薩長対立の中を生き抜いた藤田伝三郎と藤田コレクション

明治経済史

 前回の「歴史ノート」で、藤田伝三郎の経営する藤田組が西南戦争を機に大儲けしたあと、同社が請け負って危険な戦地に送られた人夫たちが、西南戦争が終わった後に解雇されたことで彼らの不満が爆発し、中野梧一が交渉に当たって人夫たちに二千五百円を支払うことで決着させたことを書いた。

薩長の派閥争いと藤田組贋札事件

 人夫たちの騒動は片付いたものの、世間の藤田組に対する反感はその後もなかなか収まらず、別の新たな事件が起きて再び同社が大きなトラブルに巻き込まれることになる。
 明治十一年十二月(1878年)に京都、大阪、兵庫、岡山、熊本、鹿児島等各地から納付された税金の中から二円紙幣の贋札がんさつ(にせ札)が発見された。この贋札は極めて精巧に造られており、紙幣の図案の中のトンボの足が一本足らなかったそうだが、それも顕微鏡にかけて見なければ判別が困難であったという。この贋札事件に藤田伝三郎が巻き込まれることになるのである。白柳秀湖の『日本富豪発生学 下士革命の巻』にはこの藤田組贋札事件が詳細に解説されている。

 警視局では中警視の安藤則命というものをこの事件の主任とし、明治十二年一月から探偵を全国に派遣して犯人の検挙に取り掛かった。誰でも知っているように警視庁は初めから薩派の牙城であった。一概に薩派という中にも西郷とはそりの合わなかった大久保派の色彩が濃厚であった西南戦争の前には警視庁が政府の爪牙となって盛んに活躍し、そのスパイ政策が何ほどか西南戦争の破裂を早めたものである。明治十年に西郷が戦死し、明治十一年に大久保が暗殺されて見ると、薩派は俄かにその落莫を感ずると同時に、非常な焦燥を始めていた。この焦燥はやがて長閥に対する燃えるような嫉視となり、反感となり、いやしくも機会があれば、乗じて長閥に一撃を加えようと手ぐすね引いて待ち構えた

 だから、警視局が藤田組に手を入れたのは、決して贋札事件の起こるのをまってしたわけではなかった。薩派としては、藤田組を第二の山城屋として睨んでいた。山城屋事件は何といっても、西郷、江藤、副島等のちに征韓論において結束した一派の、長閥に対して加えた手痛い一撃であった。西郷を殺し、大久保を失った薩派は、第二の山城屋事件として長閥と藤田組の醜関係を暴露し、それによって長閥糧道を絶ち、かつその権力の根底に大打撃を与えようとかかっていた

 明治十一年十月、明治天皇が関西を御巡幸あらせられた時、大警視川路利良も扈従して京都にあり、中警視安藤則命に命じて藤田組の不正探索に着手させている。これは贋札事件の起こる前だ。世間では藤田組の贋札事件は、藤田組に恨みを抱いていた元の使用人木村眞三郎の誣告から起こったものであるとしているが、木村をして彼が如き誣告をあえてさせたものは、政府のスパイ政治であったに相違ない
白柳秀湖『日本富豪発生学 下士革命の巻』千倉書房 昭和6年刊 p.78~79

 山城屋事件というのは、岩倉使節団が欧米歴訪中の明治五年(1872年)に起きた疑獄事件で、長州の奇兵隊幹部であった山形屋和助は陸軍省の公金を借りて生糸相場に手を出して失敗して返済が不可能となり、陸軍省内では薩摩系将校たちが陸軍大輔・山縣有朋(元長州藩奇兵隊軍監)の辞職を迫り、和助は自害、山縣も一時的に失脚した事件である。

 翌年に岩倉使節団が帰国後に、西郷隆盛をはじめとする参議の半数が辞職する明治六年の政変が起き、通説では征韓論を巡る対立が政変に繋がったとされているのだが、最近の研究では長州派・大久保派による江藤新平追い落としが目的であるとか、薩長派と土肥派の対立が主因等とする説があるようだ。

 一般的な概説書では、藩閥の争いという視点で明治時代が描かれることはないのだが、藤田組贋札事件も薩長の藩閥争いと見ることが出来る。前回の「歴史ノート」で書いたが藤田伝三郎は元長州藩の奇兵隊士であった。

 西南戦争中に維新の三傑と呼ばれた木戸孝允(長州出身)、西郷隆盛(薩摩出身)が死亡し、残る大久保利通(薩摩出身)も翌年に暗殺された。三人の最高指導者が短い間に相次いで世を去ったあとは伊藤博文(長州出身)、山形有朋(長州出身)や井上薫(長州出身)が台頭するようになって「薩長」の勢力関係が逆転してしまい、薩摩閥が焦ったことはいうまでもない。そこで薩摩閥は長州閥の糧道である藤田組を追い落として長州系の大物の不正を暴いてその政治生命を絶とうと考えていたのである。

 その矢先に、木村眞三郎という男が、藤田伝三郎は井上馨と共謀して欧州巡遊中に紙幣を贋造して日本に送り返し、自分はその贋札を見たと告発したという。この人物は西南戦争の時に藤田組に雇われて戦地に派遣され、途中で解雇されたこと藤田組に恨みを持つ人物であったという。
 藤田組の不正を探索していた中警視の安藤則命は、木村の話の真偽を確かめもせずに飛びつき、直ちに藤田組及び共犯の逮捕に取り掛かったのである。
 明治十二年(1879年)九月十五日に巡査百余名が藤田組本店等に向かい、藤田伝三郎、中野梧一らを検挙し、同時に藤田組の大捜索が行われたのだが、一枚の贋造紙幣も発見されず、証拠物件も一つも出て来なかった。また、その後の調べで大阪では贋札が流通していないことも判明した。

 伝三郎らは東京に送られて取調べを受けたのだが、元社員の木村の告発は腹いせの為に行った狂言で行ったものであることが明らかになり、十二月になってようやく全員無罪放免となっている。その後藤田らを拘引した中警視の安藤則命は懲戒免官となり、虚偽の告発をした木村眞三郎は懲役七十日を申し付けられている。また三年後には贋造に関わった真犯人である熊坂長庵が処刑されている。

 藤田伝三郎が贋札事件の犯人ではないことが明らかとなり、普通ならこれで一件落着するところなのだが、その後も世間では容易に伝三郎が無実であることを信じず、長州閥が事実を隠ぺいし、出鱈目の犯人を造ったと考える者が少なくなかったようだ。

藤田伝三郎と長州派のリーダーとの関係

 前掲書に、伝三郎がその事件に関する警視庁の訊問に答えた内容が記されている。これを読むと、伝三郎が木戸孝允、井上馨など政界の大物とどういう関係にあったかがよくわかる。

藤田伝三郎

『自分の生家は長州の萩で、父は酒・醤油の製造販売を業とし、傍(かたわ)ら掛屋(かけや)ととなえる藩士相手の金融業を営んでいた。長州藩で掛屋といったのは、先(ま)づ江戸の札差(ふださし)に近いもので、藩の下士階級に属する人々の為に節季の俸米を抵当として、金を貸すものである。長州出身の大官はすべて藩の下士階級に属する人々で、藤田家の如き掛屋業とは関係の深い人々のみであった。

『たとえば木戸公の如き、いまでこそ自分とは身分も違っているけれども、自分の生家とは至極関係が深かった。現に自分の親戚の中にも、その俸米を抵当に木戸公の為に金を融通したものがあったほどである。また自分の生家と木戸公の家とは裏表で、幼少の時から腕白仲間としてよく遊んだものである。

井上公とてもその通りである。公と自分とは奇兵隊時代から至極懇意の仲で、井上公は自分の最も畏敬する先輩であり、また友人でもある云々うんぬん
同上書 p.86~87

 このように藤田伝三郎は、長州の下士階級と深いつながりがあったのだが、その人脈が幕末から明治以降大いに活かされることとなる。

 明治維新を推進したのは「薩長土肥」の武士であると学生時代に学んだ記憶があるが、白鳥秀湖は前掲書では次のように述べている。

明治政府は薩長土肥四藩の勢力を代表するものではなくして、岩倉具視を盟主とする各藩下士階級の政府であったと見るのが至当である
同上書 p.4

 確かに明治維新を推進した勢力は、薩長土肥四藩の上士階級ではなく下士階級であり、「藩閥政府」という呼び方はその本質を衝いた表現ではない。そして、藤田伝三郎は長州藩の下士階級の主要人物と深いつながりがあったのである

藤田財閥の形成

 贋札事件の直後は陸軍や大阪府などからの発注が途絶えて苦しい時期があったが、明治十四年(1881)に伝三郎は実兄鹿太郎、久原庄三郎との共同出資で藤田組を設立し、軍需産業以外にも手広く事業を展開している。中核となったのは土木請負業と鉱山業だが、紡績業や鉄道事業から銀行や新聞業にも乗り出している。

Wikipediaの解説を引用させていただくが、現在でも有名企業が目白押しである。

 藤田組は鉄道建設をはじめ、大阪の五大橋の架橋、琵琶湖疏水などの土木工事を請け負い、建設業で躍進する。1882年(明治15年)には琵琶湖の湖上交通を担う太湖汽船(現・琵琶湖汽船の前身)を設立した。1883年(明治16年)には大阪紡績(現・東洋紡の前身)を立ち上げ、紡績業にも進出した。また、農林業も行っている。

さらに1884年(明治17年)、小坂鉱山(秋田県)の払い下げを受けると技術革新に力を入れ、明治30年代後半には、銀と銅の生産で日本有数の鉱山に成長させた。この事業は戦後の同和鉱業(現・DOWAホールディングス)に受け継がれている。その他にも伝三郎は実に様々な事業の設立に関わっている。1884年(明治17年)阪堺鉄道(現・南海電鉄の前身)、1887年(明治20年)日本土木会社(現・大成建設の前身)、1888年(明治21年)山陽鉄道(現・JRの山陽本線の前身)、また同年には行き詰っていた「大阪日報」を伝三郎が大阪財界人に呼びかけ「大阪毎日新聞」(現・毎日新聞社の前身)として再興。…中略…

1897年(明治30年)北浜銀行(現・三菱UFJ銀行の前身)、1906年(明治39年)宇治川電気(現・関西電力の前身)の設立というように、伝三郎は多角的事業経営に乗り出して財閥を形成していった。
Wikipediaより

 伝三郎は財界活動にも注力し、明治十八年(1885)五代友厚の死後、大阪商法会議所(商工会議所)の第二代会頭となり、明治二十年(1887)には大阪商品取引所の初代理事長に就任するなど大阪の財界活動に足跡を残しているほか、明治政府が資金難を理由に断念した児島湾開拓事業を手掛け、岡山県では藤田伝三郎は偉人として認知されているという。

藤田コレクション

 また伝三郎は書画骨董にも造詣が深かった
彼と息子・平太郎と徳次郎が集めた美術品は「藤田コレクション」として名高く、大阪市都島区網島町の旧藤田邸跡にある藤田美術館にはには国宝9件、国の重要文化財53件を含む名品が数千点所蔵されている

 彼が美術品を集めたのは、わが国の優れた美術品が海外に流出することから少しでも守りたいという目的があったという。藤田美術館のホームページには次のように解説されている。

 大名旧家や寺社に伝えられてきた文化財の多くが、明治維新を機に、海外へ流出したり、国内で粗雑に扱われたりすることに傳三郎が危機感を覚えました。傳三郎は、実業家であると同時に、若い頃から両親に物数奇を戒められながらも、とうとうその性質を変えることができなかったほどの美術品愛好家でもありました。『この際、大いに美術品を蒐集し、かたわら国の宝の散逸を防ごう』と決意して蒐集に乗り出しました。美術品への想いは嗣子らがその志を受け継ぎ、「これらの国の宝は一個人の私有物として秘蔵するべきではない。広く世に公開し、同好の友とよろこびを分かち、また、その道の研究者のための資料として活用してほしい」と、1954年に藤田美術館を開館させました。

 古美術品の蒐集は伝三郎が亡くなる直前まで続けられたとされ、その志は息子らに受け継がれたという。1945年の大阪大空襲の時は藤田家邸宅の殆どが焼失したが蔵に収められていた美術品は守られた。

 かつては古い蔵が展示室であったのだが、令和四年にリニューアルオープンされ今ではモダンな建物の中でコレクションを鑑賞することが出来る。

両部大経感得図

 以前このブログで「奈良県が存在しなかった時代に破壊された内山永久寺の跡地を訪ねて…奈良の廃仏毀釈の旅1」という記事を書いたが、堺・奈良の県令を務めた薩摩出身の税所篤は奈良の大寺院であった内山永久寺を廃寺にして寺宝を収奪してしまった。この寺にあった鎌倉時代の仏画『四天王像』は、現在ボストン美術館に所蔵されているが、わが国に残っていればまちがいなく国宝指定だと言われている。しかしながら、この寺の障子絵であったとされる『両部大経感得図』は伝三郎が購入し、現在国宝指定されて藤田美術館に収納されている

 是非『両部大経感得図』を鑑賞したいところだが、国宝クラスの文化財が展示される機会は決して多くなくホームページで展示スケジュールを確認すると昨年七月から今年六月で鑑賞するチャンスは無いようである。

文化財をどうやって守るのか

 伝三郎が集めた古美術品は藤田美術館の所蔵品がすべてではない。
 旧ブログの「奈良の白毫寺と消えた多宝塔の行方」という記事で、閻魔像で知られる奈良の白毫寺が明治初期には荒れ放題になっていて、藤田伝三郎がこの寺の多宝塔を買取り、寺はその代金で他の諸堂を修復し多くの文化財を守ることが出来たことを書いた。内山永久寺も白毫寺もいずれも奈良の寺であるが、薩摩藩出身の県令・税所篤が奈良の寺を破壊して貴重な文化財が失われていくのに、長州人の藤田伝三郎が対抗しようとしたのかもしれない。
 他にも伝三郎は安芸竹林寺の大破した三重塔を買取り、修復して東京椿山荘に移築したり、高野山光台院の多宝塔を買取り藤田美術館に移築している。

 明治の混乱期においては藤田伝三郎のような人物の努力により、廃寺寸前となった寺の多くの文化財を今日に残すことが出来たのだが、わが国の文化財の危機はこれからもっと深刻化するのではないだろうか
 地方の若い世代が都心部で職を求めるため、地方の高齢化の流れが止まらない。これから先は、観光客の少ない地方の寺社の収入は先細りとなり、住職や神主の成り手がいなくなり無住となる寺社が増えていくことだろうし、寺社を支える檀家や氏子が減少すれば、文化財のメンテナンスや必要な修理のための資金集めが厳しくならざるを得ない。
 一方、文化財を修理する技術のある宮大工の数は減るばかりで、文化財の修復のための資金が準備できたとしても、すぐに工事に着手できず、費用は高くならざるを得なくなる。このままでは、宮大工の伝統技術が次の世代に承継されなくなり、各地の文化財の価値を維持することが難しくならないかと心配だ。
 昔なら藤田伝三郎のように、文化財の修復の為に協力を惜しまない企業や個人が少なからずいたのだが、昨今の会社経営者の多くは株主資本主義的な考え方に染まっていて、特に上場会社では事業に関係ないことに金を使わず、コストカットして利益を拡大し配当を増やす事ばかりに熱心である。また地方は高齢化が進み疲弊しており修理やメンテナンスに必要な資金集めは難しくなるばかりだ。このままでは日本の文化財は守れない。
 会社は企業の利益よりも、社会全体の利益を優先する考え方で制度設計をし直さなければ、また個人の利益より全体の利益を優先する考え方が国民の間に広く浸透していなければ、後世に美しい日本を残すことは難しいと思う。

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