コミンテルン第六回大会の決議内容
「コミンテルン」は「第三インターナショナル」あるいは「国際共産党」とも呼ばれ、世界の共産主義国化のために一九一九年にモスクワで結成された共産主義運動の指導組織であり、日本共産党はコミンテルンの日本支部として大正十一年(1922年)に結成された。
以前このブログで一九二八年のコミンテルン第六回大会で採択された決議内容のことを書いたが、この内容は重要なので詳しく書くことと致したい。昭和二十五年に刊行された三田村武夫著『戦争と共産主義』に、この大会で決議された「帝国主義戦争と各国共産党の任務に関するテーゼ」の要点がまとめられているのだが、その一部を紹介させて戴く。ちなみにこの本は出版後GHQによって販売を禁じられ、ようやく昭和六十年になって『大東亜戦争とスターリンの謀略』と改題されて自由社より復刊されている。今では「国立国会図書館デジタルコレクション」の「送信サービス」の利用登録により、誰でも無料で原著を読むことが出来る。
この本によると、コミンテルン第六回大会で以下のような驚くべき内容が決議されている。
帝国主義相互間の戦争に際しては、その国のプロレタリアートは各々自国政府の失敗と、この戦争を反ブルジョワ的内乱戦たらしめることを主要目的としなければならない。…中略…
帝国主義戦争が勃発した場合における共産主義者の政治綱領は、
(1) 自国政府の敗北を助成すること
(2) 帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること
(3) 民主的な方法による正義の平和は到底不可能であるが故に、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること。
… 帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめることは、大衆の革命的前進を意味するものなるが故に、この革命的前進を阻止する所謂「戦争防止」運動は之を拒否しなければならない。
…大衆の軍隊化は『エンゲルス』に従えばブルジョワの軍隊を内部から崩壊せしめる力となるものである。この故に共産主義者はブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして進んで入隊し、これを内部から崩壊せしめることに努力しなければならない。…
三田村武夫『戦争と共産主義:昭和政治秘録』p.41~44
革命を成功させるために共産主義者は進んで軍隊に入隊し、国家を内部から崩壊せしめる力とし、自国政府の敗北を導けというものである。共産主義者は平和を希求し反戦を唱えて徴兵に抵抗したのではなく、むしろ進んで戦争に参加して国家転覆を導きプロレタリア革命を遂げるという使命を持っていたことを知らねばならない。
レーニンの敗戦革命論
このような考え方はレーニンが最初に唱えた『敗戦革命論』と呼ばれているが、その方法についてレーニンは、コミンテルン第一回大会及び第二回大会に際し記した草案や指示、文書などに次のように記しているという。
「政治闘争に於いては逃口上や嘘言も必要である」… 「共産主義者は、いかなる犠牲も辞さない覚悟がなければならない。――あらゆる種類の詐欺、手管、および策略を用いて非合法方法を活用し、真実をごまかしかつ隠蔽しても差し支えない。」…
「党はブルジョア陣営内の小競り合い、衝突、不和に乗じ、事情の如何によって、不意に急速に闘争形態を変えることが出来なければならない」
「共産主義者は、ブルジョア合法性に依存すべきではない。公然たる組織と並んで、革命の際非常に役立つ秘密の機関を到るところに作らねばならない。」
同上書 p.45~46
要するに、国家を内部崩壊させて共産革命に導くための手段は問わない。非合法行為もかまわないし、真実を隠蔽しても良いと言っているのだ。
この時代においては、このような恐ろしいレーニンの思想がインテリ層や若い世代を中心に全世界に拡がっていて、わが国においてもマルクス・エンゲルスやレーニンなどの全集が相次いで刊行され、飛ぶように売れていたのである。そしてレーニンの著作を読んでその影響を受けた若者が軍隊に入隊した可能性は決して小さくなく、またレーニンの考え方に則り、軍隊に対して赤化工作が重点的に行われていたのである。
日本共産党が兵士に配布したパンフレット『兵士諸君に与う』

昭和七年(1932)九月一日に日本共産党が対軍工作の為に出した『兵士諸君に与ふ』という赤旗パンフレットが残されており、「呉の戦災」というサイトに全文が掲載されている。
表紙に書かれている国際共産党は冒頭に書いたとおりコミンテルンの別称で、このパンフレットは日本共産党とコミンテルンの連名で出されていることに注目したい。
この『兵士諸君に与ふ』に書かれている内容は、当時の時代背景を考えると若い人々にそれなりの説得力があったと思われるのでぜひ一度読んで頂きたいと思う。(原文を新字新仮名に変更して引用)
…我々は軍服を着た労働者農民である。吾々はかつては、農村で、工場で、働き搾取されていた。吾々の親や兄弟は、土地を取り上げられ、重税に収奪され、特に昨年の大凶作、繭安以来、全く食うや食わずの生活を送っている。しかも我々が兵士として入営し、また出征することは、農村の働き手を奪われ益々農民の生活を窮迫させている。
悲惨なる農村裏話が到るところに語られている。
農民のかかる窮乏化は農民自身の責任ではない。…中略…
いかにも国際的恐慌に関連せる日本の農業恐慌、寄生地主による収奪、独占価格による搾取、高利貸、租税の無慈悲的取立により発生せる恐慌が農民自身の責任、その怠惰にでも起因するかの如く政府は「自力更生策」を掲げて、その無能を暴露し、農民を愚弄している。
飢餓窮乏はもとより農村ばかりでない。恐慌を切り抜けるための資本家の強硬手段、美名産業合理化は1930年代以来、労働者の破滅的窮乏を招来した。賃下げ、時間延長、労働強化は資本家の凶暴なる攻撃武器となっている。…特にかく首による失業者二百五十万を超えている。…
『兵士諸君に与ふ』p.1~2
少し補足すると、一九二九年にアメリカで始まった恐慌が全世界に広がっている時期に、わが国は昭和五年(1930年)に金解禁を行ない、そのために外国からの安い商品が入ってきて大量の金が海外に流出することとなった。対米輸出が激減し、井上準之助大蔵大臣のデフレ政策もあって商品市場が大暴落し、多くの企業が倒産したり操業短縮に追い込まれて、失業者が街にあふれて深刻な不況に喘いでいた(昭和恐慌)。
また、米と繭の二本柱で成り立っていた日本の農村は、生糸価格の大暴落が導火線となり農産物価格が下落したうえ、昭和五年(1930年)の豊作で大幅に米価が下落したために壊滅的な打撃を受け、さらに翌年の昭和六年(1931年)には東北・北海道が冷害のために大凶作となり、貧窮のあまり欠食児童や娘の身売りが相次いだという。

今では残念ながらリンクが切れてしまったが、かつて秋田県のHPにはこのような解説がなされていた。
凶作が決定的となった昭和9年、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると『父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち』の数は、1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2.7倍にも増加している。身売り娘が多かったのは、秋田の米どころと言われる雄勝・平鹿・仙北三郡であった。
娘の身売りは人道上のこととして、大きな社会的関心を呼び、これを防止しようと身売り防止のポスターを作って広く呼びかけた。
しかし、小作農民の貧しさの根本的解決がない限り、娘の身売りの根絶は困難であった。
秋田県だけで身売りした女性が一万を超えていたというのは凄い話だが、凶作で苦しかったのは秋田県だけのことではなかったようだ。

「身売り」という言葉をキーワードに『新聞集成昭和史の証言』を全文検索で調べると、昭和九年の記事が多数ひっかかる。上の画像は昭和十年十月十二日の東京朝日新聞の特集記事だが、岩手県の惨状をレポートしたものである。生活に困って田畑を担保に入れて借金して生活していたものの、さらに凶作が続いて借金が返せず、悪徳周旋屋にかかって娘を娼妓に売ったり、女給、女中に転落したケースが多かったようだ。軍隊を志望した若い青年の中には、親戚や知人の姉妹が家族の犠牲になって身売りされた話を実際に知っていた者が少なからずいたと思われる。
無能な政治家による経済政策の失敗の上に悪いことが重なって、国民の間には政党政治と財閥に対する不信感が高まっていたのだが、このような背景を知らなければこの時代に共産主義思想が広がっていったことを理解することは難しいのだ。
『兵士諸君に与ふ』の話に戻ろう。文章は次第に過激になっていく。
今吾々は、軍服を着て軍隊にとられた。
軍隊とは何か?それは、日本の労働者・農民の生活の守りであるか。
否、それは『天皇』の名において労働者農民を弾圧し、資本家地主の利益を擁護する、天皇・資本家・地主の最も重要な武装権力である。…中略…
吾々兵士は固き団結を以て来たるべき戦争を迎えよう。しかし如何なる態度をもってか?
戦争は未曽有の不況を切り抜けるために帝国主義日本の採った最後の手段である。
戦争は、天皇政府のいう如き好況を決してもたらさない。そして一切の犠牲と負担とはこの時にも、労働者・農民の肩に負わされる。
戦争は、労働者・農民を犠牲にし、資本家の市場獲得のために行うところの殺戮である。これが、戦争の本質である。…中略…
われわれは一切の侵略的戦争に反対だ。支那革命を圧殺するための対支出兵反対。ソヴェート同盟を守れ。そして、戦争を内乱に転化しなければならぬ。…中略…
戦争の切迫を前にして、我々は如何にして、兵士大衆を、自己の本来的な任務に自覚せしめることが出来るか。牢獄的不自由の中に生活している兵士大衆の山と積もる不平不満を通じて団結することによってだ。満州上海事変でも既に、幾多の兵士の階級的闘争を記録している。幾多の兵士はそのため銃殺された。上官に対する反抗は、到る所でなされた。兵士間での活動は、今こそ強められねばならぬ。
『天皇の軍隊』の崩壊のために、資本家・地主的天皇制の打倒のために、
労働者・農民・兵士のソヴェート樹立のために。
帝国主義戦争絶対反対!
戦争を内乱へ!
ソヴェート同盟を守れ!
支那革命を守れ!
労働者・農民・兵士の提携万歳!
同上 p.2~4
と、兵士に向かって「固き団結を以て来たるべき戦争を迎えよう」と述べているのだが、その目的は「戦争を内乱に転化」させ、政権を転覆させてソ連と同様の共産主義国家を樹立させることにあり、そのために兵士は労働者・農民とともに戦おうと書いているのである。この考え方は、レーニンの『敗戦革命論』そのものである。
では、具体的にはどのようにしろと言っているかというと、
「天皇の軍隊」は…ただ資本家・地主の利益を擁護するために存在するのだ。…中略…
労働者・農民は吾々の兄弟だ。親だ。我々は軍服を着た労働者・農民だ。…中略…
我々は資本家・地主の利益を擁護する「天皇の軍隊」崩壊のために、武装せる労働者・農民との固き提携のもとに「天皇政治」に武器を向けるために力一杯戦わねばならぬ。
同上 p.7
と、労働者・農民と提携して支配階級の巨大な権力機構に武器を向けて戦えと書いているのだ。
とは言うものの、最初から武器を持って上官と戦えと言っているのではない。まずは親睦会のような組織に入って少しずつ兵士の支持を勝ち取って軍隊内で合法的に力を増していけば、無茶な弾圧を受けることもないし、また合法性を獲得することも可能になると述べ、そして以下の様に締めくくっている。
支那の兵士たちを見よ!
残虐なテロに抗して、反動的な国民党内で活躍し、今や輝かしい赤軍建設に成功したではないか!
兵営、軍館内の兵卒、兵、大衆諸君! …
今こそ、団結せよ! 勇敢に戦え!
兵士大衆自身の組織、兵士委員会を作れ!
同上書 p.17
こんなパンフレットが五・一五事件の起きた四か月後に軍隊に配られていたのであるが、五・一五事件を起こした青年将校の書いた檄文にはよく似たことが書かれているのだが、その点については後述する。
兵士に配布された「兵士の友」
兵士の赤化工作のために作成された文書は『兵士諸君に与ふ』以外にもあるので、もう一つ紹介しておこう。『兵士の友』は兵士の友社が月二回発行していた新聞である。兵士の友社と日本共産党との関係は新聞紙上には明記されていないが、「呉の戦災」のサイトによると、「共産党中央は軍事部を設け、『兵士の友』を発行した」とあるので、コミンテルンや日本共産党とかかわりのあるメンバーが発行したものと考えられる。このサイトに昭和七年(1932年)の九月に発行された『兵士の友』の創刊号の全文が掲載されている。

創刊号には、上海の日本兵士が将校に銃を向けた話や、上海の日本飛行隊の兵士が空から「帝国主義戦争反対」「ソヴェート同盟を守れ」と書かれた宣伝ビラを撒いた話、撫順の守備兵士が将校の命に反抗して叛乱したことなどが書かれている。この頃から大陸では日本軍の左傾化が進んでいたことは確実である。

また「呉の戦災」のサイトに昭和八年八月に出された『兵士の友』第十号の紙面も紹介されている。少し読みにくいが二枚目には重要なことが書かれている。
今や我々は断乎たる決意を以て告げる。
中国の兄弟たちとの戦争を拒否しよう。そして手を握り合おう。戦線から去ろう。
ソ同盟の同朋には断じて銃は向けまい。
我々の銃は後ろへ! 〇〇(判読不能)と流血の戦争政府へ、資本家地主の天皇政府へ!
『兵士の友』昭和八年八月二十五日号 p.2
この時期にどの程度の兵士がこの『兵士の友』を読んでいたかはよく分からないが、日本軍が次第に左傾化していったことを考えると、それなりの影響力はあったと考えざるを得ない。
五・一五事件の首謀者が書いた檄文
この頃のわが国では、国家権力に銃を向ける事件が相次いでいる。例えば、昭和七年(1932)五月十五日に青年将校が首相官邸に乱入し、犬養毅首相を殺害する事件が起こったのだが、この五・一五事件の首謀者が書いた檄文を読むと左翼思想の影響を感じざるを得ず、この時期のテロ事件のいくつかはコミンテルンや日本共産党による何らかの工作がなされた可能性を感じるのだが、戦後の歴史叙述ではこの檄文の内容がほとんど封印されている。
戦後第三次池田内閣の時に検事総長を務めた馬場義続の著書『我国に於ける最近の国家主義乃至国家社会主義運動に就て』に、五・一五事件の檄文全文が掲載されているが、最後の部分だけ引用させていただく。
国民諸君よ! 武器をもって起て。今や国家救済の途は唯一つ。直接行動以外に何ものもない。
国民よ、天皇の御名に於て君側の奸を葬れ、国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ! 横暴極まる官憲を膺懲せよ! 奸賊、特権階級を抹殺せよ! 農民よ、労働者よ、全国民よ! 祖国日本を守れ、而して陛下聖明の下、建国の精神に帰り、国民自治の大精神に徹して人材を登用して朗らかな維新日本を建設せよ!民衆よ、此の建設を念頭にしつつ先づ破壊せよ! 凡ての現存する醜悪なる制度をぶち壊せ!
威大なる建設の前には徹底的な破壊を要す。吾等は日本の現象を哭して赤手世に魁けて諸君と共に昭和維新の炬火を点ぜんとするもの。素より現存する左傾右傾の何れの団体にも属せず。日本の興亡は吾等(国民前衛隊)決行の成否に非ずして吾等の精神を持して続起する国民諸君の実行力如何にある。
起て! 起つて真の日本を建設せよ!
昭和七年五月十五日 陸海軍青年将校
馬場義続『我国に於ける最近の国家主義乃至国家社会主義運動に就て』昭和10年刊 p.439
この檄文では「天皇の御名に於て」「陛下聖明の下、建国の精神に帰り」などと書いているが、この部分を除くと、言っていることは共産主義者と変わらない。農民や労働者に対して、体制の破壊のために蹶起を促すことは右翼ではあり得ないことである。この檄文は、彼ら青年将校の中心人物に、マルクスやレーニンの影響を受けていた者がいたことを物語っている。彼らの多くはレーニンの言う『敗戦革命』を実現させるべく、自国政府を敗北に導くために進んで入隊したメンバーではなかったのか。
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