開国後の朝鮮国をめぐる日本・清国の対立

朝鮮半島情勢と日清戦争

日朝修好通商条規は不平等条約なのか

 前回の「歴史ノート」で日朝修好通商条規の締結について書いたが、教科書などでは日本は朝鮮国に圧力をかけて、日本側に有利な「不平等条約」を一方的に押し付けたニュアンスで書かれることが大半である。問題とされるのは第十款で、朝鮮国に居留する日本人が朝鮮国人民に対して罪を犯した事件は日本国官員がこれを裁断すると定められているのだが、この条約が締結される以前はどうだったのであろうか。中村粲(なかむら あきら)は『大東亜戦争への道』で次のように解説している。

 これは一見、不平等とも思われようが、実は徳川時代には、朝鮮で罪を犯した日本人は和館館主に引き渡され、犯人は身分に応じて館主が裁くか、対馬に送還されて藩主が藩の法規慣例に従って直裁する習わしであった。即ち維新前の朝鮮では事実上、日本の治外法権が長年に亙って行われてきたのであり、修交条規はその慣行の成文化に他ならなかったのである。それ故、韓国側は領事裁判権の規定をむしろ公正とみなし、無条件で認めたのであった。

・・・中略・・・

最後は江華島事件という武力衝突で事態が決着したのは遺憾なことであったが、それに先立って、明治初年から九年間もの長い期間、日本が再三に亙って維新の実情を説明し、修交提議を繰り返したにもかかわらず、韓国側の排外主義と旧套墨守で交渉が行き詰まった経緯があったのであり、それを没却した我国の現行歴史教科書の偏向した記述では、決して歴史の真実の姿は浮かんでは来ない。日本だけに責任を負わせるには歴史はあまりにも複雑であった—と著者は考えるのである。

中村粲『大東亜戦争への道』展転社 平成2年刊p.32~33

 教科書がおかしなことを書くことがよくあるのは、わが国の教科用図書検定基準に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という条項(近隣諸国条項)が存在する点が大きな要因になっていると考えている。少なくとも近隣アジアに関する教科書記述は、「国際理解と国際協調の見地から必要な配慮」の結果、真実が記されているとは限らないことを知るべきである。

日朝修好通商条規締結後の朝鮮情勢と壬午事変

花房義質 (Wikipediaより)

 日本政府は日朝修好通商条規で取り決めた「朝鮮三港の開港」のために、明治十年(1877年)以降花房義質代理公使をたびたび朝鮮に派遣して開港交渉を行わせたのだが、ようやく明治十三年(1880年)に釜山港と元山港が開港され、さらに仁川の開港を要求して交渉を続けていたのである。

 李氏朝鮮では1873年に守旧派の大院君が失脚したのち、閔妃一派が政権を掌握したのだが、その時代の情勢はどのようなものであったのか。青柳南冥 著『李朝史大全』にはこう記されている。

 大院君の失権以来、外戚並びに権臣は驕慢となり、奢侈に流れ、誅求虐政は措いて罰する者なく、宮廷は祈祷、宴遊に耽り、迷信に伴える卜者巫女は宮殿に出入りし、驕奢淫侈の風瀰蔓したり。かくて王妃の政治数年ならずして国庫空虚となり、王室の平和は庶民の怨恨となり、両班の得意は平民の悲境にして壬午の乱は即ち起これり。

青柳南冥 著『李朝史大全』朝鮮研究会 大正11年刊 p.745
金弘集 (Wikipediaより)

 後に初代内閣総理大臣となった金弘集(きんこうしゅう)は、明治十三年(1880)に修信使として来日して開国の必要性を認識し、国王に日朝支が連携すべきであると進言してそれが閔妃一派に採用され、朝鮮もようやく積極的開国に転じるようになった。
 翌年には日本から軍事顧問を招き、近代的軍隊として「別技軍」を新設したのだが、財政出費がかさんだために旧軍兵士への俸給が滞ることになり、開化派に対する不満が高まっていった

 明治十五年(1882年)七月十九日にようやく一ヶ月分の俸給米が給付されることになったのだが、その際に腐敗した米や砂をまぜた役人たちの不正が発覚し、これに怒った旧兵たちが給米係を殴りつけ、その首謀者が死刑に処せられることが決定すると、これを奇貨とした大院君は反乱を煽動したことから各駐屯地の軍兵が救命運動に立ち上がり、閔妃一族の政権に不満を抱く下層市民を巻き込んでの大暴動へと発展した。

朝鮮反乱軍に襲撃される花房義質公使一行(Wikipediaより

 二十三日に、日本公使館は焼き討ちされ、日本人軍事顧問や公使館員が多数殺害されている。また閔妃は危ういところで王宮を逃れ、殺害を免れた。(壬午[じんご]事変)
清国は、閔妃の頼みを受けて、約五千の兵を朝鮮に送って乱を鎮圧し、大院君を拉致・監禁することで大院君のクーデターは失敗に終わった

事大主義が広まった背景

 大院君が清国に拉致されたことにより高宗・閔妃の政権が復活し、日本と朝鮮との間に済物浦条約(さいもつぼじょうやく)が結ばれ、朝鮮側は犯人を厳罰に処するほか、日本に対し賠償金五十万円を支払うこと、公使館警備のため京城に若干の日本軍を置くことを認めること、日本に謝罪使を送ることを等を約したのだが、その後朝鮮は、壬午事変の鎮圧を清国に頼ったことから、清国による強力な干渉を受けることとなる。

朝鮮で活躍していた頃の若き袁世凱(Wikipediaより)

 清国はソウルに三千名の軍を駐留させたまま袁世凱に指揮を執らせ、軍事力を背景に宗主権の強化再編に乗り出したのである。さらに中朝商民水陸貿易章程を締結したのだが、この条約こそが、不平等条約と呼ぶべきものであった。Wikipediaにはこう記されている。

 前文に「朝鮮久列藩封」「惟此次所訂水陸貿易章程系中國優待屬邦之意」と明文化して、朝鮮が清の属国であることが明記された。まず旧来の朝貢関係が不変であることが示され、この貿易章程が中国の属邦を特に「優待」するものであり、それぞれの国が等しく潤うものではないとされた。

 換言すれば、これは宗属関係に由来する独自の規定であり、他の諸外国は最恵国待遇をもってしても、この貿易章程上の利益にあずかることができないという意味であった。

 清国は属国朝鮮に恩恵を施す存在であると明記され、朝鮮人が北京で倉庫業・運送業・問屋業を店舗営業できる代わりに、清国人は漢城や楊花津で同様の店舗経営ができるものとした。

 これは諸外国が朝鮮とむすんだ通商条約にはない規定であり、したがって貿易章程における「属邦優待」とは、清国が朝鮮貿易上の特権を排他的に独占し、清国の内治通商支配を基礎づけるものであった

 第一条には、「則詳請北洋大臣咨照朝鮮國王轉札其政府籌辦」とあり、北洋大臣が朝鮮国王と同格であることが規定されている

 この条約が結ばれたために、わが国が江華島事件の後で締結した日朝修好条規は空洞化され、わが国の朝鮮政府に対する影響力は減退し、その後朝鮮国内に於いては清国に阿(おもね)る「事大党」が跋扈するようになっていった。

清国駐留軍の乱暴狼藉と甲申事変

 呉善花著『韓国併合への道』に、この清国の駐留軍がソウルで随分乱暴狼藉を働いたことが書かれている。

 駐留清国軍は、ソウル各所で略奪、暴行を働き、多くのソウル市民がその被害にあうことになってしまったのである。清国の軍兵たちが集団で富豪の家を襲い、女性を凌辱し、酒肴の相手をさせ、あげくのはては金銭財貨を奪うなどの乱暴狼藉が日常のごとく行なわれたのである。…
 中国には伝統的に、軍隊は略奪を一種の戦利行為として許されるという習慣があったから、将官はそうした兵士の乱暴狼藉は見て見ないふりをするのが常だった。…
 清国兵士たちの暴状は際限なくエスカレートしていくばかりであった。さすがの清国軍総司令官の呉長慶もそれを放っておくことができなくなり、ついに特別風紀隊を編成して自国軍兵士たちの取締りを行なったほどである。

呉善花『韓国併合への道』文春新書p.69~70

 これに対する反動で、1884年(明治十七年)に甲申事変(こうしんじへん)が起き、再び多数の日本人が犠牲になっている。菊池寛の名著『大衆明治史』(GHQ焚書)の文章を引用する。

 今度の変は、日本政府の援助を過信した、朝鮮開化党の軽挙に原因しそれに乗じた、支那の駐屯兵と朝鮮軍隊の暴動によって、日本人男女四十余人の惨殺という犠牲を出したのである。
 時の公使、竹添進一郎は直ちに居留民を公使館に集めて、悲壮な演説をして、避難を決行することになった。
 村上中隊長の率いる百四十余名の守備隊と四十余名の警官隊、それが公使館員、家族、居留民百三十名を中央に挟み、三百名の総員が死を決して、城内から脱出しようというのである

…城内光化門にさしかかると、朝鮮兵営から、大砲を二発打って来た。幸い目標は外れ、これに対して日本軍の前衛は一斉射撃を以て応じて、これを沈黙させた。
西大門に達すると、門は堅く閉ざされ、鉄索でごていねいにも封じられてある。
竹添公使はかねてこのことを予想して、大工に斧を持たせてあったので、これを以て打ち破って城外に出で、麻浦から八艘の船に分乗して、川に張った薄氷を砕きながら、仁川に向かって避難して行ったのである。
 振り返って京城(ソウル)の空を見ると、黒煙濛々と上り、爆音しきりに起って、凄愴極まりない。これは一行が立退いた後、暴徒が日本公使館に火を放ったのである。
この公使館は、十五万円を投じて前月やっと落成したばかりのもので、京城における最初の洋風二階建ての建築だったのである。

菊池寛 著『大衆明治史』汎洋社 昭和17年刊 p.160~161
金玉均 (Wikipediaより)

 菊池寛は「朝鮮開化党の軽挙」と書いているが、甲申事変は、清国に阿っていては朝鮮の近代化は難しいと考えた金玉均らがクーデターを計画して、守旧派の一掃を企てて失敗した事件である。
 わずか百五十名の日本兵で千三百名の清軍と戦わざるを得なくなったため、形勢は次第に不利となり、竹添公使は撤退の意志を固めて金玉均らとともに脱出を図った。菊池寛の文章は、その脱出の場面であるが、この時日本公使館に逃げ込まなかった日本人居留民はとんでもない殺され方をしている。

菊池謙譲著『大院君伝 : 朝鮮最近外交史 附王妃の一生』にこのような記録がある。

 …日本居留民の一官舎に逃げ込みし四十余名は或は銃殺せられ石打せられ竹槍にて惨殺せられ、婦人は悉く強姦せられて尚陰門より竹貫して殺されたるあり。乳尖を斬剥して殺されたるあり。二三の小児と一婦人を除くの外三十九名は清兵の汚辱の為に殺さる

菊池謙譲著『大院君伝 : 朝鮮最近外交史 附王妃の一生』日韓書房 明治43年刊 p.132~133

 このような猟奇的な虐殺の手口は、この事件の五十三年後に冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)によって日本人居留民の二百二十三名が惨殺された通州事件と似ている。

 このような史実を知らずして、なぜ日清戦争が起こったかを真に理解することは難しいと思うのだが、このような事件について戦後の日本人に殆んど知らされていないのは何故なのかを良く考えておく必要がある。

李鴻章(Wikipediaより)

 年が明けた明治十八年(1885年)、わが国は伊藤博文を全権大使に任じて清国の全権大使・李鴻章と天津で談判し、四月に調印された天津条約では
・日清両国とも四か月以内に朝鮮より撤兵すること
・日清両国とも、朝鮮軍を指導するために軍事顧問は派遣しないこと
・将来朝鮮に重大変乱があり、日清両国において派兵の必要ある時は、まず互いに報告し合うこと
を取り決めている。

 1882年の壬午事変及び1884年の甲申事変が起こってから、高宗も閔妃も日清両国の干渉に耐えられなくなり、次第にロシアに近づくようになっていった。

 それを察知した李鴻章は、清国に軟禁していた大院君を、朝鮮に国賓待遇をもって帰国させている。そのことがまた新たな火種となっていくのである。

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