洗練されていないわが国の宣伝戦対応
「宣伝戦」対策で、連合国主要国は第一次大戦勃発後に対外宣伝のための機関を組織したのに対し、わが国は支那事変勃発後「内閣情報委員会」を「内閣情報部」に格上げした程度で、この組織は対外宣伝ではなく対内宣伝に従事するものであったという。わが国では対外宣伝は「外務省情報部」の担当で、陸軍省の「新聞班」も海軍省の「軍事普及部」その他諸省に宣伝担当部門があったが、主たる業務は対内宣伝であったという。
また外国に対する「宣伝戦」の原則の一つに、相手国によって宣伝内容を変えるというのがあるのだが、イギリスはわが国に対しては、「興奮しやすい日本国民だから、刺激を与えてはならない。」という方針で臨み、支那に対しては「支那人の特性に呼び掛けるように、利害関係から事大的に宣伝する。」方針だったそうだ。しかしながら、わが国ではそのような宣伝戦の原則は無視されて、相手に正直にそのままに情報を伝えていたという。山中峯太郎は次のような事例を挙げている。
米国大統領が日本を「侵略国」と宣言したのに対し、「持てる国が持たない国に対して、既得権益の提供を拒むならば、解決する道は戦争のほかにないではないか。」などと「持てる国」の米国に対する宣伝としては、相手を選ぶことさえしない、正直すぎる幼稚さである。しかも、日本があたかも「侵略国」を自認している悪印象を、第三国に与えたのだ。果たして南京政府は、これを直ぐ悪日宣伝の絶好材料に利用した。日本が宣伝戦に慣れていない実例の一つである。
山中峯太郎著『日本を予言す』偕成社 昭和12年刊 p.248
武力戦と同様に、宣伝戦に於いても「必勝の信念」で、相手国の宣伝を圧倒するだけの気魄が必要である。第一次世界大戦でドイツ軍は武力戦では優位であったが、宣伝戦でイギリスに敗れたことは有名な話である。戦意をくじかれては、武器の威力も鈍ることになるのだが、わが国は支那の宣伝戦に敗れていたことを知るべきである。
支那が仕掛けた宣伝戦
当時「宣伝戦」には、新聞、雑誌、ラジオ、映画、写真、演劇、講演、漫談、流行歌などが良く利用されていたのだが、日本人には未だに十分に理解されていないのが、宣伝戦に於いてわざとデマを流すことが結構強い威力を持つ点である。わが国では嘘をつかないことを子供のころから叩き込まれるのだが、この考え方で宣伝戦を仕掛ける相手に臨むと、勝利することは容易ではない。山中は次のように述べている。
写真によって支那の中央通信社は、虚伝のすごい成績をあげた。死骸を木に吊るして日本兵が斬撃の演習を行っている捏造写真をはじめ、戦死した支那兵に便衣を着せて非武装人民に対する日本軍の虐殺などと、その他、支那側から来る各種の画報を見ると、第一ページから捏造写真の氾濫である。
英国も世界大戦に写真利用の虚伝方法を使った。戦線の後方へ運ばれていくドイツ兵の死体写真を転載して、ドイツ当局が火薬製造に必要なグリセリンの材料に供するために、工場へ運搬中だと、英国陸軍情報部が宣伝したのだ。連合国側はこの虚伝を後まで信じていた。
今回の事変に於いても英国のロイター通信が支那の中央通信と連携して、捏造あるいは誇大の宣伝を敢えてしたのは、周知のことであり、「紳士国」英国の恥辱である。
トリック映画も、支那で多数に製作して輸出し、欧米に興行価値をあげている。空中戦に日本の飛行機が、支那の飛行機に撃墜され、炎をあげて幾機も落ちて行く。よく見ると、明白にトリックだが、いかにも支那飛行隊が圧倒的に勝っているように見える。断片的フィルムを編集して、宣伝的効果をあげているのも、支那から欧米に多量に輸出された。殊に米国の映画興行界は、ユダヤ人が独占している関係から、各映画館がこぞって上映している。日本空軍が支那民衆へ爆弾投下した直後の光景なるものは、支那飛行機が上海の中心街を爆撃したものを、そのまま撮影したのだ。あらゆる材料を集めた例証の一つには、数年前に火災にかかった白木屋百貨店の焼け跡が、日本軍飛行機爆撃の跡として採られているなど、いかにも支那式である。空中戦の勝敗について、南京放送のラジオによると、日本軍の飛行機が空襲の度ごとに撃墜されている。その機数に興味があるのは、支那飛行機の損害をそのまま日本側のものにし、機数だけは虚伝していない。「今日午前五時十分より約三十分間にわたる暴日空軍の来襲は、わが勇敢無比なる飛行隊の奮戦によって七機を撃墜され、遂に東南方へ散開逃竄した。」というのは、自分の方が七機撃ち落されたのだ。後には両軍の損害機数を合計し、そのまま日本軍の損害にして放送した。
山中峯太郎 著『日本を予言す』偕成社 昭和12年刊 p.261~263
「東京全市民は、今や中国空軍の来襲を恐怖して夜も眠らず屋外に出で、朝に及んで漸く胸撫でおろしつつ家に入って眠っている。」と南京から放送した。何かと思うと、東京の防空演習を利用した放送なのだ。
「虚伝」は遂に価値がなく、殊に信義を重んじる日本として、無論なすべきではない。だが、繰り返して呼びかける支那式の執拗性は、宣伝の原則に合っている。淡白な日本式宣伝は、原則を外れていることを省みなければならない。
宣伝戦において弱者は第三者の正義感に訴えることで、有利なポジションに立つことが可能になる。
戦争においては大衆を不安と興奮の群集心理に駆りたてることがよくあるものだが、そのために大衆の感情に訴える宣伝は、それが「虚伝」であっても、容易に煽動的効果を現すことになる。支那の宣伝戦は多くの場合その効果を狙って、日本空軍が非武装地帯を爆撃したとか、支那人を大虐殺したとか、写真の偽造からトリック映画の作成まで、支那は「虚伝」を世界に流しまくった。
「南京大虐殺」に関する支那側の主張も、つまるところは「虚伝」である。当時の写真や記録が大量に残されているので、これらのいくつかをしっかり読めば何が真実かは誰でも見当がつく。
宣伝戦に弱い日本
このように支那はわが国をまるで侵略強国の如く宣伝し、自国民に対してはわが国に対する憎悪と恐怖を起こさせ、英米に対しても日本への憎悪と恐怖を沸き立たせて、世論を支那援助に誘導した。
また、英米もわが国に対して情報戦を仕掛けているのだが、それに対する我が国の対応はあまりにも稚拙であった。山中は次のように述べている。
対外宣伝のみでなく、対内宣伝に於いても、日本は黙りすぎる傾向がある。秘密主義を固執するからである。昭和十一年の八月に成都の殺害事件*が発生し、九月十五日に川越大使と南京政府の外交部長張群(ちょうぐん)の間に、第一次日支会談を開始し、年末に及んだ。その間、日本の要求内容は、いわゆる「広田三原則*」を基準において、高率関税の引き下げ、日支交通関係を密接にするための飛行連絡開始、在支不逞鮮人の取締り、国民政府と地方官憲における日本人の招聘等だった。が、その間、何を政府が交渉しているのか、国民はほとんど知り得なかった。知りたくても知らされず、外交方針の支持を国民自身が望んでしかも得られなかった。そのために当局と国民と不統一のごとき印象を南京政府に刻み付けて、日本与(くみ)しやすしとさせた如きは、明らかに日本の失敗だった。
*成都の殺害事件:昭和11年8月24日に四川省成都でおきた、日本人4名が殺傷された排日事件である。
*広田三原則:①排日言動の徹底的取締り②満州国独立の黙認及び満州国と華北との経済的文化的な提携③外モンゴル等からの赤化勢力に対する共同防共秘密を要しない対外関係、交渉の経過等は、宜しく対内宣伝によって「国民外交」の実を挙げるべきである。国民が関知し得ず、かえって国外ニュースから教えられる如き醜態は、実に恥辱である。
今回事変の収拾こそ重大なのだ。日支平和回復の交渉経過に、国民は無論、多大の関心を持たずにいない。かくまでの犠牲を払い、ほとんど国を挙げて戦っているのである。当局は対国民宣伝に、十分の実成績をあげて、「国力」を外交方面にも推進すべきである。「良き宣伝は、現実の政治事件に適度に先行しなければならない。政策の整調者として働き、目立たない方法で世論を型にはめて行くべきである。」
ノースクリッフの言った宣伝原則である。「適度な先行」が、宣伝当局者の達識と周到な敏腕を要するのだ。宣伝戦は武力戦とともに威力を発揮しなければならないが、講和時期においてさらに「適度の先行」をもって、対内、対敵、対第三国、いずれにも信念をもって積極的に指導的宣伝を、極力、実行しなければならない。かくして初めて最後の勝利を手中におき、武力戦とともに凱歌をあげ得るのだ。
戦局が週末に近づくにしたがって、自国の戦争目標を、敵国と第三国と国内へ、改めて強力に印象させねばならない。講和会議における我が全権委員に、有利なる支持を準備するためである。われに公正永久の平和を実現すべき誠意と実力があることを、敵国に完全に承認させることが、勝利の第一歩なのだ。わが平和的意思は故に、武力戦の既得勝利と共に不動不抜の方針をもって敵に望まなければならない。いやしくも最初の戦争目的を譲歩する如き傾向を示したり、あるいは敵国の反抗意志の一端なりとも容れる如き、妥協的暗示を試みることがあったならば、明らかに宣伝戦の大敗である。
講和交渉と共に、わが公正なる要求が、講和後に於いていかなる世界の現出を希望しているか、同時に、その新世界に於いて、我らは現在の敵国に対し、いかなる新状勢の形勢を援助するか、敵国は講和後に如何なる地位を留保し得るのか、これらの予想を的確に敵国各方面の有力者と知識階級に、合理的に理解させなければならない。同時に、この宣伝は我が全国民の支持を求める上に、対内効果を十分に挙げ得るものである。第三国に対しても、少なくとも好意ある中立を保持させるだけの理解を、宣伝の適切機宜の内容によって求めなければならない。
同上書 p.263~267
右のような宣伝戦をクリュー・ハウス(公称は「英国戦時委員会」)が実に良く成功して凱歌をあげたのである。
我が日本も宣伝戦に於いて最後の凱歌を、今度こそあげたいものと切望せずにはいられない。
わが国が宣伝戦に弱いのは今も同じというよりも、もっとひどくなっているというのが現状であろう。わが国の今の外交は、世界にいかなる問題が存在しようとも何の解決策をも考えず、どこかの国の誰かのいいなりに、ただ外国に金をばらまいているだけにしか見えないと言えば言いすぎであろうか。
相手が明らかな嘘をついているときは、即座に否定して相手の宣伝戦の効果を打ち消すことが必要なのだが、そもそも今のわが国の政治家や官僚に、今も「情報戦」「宣伝戦」が、様々な国からわが国に仕掛けられているということを理解できているのであろうか。もし理解できていたとしても、彼らの多くは東京裁判史観に洗脳されたままで、真実の歴史を学ぼうともしないために反論できる知識がない。
わが国が「宣伝戦」に対する対応の仕方を知らない状態が長く続くことは、戦勝国にとっては都合の良いことであることは言うまでもないだろう。GHQが「宣伝戦」や「情報戦」に関する良書の多くを焚書処分にした理由のひとつは、そのあたりにあるのではないだろうか。
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