今から六年ほど前に奈良静馬著『西班牙(スペイン)古文書を通じて見たる日本と比律賓(フィリピン)』という本を「国立国会図書館デジタルコレクション」で見つけて読んだときに、倭寇や豊臣秀吉に対する見方が変わってしまった。この本には、戦後の歴史叙述ではまず語られることのない史実が満載で、しかもスペインの公文書で裏付けが取られているのである。二年前に私が『連合軍総司令部(GHQ)指令没収指定図書総目録』をヤフオクで入手した際に、奈良静馬氏の本がGHQが没収廃棄を命じた書籍であることをはじめて知ったのだが、この本を読むとGHQが「大航海時代」と呼ばれる時代におけるわが国の外交史や交易史をどのように歪めようとしたかがなんとなく見えてくる。
1565年にスペインがセブ島を領有したのち、1570年にフィリップ二世がフィリピン諸島を植民地とすることを命じて、ミゲル・ロペス・デ・レガスピは最初にルソン島のマニラを攻略しようとしたのだが、マニラにはすでに日本人が住んでいて交易に従事しており、現地のモロ族から信頼されていたという。
この頃フィリピンにいた一官吏からフィリップ二世に送った手紙によれば、当時マニラに二十人の日本人が住み、その中にジェスイット教徒(イエズス会士)の用いる帽子を被っている者があり、自ら称してキリスト教徒と言い、自分の名前はパブロであると言った。旧教徒の慣例に依って、日本人キリスト教徒も本名のほかキリスト教名を持っていたもので、思うに、日本に初めてキリスト教を伝えたザヴィエルが来朝してから二十一年目の事であったから、日本にもかなり多くのキリスト教徒が生まれていたことであろう。彼もその中の一人であったに違いない。
しかしながらいよいよスペイン人と島人との間の戦争が始まってから、件の日本人パブロはモロ族を指揮してスペイン船を襲撃した。…モロ族はフィリピン島人中多人種を慴伏させ、その武器、刀、槍、弓矢等は、今日これを見ても、その精悍さを偲ばしむるものがある。宗教は回教を奉じ、アラビア文字を用い、歴史を持っており、日本人とは夙に交通して、これに推服しておった。
(奈良静馬 著『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』大日本雄弁会講談社 昭和17年刊 p.7~8
1571年にレガスピはルソン島を平定し、その勢いで日本も征服できると考えたのだが、ルソン島にあった拠点を武力で奪われた日本の海の勇士たちは黙ってはいなかった。彼らは台湾に大きな拠点を持っていて、そこから何度もスペインに戦いを挑んでいる。1580年、1581年にスペインと戦った日本人は大砲によって沈められてしまったが、1582年の戦いはそれまで以上に激しいものであり、戦いに加わったジュアン・バプチスタ・ローマンがメキシコのスペイン太守に送った手紙にはこう記されているという。
甲冑をもって身を固め、槍を携えた日本人二百人は旗艦に飛び込んできた。六十人は銃を持ち、我が兵目がけて発砲した。そしてついに大檣(たいしょう:メーンマスト)にまで攻め寄せて船の大半を占領した。この時我が軍も運命の危急に瀕せるを知り、一歩も退くべからずと踏みこたえ、遂に敵をしてその船に退かしめ…この瞬間わが旗艦サント・ジュセブは日本船に迫り、大砲及び船の威力を以て遂に日本人を屈服せしめることが出来た。敵は僅かに十八人を遺すに至るまで戦ったが、その十八人も遂に自殺し、日本軍は全滅してしまった。この戦闘においてわがスペイン軍にも死者を出した。その中に隊長ペドロ・ルカスも加わっている。彼は軍人精神を発揮し勇敢に奮戦してたおれたのである云々。
(同上書 p.11)
この激闘の後にも日本人が十八隻の船で旗艦を襲った記録があるという。1582年と言えば織田信長が本能寺の変で自刃した年なのだが、この頃の日本は世界有数の鉄砲輸出国であり世界最大の鉄砲保有国であった事実が、戦後の歴史叙述ではすっかり抜けてしまっている。この本には、スペインが日本人を怖れていた記録がいくつも紹介されている。
太守ペナロサは、1582年7月2日付フィリップ二世あての手紙で、フィリピンの兵備の手薄きこと、およびメキシコ太守が必要なる守備軍をフィリピンに送らないことをかこっている。彼は日本人の恐るべきこと、勇敢なること、そしてフィリピン人と混淆すべき者でないことが今更ながら分かったと言い、十分の兵備をもってするにあらざれば、到底日本人を撃退して、フィリピンを安全に保っていくことは出来ないということを痛切に説き、出来るだけ多くの兵員を送らるるように願い出た。
(同上書 p.14)
当時の記録を読むと、東南アジアの制海権は日本人が握るようになっていたのではないかと思われる。同年にはフィリピンの政府参議会で、日本人に関する別の決議について、
太守以下主だった官民が日本人の脅威を議し、彼らを防ぐためにカガヤン地方かイロコス地方に堡塁を築造することを決議し、また日本船を駆逐するため、数隻の沿岸警戒用の船を造る計画を立てた。…参議会は日本人の活動を王に報告して「日本人は毎年のように来寇して島人を降し、在フィリピンのスペイン人の為にシナから食糧、雑貨を積んでくるシナ輸送船を襲うて、多大の損害を与える。これによって、商業の疎外さるること一通りではない。単にマニラに来る船を襲うばかりではなく、マニラから帰る船にさえ危害を加えるので、シナ人は普通の航路によらず、日本船の知らぬ航路を通らねばならぬようになった。」と訴えている。
(同上書 p.20~21)
スペインはそこで、1586年にシナを征服することを決議したのだが、その計画はイエズス会と日本のキリシタン大名の協力を得て六千の日本兵を集めることが困難なため実現されなかった。また1588年にはフィリピンの酋長たちが日本人の力を得てスペイン人と戦おうとした話など、この本には面白い話が満載だが、わが国の歴史教科書では当時の日本人は東南アジアの海域を海賊活動で荒らしまわっていたかのように書かれている(後期倭寇)のだが、それが正しいとは思えない。なぜなら豊臣秀吉は、文禄元年(1592年)に有力な商人や大名にあてて最初に発行した朱印状にルソン(フィリピン)、マカオ(明)、安南(ベトナム)、トンキン(ベトナム)、チャンパ(ベトナム)、カンボジア、リゴル(タイ)、パタニ(マレー半島)の諸国と交易することが明記されている。このような遠方諸国といきなり交易が行われることはあり得ないし、スペインがフィリピンを占領する前から日本人がマニラに住んでいたこともあり得ないだろう。かなり昔から日本人が東南アジアの民間交易ルートを構築していたと考える方がはるかに自然なのである。以前このブログで「後期倭寇」の実態は「私貿易」であったと述べているGHQ焚書を紹介したが、実態はその通りではなかったか。
秀吉の朱印船貿易の話に戻そう。文禄元年に発行されたばかりの朱印状を携えてルソンに向かった貿易商人原田孫七郎には、スペインのフィリピン総督に宛てた秀吉の書状が手渡されていた。その書状の内容は戦後の歴史叙述の中ではほとんど紹介されることがないのだが、それは、スペイン国王に対する降伏勧告状であった。秀吉は三度にわたりスペインを恫喝したのだが、スペインは全く何もできなかったのである。この内容については拙ブログや拙著『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』にも書かせていただいたので、興味のある方は覗いていただきたい。
今回紹介させて頂いた奈良静馬氏の著書は、最近になって復刻されている。
西尾幹二氏の動画『GHQ焚書図書開封』ではフィリピンに関して次のようなものがある。
・植民地フィリピン成立史 1
・フィリピン独立の夢を奪ったアメリカ帝国主義 序幕
・南北戦争で自信を得たアメリカの極東進出
・従軍作家が見たフィリピン戦場最前線
・「バターン死の行進」直前の状況証言
以下のリストはGHQ焚書の中からタイトルで判断してフィリピンに関係ありそうな本を選んだものである。全部で40点あるが、URL記載のある9点は「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されている。
タイトル | 著者・編者 | 出版社 | 国立国会図書館デジタルコレクションURL | 出版年 |
アギナルド将軍 | 塩田良平 | 育英書院 | ||
新しい南方の姿フィリピンと 東印度諸島 | 糸賀庸 出崎誠一 | 翼賛図書刊行会 | ||
新しきフィリピン | 田上旺作 | 日本書館 | ||
詳解比島事情 | 平塚武 斑目文雄 | 非凡閣 | ||
新東亜とフィリッピンの現実 | 中屋健弌 | 同盟通信社 | ||
西班牙古文書を通じて見たる 日本と比律賓 | 奈良静馬 | 大日本雄弁会講談社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041580 | 昭和17 |
大東亜戦史 比島戦史 | 読売新聞社 編 | 読売新聞社 | ||
大東亜戦争陸軍報道班員手記 バターン、コレヒドール攻略戦 | 文化奉公会 編 | 大日本雄弁会講談社 | ||
ダバオ土地問題と邦人事情 | 松本勝司 | 南方経済調査会 | ||
東亜共栄圏と比律賓 | 三吉明十 | 刀江書院 | ||
独立問題を中心に比律賓を語る | 千代田通信社 編 | 千代田通信社 | ||
ナチブ山 | 柴田賢次郎 | 成徳書院 | ||
バタアンコレヒドール戦記 砲車小隊長の手記 | 中山富久 | 協栄出版社 | ||
布哇と比律賓:日米戦の土俵 | 野崎圭介 | 二松堂書店 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1443698 | 昭和7 |
比島従軍記 | 朝日特派員西川佳雄 | 興亜書院 | ||
比島宣撫と宗教班 | 小野豊明 | 中央出版社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460337 | 昭和20 |
比律賓 | 南方産業調査会編 | 南進社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1044042 | 昭和17 |
比律賓 | 柴山武徳 | 日本拓殖協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123852 | 昭和17 |
比律賓群島 | 星 篤比古 | 東京講演会出版社 | ||
比律賓群島の民族と生活 | 山本惣治 | 南方出版社 | ||
比律賓に於ける政策の変遷 | 永丘智太郎 | 日本拓殖協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1274771 | 昭和16 |
比律賓の現状を語る | 渡辺 薫 | 南方経済調査会 | ||
比律賓の資源と貿易 | 日本貿易研究所 編 | 日本貿易振興協会 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1065687 | 昭和17 |
比律賓の独立と東亜問題 | 野本静一 訳 | ダイヤモンド社 | ||
比律賓の農業 上巻 | 福原友吉 | 三省堂 | ||
フィリッピン | 中屋健弌 | 興亜書房 | ||
フィリッピン | 松下正壽 | 朝日新聞社 | ||
フィリッピン攻略戦 | 森 欣一郎 | 晴南社 | ||
フィリッピン独立論 | ピヨ・デュラン | 博文館 | ||
フィリッピン読本 | 奥間徳一 | 改造社 | ||
フィリピン独立正史 | 仲原善徳 | 中文館書店 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1907579 | 昭和19 |
フイリッピンの偉人 ホセ・リサール | 毛利八十太郎 | 青年書房 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1058013 | 昭和17 |
フィリッピンの政治経済問題 | 国際経済学会 | 刀江書院 | ||
フィリッピン 歴史と現実 | 池田 曄 | 中川書房 | ||
宝庫ミンダナオ | 沢田 謙 | 六興商会出版部 | ||
放列バタアン砲兵戦記 | 中山富久 | 育英書店 | ||
ホセ・リサール | 不明 | 講談社 | ||
ホセ、リサール伝 | 花野富蔵 | 西村書店 | ||
マニラ脱出記 | 和田敏明 | 成徳書院 | ||
マニラの烽火 | 柴田賢次郎 | 日本文林社 |
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ブログ活動10年目の節目に当たり、前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、昨年(2019年)の4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しています。
通説ではほとんど無視されていますが、キリスト教伝来以降ポルトガルやスペインがわが国を植民地にする意志を持っていたことは当時の記録を読めば明らかです。キリスト教が広められるとともに多くの寺や神社が破壊され、多くの日本人が海外に奴隷に売られ、長崎などの日本の領土がイエズス会などに奪われていったのですが、当時の為政者たちはいかにして西洋の侵略からわが国を守ろうとしたのかという視点で、鉄砲伝来から鎖国に至るまでの約100年の歴史をまとめた内容になっています。
読んで頂ければ通説が何を隠そうとしているのかがお分かりになると思います。興味のある方は是非ご一読ください。
無名の著者ゆえ一般の書店で店頭にはあまり置かれていませんが、紀伊国屋書店の下記10店舗に令和三年の二月末まで、各1冊だけですが常備陳列されることになっています。
川越店、流山おおたかの森店、梅田本店、グランフロント大阪店、川西店、クレド岡山店、広島店、久留米店、熊本光の森店、アミュプラザおおいた店
お取り寄せは上記店舗だけでなく、全国どこの書店でも可能です。もちろんネットでも購入ができます。
令和二年三月末より電子書籍もKindle、楽天Koboより販売を開始しました。
Kindle Unlimited会員の方は、読み放題(無料)で読むことが可能です。
内容の詳細や書評などは次の記事をご参照ください。
コメント
しばやんさん、こんにちは。
興味深い記事、有り難う御座います。GHQ焚書は時間がいくらあっても足りませんね。
>槍を携えた日本人二百人は旗艦に飛び込んできた。
>その十八人も遂に自殺し、日本軍は全滅してしまった。
これ、武士道精神、特攻隊精神そのものです。
小栗上野介の動画が完成したので、説明欄でしばやんさんのブログを紹介させて頂きました。
【決定版】小栗上野介 前半(衝撃編)38分
https://youtu.be/9fCtHQhdmDw
【決定版】小栗上野介 後半(驚愕編)42分
https://youtu.be/lgvvNzZcmos
長いので、時間のある時にご覧頂ければ幸いです。
シドニー学院さん、コメントありがとうございます。
GHQ焚書はタイトルや目次を見て、戦後に広められていない史実を中心に一部を読んで紹介させていただいていますが、余りに多すぎて、時間がいくらあっても足りませんね。蜷川新は小栗の義理の甥になりますが、蜷川新の著書の4冊がGHQ焚書になっています。
・国民主義と欧米の動き https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1172063
・戦争か平和か? https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1033501
・南洋に於ける帝国の権利 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1222189
・満洲に於ける帝国の権利 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257903
拙ブログの紹介までしていただき、感謝です。
小栗の動画は必ず視聴させていただき、Youtubeにコメントさせていただきます。
「西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓」の著者奈良静馬の孫です。この本は祖父の唯一の著書で、私の手元にも一冊あります。とりあげていただきありがとうごさいます。
古びた古書で旧漢字でもあり、目を通すことがなかったのですが、復刻を知り「復刻・スペイン古文書を通じて見たる日本とフィリピン」経営科学出版を取り寄せました。しばやん様のご紹介の文も併せて(いまさらですが)勉強させていただきます。
祖父は大分出身、旧制中津中学(沼田中学卒との誤りの掲載も見られます)早稲田大学を卒業、群馬県旧制沼田中学で英語の教員のあと、米国留学でスタンフォード大学で文学、歴史学修士を修め、講談社に入社、戦後GHQのパージで退任した直後逝去しております。
奈良健彦様、コメントありがとうございます。
悪性リンパ腫の治療中に新型コロナに感染して隔離病棟に移されて2か月になります。数日前から再び高熱が続いて何も出来ないような状態が続き、返事が随分遅れて申し訳ありません。
祖父の書かれた「西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓」という本を見つけたのは今から8年前のことになります。
当時は「大航海時代」にわが国はいかにして国を守ったかという視点で、旧ブログでいろいろ記事を書いて、何度か奈良静馬さんの本を採り上させていただきました。
https://shibayan1954.blog.fc2.com/blog-entry-371.html
https://shibayan1954.blog.fc2.com/blog-entry-375.html
https://shibayan1954.blog.fc2.com/blog-entry-390.html
拙著「大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか」にも、何ヶ所か奈良静馬さんの著書を紹介させていただきました。
8年前には、奈良静馬さんの本がGHQによって焚書処分されたことは知らなかったのですが、焚書のリストを入手してやっぱりそうかと納得しました。
戦後GHQパージの直後に亡くなられたことは知りませんでしたが、戦前にあんな素晴らしい著作を残されたことに感謝しています。
ユダヤ人に関する貴殿のブログに深い関心があります。ブログに触発されて、録画していたNHK 映像の世紀 昨年4月に放映された「ベルリンの壁崩壊」昨年12月に放映された「ナチハンター忘却との闘い」を再度見ました。数年前ですが、プラハのヴァーツラフ広場に行きました。戦車で埋め尽くされていたニュースの映像が頭を離れず、やはり 平和がいいよね と 感じました。
柳瀬さん、お久しぶりです。
最近はテレビはまず視ることがなく専らネットや古い本などを情報源にしています。NHKは昔はドキュメンタリーなどでいい番組があった記憶がありますが、内容に疑問を持つようになって二十年近く視ていません。
平和を望むのは誰しも同じですが、他国を侵略しようとする国が存在する以上、どの国もそのような国から自国を守る対策が不可欠です。侵略を狙っている国は、武力を用いる前に宣伝戦や情報戦で狙っている国を混乱させ、弱体化を仕掛るものですが、今のわが国は、いくつかの国からそのような工作が仕掛けられているのではないでしょうか。
わが国は、政治家だけでなく財界も官僚もマスコミもそのような国に対してあまりに無防備であり、主権者である国民が国際情勢や政治に無関心であることが気になっています。
柴田さんの懸念のとおり、私を含めて平和ボケをしているのかもしれません。私は テレビっ子で、録画してはまとめて鑑賞するという繰り返しです。
私も昔はそうでしたが、海外の識者が伝えている内容と日本のテレビや新聞が伝えている内容が随分違うことに気づいて、大手のマスコミはその国の為政者や海外の工作員にとって国民を洗脳する道具であるという側面が見えてきました。
Youtubeやtwitter等は、玉石混交ではありますがリアルな海外情報の宝庫で、自身のアカウントで情報ソースを示して発言している人が少なからずいます。自分で確認しようと思えば、外国語もPCやスマホで日本語にある程度翻訳できる時代になっています。