今の若い世代には共産主義国家を理想国家と考える人は少ないと思うのだが、現在六十八歳である私の後輩や先輩には、一時期そのような考えに染まった経験を持つ人は少なからずいる。しかしながら、その親の世代である明治末期から昭和初期にかけて生まれた人々は、もっと多くの割合で、若い頃に共産主義に染まったていたと考えて良い。そしてこの世代の多くが徴兵されて先の大戦を戦ったのである。
私の学生時代に大学の近くの古本屋を覗いた際に、大正から昭和にかけて刊行されたマルクス、エンゲルス、レーニンなどの全集や研究書が所狭しと積まれていたことに驚いたことがある。これらの本が出版されていた時期はソ連がわが国に対して積極的に赤化(共産主義化)工作を仕掛けていた時期と重なるのである。今回はソ連の赤化工作について、大正時代にどのような報道がなされていたかをいくつか紹介したい。
初期段階のわが国に対する赤化(共産主義化)工作
わが国に対する赤化工作が新聞の記事に頻繁に出るようになったのは大正十年(1921年)頃のようである。十月十二日の萬朝報の記事を紹介しよう。記事の中で「某々国」とあるのはソヴィエト連邦(ソ連)を指すが、当初は、世界の共産主義化を狙って世界中で赤化工作していた国の名前が伏せられていたことがわかる。
某々国が不逞鮮人若しくは日本人を使嗾して、日本の赤化を謀りつつあることは、最早一点の疑いを挟むことが出来なくなった、彼等は日本の法の不備なる点につけ込んで頻りに活躍して居るのである。
例えば彼の近藤栄蔵が、如何にして内乱罪を免れたか—彼は過般某労働雑誌に伊井敬と偽名して寄書した事から、目下は牢獄に繋がれてはいるが—記者は当局の諒解を得て茲に、彼の陰謀及び彼が内乱罪を構成しなかった理由を報ずる(近藤栄蔵に関する記事は目下掲載禁止中である)。即ち彼が某国の宣教師に使嗾されて、日本の過激化を計画し、宣伝の方法並に手段を詳細に記した筋書を携えて、上海なる労農政府の宣伝部に立寄ったのは、今春四月初旬であった、此処で彼は運動費数万円を貰って突如、山口県下に姿を現わした、そうして密に同志を募り、将に宣伝に着手せんとする所を五月初旬、官憲に捕えられたのである、彼は当時現金六千円を有し、労農政府との暗号電報の符徴や、其他の秘密書類は悉く彼の衣類の襟等に縫い込んであったという。我官憲は彼を捕えながら、遂に起訴する事が出来なかったのは、彼が暴動を働かなかったからだそうな。即ち刑法第七十七条は『政府を顛覆し、又は邦土を僭窃し、其他朝憲を紊乱することを目的とし云云』とあるだけで、別に暴動を行わなかった彼には当嵌められなかったのだ。
万朝報 大正10年10月12日 所蔵:神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫
ソ連は世界の赤化工作をコミンテルンに推進させていたが、記事に登場する近藤栄蔵は、大正九年(1920年)に山川均、堺利彦、荒畑寒村らとともにコミンテルン日本支部準備会を結成した人物である。この記事では彼が翌年にコミンテルンへ報告のため上海に派遣され、活動資金を手にして帰国後に逮捕されたのだが起訴できなかったことを報じている。その後近藤は、大正十一年に日本共産党の創立大会に参加し中央委員に選ばれた。
ソ連の赤化工作の規模はかなり組織的に行われていたが、わが国は前例のない事態に対して対応力を欠いていた。思想の取締りを警察に任せたところで彼らが暴動でも起こさない限り警察は何もできないのだ。次に紹介するのは大正10年11月30日の新愛知の記事だが、文中の「赤化宣伝部」はコミンテルンの支部と理解してよいだろう。
頃日来警視庁にては赤化運動関係者取締の為に、物々しき緊張の色を示し、特別高等課は全員をあげて大活動をなしつつある。而して尚男女三十余名の赤化宣伝委員が莫斯科(モスクワ:ソ連の首都)政府の使命を帯びて極東に来り、内数名は重大計画と多額の運動費とを以て日本に入りこめる形跡ありとか、莫斯科の労農政府員とチタ政府員とに依っている哈爾賓(ハルビン :中国黒竜江省にある都市)における赤化宣伝部にては支那及日本に赤化運動をなすべく既に数名の婦人運動者を敦賀に上陸せしめ行方不明となったとか、或は二十二日怪露人が突然横浜に現われ社会主義者数名と会見し多額の宣伝費を渡したとか、と不穏な噂は色々と喧伝され、警視庁始め各府県の警察部は悉く血眼になって、警戒おさおさ怠りないと云う。
該赤化運動取締に関して岡警視総監は「近来社会主義者の赤化宣伝は非常に巧で、当局は其取締に困っている。現に怪英人ポラースグレーも金を渡すべく来た形跡は明かで…………取締上国法に不備の点があって困る」云々と甚だしく困却の態であるらしい事を、往訪の記者に語っている。今更岡総監の愚痴を聞く迄もなく、法規の示す条文を尺度として事務的に機械的に働く以外、何等能動的力を有しない警察力が、赤化運動の如き世界的思潮の激流を喰とめるに全く無力である事位はよく知っている。警察なるものは要するに、社会に兇変が勃発して始めて之が取締に当るものであって、事件に先立って之を未然に防ぐと云う積極的指導取締に対しては、全く権威なきものである。即ち警察は事件から事件へと常に其の後を追うて後始末に忙殺されているのみで、事件が警察の手に移り警察が其の対策方法に就て考慮に狼狽している頃は、既に事件其のものは大団円を告げているのが常である。警察は次から次へと勃発する新事件の後を追うに日もこれ足らざる有様である。従って犯行手段は常に警察よりも一歩先へと進んでゆく如何に警察が全力を傾倒しても巧妙なる犯行手段に対しては、一歩も先へ踏み出す事は出来得ない。…中略…
然るに赤化運動取締の位置にあるべき政府当局それ自らが既に思想的権威を有せず、直接之と折衝を保つ警察官が殆んど思想的無智階級者であるに至っては、之に依って過激思想の移入防禦を夢みるなど、愚も蓋し念の入ったものであると呆れざるを得ないものである。政府当局が真に責任を感ずるならば、先ず当局者自ら新思想の忠実なる研究者たれ。而して其の思想の依って来りし根本を探ねよ綱規ややともすれば弛緩し、要路者中より罪科者を出すが如きは、それ自ら思想悪化の助長をなしつつある者である事を反省せよ。綱規の弛緩に依って来る処の源を探ねよ。其処には金権が動ともすれば政権に結びつこうとしている事実を発見する事はなきか。若し新思想の赤化を防止する者が、新思想の仇敵とする処の金権と握手せるが如き疑いを抱かしむるが如き事実あらば、それこそ思想の悪化を助長する恐るべき危険物である事を思わねばならぬ。
思想問題に対して警察側の周章狼狽を見る毎に、私共は其の愚を嗤うと同時に、政府当局及び民衆指導の要路にある人々の之に処する処の態度の不徹底と怠慢とを悲しむ者である。
一口に過激思想と云い赤化運動と呼んで、徒らにびくつくは之に対する無知無識を表白するものであって、みっともない事夥しい私共は茲に政府当局者に対して、絶対に政治を金権から引離し、彼等自ら先ず社会主義の第一頁を開き、新思想の忠実な学徒となり而して後赴くべき処に赴くべく方途を樹てん事を希ってやまぬ者である(安恭生)
新愛知 大正10年11月30日 所蔵:神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫
政府が共産主義思想の仇敵である経済界と手を結んでいては、本気で赤化対策などできるはずがなかったのだ。その点は、わが国の現政府が親中企業に忖度するために、中国の「静かなる侵略」に対する防衛策が出来ないことと同じである。
過激化していく共産主義者たち
上の画像は同年12月1日の国民新聞だが、北風会という赤化運動の本部が東京(駒込片町)に作られ、「労農露西亜(ロシア)に派遣したる某と連絡を取って共産党極東政府より赤化宣伝費を得ていた」とことが報じられていて、この記事では国名(労農ロシア=ソ連)が明らかにされている。
また近藤栄蔵がわが軍隊の宿泊先で過激文書を配布したことも報じられているのだが、彼らの活動は次第にエスカレートしていき、大正十二年には軍や大学の赤化工作に重点的に取り組むとともに、現職大臣の暗殺まで計画するに及び、情報を探知した警視庁が二百名を動員して彼らを検挙した記事が出ている。
コミンテルンによる世界の赤化政策の現状
ロシア革命で成立した唯一の共産主義国・ソ連が自国を防衛するためには、国境を接する他国と直接的対立を回避し緩和させるために、周辺国を緩衝国化すなわち共産主義国化を図ろうとすることは当然のことであるが、ソ連は周辺国だけでなく一気に世界の赤化をはかろうとした。
大正十二年の段階ではシベリアや満州・朝鮮以外では赤化運動は成功していないと断じられているのだが、その後中国では、ソ連の強力な支援を得て急速に赤化が進展していくことになる。
最近漢口より帰朝した者の談に依れば、労農ロシアが対支赤化の中心として睨んでいるのは依然上海で、上海領事館は純然たる宣伝本部で領事館附政治部長グリベンコ氏は宣伝部長を兼任し、カラハン大使と相策応して盛んに活躍しつつあり、露国側としては北京は外交団の所在地なるを以て、これが監視を避けるためかつは地理的乃至は周囲の事情から綜合して、上海を唯一の根拠地とするに至ったものらしく、其目標とする処は、北京、広東、上海を頂点とする三角形を形成して、漸進的に反赤化運動崩壊から、再び親露軍たる国民軍の捲土重来実現にじりじり全力を傾注せんとしているものであると。
中外商業新報 大正15年7月13日 所蔵:神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫
中国の赤化が進めば、わが国への赤化工作も進んでいくことは避けられなくなっていくのである。次回は昭和以降における赤化工作の進展についての記事をいくつか紹介することにしたい。
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