山中峯太郎著『日本的人間』を読む その2

山中峯太郎

前回に引き続き『日本的人間』に書かれているエピソードをいくつか紹介していきたい。

正直であること

加藤清正

実直

加藤清正、晩年に、自分の生涯をかえりみて言う。
「三歳の時に私は、父を失い、母の手ひとつで育てられた。母が太閤の御母と従姉妹どうしであったところから、三つの私は母につれられて、折柄、長浜にござった太閤を頼って行った。その時太閤は、夜叉若といっていた私の幼名を、虎之助と改められて、その上、
『正直者になれよ』
との一語を訓えられた。
 このお言葉は、一生私の耳をつらぬいていて、今なお忘れずにいる。爾来幾十年、日本はおろか、朝鮮へかけて、数知れぬ戦場の働きに、武運めでたく御奉公申したのは、この御一言を肚にきざみつけて、行住坐臥、いつも正直に、正直にと念じたからである。
 総じて世の大勇といわれる人を見るのに、悧巧、才覚な者は一人もおらぬ。平生無事の時には、悧巧才覚が、用に立つかに見えるが、大切な場合になっては、正直者でないと、泰然自若として事を処することは出来ぬ。
 悧巧、才覚は、なかなか迷いの種となって、大事を仕損じるものである
。」

大成の資本

 西郷隆盛の言葉にある。
事大小となく、正道を踏み、至誠を推し、一事の詐謀を用ゆべからず。人多くは、事差支ゆる時に臨み、策略を用いて、一旦その差支を通せば、時宜次第、工夫の出来るように思えども、策略の煩いきっと生じ、事必ず敗るるものぞ。正道を以てこれを行えば、目前には迂遠なるようなれど、先に行けば早きものなり。
 なによりも正直になりたいと思う。
 安田善次郎が青年時代、煙草入れを売った二十五両を資本に、日本橋人形町へ鰹節店を初めて開いた時の誓いの一つは、
「決して嘘を言わぬこと。」
 であったという。極めて平凡な正直の大道を、特に誓ったところに、大成の資本が潜在していたのだろう。
正直の頭に神宿る』古い諺だが、真理は恒に変わらない。

山中峯太郎著『日本的人間』錦城出版社 昭和17年刊 p.55~57

 わが国では子供のころから親や学校の先生から何度も「嘘はつくな」「噓つきは泥棒の始まり」などと指導されて、能力がいくら高くとも嘘を言うような人物は殆んど評価されなかったのだが、昨今の政治家や評論家などの発言などを聞いていると、これまでの「日本人的」な価値観が言論の世界を中心に少しずつ崩れつつあるのではないかと不安になることがある。権力や財力を用いていくら口止めを行っても、嘘を言っていたことはいずれ明らかとなるものであり、いずれ誰からも相手にされなくなる日が来ることになる。

学問とは

深沢清 画『松坂の一夜』

 また学問についてこんな話がある。『古事記』の原文は万葉仮名で記されており、『古事記』を正しく読むためには、当然のことながら万葉仮名の習得が必要となる。本居宣長が伊勢神宮の旅の途中松坂の旅籠に宿泊していた真淵を訪れ、生涯一度限りの教えを受けた「松坂の一夜」の話は、戦前の教科書にも書かれていたのだが、戦後の教科書ではわが国の偉人のエピソードは殆んど出てこなくなっている。

学問

 長州(現在の山口県)の儒者、南部伯民(江戸後期の医師)は常に門弟に諭していった。
学問は髪を梳(くしけず)るようなものである。髪を梳るには、始めは粗い櫛で解き、それから次第に次第に歯の細かな櫛を用うれば、容易に乱髪を整理することができる。学問もまたかくの如く、まず第一に綱常倫理(こうじょうりんり:人の踏み行うべき道)の何物であるかを研磨すれば、その緻妙な意味は自ら明瞭となるであろう。」
 味わうべき言である。
学問には順序がある。あなたが古事記を研究しようとなさるには、ぜひ萬葉集の研究から始めなくてはなりません。また学問は根くらべです。あせらず、気どらず、うわつかず、こつこつと築き上げて行くべきです。」
 諄々と説いたのは賀茂真淵、相手は少壮学者の本居宣長、伊勢松坂の一夜のことである。

愚極

 伊藤仁斎の学説が、世に行われるのを見て、室鳩巣、荻生徂徠、大高芝山、米川操軒など、時の学者が、四方から攻撃した。
 仁斎の門弟達が憤慨して、芝山の著『適従録』を仁斎の前へ持参すると、
「先生、これを大いに反撃して下さい。先生と全く反対の説をたてております。譏(そし)られてだまっていられる先生を、世間では屈服したかのように言っております。このまま放っておかれるお考えならば、私どもが代わって、一言のもとに取りひしいで御覧に入れます。」
 仁斎、笑って、
彼の説が真ならば益友だ。わが説が真ならば、彼も悟るときがあろう。彼を譏(そし)り我をたてるために、争うなどは、愚の極(きわみ)である。
 遂に争わず、人間の面目を全うした。

同上書 p.72~74

 このような含蓄のある話が百八十近く掲載されているのだが、なぜGHQがこのような本を焚書処分にしたのであろうか。

日本の母の力

 この本には戦争の話や軍人の話がいくつか出てくる。GHQが焚書処分にした理由は想像するしかないのだが、たとえば次のような話は戦後の日本人には絶対に読ませたくなかったのではないだろうか。

母と共に

 四方八方の敵トーチカ陣地(コンクリートで固めた陣地)から、集中射撃を浴びながら、〇部隊の勇士たちは、ひしひしと敵陣に肉薄して行った。すべては火であり轟音である。
 灌木の蔭から、二三メートル先の砲弾の落下穴まで突撃しようとした途端、軽部上等兵は、破片弾に左下腹部を削られ、どっと崖下に転がり落ちた。踵を接して、同じ穴に突っ込んだ村井安一上等兵が射撃中、死んだと思った軽部上等兵が、崖を上って這い込んで来た。下腹を押さえて、
「縛ってくれ」という。
 腸が露出しているのを手で押しこんでいる。直ぐ三角巾で縛ってやると、苦痛な顔も見せず微笑みさえ浮かべて、ポケットからお守り袋を取り出した。
「俺が倒れたら、これを頼む。シンガポール入城式を、この袋にみせてやってくれ。」
 と、村井上等兵に手渡すと、後方へ下って治療せよとの勧めも聞かず、またも手擲弾(しゅてきだん)を握って前進した。
 一物もない原っぱを、遂にトーチカへ辿りつき、軽部上等兵は、銃眼から手擲弾を投げこみ、護国の神となった(戦死した)。
 お守りの袋の中には、一枚の母の端書が入っていた。
「…見送りには行けないが、命をささげて御奉公してください。お召があった日(召集令状が届いた日)からお前の命は、もうお国に差し上げたものと覚悟しています…。」
 という意味が、素朴な鉛筆書きながら、わが子を励ます健気な母の赤心があふれていた。
「われわれは最後の一人となるまでも、このお守りを渡しあって、一緒に入城しよう。」
 基地の戦友たちは、誓いあった

 この母、この子あって、日本は神威の国である。日清、日露、満州、支那事変、いつの時代にも、勇士を生んだ母は実に多い。

手紙

 開戦三日目の十二月十日のことである。
 マニラ上空を、某一飛曹機は縦横無尽に荒れ廻っていた。逃げる敵機に食い下がって、叩きつけていたが、遂に敵弾を受けてしまった。
 隊長機は、しきりに帰還を合図したが、某一飛曹は、必死の操縦を続けているうちに力尽き、隊長に対して訣別の挙手の礼を残し、ニッコリ笑うと、敵機めがけて体当たりを食らわし、諸共に壮烈な死を遂げてしまった。
 その二日後の攻撃に際し、某一飛曹の散った洋上に、僚友は花束を投げて、空から英霊を慰めた。
 戦死した一飛曹の母親から、僚友たちへ宛てた手紙が届いた

「一月二日公報に接しました時、もしや醜き最後をとげたのではないかと、それのみ案じておりましたが、いろいろとお話を承り、いささか安堵いたしました。何よりも残念なことは、大東亜戦争開始早々に死んだことです。せめてマニラの陥落を見るまで存命、いささかの武勲を樹てて、皆様のご期待に副い得たら、本人もどんなにか満足して死んだことと思います。この上は長男も軍人として、現在北満の野にあり、弟も軍人として、あの子の足りない分まで、御奉公致せますれば、若くして死んだあの子の儀は、何とぞお許しくださいませ。銃後国民として辱しからぬよう努めておりますればご安心下されたく、お願い申しあげます……」

 敵機も敵弾も恐れぬ勇士が、この母の手紙には泣いたという。偉大なるは日本の母の力である
 日清戦争当時、『水平の母』という話があったのを思い出す。肺腑を抉る母の赤心、或る時は暖かき陽の如く、或る時は峻厳なる鞭となり、子を想い、子を鍛え、己の身を削る。

同上書 p.88~92

 戦争を体験した世代と対話した経験がないとなかなか理解できないことではあるのだが、母親たちの多くが自分の息子を国に捧げるという強い気持ちをもって、戦地に送り出していたのである。わが息子を送り出すことの悲しみはもちろん大きかったが、送り出す以上は息子が戦いで活躍してほしいと強く念じていた母親が少なからずいたことに違いないと考える。
 「手紙」の文中に在る『水兵の母』は当時の教科書である『初等科国語 第6』に出てくる話である。日清戦争の時高千穂の一水兵が母親からの手紙を読みながら泣いていて、大尉がそれを女々しい振舞いとみて叱ったところ、水兵から差し出された手紙には「まだそなたが手柄を立てないことがふがいない。あっぱれな手柄を立てることを毎日八幡さまにお祈りしている」と書いてあった。それを読んだ大尉は先ほど叱ったことを謝り、「一命を棄てて君恩に報いるチャンスはそのうち来る」と言って水兵を諭し、水兵もニッコリ笑うという話である。

 この『日本的人間』には日露戦争で活躍した乃木希典や東郷平八郎や、当時の陸軍大臣であった東條英機などのエピソードもいくつかあるのだが、そのような点もGHQがこの本を焚書処分した原因であったと思われる。戦前や戦中においては、軍人の人間味のあるいい話が掲載された書物が数多く存在したのだが、戦後になってそれらの多くがGHQによって焚書処分されてしまった。そして戦後の長きにわたり、「愛国心」という言葉はタブーとされ、わが国の武の英雄というべき人物の名はほとんど教科書や新聞、雑誌等から消えてしまった。
 こういう本が復刻されたら、買って読んでみたいと思う人は少なくないのではないか。戦後の教科書などではほとんど話題に上ることのなかった人物の佳きエピソードが読めて、人間はどう生きるべきかをいろいろ考えさせてくれる良書である。

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コメント

  1. 井頭山人(魯鈍斎) より:

     明けましておめでとうございます。貴方のご健康、ご多幸をお祈りいたします。
    本年も宜しくお願い申し上げます。

    誠に魂に届くお話です。GHQが恐れたのは日本人の正直さ勇敢さ情け深さを合わせた日本的精神にあったのでしょう。日本人の背骨を破壊することで骨無しにする事を画策した。GHQの主体はJudea金融資本の下に有る共産主義細胞ですね。日本に戦争を仕掛けた勢力もこの猶太勢力でした。然し、この猶太勢力の下に日本破壊に協力した日本人の勢力が確かに在った事は実に情けない思いがします。それらは現在の今でも、政府機関の政党、大學、全メディアに隠れています。それが日本の劣化を画策している。政治、政府機関はすでの猶太に乗っ取られています。政治の反日的傾向はここに極まった観があります。日本は独立国では在りません。猶太の指示通りに動く隷猶国です。こうなってはもう身動きが取れないかも知れないが、それでも日本人の多くは洗脳と無知の状態に置かれている。選挙が果たしてどれだけ有効かには疑義を呈します。2024年が如何なる年か、それが分水嶺に在る事だけは確かな様です。

    • しばやん より:

      あけましておめでとうございます。
      いつも読んでいただきありがとうございます。
      本年もよろしくお願いします。

      日本に戦争を仕掛けた勢力が、占領期間が終了後も政党やマスコミや教育機関を牛耳って戦後の日本を骨抜きにしてしまったのはその通りで、このままの状況が続けば近い将来、わが国が他国に簡単に乗っ取られることもありうると思います。
      後世に少しでも良い日本を残したい気持ちでこんな地味なブログを書いていますが、おかしな流れを止める力はつまるところ民意の高まりしかなく、具体的には次回の選挙で、どこかの国に買収されているような政治家や、金に汚い政治家を徹底的に落選させるしかありません。
      最近の投票率は3割台が当たり前ですが、政治に期待しない人が選挙に行かないことで、どこかの国や企業や団体から金を貰って動いているようなとんでもない政治家が、僅かな固定票で簡単に当選してしまう結果となります。次回の選挙は、「投票に行けば世の中が変わる」を合言葉に、国民の為に働かない政治家を一掃し、若い世代の政治家が活躍する世の中になることを夢見ています。私も今年は分水嶺にあると考えています。

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