北京で排日運動が開始された背後に英米人の煽動があった

中国排日

 前々回の「歴史ノート」で、第一次大戦後の一九一九年に開催されたパリ講和会議で、わが国が提案した人種差別撤廃案が否決されたことからアメリカ各地で黒人暴動が起きたことを書いたが、中国の排日運動がいつから始まったかを調べると、パリ講和会議において、人種差別撤廃案が賛成多数であったにもかかわらず、議長であったウィルソン米大統領が「全会一致でないため提案は不成立である」との理由で否決した日からわずか二十二日後に北京で大規模な排日運動(「五四運動」)が行われているのである。

「五四運動」はなぜ起きたのか

 このブログで中国研究者の長野朗の著作を何点か紹介させて頂いたが、彼は陸軍の軍人として辛亥革命後中国に派遣され、「五四運動」が始まった頃には北京の中国人の家に下宿していて、「排日運動」の始まりを自分の眼で見て来た人物である。

 長野は大正十年(1921年)に中国問題に専念するために軍を辞し、その後共同通信、国民新聞の嘱託となって数多くの著書を残したのだが、彼の中国に関する著作は十八点がGHQによって焚書処分の指定を受けており、焚書点数の多さでは野依秀市、仲小路彰についで第三位である。このことは彼の著作が戦勝国にとって都合の悪い真実が多数記されていることを意味している。

デモ行進する北京大学の学生(Wikipediaより)

 昭和十七年に出版された『支那三十年』には次のように記されている。ちなみに文中の「欧州戦争」は「第一次世界大戦」を意味している。

 その時私は北京で日本人の居住地から離れ、一人で支那人の家に下宿していたが、私のいたすぐ近所で排日の第一声が起こり、それから排日が抗日になるまで見物していたから、ここは北京政府時代の排日の起こった時からの私の実見記を簡潔に述べてみよう。

 排日が起こったのは大正八年(1919年)の五月四日であるから、五四運動(ごしうんどう)といわれている。やったのは北京大学の学生だが、起こりはいろいろでここに詳しく述べている暇もないが、第一には英米が欧州戦争中に、東亜の市場を日本に独占されていたのを、何とかして取戻そうとして、排日を煽り日貨排斥を宣伝した。欧州戦争中はさすがに気兼ねしていたが、休戦ラッパが鳴り響くや忽ち英米新聞が排日の宣伝を始め、それが支那新聞に伝染し、漸く気勢が出来てきた

『支那三十年』復刻版 呉PASS出版 p.62
「支那三十年」 復刻 長野朗 呉PASS復刻選書23
A5版、284ページ。戦前の支那に、長期に亘り滞在した、政治活動家長野朗の生々しい支那大陸のルポルタージュ。とにかくおもしろい。辛亥革命後の混乱期から、支那事変までを、愉快な筆致で描く。癖のある軍閥の領袖たち。相も変らぬ一般支那人のしたたかな生き様。現代中国の分析にも生かされる、不変的な大陸国民の国民性を、深く広く記録...

 五四運動の背景に英米がいたということは戦後ではタブーとされており、一般的な教科書である『もういちど読む 山川日本史』では次のように記されている。

 パリ平和会議の結果、日本は、山東半島の旧ドイツ権益の継承、国際連盟の委任による赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島(サイパン島など)の統治を認められた。しかし、中国は日本の山東権益継承に強く反対し、大規模な反日民族運動(五四運動)が展開された。また、日本がこの会議に提出した人種差別撤廃案は、アメリカなど大国の反対で採択されなかった。

『もういちど読む 山川日本史』p.278

 このように、五四運動は中国人が自ら立ち上がったかのように描かれて、肝心の米英の関与については一言も触れられていないのだ。

長野朗の『支那三十年』を読む

 『支那三十年』には五四運動の学生と英米勢力の動きが詳細に記されている。

 五月四日の夜、親日派の曹汝霖(そうじょりん)邸を焼き討ちし、章駐日公使に負傷させた北京大学生は、…翌日の全市の新聞が大いに彼らの行動に肩を持っているし、政府の処置が緩やかであったのに元気をだし、忽ち火の手は北京の各大学から天津に伝わり、全国の学校に及んだ。全国の学生運動の中心をなしたのは英米系の学校と、基督教青年会の幹部とであった。基督教青年会の連中は学生を取り付けるために映画を見せたり、お茶を出したりして誘い込むのである。

 私は日本人の居住地と離れて支那人の家にいたので、よく排日の宣伝ビラを私の所に投げ込んで行ったものである。私もたびたび排日の行列を見物したが、実際だらだらしたもので、熱も活気もなく、ブラリブラリと歩いていた。それもその訳で、行列賃一日五十銭で駆り出されたのである。幹部連がうんと運動費を儲け、一般の学生には五十銭しかやらない。後には幹部連中の間で運藤費の分配について内輪喧嘩が起こった。幹部連は金は儲かるし、一躍愛国者としての名誉を得るし、男女学生の合作だから、その間に恋の花も咲くし、一挙に金と名誉と恋とを得るので、排日運動がやめられなくなり、遂に排日商売が出来上がり、機会ある毎に排日運動を起こすに至った

『支那三十年』復刻版 p.63

 長野は排日の演説を何度も聞きに行ったが、演説賃は一回あたり五十銭、巧い者は一円、女学生の演説は効能があるので一円が支払われていたという。
 当時中国には国定教科書がなく、商務印書館とか中華書局とかいうところで勝手に教科書が作られていたが、排日が流行になると盛んに排日記事を入れた教科書が売り出されるようになって、初めて排日教科書が現れたのは大正八年(1919年)だったと書かれている。

 その当時の排日的教科書の事例として、当時の地理の教科書が紹介されている。

 日本は島国なり、明治維新以来国勢驟(にわか)に盛なり、我が琉球を県とし、我が台湾を割き、我が旅順大連を租借し、朝鮮を併呑し、奉天、吉林に殖民し、航業商務を我国各地に拡張す。

同上書p.65

 このように、一度も中国の領土になっていないはずの沖縄も台湾も日本に取られたと教科書に書いてあったというのだが、この国のやることは今も昔も変わらない。

 その後、国民政府*になってからは、政府自ら排日教科書を編纂し、童謡や童話や児童劇にも排日を盛るに至ったという。
*国民政府:一九二五~一九四九年に国民党が中国大陸で樹立した政府

 中国の排日の背景について長野氏はこう書いている。

 排日運動を初めから眺めていると、英米人の煽動は実に目に余るものがあった。公吏が自ら乗り出してやっているし、運動費を出す。それも一度に出すとパッと焚(も)えて後は火の消えたようになるから毎月に出すし、外字新聞が排日煽動の音頭取りをやるし、それに自分の新聞だけで足らずに、支那紙を買収して盛んにやったものである。各地の学生会でも、英米人経営の学校が凡て中心になっている。宣教師共が排日運動に大童(おおわらわ)で活動する。殊に基督教青年会の活動が目立っている。英国は未だ日英同盟が存在していたので、表面には出ないで、アメリカを表に出して裏で盛んに活動した彼らの最も恐れたのは日支の結合である

 日支が結合すれば、世界何物もこれを冒すことはできない。それでは彼らの野望が達せられないので、まず日支を離間することに全力を注ぎ、次にこれを衝突させ相闘(あいたたか)わしめようとした。この深謀遠慮は、二十年のたゆみなき努力により、蒋介石の長期抗戦となって現われた

同上書p.65~66

このブログで、日露戦争で黄色人種の日本人が白人のロシアに勝利したことがアメリカの黒人たちを目覚めさせ、白人が有色人種を支配する世界を日本人が崩していくことを期待し、そのためには日本人がまず中国を欧米から解放し、次いでインドやアフリカ、東南アジアの有色人種を白人支配から救出することを願っていたことを書いた。

 しかしながら、白人たちは全米で排日運動を推進して黒人と日本人とを分断し、さらに支那においても排日運動を誘導し、日本人と支那人との分断を謀ろうとしたのであろう。アングロ・サクソンお得意の「分断工作」である。

黄色人種間の分断工作としての「支那排日」

 前掲書に、日本人と支那人の分断化工作がいかにして行われたかが具体的に記されている。

 最初に英米人は、排日と親英米の空気を造るのに全力を注いだ。そのために宣教師と学校を配置した。英米の宣教師はわずか数百の県を除き、支那数千の県に悉く配置され、その数は数千に達した。
 大正八、九年には、一船ごとに数十人の宣教師が送られ、アメリカは年に二千万ドルの金を費った。これ等の宣教師は境界に簡単な診療室を設け、支那人の歓心を得た。また教会の手で各地に学校が設けられた。
 大学、専門学校など外人設立のものが支那で設けたものよりも多く、二十七を算した。中等学校が数百、小学校、幼稚園は数千に達した。準備は完了した。これを基礎に排日の運動を起こしたから、燎原の火のように一挙に全国に広がったのである。

 これらの学校は排日の宣伝場となり、医科大学に於いてさえ学校に日米比較の統計表が懸けてあるが、国の大きさ、産物工業交通等を比較されたのでは、日本は米国の足許にも寄り付かないのだから、事大思想の支那人の頭には、米国親しむべし、日本侮るべしの感を抱かせる

同上書 p.66~67

 支那ではアメリカの映画が数多く上映され、例えばニューヨークの摩天楼の映像の後に日本の北海道の田舎町の映像を対比させたりして、アメリカが圧倒的に豊かな国であり日本がみすぼらしく見えるような印象操作をするなどして、支那人に親英米・排日の感情を高揚させていったという。

 しかしながらこのような工作は、単に黄色人種である日本人と支那人を分断させることだけを目的として行われていたのではなく、英米人たちは一石二鳥を狙っていた。

英米が「支那排日」を推進したもう一つの重要な目的

 上の画像は大正六年(1917年)五月十三日付の時事新報の記事だが、前年の支那貿易額が輸出入合計で二億七千参百万両に達し、国別では日本が首位であったことを伝えている。ちなみに、第二位が香港(二億七千二百万両)、第三位がアメリカ(一億二千六百万両)、第四位がイギリス(一億五百万両)であった。要するに英米は、第一次大戦で日本が開拓した市場を奪い取ろうと考えていたのである。

 長野朗はこう解説している。

 英米の狙いの一つは支那市場の独占である。それには日本品を支那市場から追っ払わねばならぬ。ところが日本の方が万事条件が良いので、尋常の方法では駄目だから、日貨のボイコットをやって、その間に英米貨を入れようとした。事実アメリカの対支貿易はずっと低いところにあったが、めきめきと出てきて、英を抜き日本を抜いて第一位となった

同上書p.67~68

 上の画像は大正12年(1923年)7月2日の中外商業新報の記事だが、支那の日貨排斥により欧米の支那輸出は増加し、わが国の輸出が不振であることが書かれている。

 要するに支那人に日貨排斥をさせて日本商品が売れないようにさせたわけだが、ボイコットの期間は当初は短期間であったもののそれが次第に長期間となり、ボイコットを始める前の日本企業との契約も守られなくなっていったという。

 ボイコットの期間が長くなり、又開始前の契約も認めないようになったので、日本の小さい店は倒れるものも出てきた。それにボイコットも部分的でなく多くは全国一斉に行われ、後には南洋まで拡がった。期間が短いと欧米に注文する暇はないが半年一年となると、欧米品が日本品に代ってどんどん入るようになり、この機会に支那にも盛んに工業が起こってきた。ボイコットの方法も深酷になり、違反者を捕えて檻に入れたり、爆弾を投げ込んだり、莫大な罰金を課したり、耳を切ったり、それをすべて私的団体でやり政府は見ているから、支那の政府に抗議しても何にもならない

同上書p.69

 日貨ボイコットが長期化すると、支那人も起業して生産を開始するようになり、日貨排斥を支那人独自で行うようになっていった。国民政府が樹立された以降は排日教育がさらに徹底されるようになり、対日経済戦としての日貨排斥が各地で行われたのである。

 上の画像は昭和四年(1929年)一月八日の東京朝日新聞の記事だが、国民政府成立後に排日貨の隙を狙って英米独の対支輸出が激増したことが書かれている。

 アメリカが対支貿易額で首位となったのは一九三一年(昭和六年)のことで、十二年かけてアメリカはようやく日本を追い抜いたのだが、このような史実を多くの日本人に知られては、戦勝国が日本人に押し付けた「日本だけが悪かった」という歴史観が成り立たないことは誰でもわかる。長野氏の著作には「戦勝国にとっては都合の悪い史実」が数多く記述されていたために、著書の大半がGHQによって焚書処分されたと理解するしかない。

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【ご参考】長野朗の著作の紹介記事

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コメント

  1. ラングドック・ラングドシャ より:

    中国での利権の獲得を目指す。米英だけでなく、独もいろいろ企んでいたようです(もちろん露もでしょう)。
    戦後、日本人に公開できないことの一つに、ドイツも日本を攻撃する側にいたということもあるのではないかと思います。国民政府に対するドイツの支援は、多岐にわたっていたと聞いたことがあります。
    いま調べてみても、かなりの数の研究成果がネット公開されていました。

    北村稔という方が書かれた文
    http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/608/608PDF/kitamura.pdf

    「日中戦争の「不都合な真実」 戦争を望んだ中国 望まなかった日本」 PHP文庫
    という御本をまとめていらっしゃるようです。
    https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E3%80%8C%E4%B8%8D%E9%83%BD%E5%90%88%E3%81%AA%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%80%8D-%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92%E6%9C%9B%E3%82%93%E3%81%A0%E4%B8%AD%E5%9B%BD-%E6%9C%9B%E3%81%BE%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC-PHP%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8C%97%E6%9D%91-ebook/dp/B00OSXCEPY/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=1FFSRF9T0HQ2C&keywords=%E5%8C%97%E6%9D%91%E7%A8%94&qid=1658200182&sprefix=%E5%8C%97%E6%9D%91%E7%A8%94%2Caps%2C217&sr=8-1

    『ドイツ軍事顧問団と上海戦線を目の当たりにしていた宇都宮直賢大尉は、戦後、「中国におけるドイツと、ソ連の軍事工作振りから見たら、大東亜戦争に入る前の英・米の動きなどまだまだ紳士的だったといえる。」と述べている。』
    という文章が引用されている、この本も読んでみたいです。

    「日中戦争はドイツが仕組んだ―上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ」
    https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AF%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%8C%E4%BB%95%E7%B5%84%E3%82%93%E3%81%A0%E2%80%95%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E6%88%A6%E3%81%A8%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E9%A1%A7%E5%95%8F%E5%9B%A3%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%82%BE-%E9%98%BF%E7%BE%85-%E5%81%A5%E4%B8%80/dp/4093878145

    似た書名で

    「日中戦争はスターリンが仕組んだ―誰が盧溝橋で発砲したか」
    というのもありました。
    https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AF%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%8C%E4%BB%95%E7%B5%84%E3%82%93%E3%81%A0%E2%80%95%E8%AA%B0%E3%81%8C%E7%9B%A7%E6%BA%9D%E6%A9%8B%E3%81%A7%E7%99%BA%E7%A0%B2%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%8B-%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%8D%98%E4%B8%80/dp/4585222162/ref=pd_sbs_sccl_2_4/358-1597313-3368608?pd_rd_w=BtGVX&content-id=amzn1.sym.7ee6fb34-dad9-4643-b21d-aeaa6bf884aa&pf_rd_p=7ee6fb34-dad9-4643-b21d-aeaa6bf884aa&pf_rd_r=PH546GR8W4KGRP8Y11ZZ&pd_rd_wg=ETX55&pd_rd_r=f4ab2b4e-499f-4b1f-924a-1c81eabdf7a2&pd_rd_i=4585222162&psc=1

    読みたい本がたくさんあります。

    • しばやん より:

      ラングドック・ラングドシャさん、コメントありがとうございます。

      中国市場を欧米列強の多くが狙っていたことは間違いないですね。いろいろ論文や書籍を紹介いただき感謝です。
      読みたい本が一杯あって、時間がいくらあっても足りませんね。

      阿羅健一さんの『日中戦争はドイツが仕組んだ』は、私の旧ブログで記事を書いたことがあります。
      https://shibayan1954.blog.fc2.com/blog-entry-254.html
      ファンケルハウゼンは蒋介石に対日戦を主張し、その戦術迄授けました。
      しかし戦後に描かれた通史では、欧米列強が侵略に知恵を絞っていた史実については全くスルーしていますね。

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