玉雲寺(ぎょくうんじ)と琴瀧~~京丹波町の紅葉名所
前回記事では京都府南丹市の古い寺社を巡ったことを書いたが、今回は南丹市の北西に位置する京丹波町と綾部の寺社について書くこととしたい。
『京都府観光ガイド』の「紅葉だより」に「琴瀧・玉雲寺」が掲載されているので旅程に入れていたのだが、このあたりは京都縦貫道の丹波ICに近く、非常に道が分かりにくくなっている。カーナビよりも手書きで書かれた道標をたよりながら、なんとか玉雲寺(京都府船井郡京丹波町市森滝見9)に辿り着いた。
この寺は応永二十三年(1416年)に太容梵清(たいようぼんせい) 禅師を開山とし、地元の豪族須知(しゅうち)氏が建立したと伝わる曹洞宗の寺である。
寺の案内板には、天正七年 (1579年) 織田信長が丹波平定を命じて明智光秀の市森城攻撃があり、その兵火により寺の建物宝物等がほとんど焼失してしまい、現在の境内・本堂・庫裏は光秀が翌天正八年に再興したものと記されている。
この寺も隠れた紅葉の名所で、ネットにはこの寺の紅葉の画像が数多く紹介されている。例えば「花景色-K.W.C.PhotoBlog」さんの雨上がりに撮られた画像は秀逸である。
山門に向かう石段が落葉で赤いカーペットのようになる写真が撮れれば良かったのだが、訪れた日(2020/11/10)はまだまだ色づき初めで、見頃は今月下旬になるのではないだろうか。
上の画像は玉雲寺の本堂。内部は公開されていないようだ。下の画像は境内にある観音像だが、石仏でここまで美しい仏像が彫れる石工はすごいと思う。
玉雲寺のすぐ近くに琴瀧という滝がある。歩いても行ける距離だが、遊歩道の入り口に駐車できるスペースがある。そこから遊歩道を数分歩いて琴瀧に到着する。
上の画像が琴瀧だが、高さ43mの一枚岩を流れ落ちる滝で、十三弦の琴糸のように見えることから「琴瀧」と名付けられたという。この滝もまた紅葉の名所で、全山紅葉すると素晴らしい景色になるのだそうだが、少し訪れた時期が早すぎたようである。ここ数日間晴天が続いたので、滝の水量は少なめだったのも残念だった。
九手神社~~国重要文化財の本殿
次の目的地である九手神社(京丹波町豊田九手125)に向かう。
上の画像は九手神社の鳥居であるが、鳥居の左側にある大木はアラカシで、幹回り4m、樹高15mあり、京都自然200選に選ばれているのだそうだ。
この神社は、長元2年(1029年)に豊田地頭の藤原定氏が京都松尾大社より勧請し、社殿を造営したと伝えられたもので、その後明応七年(1498年)に改修・再建された本殿が現在に伝えられているという。
上の画像が本殿だが、檜皮葺の三間社流造で国の重要文化財に指定されている。
この神社も紅葉が美しい場所で知られているのだが、赤く色づくのは今月の下旬ごろだと思われる。
今回は訪問しなかったが、九手神社から700m程北に新宮寺という寺があるという。この寺の不動堂に十五体の破損仏が安置されているのだそうだが、「近江学研究所」のホームページに、新宮寺の破損仏について非常に興味深いことが記されている。
「堂内の中心仏は東寺にいらっしゃる結跏趺坐の国宝不動明王と同じ形式の不動さんです。迫力十分でした。その周りに、痛々しい破損仏が15体安置されています。四天王の一人広目天であるといわれる仏様だけはなんとなく在りし日の様子がうかがえますが、両手と頭と片腕はありません。その他の仏像に到っては、制作当時いずれの仏様であったか想像すらできませんでした。
村人の言い伝えによると、かつては街道沿いにある九手神社に神宮寺があり神仏習合の中で大切に安置されていましたが、明治はじめの廃仏毀釈によってそこから追い出され、村人たちが保管した。中には土に埋めたものもあったかもしれないとのことでしたが、それらが大正期に山中の新宮寺に移され、今このように保管されているという事でした。」
丹波地域の神仏分離や廃仏毀釈については、『神仏分離史料』にもほとんど何も書かれていないのだが、九手神社の神宮寺が廃されて、それまで信仰を集めていた仏像が新宮寺に運ばれるまでには、村人たちに多くの苦労があったことだろう。もし当時の記録が残されているのであれば是非読んでみたいものである。
大福光寺(だいふくこうじ)~~国重要文化財の本堂と多宝塔
次の目的地である大福光寺(京丹波町下山岩ノ上22)に向かう。
寺伝によると鞍馬寺の僧・釋峰延(しゃくほうえん)が延暦年間に、毘沙門天守護のために現在よりも北にある空山の中腹に寺を建立し、その後足利尊氏が丹波に来てこの毘沙門天を信仰し、戦勝の暁にはこの寺を立派に修復せんと願をかけたという。尊氏は多くの戦いに勝利して、この寺を現在の地に移し嘉暦二年(1327年)に完成させ、足利家の祈祷所としたのである。
また江戸時代には園部藩歴代藩主の尊崇を受けて栄えたとされる。
上の画像は国重要文化財の本堂だが、足利義満が建てたものが一度も焼けずに今も残されていることはすごいことである。
多宝塔も本堂と同じ時期に建てられたもので、国の重要文化財である。
寺宝として、足利時代に制作された懸仏(京都府登録文化財)や狩野元信筆の板絵著色竹虎図(京都府指定文化財)などの文化財を保有しているのだが、今は京都国立博物館などに寄託されているようだ。このような重要な文化財を多数保有している寺であるのに、拝観することができないことは残念である。
『北山・京の鄙の里・田舎暮らし』と言うブログに、平成二十一年(2009年)にこの本堂の中を案内された時のレポートが出ているが、これだけ貴重な文化財があるのなら、もっと観光客を呼ぶことができたのではないかとも思う。
そもそもこの寺には門もなければ塀もなく鐘楼には鐘がない。庫裏もなければ寺務所も見当たらないことに、私は強い違和感を覚えた。いくつかベンチが並べられていて、とても寺の境内だとは思えない。言い方は悪いが、まるで公園のようである。
国の重要文化財を二つも無料で見学できることは有難いことではあるのだが、文化財指定のある建物だけがこういう形で残されていることは、京都の寺で生まれ育った私にとってはいささかショックであった。
過疎化高齢化が進む地方では檀家が減るばかりで、住職の生計が成り立たず、やむなく無人となる寺が少くない。神社もまた同様である。たとえ輝かしい歴史があり貴重な文化財を多数保有していても、寺務所も社務所も無人のところが増えていることは残念な限りである。
明治時代に行われた宗教政策で、わが国は多くの文化財を失ったのだが、平成・令和の時代の経済政策は地方を急激に疲弊させ、多くの寺社の経済基盤に打撃を与えた。このままいくとわが国の多くの文化財を失うことになるのではないかと私は危惧している。歴史的文化遺産を活かして、観光客を呼び込むことや、地域の経済活性化を図らずして、どうやって地域の文化財や伝統文化を守ることが出来るのかと思う。
岩王寺(しゃくおうじ)~~茅葺屋根の本堂・仁王門
次に向かったのは、岩王寺(綾部市七百石町寺ノ段1)。真言宗の古刹である。カーナビには道路が書かれていなかったので、途中から不安になり車を降りて山道を歩くことを選択したが、結論としては車でも行くことが出来、駐車するスペースもある。
上の画像は仁王門(京都府登録文化財)だが、今も茅葺で、昔の山寺の雰囲気がそのまま残されている。
本堂もまた茅葺で、これも京都府登録文化財である。
また当寺に伝わる髹漆卓(きゅうしつたく)は、室町時代の経卓の逸品で国の重要文化財に指定され、現在奈良国立博物館に寄託されている。また建武元年(1334年)の足利尊氏寄進状と足利尊氏寄進田目録の二文書は、綾部市の指定文化財になっている。これらの文書は、足利尊氏が元弘三年(1333年)の丹波挙兵に際し、岩王寺が戦勝祈願の命に応じたことに対する寄進があったことに関する文書であるのだが、七百年近く前の書状がこの山寺に大切に残されてきたことはすごいことである。
現地の案内板にはこの寺の由緒について、
岩王寺は、村上天皇の天暦三年(949年)空也上人(醍醐天皇の第二皇子)により開創された。当時は山中に堂塔伽藍林立し、参拝する者、絶えることなく岩王寺山に香煙立ち込めて、山陰随一の聖地として栄えた。
また、この寺の名前が「しゃくおうじ」である理由については、
開創より百年前、この地で取れた石で硯石を作り、嵯峨天皇に献上したことに始まる。日本三筆の一人である天皇が、非常にそれを好まれ御愛用され「石の王子であるべし」と絶賛され、天皇は石王子と書いて「シャクオウジ」と発音されました。後に空也上人がこの地に来られ、堂宇を建立しこの聖地にふさわしいと思われるいしよりもどっしりした感じの岩という字を使い、岩王子と寺名をつけられ、発音は嵯峨天皇の言葉をそのままに「シャクオウジ」と発音し、現在に至るまで約一千五十年法灯を護り続けている丹波の古刹です。
岩王寺は平成九年に仁王門、平成十二年・十三年に本堂の改修を行ったそうだ。少子高齢化が進行する中でこれだけの工事をたて続けに行うことは、その費用捻出に大変なご苦労があったことに違いない。
『綾部の文化財』というサイトに、住職はこう記しておられる。
しかし、これまで何もしないで、岩王寺は守られてきたのではありません。昔からの先師、あるいは心のよりどころとしての壇信徒の、大いなる信仰・信心によって修理し現在に至っているのです。
また、近年檀家の皆様の力により、平成九年に仁王門の茅葺きの全面葺き替え、平成十二年・十三年の二ヶ年にわたり、本堂の大改修が行われました。これからも、仏様を拝するお寺として、また、文化財として、皆様の協力もと大切にお守りできることを願っております。
寺にしろ神社にしろ、改修が必要な時に信者に協力を募ることはいつの時代も同じことなのだが、昔の田舎は今よりも遥かに豊かであり、地元で生計を立てることのできる仕事があり、また寺や神社に対する信仰も篤かった。しかし、今は地元には年寄りが残っているだけで、多くが年金生活者だ。一方、若い世代は都会に出てしまって田舎に戻らない者が大半である。文化財の指定があって多くは公的支援があるとしても、昔の建築方法で修復するためにはかなりの改築資金が必要となり、寺社や信者が負担する部分もかなり大きなものにならざるを得ず、その必要資金を捻出することは、多くの観光客を集めるような寺社でない限り、大変なことなのである。
現地の案内板にあるように、この寺が「現在に至るまで約一千五十年法灯を護り続けている丹波の古刹」であり、後世にもこの地に残すことの大切さを信者と共に共有することが出来なければ、古いものの価値を落とすことなく後世に残すことは不可能なのである。
大本梅松苑と木の花庵
綾部市は出口なおとその女婿・出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)が興した大本(教)の発祥の地であるが、大本梅松苑(綾部市本宮町1-1)の紅葉が有名なので立ち寄ってみた。
まだ色づきは三分程度であったが、金龍海という池の周囲の紅葉はかなり進んでいてた。
梅松苑の中に木の花庵という茅葺の建物がある。これは京都府船井郡瑞穂町質志小字観音十九番地にあつた岡花金五郎氏の住宅が不要となり、大本に譲渡されて昭和四十四年に解体され、京都府文化財保護課の指導を受けて昭和四十七年にこの場所に復元されたのだが、丹波地方における屈指の古民家として国の重要文化財に指定されている。
明治維新以降、政府は宗教に対する統制を強化し、明治時代後期に誕生した大本教を弾圧し、昭和十年(1935年)には当局は治安維持法を適用して、王仁三郎夫婦以下千名近くを検挙し教団本部の建物を破壊している(第二次大本事件)。
上の画像はみろく殿だが、昭和十年に破壊されたみろく殿が昭和二十八年(1953年)に立派に再建されている。そしてこの建物が平成二十六年に国の登録有形文化財に指定されているのには驚いた。今回は訪れなかったが、平成四年に建てられた長生殿は「300年以上の木曽檜など1800本を使った20世紀最大級の木造建築」なのだそうだ。
大本の信者数は171千人と決して多くないのだが、資金面で国や地方の力を借りずに文化財級の建物を建てる力を保有している。一方、地域共同体に根ざしていた伝統的な寺社は、都市化の進展に伴い経済基盤の弱化傾向が止まらない。この差はどこにあるのだろうか。
宗派や地方により問題は様々異なるのだろうが、本部と地方との関係、行事の運営など大本から学ぶところがあるのではないだろうか。
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ブログ活動10年目の節目に当たり、前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、2019年4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しています。
通説ではほとんど無視されていますが、キリスト教伝来以降ポルトガルやスペインがわが国を植民地にする意志を持っていたことは当時の記録を読めば明らかです。キリスト教が広められるとともに多くの寺や神社が破壊され、多くの日本人が海外に奴隷に売られ、長崎などの日本の領土がイエズス会などに奪われていったのですが、当時の為政者たちはいかにして西洋の侵略からわが国を守ろうとしたのかという視点で、鉄砲伝来から鎖国に至るまでの約100年の歴史をまとめた内容になっています。
読んで頂ければ通説が何を隠そうとしているのかがお分かりになると思います。興味のある方は是非ご一読ください。
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コメント
おはようございます♪
琴瀧・玉雲寺の紅葉はほんとうに美しいですね。
今年はもう散っているかも、ですが。
拝観してみたいです。
Ounaさん、コメントありがとうございます。
玉雲寺の紅葉はFacebookで昨日訪れた人の画像がアップされています。まだ十分楽しめると思います。琴滝は情報がありませんが、近くにあるのでついでに覗いてみるしかありません。
もし行かれるのでしたら、京都縦貫道のインターが出来て道がややこしくなっていますので、カーナビはあまり役に立ちません。手書きの道標を見つけられれば何とかなりますが、地図を用意されるなどして、位置を確認して行かれればよいと思います。
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