも日本政府は、1906年にアメリカカリフォルニア州で排日運動が発生してから1920年頃までは、日本政府は日本人移民労働者を守るための尽力を惜しまなかったのだが、ワシントン会議の頃には全く何もせずに放置するようになったという。白柳は「移民放棄主義」という言葉を用いているが、当時の政府のスタンスがいかなるものであったかを以下のように記している。
サンフランシスコを中心として、南はロサンジェルスから北はカナダのバンクーバーに至る各地の領事館はほとんど申し合わせた如くに言っている。
『政府として排日問題に手を出すことは、ますます事態を悪化させる愚策である。従来政府として相当に心配もし、尽力もしてみたが、その都度自体を悪化させるに終わった。
一九〇八年以後、日本政府はかの紳士協約に基づき、誠実に新しき労働者の渡航を禁止して今日に至った結果、米国在留者の家族は増加しても、壮年の男子は年毎に数を減じている。ゆえに現に戸主として米国に残留するものの年齢は大抵四十歳前後である。ゆえに今後米国に於ける日本移民の活動は十年か長きも十数年を出でまい。したがって外国人としての日本人問題はここ十年から十五六年の問題である。
それから後は、彼らの子弟、即ち市民権を有する日本人の時代で、これには土地の所有権もあり、借地権もあり、立派な米国の市民であるから、排斥は続くにしても外国人としての排斥ではなく社会的の排斥にとどまる。彼らの子弟は米国で生まれ、米国で育ち、米国の教育を受けて、立派に英語を操るのであるから、たとい社会的の排斥はあるにしてもさほどに心配する程のことはない…中略…』当局者は今より十数年の後には、日本人の排斥はあっても、それは外国人としての排斥ではなく、社会的特殊階級としての排斥であるというが、それは『次代の在米日本人をして現に黒人が米国民として受けつつある如き地位と境遇とに甘んぜしめよ。しからば問題は自然に消滅すべし』というに当たる。もし当局にして次代の日本人市民が、黒人と同じ社会的の排斥を受けつつ、なおよくその境遇を改善し、人間らしき生活を享楽し得るに至るべしとなすならば、そは驚くべき空想である。…中略…
米国で生まれ、米国で育ち、米国に国籍を有するものは日本人であって日本人でない。日本人でないものがどんな取り扱いを受けようと、それは日本の関する所ではないとするか。それならもう今後太鼓を打ち、笛を吹いて海外発展だの、移植民だのいうことは、絶対やめにしてもらいたい。国民に海外発展を勧めるのは過剰の人口を荒山窮野に棄てんがためであるまい。社会問題の解決はと問われる毎に、世界は廣し天然の富源は未だ至る所に勤勉な、勇敢な男子の来り拓くを待っているなど、手軽に片づけてしまうことは、今後よくよく慎んでもらいたいものである。
同上書 p.184~186
政府は排日運動に手を出せば事態を悪化させるばかりであったと振り返り、1908年以降は日本人労働者の新規の米国への移民を禁止しているので、外国人としての日本人排斥の問題は十数年で消滅する。米国で生まれ育った彼らの子供達は米国籍を持つので、排斥が続いたとしても外国人としての排斥ではなく社会人としての排斥であるのでそれほど大きな問題にならないとし、今後排日問題には手を出さないことを宣言したのだが、白柳は政府が国策として米国移民を推進したにもかかわらず、米国移民問題を放置すると宣言するのなら今後移民推進施策などは一切やめるべきだと手厳しい。
排日問題に関するスタンスを変えたのも経済界の意向ではなかったか
日本政府が米国に於ける移民問題のスタンスを変えたのは、おそらく経済界の強い要望があり、政府の有力者を動かしたと考えられるのだが、さすがに彼らとしても米国の排日問題解決策を何も考えないわけにはいかなかった。同上書には、米国の農業移民を満州に移すという計画が実際に動いていたという。
著者は米国を旅行中、西部地方の日本地主を満州に移住せしめようという『満鉄』を中心とした秘密運動が行われていることを直感した。この運動の背後には日本にも、ニューヨークにも相当の有力者がある。彼らはかくのごとく考えているらしい。
満州は従来工業的にのみ開発されて来た。しかしながら農業地としても望みがないわけではない。ただ日本の如き小農組織を以てしたのでは絶対駄目である。それには米国の如き大農組織に経験のある地主が必要である。もしカリフォルニア州で激烈な排斥を受けている日本人中から、大農組織に経験のある地主を抜いて、これを満州に移住させるとこととしたら、満州に於いては支那人に職業を与え、米国に於いては、幾分でも排日派の感情を和らげることが出来る。労働者は要らぬが、労働者から作り上げたカリフォルニア州の日本人地主こそ、満州を農業的に開発すべき日本の宝であると。
この運動はニューヨークを中心として、東京にもある方面と連絡があるようである。現に広島県安佐郡長束村出身の地主で、フレスノに百五十エーカーばかりの農園を以ていた粟屋泰二(一九〇三年七月渡米)という人を始めニ三の地主は何人かの勧誘に乗ぜられて、一家満州に移転した。なおサンフランシスコでは『新世界』が主催となって、日本人地主の満州観光団を組織し、大正十一年の秋、日本にもちょっと立ち寄ったがそれは形式で、ただちに満州に赴き、到るところ満鉄の大歓迎を受けている。これは強(あなが)ち悪い計画でなく、支那人の利益を侵害せぬ範囲に於いて満州を農業的にも開発しようという所に一応の道理はある。しかしながら日本が米国に於ける移民問題を放棄し、全然米国の言いなりになって満蒙を固守するとしたところで、浮世の苦労を知らずに育った生意気盛りの若旦那のような米国が、果たして日本に満州における利権をそのままに許すであろうか。ここが考えものである。
同上書 p.188~189
米国は今が得意の絶頂でその猪突猛進する力というものは何ものの力もこれを制することは出来ぬ。われが一歩譲れば、彼は必ず一歩進んでくる。日本が憐れむべき太平洋沿岸の移民を全然放棄して、事を自然の成り行きに任すとしたら、彼らは必ず支那問題、満州問題にのしかかって来る。現在でもその形跡は歴然としている。
経済界はつまるところ様々な企業の集合体であり、業態によって、また経営拠点が世界のどの地域にあるかによって、要望する内容が企業間で対立することも少なくない。要するに財界は一枚岩ではなく、容易に意見がまとまるわけでもないのだ。当時の経済界には移民問題の解決策に取り組んだが結局まとまらず、最後はアメリカ西部の約六万人の移民を見殺しにしてしまったのだ。
白柳によると、アメリカ商人にとって最も大きな販路であった欧州は第一次世界大戦で疲弊しており、新たに販路を求めるとすれば、南米はアングロサクソン民族に対する反感が強く、支那や満州は彼らにとって残された唯一の未開拓市場であったという。わが国がいくら犠牲を払っても、いつまでも米国から可愛がられることは難しかったのだが、それでも経済界は米国の要望にできるだけ沿おうとし続けて、結局わが国は英米の言いなりの軍縮に応じて相対的にわが国を弱体化させ、英米にとっては圧力をかけるのに好都合な環境を自ら選択し、最終的に第二次世界大戦に巻き込まれて行ったということではなかったか。
今のわが国も戦前と同じで、政治や外交に関しては経済界の要望に沿うように動いていることがかなり多いと思うのだが、経済界の要望とは経営している企業の収益改善につながることは賛成し、経営環境が悪化することには反対することが大半だ。外交上のトラブルが生じた際にわが政府がよく用いる「遺憾砲」は、いくつかの企業からの要望を配慮しての事だと思うのだが、こんなことを続けて行けばわが国は世界から舐められて弱体化していくばかりである。
政治家は国全体に奉仕すべき存在であり、決して一部の企業や団体に媚びを売る者であってはならず、その上で国益や国家安全保障の見地から政策や外交方針等を定めて企業や団体をあるべき方向に誘導すべきだと思うのだが、最近では政治家のレベルが随分低下して、直接どこかの国の工作がかかっているとしか思えないような法案が決定したり施策が行われ、国民に何のメリットもないようなバラマキ外交が続いている。
こんな政権の主要メンバーや、国益よりもどこかの国や企業・団体や個人の利益を求めるような政治家は与党・野党を問わず、有権者が力を合わせて次の選挙で議員の座から引きずりおろしたいものである。
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コメント
「日本外交の血路」白柳秀湖を読ませて頂きました。日本は明治の初めから外交に関しては幼稚で、深謀遠慮の蓄積と外交の基本哲学が丸で無かったです。此れでは段々に追い詰められて、遂には日米戦争で敗れ、現在の様な属国化の惨めさを舐める事は必然であった。Britainの様に1649年にイングランド銀行が成立しイギリスはJudeaが乗っ取る事態が続いて現在に至っている。Judeaが東インド会社の時代から侵略のknow-howを蓄積しているのだから、明治に駆け出した日本が手玉に取られる事は自然の成り行きだった。「商業資本家が日本を敗戦に導いた事は能々広められ周知される事です。そしてそれは現在も続いている」。現在の日本政治も外国勢力に乗っ取られる状態です。その上、毒注で国民を多く葬っている。四王天延孝中将が書くように第一次大戦も二次大戦もJudeaが画策した計画に他ならない。一次大戦の国際連盟も二次大戦の国際連合も金融寡頭勢力の世界支配の道具でしょう。満州へのJudeaの欲望は日本をして連盟からの脱退を招いた。これは猶太に取って折角創り上げた世界支配の道具が壊れて仕舞った。実にマイナスだった。満州への欲望のために国際連盟は日本とドイツの脱退で崩壊したからです。現在にも白柳秀湖の様な人物が政府機関に居て外交を指導する事ができればね、然し無理でしょう。
井頭山人(魯鈍斎)さん、コメントありがとうございます。
白柳秀湖を読んで、わが国が戦争に巻き込まれて行った事情が何となく見えてきました。政治が企業家の言いなりになってはいけませんね。
今の政治家も官僚も財界も、困ったものです。特に今の政治家は、特定企業からだけでなく、どこかの国からもいい思いをさせてもらっているようで、戦前よりひどい状態だと思います。
こんなメンバーでは「スパイ防止法」も決められず、機密情報や技術情報、個人情報も守れず、人権侵害をしている国に経済制裁をすることも出来ないでしょう。
国家の意志を貫けないようでは、多くの国から見離されるだけです。
次の選挙で、国家観のない政治家、外国や企業から支援を受けているような政治家を全員落選させて、政界や官界、財界、マスコミに国民の怒りをぶつけ、ダラケた空気を張りつめたものにしたいところです。