GHQが焚書処分した明治時代に書かれた作品紹介の第二回目だが、今回は大月隆仗著『兵車行』(兵卒の見たる日露戦争)という本を採り上げたい。著者は明治十六年(1883年)の岡山県生まれで二十歳の時に陸軍歩兵上等兵として日露戦争に出征し、この本はその体験記で明治四十五年に敬文館から出版されている。この作品は昭和六年に戦記名著刊行会から刊行された『戦記名著集 第九巻』に桃陰著『旅順閉塞』等とともに収められ、この巻がGHQによって焚書処分されている。
著者の経歴をネットで調べると、コトバンクに日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」の記事が引用されている。それによると、「読売新聞記者などをつとめ、また佐々醍雪の助手をし、岩野泡鳴の弟子としても知られている。評論家として『文学の調和』『文学の審美』、作家として『嗜欲の一皿』などがあり、他に従軍記『兵軍行』などの著書がある。」と記されているが、それ以上の詳しい経歴はネットでは見つからなかった。大月の著作はあまり多くはないようだが、『兵車行』のほかに『天皇信仰と大国隆正』『天皇信仰の首唱者大国隆正』がGHQによって焚書処分されている。
動員下令
軍人の記した戦記とは異なり、一般個人の体験記だけに、自分の見聞したことを感じたままに描いていて、文章もうまくて読んでいて引き込まれる。この本の冒頭には若き著者に動員下令が届く場面が描かれている。当時の一般の人々が日露戦争をどのように迎えたかがよくわかる文章である。
これは明治三十七年陰暦三月節句の日のことであった。日露国交断絶のことは、もう既に田舎の人の口の端にも上った。旅行するなら村役場に届け出るようにと、お触れも出ていた。子を持つ親、夫を持つ妻、情夫のある娘は、もしかの事がありはすまいかと、思わぬではなかった。
されど三月の雛節句というと、桜の春は過ぎたが、日々に若葉が萌出て、春色はひとしお濃厚になって来た。自分の故郷などでは、山畑や屋敷周囲に、桃の花が一面に咲いて、淡い桜の歓楽に色揚げして、濃き春の宿酔をホンノリと、道往く人に味わした。
ホットロ暖(ぬく)い春の天気が続いて、石楠花(しゃくなげ)が色づき、沈丁花(ちんちょうげ)が薫り出し、白桃、垂桃、緋桃が競い咲き、『白酒あり』と、酒店に貼紙が出てから、人の心は三春の享楽にと趨(はし)りがちであった。
村の四ツ辻では、後生の幸福を祈る連中が、駄菓子屋の店先で干菓子や赤の飯のお接待をして、そこの辻堂や、かしこの薬師堂に、桃の村を出たり入ったりする、お札所廻りの巡礼姿が、若葉の裡に際立って見えた。わけても持山の桃畠に田舎芸者をおびき出して、白酒を啜りながら、馬鹿踊りに現(うつつ)を抜かしたのものもあった。すると、五寸角位の厚紙の赤い札、……それは兵役に関係のある誰にでも滑稽と気貧(きまず)さの連想とで見覚えのある赤札で、一通り教練にも上達して、第二次の教育期に入ってから「これが、お前たちの愈々(いよいよ)お国のためと、呼び出される時の充員召集令状だ」と、座睡(いねむり)のつく学科の時に教わった赤札。そして年に一度、檀那寺のヒヤリとする広間に、不動の姿勢で、いかついた点呼執行官から質問されたその赤札が、田舎娘の巡礼姿とすれ違いに、ヨホヨボの小使や、臨時人足の手から、桃の村を櫛の歯を曳くように配られた。そして日向ボッコする古池の亀の子が、物音に怖(お)ぢて水に飛び込んだ後のように、いつも人だかりする店先もひっそりした。春光に酔うた若者も、情夫に酔うた田舎芸者も、今は遂に現実に帰らなければならなかった。そして人間の運命についての不安が、誰の心の底にも薄黒くわだかまった。
大月隆仗 著『兵車行 : 兵卒の見たる日露戦争』敬文館 明治45年刊 p.1~3
召集令状が来て春の田舎の空気は一変し、召集のかかった者は準備をし、それぞれ家族やお世話になった人に別れを告げて、翌朝に身内の者と手荷物を提(ひっさ)げて、今後の事をしんみりと話しながら駅に向かう。
停車場に近づくにつれて、見知りの出征兵士の数が殖(ふ)えて来る。何かと元気そうに話しながら街道を練って歩くのが、店に座った番頭や手代の眼をキョトキョトさせる。そして「いくさ」がいよいよ間近に迫って来たことを考えさせられた。
停車場では群衆が雑踏している。入口の軒に立て掛けられた幟(のぼり)は、海面からの朝風にひらひらしている。ガラガラと勢いよく引き込まれた車が、轅棒の下ろされるたびに、それ誰が来た、彼も来た、傍の人目を惹(ひ)いた。桃の花の咲いた東の踏切の焼け杭の切れ目で、踏切番が鎖を引いて、事務室から駅長や車掌が飛び出ると、黒ずんだ怪物のような機関車が、パッパッと湯気を吐きながら、白く光る軌道を嘗めつつ、町屋の角に現れて、スーッとプラットフォームに入って、カチャンと止まる。
同上書 p.4~5
後尾の列車で梱包や自転車を積み込む人夫の騒ぎがやんで、コトンと戸を閉める音がすると、合図の笛が鳴って、汽車はまた動き出す。
「萬歳!」
「萬歳!」
「萬歳!」と、
プラットホームの見送り人は、帽子を振る、国旗を振る、ハンカチが飛ぶ。なかには切下げ髪でこげ茶地の被布を羽織った老婦人が、合掌しながら、我が子の冥福を祈っている姿などが、鋭い印象を残す。
その後、大月は第二軍に配属され、5月に遼東半島に上陸後北上し、6月には得利寺の戦い、7月には大石橋の戦いで勝ち進み、遼陽会戦で日本軍は遼陽を占領している。
沙河会戦
10月になって日露両軍は遼陽と奉天の中間付近を流れる沙河(しゃか)で戦っている。本書には遼陽会戦と沙河会戦については概況が別途纏められているが、筆者の体験記の部分を引用したい。
日はトップリ暮れた。沙河の流れのみが闇の裡(うち)に際立って見える。折しもすぐ前方の村落に敵の大集団が入ったと歩哨が報告した。スワと沙河の右岸を目標に、銃口を向けたまま、その襲来を待った。容易に渡渉しそうにも見えなかった。
すると、俄然「敵襲」と、後方からの警声が聞こえる。振り返って見ると、物情騒然、第二大隊の散兵壕あたりとおぼしく、闇の裡に黒い影が動揺している。放れた駄馬は悲鳴を挙げていななき、乱れた射撃の音が夜陰を破る、と見る間に、その怪疎き暗影の一塊(かたまり)は、自分たちの拠った山稜の南側に現れて、三十メートル近くのところまで迫った。すぐ右翼の壕内では、今し彼我の大混戦。…中略…
前面の敵襲に現(うつつ)を抜かした自分達は、今し後ろの敵にも当たらねばならぬ。散兵壕の右廻転は、操典はずれの破天荒の出来事である。敵は山稜に伏姿をとって、しばし目を弩(は)って睨み合いをしていると、壕の左翼から次へ次へと袖を引いて「姿勢を低うして、壕を左へ下がれ」と言う。辛うじて下ると、血眼になった大隊長は、山稜に寄った敵を目がけて突貫するのだと言う。中隊の編成などは既に乱れているので、有合う将校下士の誰彼をして、奮然敵の背後を衝いた。「突っ込め………」
「ウワー………」と、突貫する。再度の突貫で壮健(まめ)な敵は、山を北へ逃げた。右翼大隊のの正面と覚しく、そこも突貫の声が漲って聞こえた。足許には彼我の死傷者が累々と重なっている。たまにポツリポツリと突っ立った兵が、「オーイ」「オーイ」と言っている。服装を的に暗闇に横たわった死傷者の顔を探すと、起つことのできない露助(ロシア兵)が唸っている。傍によると銃剣を擬する。鉄拳を一つ食らわすと、そのまま閉口する。鵜沢連隊長の位置はと見ると、無残や中佐は一名の敵を薙ぎ倒した剣を按じたまま、後頭部と背部を刺されて倒れている。嗚呼………、「軍旗は」………、「軍旗は」、と、周囲を探したが見えない。ただ、見分けの付き難い死屍が重なり重なって、青白い顔が夜目には微黒く見えるのみだ。
生き残った兵は、生き残った将校によってそれぞれ纏められた。そしてその大部分は、第二、第三大体との連絡を取りにでた。そこ此処の鞍部地隙では、倒れた人馬の黒山が出来ている。叫喚の声断続する物凄き夜は漸く更けた。どこかに纏まった隊はいないかと、「オーイ」「オーイ」と呼んでみる。応ずるものがあるので往って見ると、三人の負傷兵が黍殻(きびがら)の上に倒れている。中の一人は重傷らしい。「お母さん……、お母さん、水をくれ……」と、唸っているのには思わずしりごんだ。しっかりしろと抱き起すと「お母さん……、苦しい……」としがみつく。その姿が又なくいじらしい。闇に透かして見ると、どこをどうして途迷うたのか、スケッチの上手な隣分隊の兵である。腹部に三発の貫通銃創を受けていた。憐れやこの夕べ、故郷の「お母さん」は何を夢見ただろうか。人の子はこうして幾人となく倒れたのである。
同上書 p.219~221
戦争の味が如何に深刻なものであるかは、普通の戦史をいくら読んでもわかるものではない。筆者の大月は、兵士は戦いに参加して多くの仲間や敵兵が近くで傷つき倒れるのを何度も体験し、人生とは何なのかという深刻な問題に何度も向き合った。「『生老病死』など、人生の深刻な問題に触れしむることは多々あるが、最も多くの人をして、同時にこの問題に触れしむるものは、『いくさ』よりほか大なる力を持ったものはない」とあとがきに記しているが、こういう戦記は、世界がキナ臭くなっている今日こそ、多くの人に読んで欲しいと思う。
大月隆仗の著書
大月隆仗の著作は意外と少なく、国立国会図書館では9点しか見つからなかった。リストの署名ランで*印で太字表記したものはGHQ焚書である。
タイトル | 著者・編者 | 出版社 | 国立国会図書館デジタルコレクションURL | 出版年 |
義勇軍を激励する : 激励袋を負ぶって三千粁 | 大月隆仗 | 大陸講談社 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和16 |
孔子鑑賞 | 大月隆仗 | 雲海社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和11 |
孔子の新研究 | 大月隆仗 | 新民書房 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和17 |
嗜欲の一皿 | 大月隆仗 | 一人社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1016852 | 大正14 |
親鸞聖人関東聖蹟巡拝記 | 大月隆仗 | 聖地いなだ出版部 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和9 |
*天皇信仰と大国隆正 | 大月隆仗 | 道徳運動社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和12 |
*天皇信仰の首唱者 :大国隆正 | 大月隆仗 | 産業経済社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和17 |
*風雲回顧談、兵庫行*、旅順閉塞* 戦記名著集 第九巻 | 大月隆仗 桃陰 | 戦記名著刊行会 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和5 |
*兵車行 : 兵卒の見たる日露戦争* | 大月隆仗 | 敬文館 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774461 | 明治45 |
初めて学ぶ人の哲学概論 | 大月隆仗 | 先進堂書店 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和5 |
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