義和団による暴動をチャンスとし、満州占領に動いたロシア

義和団の乱から日露戦争

 前回まで二回に分けて北京の公使館区域が義和団と清兵に囲まれて、八ヶ国連合軍が籠城者を救出したことを書いたが、義和団が天津や北京で暴れている時に、満州でも暴動が起こり、ロシアは八ヵ国連合軍が天津・北京で義和団の暴徒らと戦っている最中に、満州に大軍を送り込んでいる。

何故ロシアは満州に大軍を派遣したのか

 三国干渉によりわが国は遼東半島の領有権放棄を余儀なくされたが、一八九六年ロシアは清国の李鴻章との密約で、見返りに満州北部の鉄道敷設権を獲得している(露清密約)

 ロシアによる東清鉄道建設は一八九七年から開始されたが、工事開始直後から、土地の強制収奪に反対する農民らがゲリラ戦を展開していた。一八九九年に山東で起こった義和団運動の報が伝わると、農民たちの工事妨害はさらに激化し、一九〇〇年六月二十一日に清帝が列国に宣戦布告した後は、清国正規軍もまきこんだ外国人排斥の大暴動に転化していったという。ロシアの陸軍大臣クロパトキンは、これは満州を占領するチャンスであると捉え、十六万という大軍を満州に送り込んだのである。

 本山桂川 著『ロシア侵寇三百年』にはこう解説されている。

 初め義和団の暴徒が、北京・天津に事を起こした時、奉天の土匪もまたこれと響応して、ロシアの東清鉄道守備兵を襲撃した。ついで清帝が列国に対して宣戦を布告するや、奉天副都統晋昌(しんしょう)は、自ら兵を督して天主会堂を焼き払い、鉄嶺鉄道および遼陽鉄道を破壊した。ロシアの鉄道従業員は、命からがら逃げ出したが、その途中で追撃され、夥しい死傷者を出した

 更に六月下旬に至り、黒龍江副都統はロシア軍艦を砲撃、また一隊の官兵はブラゴエチェンスクを襲い、黒龍江の航路を閉塞し、ザバイカル湖に現れた一支隊は、シベリア鉄道を占拠するに至った。

 ここにおいてクロポトキンは、黒龍江管区駐屯の軍隊をして北満州に進攻せしめ、関東省駐屯の軍隊をして南満州に進攻せしめた

本山桂川 著『ロシア侵寇三百年』実業之日本社 昭和14年刊 p.281~282

 ロシア軍は十月には全満州を占領してしまうのだが、満州におけるロシア軍の行動は、北京の公使館区域とは比較にならない程ひどいものであった。

江東六十四屯虐殺事件

 前掲書には、ロシア軍が満州においてどのような行動を取ったかが記されている。

 ロシア軍隊の過ぐるところ、或いは民家を焼き、或いは官庫を劫掠し、わけても中央支隊に至っては、ブラゴチェンスク居住の支那人三千人を焼き殺して、悉くこれを黒龍江に沈めたのである。

 ただその間、南満州進攻の関東軍他意は、その大舞台を北京・天津に派遣したため、未だ俄かに奉天を衝くことが出来ないでいたが、同年七月沿海州駐屯増援軍の到着するに及び、忽ち奉天城に進撃し南北満州のロシア軍他意はここに合して一隊となった。

 かくて彼らは療養、新民屯、安東県、錦州等をも略取し、満州一帯十二万方里の地域を占拠し、全満州は挙げてロシアの軍政下に支配されることとなったのである。

 ロシア兵の満州進入以来前後三か月、満州民を虐殺すること二万五千に達した。しかも彼らは十六万の大軍を本国より遠征せしめながら、ロシアの軍隊を満州に進めたのは、単に鉄道を保護し秩序を維持するがためである、満州において十分なる秩序が確立せられ、東清鉄道の保護に関して、必要なる手段がとられるに至らば、ロシアは清国の版図内より、即時軍隊を撤収するに躊躇せざるものであると、まことしやかに声明した。

同上書 p.282~283

 ブラゴチェンスク居住の支那人三千人を虐殺し、黒龍江(アムール川)に沈めたことから始まる『江東六十四屯(こうとうろくじゅうしとん)虐殺事件』はかなり有名な事件なので、少し補足しておこう。

 一八五八年に清朝とロシアとが締結したアイグン条約で、清の領土であったアムール川の左岸の外満州はロシアに割譲されたのだが、黒河の対岸の「江東六十四屯」と呼ばれる地域には大勢の中国人居留民がいたために、この地域だけはロシア領ながらしばらく清国の管理下に置かれていた。ところが、ロシア軍は義和団の乱を機にこの地域に住む支那人を掃討することを決意したのである。

石光真清の手記

 たまたま日本陸軍の石光真清がブラゴヴェシチェンスクに滞在しており、この事件について詳細な記録を残している。

石光真清(Wikipediaより)

 一九〇〇年七月十六日にブラゴヴェシチェンスク在留の清国人狩りが一斉に行われ、約三千人が支那街に押し込まれ、馬に乗った将校が「ロシアは清国の無謀な賊徒を討伐することになった。お前たち良民はここにいると危険だから安全な土地へ避難させてやる。討伐が済んだら元の家に帰るが良い。…」とふれ歩き、大勢の清国人を引き連れて黒龍江(アムール)沿いに向かう。それから虐殺が始まった

 石光は手記にこう記している。

 (将校は)到着すると直ぐ河岸に集め、静かにしろと命令しました。そして銃剣を構えた兵隊がぐるりと取り巻いて……取巻いてと言っても河岸の方をあけたままで、じりじりと包囲を縮めて行きました。将校が馬を走らせて指揮していました。勿論抜剣して……命令に服さん奴は撃ち殺せと怒号していました。えらい騒ぎでした。命令に服するも服さないもあったものではありません。どうしてと言ったって、なにしろ銃剣や槍を持った騎兵が退れ退れと怒鳴りながら包囲を縮めて、河岸へ迫ってゆくのですから堪りません。河岸から人間の雪崩が濁流の中へ押し流され始めたのです。わあっという得体の知れない喚声が挙がるともう全部気狂いです。人波をかき分け奥へもぐり込もうとする奴もいれば、女子供を踏み潰して逃れようとする者、それを騎兵が馬の蹄で蹴散らしながら銃剣で突く、ついに一斉に小銃を発射し始めました。叫喚と銃声と泣声と怒号と、とてもとても、あの地獄のような惨劇は口では言えません。二隊に分けたと言っても全部で二千名近い人間を一束にして殺そうというのです。…子供を抱いて逃れようとした母親が芋のように刺し殺される。子供が放り出されて踏み潰される。馬の蹄に顔を潰された少年や、火の付いたように泣き叫ぶ奴等が、銃尻で撲り殺される。先生先生と縋り付いて助けを乞う子供を蹴倒して、濁流ヘ引きずり落す。良心を持っている人間に、どうしてこんなことが出来るのでしょう。良心なんてない野獣になっていたのでしょうか。子供の泣き顔を銃尻で潰す時に、自分の良心も一緒に叩き潰してしまったのでしょう。…

(中公文庫『曠野の花』p.39~40)

 そして八月に入ってロシア軍は、露満国境を徹底的に掃討しようと企て、三日に黒河鎮に上陸し、たちまち城内を確保し火を放って焼き払い、逃げ遅れた市民を片端から虐殺して火炎の中に投じ、次に愛暉城を包囲し、ここでも逃げ遅れた市民をことごとく虐殺して、火を放って焼き払ったというという。
 清国の官吏は数日前に逃亡し、軍人も撤退してしまっていた。市民のうち裕福な者だけが財物をまとめて逃げたのだが、約三万人の市民の大部分が自分の家々に踏みとどまっていたそうだ。しかし黒河鎮の人々が虐殺された話が伝わると、一斉に斉斉哈爾(チチハル)公路を南に向かって避難し始めたのである。

中公文庫『曠野の花』p.8~9

 石光真清の文章を続けよう。

 …従って斉斉哈爾公路には蟻の行列のように、二万幾千人の避難民が家財を持って殺到した。大半が未だ付近にうろうろ犇(ひし)めき合っている時分に、早くもロシア軍は城内に火を放ち、渦巻く猛煙の中で大虐殺の修羅場を展開したのである。
 ロシア軍は城内に取残された市民を片端から虐殺したばかりではない。勢いを駆って市民の避難路へ追跡攻撃を始めた。既に清軍の影もなく、武器ひとつ持たぬ彼ら避難家族の大群を目がけて射撃したから堪らない。その惨状はブラゴヴェヒチェンスクや黒河鎮における虐殺に劣らなかった。…
 こうしてブラゴヴェヒチェンスク対岸の清国の都市村落はことごとく焼払われ、その住民は徹底的に殺された。…

(同上書 p.45~46)

 かくして江東六十四屯から清国人居留民は一掃され、ロシアが軍事的にこの地を占領したのだが、ロシアはその後も、満州に居座り続けたのである。

日本人に大きな衝撃を与えた『江東六十四屯虐殺事件』

 ロシア軍によって罪のない清国人が大量に虐殺された事件は日本人に大きな衝撃を与え、詩歌にさえなった。

 事件の翌年に出版された土井晩翠の詩集『暁鐘』に、この事件に対する怒りと悲しみを詠んだ「黒龍江上の悲劇」という作品が収められている。冒頭の部分を紹介しよう。

大江流れて四千露里、水は長空の影ひろく、
雲烟迷ふシベリヤの南を遠く貫きて、
末韃靼の海に入る黒龍の流、萬古の波
記せよ――西暦一千九百年なんぢの水は墓なりき、 

五千の生霊罪なくてここに幽冥の鬼となりぬ、
其凄惨の恨みよりこの岸永く花なけむ、
千載これより大江の名、罪の記念に伴はむ、
萬世これより大江の線、東亜の地図に血を染めむ。

土井晩翠 著『暁鐘』有千閣 明治34年刊 p.46~47

旧制第一高等学校(現:東京大学教養部)の寮歌のひとつに『アムール川の流血や』という歌があるが、この寮歌は、この事件のあった翌年の寮祭の記念歌として披露されたものである。たとえば3番までの歌詞はこのようになっている。

1.アムール川の流血や  凍りて恨み結びけん
 二十世紀の東洋は   怪雲空にはびこりつ

2.コサック兵の剣戟(けんげき)や 怒りて光散らしけむ
 二十世紀の東洋は 荒浪海に立ちさわぐ

3.満清(まんしん)すでに力尽き  末は魯縞(ろこう)も穿ち得で
 仰ぐはひとり日東の  名も香んばしき秋津洲(あきつしま)…」

 ロシアが一度占領した満州を簡単に手放すことは考えにくい。その後ロシアはさらに南下して、朝鮮半島にも侵略の手を延ばしていくようであれば、わが国もロシアに対して戦備を整えざるを得なくなる。

日英同盟の締結

 アジアに多くの植民地を持つイギリスもこのロシアの満州進出に脅威を覚えていて、ロシアを牽制するためにわが国との同盟を検討している情報が明治三十四年三四月頃に入って来た。

 当時のわが国は、ロシアと妥協してその侵略政策を緩和させるべきだという日露協商論(伊藤博文、井上馨ら)と、日本と利害を同じくする英国と結んで、実力でロシアの南侵を阻止すべしとする日英同盟論(山形有朋、桂太郎、小村寿太郎ら)の二つの考えがあったが、六月に桂内閣が成立すると七月にイギリスの林公使より英国外相から対等の条件で日英攻守同盟の相談を受けたとの電報があり、外相の小村寿太郎が意見書を纏めて元老会議を全会一致で可決に導き明治三十五年(1902年)一月に日英同盟が締結されている

小村寿太郎

 この同盟は、締結国が他国(一国)の侵略的行動(対象地域は中国・朝鮮)に対応して交戦に至った場合は、同盟国は中立を守ることで、それ以上の他国の参戦を防止すること、さらに二国以上との交戦となった場合には同盟国は締結国を助けて参戦することを義務づけたものであるが、二年後の日露戦争の時はこの同盟があることによって、イギリスは表面的には中立を装いつつもロシアと同盟国であるフランスの参戦を防止させ、諜報活動やロシア海軍へのサボタージュ等でわが国を支援したのである。このイギリスの支援がなければ、わが国が日露戦争で勝利することは難しかったのではないかと思う。

 この日英同盟締結の交渉を進めた小村寿太郎らは、ロシアは満州占領だけでは満足せず、次に韓国を侵略することは必至であると考えていたのだが、その後のロシアの動きについては次回に記すことにしたい。

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コメント

  1. シドニー学院 より:

    しばやんさん、こんにちは。いつも楽しく拝見しています。
    >ロシアの軍隊を満州に進めたのは、単に鉄道を保護し秩序を維持するがためである、満州において十分なる秩序が確立せられ…

    中村粲著『大東亜戦争への道』で、ロシア軍による江東六十四屯虐殺事件の蛮行を知っていましたが、今回の記事で石光真清がその現場に立ち会って詳細な記録を残していたことを知りました。ロシア兵による筆舌に尽くし難い蛮行の描写、彼らロシア軍の秩序回復は住民を殲滅することなのですね。土井晩翠の詩集『暁鐘』や旧制第一高等学校の寮歌にも歌われていたということは、当時多くの日本人に周知の事実であったことになります。そして、ニコライフスクの尼港事件や終戦当時の葛根廟事件で、夥しい日本人が惨殺されたり戦車に踏みつぶされたりした情景とも重なります。

    YouTubeチャンネルが削除されたので、亡命してきたロシア陸軍中将の『露国革命の回顧』という、1919年の朝日新聞の寄稿を再度動画にしたばかりです。ユダヤ人が、姦策を用いてロシア人を惨殺する様子が書かれています。日本人は、通州事件でシナ人の残虐性に恐怖を覚えましたが、その上を行くのがロシア人で、またその上を行くのがユダヤ人ということになります。トーラーには、エホバが何度も他民族を殲滅せよと命じ、憐れんではならないと命じています。そして今も続くコロナ騒ぎは、彼らユダヤ人の無慈悲な他民族殲滅作戦なのかもしれません。

    小村寿太郎については、興味深い話があります。明治34年に米国人ジャーナリストのE・H・ハウスが小村の上奏によって叙勲されました。https://bit.ly/33xiZfJ 
    この上奏文には、当時の米国公使デロングが英国公使パークスに加担して日本に損害を与えているので、デロングの解任に貢献したというものです。また、下関戦争の賠償金を日本に返還するのに尽力し、不平等条約改正に際して米国などで流布していた旅順惨殺というデマを打ち消して、条約の批准に貢献したというのもあります。そして、ハウスは日本政府の内命を受けて、欧米でパークス非難論争を起こしてその解任にも成功しました。詳しくはブログ『日米交流』にあります。http://japanusencounters.net/house_1.html#relay

    日英同盟成立の立役者は、愛宕北山著『ユダヤと世界戦争』によればフリーメイソンの林董だとあります。アカウント削除の原因である『シオンの議定書』の第七議定には、「 欧州のゴイム政府征服策を一言で云えば、ある一国を暗殺し、恐怖させる事で吾々の力を示すことである。万一皆が結束して吾々に対して立つならば、彼等に米国、支那または日本の大砲を向けて応酬するであろう。 」とあります。日本を使って帝政ロシアを崩壊させる目的で日英同盟を結んだとも考えられ、2年後の1904年に日露戦争が起き、実際に間もなくユダヤ革命ともいわれるロシア革命が起きて帝政ロシアが崩壊しました。

    ハウスへの叙勲の上奏文を読めば、小村が英国の邪悪性を十分認識していたことが判ります。しばやんさんのブログや戦前の本や新聞を読んでいくと、つまり知れば知るほど明治維新以降、日本は常に究極の選択を迫られていたのだと再認識します。

    • しばやん より:

      シドニー学院さん、コメントいただきありがとうございます。とても励みになります。
      >日本人は、通州事件でシナ人の残虐性に恐怖を覚えましたが、その上を行くのがロシア人で、またその上を行くのがユダヤ人ということになります。
      同感です。こういう歴史を知らなければ、日本人がなぜ戦ったのかが見えてきません。
      >明治維新以降、日本は常に究極の選択を迫られていた
      おっしゃる通りだと思います。
      トーラーには恐ろしいことが書かれているのですね。こんな考えでは他の民族と共生することは考えられず、すべての民族を滅ぼさなければ平和は訪れないことになります。
      E・H・ハウスのことは初めて知りました。情報をいただきありがとうございます。『日米交流』は勉強になるサイトですね。
      私のブログもいずれユダヤの事を書きたいと思っているのですが、検索サイトなどでは厳しい扱いを受けることになるかも知れませんね。

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