徳富蘇峰が立ち上げた『国民新聞社』の出版物を読む~~『日本野球史』『霞ヶ関を衝く:弱体外交の実相暴露』

国会図書館デジタルコレクション
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 『国民新聞』は徳富蘇峰が明治二十三年(1890年)に創刊した日刊紙で、日清戦争後に蘇峰が桂太郎に接近し、明治三十八年(1905年)には日露講和条約賛成を唱えたために、講和反対を叫ぶ暴徒の焼討ちに遭ったり(日比谷焼討ち事件)、大正二年(1913年)には憲政擁護運動で第三次桂内閣を代弁する論陣を張り二月に五件は民衆の襲撃にあったが、根強い蘇峰信者の支援をえて紙勢は衰えることなく、大正中期には二十万~二十五万部を維持して東京五大新聞(東京日日・報知・時事・東京朝日・國民)の一角を占めていた

 しかしながら、大正十二年(1923年)の関東大震災で大被害を受けて社業は急激に傾き、甲州財閥の根津嘉一郎の出資を仰いで共同経営に移行するも根津と徳富が対立し、昭和四年(1929年)に徳富が退社し『東京日日新聞』に移籍した後は業績低迷が続き、窮した根津は昭和八年(1933年)に経営を名古屋の新愛知新聞社(現・中日新聞社)に譲渡した。

 昭和十七年(1942年)戦時体制下に於いて『都新聞』と合併して『東京新聞』が誕生し、新愛知は東京から撤退を余儀なくされ、『東京新聞』の主導権は都新聞社側が握った。しかしながら、戦後の激しい販売競争の中で経営不振に陥り、昭和三十八年に再び中部日本新聞社(前身・新愛知新聞社)の支援を得て今日に至っている。現在の『東京新聞』は中日新聞東京支社が発行しているのだが、中日新聞社の関東版とみなすことも可能である。

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『日本野球史』(昭和4年刊)

 国民新聞社も他の新聞社と同様多くの本を出版しているが、今回は昭和4年に刊行された『日本野球史』という本を紹介したい。この本によると、わが国に野球が伝わったのは明治六年のことだという。

明治六年、日本に渡来
…野球の始めは英国のクリケットから起こったとも言われ、ラウンダーから取ったとも言われているが、アメリカにできたワン・オールド・キャットと言って一の球を中心に打棒を振り回す遊戯が次第に変化して来たもので、これを作ったのはアベン・ドーブリデ少将である。だから野球の発案者としては彼を推すのが当然であるが、野球が初めて今日のようなルールによって行われ、今日のように整って来たのはその後である。十九世紀の初め頃一人二人で子供の中に遊ばれたものはいつしかタウンゲームの名の下にニューヨーク、マサチューセッツ等にチームがあって行われ、それには選手の制限もなく時には三十人以上で行われた。それがカートライト氏によって一辺九十フィートのダイヤモンドが作られたのであった。そしてその九十フィートはどこから割り出されて作られたものか分からない。カートライト氏の孫であるプレス・カートライト氏は昨夏慶大選手一行が渡布(とふ:ハワイへ渡航)した時に会って、
「祖父の考えはどこにあったかは分かりませんが、ただ今では九十フィートが一フィート足りなくても試合が出来ないというのは面白いですね」
と話していたそうだ。このダイヤモンドが出来てから後、一八三九年ニューヨークのニッカボッカー・クラブのアブナ・ダブルデー氏によって九人の一チームが出来、いろいろの規則が出来たのである。

 それから数十年後、明治六年に今の帝大が開成校といって一橋にあった頃、その教師のウィルソン及びコチェット氏によって開成校の学生に伝えられたのである。当時の直弟子は京大の久原教授、京都高等工芸学校長の中沢工学博士等で、そこへアメリカから帰った木戸孝正*侯や現内大臣牧野伸顕**伯などが入学してきて盛んに通を振り回したから、なんでも外国の文化なら鵜呑みにする当時だから忽ち大流行となった
*木戸孝正:東宮侍従長、宮中顧問官等を歴任した。貴族院議員。木戸孝允の養子となっていた弟の死により木戸家を継承した。
**牧野伸顕:大久保利通の次男。外務大臣、宮内大臣、内大臣などを歴任。

最初の和製ボール
 木戸侯がアメリカから持ち帰った大切なボールが破れたので、開成校のチームは随分こまった。中を切開して見るとゴムの心に毛糸をまきつけ、その上を羅紗でくるんだもので、上の皮は何であったかわからない。そこでいろいろ考えた末ゴム靴を切ってまるめ、それへ毛糸を巻きつけたり羅紗の切れっばしを巻いたりして漸く心を作り上げ、神田にあった靴屋へ行って軟らかい皮を漸く探し出してこれを靴を縫うのと同じ方法で縫ったものである。ところが球がゆがんだり縫目がひどく凸凹になって、時とすると投げている指の皮をすりむく位であったが、当時に於いては得意なものであった。すると靴屋が早速これを真似て作りだし、その店頭にボールを並べて靴と一緒に売っていた。値は大抵一朱であったが時とすると二朱位のものもあった。これが日本に於ける最初の和製ボールである。

 こうして矢弾が豊富になると一層盛んになり、牧野、木戸侯の外に古在前東京帝大総長や、故外務大臣小村寿太郎*侯なども現れて来た。木戸侯などが新式の方法を教えて一廉(ひとかど)の大家のつもりでいると古在氏などはがむしゃらで随分乱暴をやりだした。何しろ当時にあってはスポーツとか体育運動などと言われるはずはなく西洋の武芸十八番だと思っていた。弓矢鉄砲と同種でボールをぶつけることや狙いを違えぬことが時には主眼だとさえ言われた。一方ではまた剣道や柔道を捨ててこんなつまらぬ玉遊びをやるは遊惰だとさえ言うものが出てくる。それもそのはずでこれは西南戦争以来の出来事である。西南役と相前後して米国からストレンジ氏という教師が開成校に現れた。これは我がトラック、フィールド教義とボートの始祖である如く、野球でも始祖に近い人である。

 ストレンジ教授は若く元気で教室で長々しい難しい講義をするより当時の殺伐な青年の思想と行動をもっと悠然とした気持ちにしたいと骨折った。そしてこの球遊びに初めてルールを適用すべきことを教え、味わえば味わうほど興味の津々(しんしん)たるものであることを一同に悟らせた。放課後の校庭といっても石コロや砂でメチャメチャのところへ自分もシャツ一枚で飛び出して来て若い学生に加わって終日遊ぶことすらあった。その揚句とうとう檄は横浜居留地の外人チームに飛んでわが国最初の国際試合が横浜の街を賑わせた。

 雷大臣で鳴らした仙谷貢**氏と講道館の総帥嘉納治五郎***さんが応援団の隊長で試合に臨むと、肘を貼り肩をいからして騒いだものだ。雷大臣の如きは青年時代からの雷で、彼のすきとおるような声は敵を威圧し試合を緊張させたものだ。試合前の練習は今よりも猛烈で、日が暮れると月明りや星の明りで見当をつけてやり、ある大暴風雨の日には一同が揃って蓑傘をきて脚絆草鞋はきで校庭に出でて、その雨風と戦いつつボールを投げたものである。
*小村寿太郎:明治を代表する外交家。日露戦争後のポーツマス会議の日本全権
**仙谷貢:満鉄総裁、鉄道相などを歴任。衆議院議員(憲政会)。
***嘉納治五郎:柔道家。講道館初代館長。貴族院議員。

(国民新聞社運動部 編『日本野球史』厚生閣書店 昭和4年刊 p.2~5)

 初期の学生野球は赤坂溜池にあった工部大学がリードしたが、そのあと一高が強かった時代があり、早稲田・慶応が台頭して来るとまもなく早慶戦が始まり、双方の応援が年々エスカレートしていく。明治三十九年には不祥事が起きてもおかしくない状態となり中止に至ったことで筆がおかれているが、野球に興味のある方には結構面白い本である。
 国民新聞社は新愛知新聞社に譲渡された後、昭和十一年(1936年)に新愛知新聞社がプロ野球に進出し、名古屋軍(現在の中日ドラゴンズ)を結成し、国民新聞社も大東京軍を結成したのだが、不採算のため春シーズン終了後に撤退している。その後このチームは、何度も名前を変えて「松竹ロビンス」のときに一度だけ優勝を果たしたが、昭和二十八年(1953年)に旧大洋ホエールズと対等合併し、その翌年に松竹が球団経営から撤退し、それ以降は消滅球団の扱いを受けているという。

『霞ヶ関を衝く : 弱体外交の実相暴露』(昭和13年刊)

 次に紹介したいのは『 霞ヶ関を衝く : 弱体外交の実相暴露 』という本である。「霞ヶ関」という語は、「日本の中央官界」の代名詞のようなものだが、この本の冒頭では、「霞ヶ関」が政治や外交を仕切って、結果としてわが国を悪い方向に導いていたことを指摘している。

霞ヶ関にひそむ魔性
 ルーデンドルフは政治は戦争に奉仕すべきものであると述べているが、筆者はそうは考えない。戦争は政治の一手段であり、武力を以てする政策遂行の継続であると考える。従って外交は作戦に従属すべきものであるとは考えないが、外交と作戦は高き政治の下に統一され、両者の間にいささかの間隙があってはならぬ。
 今日のような戦時外交となると、ますます両者の関係は緊密化されねばならず、武力行使を最小限度に止め、その戦果をして最大に有効ならしめるところにこそ外交の生命がある。ところが支那事変が勃発してから、わが国は戦争では勝つが外交で負けるというのが国民の常識となっている霞ヶ関外交が無能であるうちは、我慢もできるが、国策遂行の支障となったり、戦果を阻害するに至っては、国民は拱手傍観することは出来ない。

 外交の要諦はまず己を知り相手を知ることに始まらねばならない。ヒットラー総統の外交は実にこの線に沿うものと言うてよかろうし、わが小村寿太郎侯の外交が今日にして、なお慕われるのは実にこの点にある。しかしながらわが霞ヶ関外交は、わが国力を正当に評価したであろうか。また帝国に与えられた歴史的使命、国策の伸長方向を自らの手で探し求め、これに対応するの策を樹立したであろうか。われわれはこれらの事実を発見することは出来ないのである。

 満州事変が発生した当初に於いて、この事変の持つ意義を理解したならば、錦州攻撃の有無を陸軍当局に聞くまでもなく、彼ら自身の頭脳によって判断できたはずである。当時の出淵駐米大使がスチムソン国務長官に対して食言することなく、国際情勢は日本がなさんとすることに政党に評価させることによって、わるいなりにも安定させることが出来たろうと思われる。
 国際連盟脱退に至る外交折衝についても、同様のことが言われるわけで、満州事変以来の外交失敗は実に自分の国力と、歴史的使命を知らないことに由来するのみであると言うても過言ではない

 また相手を知ることについても同一の過誤を犯しているのである。西安における学良のクーデターが日支交戦の決定的段階への突入であることを予知した外交官が一人としてあったか、しかも西安事件に先立って、江西共産軍の大移動があり、その背後に英国の魔手が動いていたこと、一昨年秋における徐州を中心とする大演習など、今日よりすれば、蒋介石が抗日戦争への準備を着々と整えていたことは明らかな事実である。しかもこの時にあってわが外務省の態度はどうであったか

国力を知らぬ外交官

 外交官が己の国力を知らず、あるいは過小評価したり時として過大に見積ることほど、国家に有害なものはない。後者の実例としては日露戦争が勃発する直前における、ロシア宮廷の寵臣ベゾブラゾフの一派が、如何にニコラス二世を誤ったか。ロマノフ王朝の崩壊はこの時に芽生えたとも言われている。
 わが国においては、日露の講和に際して国民の一部には講和条件に不満で日比谷の焼打事件まで起きたが、外相の小村侯はよく我国力を評価して、一部の非難にめげず、敢然講話したのであった。小村の偉大なる派、開戦に際して敵と我の力を量り、講和に於いてこの至難な業を成し遂げたことにある。

 しかるに大正より昭和初期にかけての外交官は、小村の築き上げた遺産を食い物にして、徒に外国に遊び、彼の長所のみに心を奪われ、日本民族の優秀性を知る事が出来ず、欧米に心酔して、例えば我が紡績業がマンチェスターの喉首をしめている偉大なる現実をさえ見る事が出来なかった。
 この時に、爆発したのが満州事変で、外務官僚どもはなすことを知らず、戦争の全満に波及するのを極度におそれた。朝鮮軍の越境を非難したのは幣原外相のみでなく現在外務省の強硬論者然としている谷正之の一派すら、幣原外相の支持者であった筈である。

(国民新聞社政治部 編『霞ケ関を衝く : 弱体外交の実相暴露』国民新聞社 昭和13年刊 p.3~8)

 外交に限らず交渉というものは、最初から相手に手の内を教えてしまえばうまくいくものではない。ところが、わが国はその誤りを何度も犯してきた。
 たとえば国際連盟の脱退については、わが国の当初の方針は、連盟脱退をなすことなくわが国の主張を貫徹し、日本の行動を消極的ながらも列国に認めさせることにあったという。松岡全権はこの旨の訓令を得てジュネーブに乗り込んだのであるが、英国にわが国の方針が事前に漏れていたために失敗したことが記されている。

 昭和八年三月の国際連盟脱退に於けるわが外交は、自分の国力を知らず、いたずらに国際協調の美名の下に欧米に追従しようとして失敗した好個の一例であった。前にも述べた通り、連盟大国中極東に大きな利害を持つ唯一のものと言われる英国政府の方針はボールドウィン首相の下にサイモン外相が現実主義外交の線に沿うて、日本の行動を全面的には承認するわけには行かないが何とかして日本の面目を立てて連盟内に止まらすように連盟を誘導し、これによって集団補償主義体制を何とか保持したいというにあった。したがって、我が方の決意如何では、連盟脱退をなすことなく、日本の行動を消極的ながらも列国をして承認せしめる方途があった筈である。

 しかるに、我が方の最高方針は国際連盟を脱退せず、わが国の主張を貫徹せよというにあり。松岡全権はこの旨の訓令を携行してジュネーヴに乗り込んだ。…中略…

 …しかしながら、連盟脱退をせずに連盟をして我が主張を承認させるには、脱退または脱退以上の決意をなすことが絶対条件であるはずだ
 英国の巧妙外交は、一方に譲歩案を持ちながら、表面はあくまで強硬に日本が連盟の決議に従わねば経済封鎖を辞せずと放送した。これは、どうせ買うとしても値切るだけ値切るという英国外交の老獪さを示すものである。
 これに対して軍部を中心とする国民の硬論は脱退を辞せず、経済封鎖も恐れずとの決意をなし、外務省に於いても白鳥敏夫などは、政友会の森恪などの硬論者に呼応して脱退の強硬論を主張したので、この空気は忽ちジュネーヴに反映して対日空気は俄然好転するかに見えたのである。ここまで押し切る事が出来たならば、日本外交の大成功を収める事が出来たろう

 ところが、形勢は最後の土壇場で再び一転し、四十三対一という悲劇的場面を以て我が主張は容れられず、脱退のやむなきに至ったのだ。その原因は東京駐在の英国大使が日本政府は如何なることがあっても、連盟脱退せずとの電報をサイモン外相に発した結果だった。日本に脱退の決意がなしとすれば、集団保障外交は完全である。英国はもとより日本の東亜政策自主権を喜ぶ筈はないのだから、日本の頭上に一撃を加えるべしとして、連盟を指導し日本は侵略国であるとの烙印を押す決議を採択せしめたのである。

 リンドレー対支の電報は、どこから種をとったのか。もちろん霞ヶ関の一角より取材されたものであり、これに金箔付きの保証を与えたのは、当時の牧野内府及びその女婿吉田茂であったという。痛歎するも甲斐なし。国民は身近に感ずる国際重圧の裡に更に前進し、国力は非常時に躍進したのである。この国際連盟脱退は、その後に来る防共協定外交の礎石を置いたものであるが、外務当局はこれを認識せず、広田外相は万邦協和外交という実に奇怪な外交を提唱した

(同上書 p.11~14)

 文中の「牧野内府」とは、先ほど紹介した『日本野球史』に登場した「牧野伸顕」( 久保利通の次男。外務大臣、宮内大臣、内大臣などを歴任。 )のことである。本書ではこの文章に続いて霞ヶ関を毒する重臣と上層勢力の活動について記している。興味のある方はリンク先からその続きを覗いて頂きたい。

牧野 伸顕 (Wikipediaより)

 戦後のわが国の外交も失敗続きで、何度も相手国に譲歩し、その都度富を毟られては約束を破られて来た。交渉前から相手に情報を与えて譲歩する姿勢を見せてはまともな交渉ができるはずがないのだが、相手に譲歩すれば相手も折れてくるとか相手国との親善につながるなどと考える政治家や官僚が多いのか、相手国に工作されているかのいずれかなのだろう。

国民新聞社が編集・出版した書籍のリスト

タイトル
*印太字はGHQ焚書
著者・編者出版社国立国会図書館URL出版年
嗚呼特別攻撃隊楓井金之助 編国民新聞社デジタル化されているがネット非公開昭和17
明日を待つ彼国民新聞社政治部 編 千倉書房https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1280596昭和6
如何にして選挙を粛正するか国民新聞社政治部 編 秀光書房デジタル化されているがネット非公開昭和11
維新志士遺芳帖. 1冊国民新聞社 編 同文館デジタル化されているがネット非公開明治43
維新志士遺芳帖. 2冊国民新聞社 編 同文館デジタル化されているがネット非公開明治43
維新志士正気集 国民新聞社民友社デジタル化されているがネット非公開明治44
伊藤博文公国民新聞編輯局 編啓成社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1170329昭和5
腕一本開運術 : 外交員物語 鈴木万造 著国民新聞社デジタル化されているがネット非公開昭和9
*欧洲戦争をどうする? 石丸藤太 著国民新聞社デジタル化されているがネット非公開昭和14
卸売市場の常識 : 東京中央卸売市場座談会 三沢義助 編 国民新聞社デジタル化されているがネット非公開昭和11
街頭経済 国民新聞社民友社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464848昭和3
霞ケ関を衝く : 弱体外交の実相暴露国民新聞社政治部 編国民新聞社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1455212昭和13
樺山内相談話一斑 樺山資紀 述国民新聞社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/782989明治30
貴族院改革と現行制度の運用近衛文麿 述
国民新聞編輯局 編
民友社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1456251昭和2
教育改造論国民新聞編輯局 編啓成社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1075678昭和5
五・一五事件公判記録新愛知新聞社,
国民新聞社 編
国民新聞社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1093024昭和9
国民教育論徳富猪一郎 著国民新聞社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/939286大正12
国民防空書 楓井金之助編国民新聞社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1265393昭和16
近衛家及び近衛公 白柳秀湖 著国民新聞社デジタル化されているがネット非公開昭和16
財界行進曲 国民新聞社経済部 編 正和堂書房デジタル化されているがネット非公開
国立国会図書館限定公開
昭和5
裁判と大衆国民新聞社 編 啓成社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1096353昭和4
裁かれる人生国民新聞社会部 編国民新聞社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1098137昭和11
静岡県大正風土記 小杉潔 編 国民新聞社静岡支局https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949411大正2
実験安価生活法国民新聞社 編 民友社デジタル化されているがネット非公開大正7
*支那事変聖戦赤心譜国民新聞社会部 編国民新聞社デジタル化されているがネット非公開昭和13
支那便覧 国民新聞社会部 編国民新聞社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766994明治33
情鬼は躍る 国民新聞社会部 編国民新聞社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444398昭和11
*勝利の記録国民新聞社会部 編国民新聞社デジタル化されているがネット非公開昭和17
新東亜の展望楓井金之助編国民新聞社デジタル化されているがネット非公開昭和15
戦後の教育国民新聞社 編 民友社デジタル化されているがネット非公開大正7
相場街秘聞国民新聞社経済部 編正和堂書房https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1176216昭和3
大東亜の聖戦 : 米英撃滅世界新秩序建設へ楓井金之助編国民新聞社デジタル化されているがネット非公開昭和16
長期戦の国史考 中井良太郎 著国民新聞社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1055690昭和17
千代のひかり 明治天皇 著国民新聞社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/873814明治36
罪を裁かれる人々 国民新聞社 編 森田書房https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097758昭和11
楠公を語る林弥三吉著
 ; 国民新聞社編
文友堂デジタル化されているがネット非公開昭和13
南遊記稲田昌植 著国民新聞社デジタル化されているがネット非公開昭和8
二・二六事件 佐伯貢 編国民新聞社デジタル化されているがネット非公開昭和11
日本財閥の現勢力国民新聞経済部 編千倉書房https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1466386昭和10
日本野球史国民新聞社運動部 編厚生閣書店https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1177687昭和4
白隠和尚遺墨集国民新聞社 編 民友社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946023大正3
非常時日本に躍る人々 国民新聞社政治部 編軍事教育社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463692昭和8
フアツシヨ運動下位春吉述 ;
國民新聞編輯局編
民友社国立国会図書館に蔵書なし
あるいはデジタル化未済
大正14
不景気打開の途 国民新聞編輯局 編啓成社デジタル化されているがネット非公開
国立国会図書館限定公開
昭和5
普選法改正の叫び 国民新聞編輯局 編国民新聞社デジタル化されているがネット非公開
国立国会図書館限定公開
昭和3
普選ポスターと新戦術 国民新聞政治部 編民友社デジタル化されているがネット非公開
国立国会図書館限定公開
昭和2
普通選擧早わかり國民新聞政治部 著民友社デジタル化されているがネット非公開大正15
不老長生囘春秘談国民新聞社会部 編 広陽社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1138335昭和4
文化婦人の生活 国民新聞社編輯部 編 聚英閣https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969379大正12
法然上人長谷川光太郎編国民新聞社国立国会図書館に蔵書なし
あるいはデジタル化未済
昭和10
松方伯時務談松方正義 述国民新聞社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/783697明治30
明治天皇御集暗誦百首高久貞義選国民新聞社国立国会図書館に蔵書なし
あるいはデジタル化未済
大正12
明治天皇聖徳奉頌講演集 国民新聞社 編 民友社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/964262大正10
落莫五十日国民新聞社 編 国民新聞社国立国会図書館に蔵書なし
あるいはデジタル化未済
昭和5
蘭印は動く : 現地報告加藤鐐五郎 著国民新聞社出版部デジタル化されているがネット非公開昭和16
我国体観と時弊の源究南郷次郎 述 国民新聞社デジタル化されているがネット非公開昭和9
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