世界16ヶ国に翻訳された櫻井忠温の名著『肉弾』~~GHQが焚書処分した明治期の著作4

日清戦争・日露戦争

 櫻井忠温(さくらい ただよし)の著書でGHQに焚書された本は、このブログでこれまで『常勝陸軍』と『子供のための戦争の話』の2冊を紹介させて頂いた。

 しかし、櫻井の著作で最も有名なのは、明治三十九年(1906年)に出版された『肉弾:旅順実戦記』であろう。この本は戦記文学の先駆けとしてベストセラーになり、わずか数年で千版を超える驚異の増刷を記録したという。2016年に復刻された中公文庫版には長山靖生氏が「英独仏をはじめ、イタリア語、中国語、スウェーデン語、ノルウェー語、ギリシャ語、そして対戦相手だったロシア語など十六ヶ国語に翻訳され、世界的にも読まれ続けた。早くから北欧やギリシャで読まれたのは、彼らがロシアの脅威に苦しんでいたためだろう。日本の勝利は近代に入って有色人種がはじめて白人から勝ち取ったものだったばかりでなく、大ロシアの圧迫に苦しんでいたヨーロッパの小国にも勇気を与えたのであった」と解説している。
 この著作は後に何度か復刻され、GHQが焚書リストに挙げたのは昭和15年に潮文閣から出た「戦争文学全集. 第5巻 (桜井忠温傑作集)」で、ここには「肉弾」のほか「銃後」、「銃剣は耕す」の三作品が収められている。

櫻井忠温

 櫻井忠温は明治三十四年に陸軍士官学校を卒業後、陸軍少尉として松山の歩兵第二十二連隊に配属され、明治三十七年に日露戦争が勃発すると、四月に動員命令が出て日露戦争に出征した。

 やがて乃木大将率いる第三軍の配下部隊として旅順攻囲戦に奮戦することとなり、第一回旅順総攻撃の際に彼は八発の弾丸と無数の刀傷を受け、右手首を吹き飛ばされる重傷を負ってしまった。この作品は、櫻井が日本に帰還して療養生活中に執筆されたものだが、こんなに古い作品までもが、第二次大戦後にGHQによって焚書処分されたことを知るべきである。
 面白いことに、このドイツ語訳までもがGHQ焚書リストに挙がっているのだが、GHQはわが国の同盟国であったドイツの人々にも読ませなくなかったということなのだろうか。

 櫻井が重症を負って戦線離脱したために、『肉弾』には第二、三、四回の総攻撃や、二〇三高地の激戦、旅順要塞陥落については触れていないが、砲弾の飛び交う中を進んでいった過酷な戦いは、現場を経験した者でしか描けないものである。そんな危険な戦場に於いては、軍律では戦闘中に負傷する戦友を介護することは戦力を削がれるとの理由から禁じられていたのだそうだが、櫻井は負傷した戦友を見捨てず、抱き起して手当てした場面が描かれている。

 この本は「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されているが、中公文庫で新字・新仮名で復刻されており、読みやすくなっているのでお勧めしたい。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/904708
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旅順の価値

 日露戦争の主戦場は満州であるため、わが国は大陸に兵員や武器弾薬および食糧を送り込む必要があり、制海権を確保しなければ戦えない。ロシア極東艦隊の根拠地は旅順港であり、ロシアはその地に難攻不落の要塞を築き、数多くの砲台が設置されていたために、日本海軍は旅順港に容易には近づけなかった。そこで三回にわたり旅順港封鎖を試みたがうまくいかず、陸軍に旅順要塞攻撃を要請したのである。少し補足すると、旅順は遼東半島の西に位置し、日清戦争のあとの下関条約で遼東半島は日本の領有が決定したのだが、露仏独の三国干渉によりわが国は遼東半島を清国に返還した。しかしながら、その後ロシアが、三国干渉の報酬として清国に対して遼東半島を奪い取り、旅順港を極東艦隊の根拠地とし、周囲に要塞を建設してきた経緯にある。

 櫻井は本書に旅順要塞について次のように述べている。

 日清戦役以来、旅順口なる名は、世界の注目する所となり、ことに露国が十年の日月を重ね、数億の資を投じて、この地に堅塁を築きてより、戦略上最も重要の地点となったのである。さればあたかも露土戦争がプレヴナの陥落によって、勝敗の数の全く決したるが如く、旅順さえ陥落するならば、日露戦争の全局面は終りを告ぐるかの如くに考えられていたのも当然である。旅順の地たるや、市街と港湾とを抱き込み、二百ないし四五百メートルの高地が逶迤(いだ)として引廻され、自然の防御陣地を形成している。すでにこの天嶮あり、加うるに築城工事にかけては世界で有名な露国が、彼の山、この丘と到る処に各種の砲台を築き、これに無数の巨砲、機関銃、小銃を配置して、正面側面自由自在に射撃を指向し得る如くし、地雷、狼穽(ろうせい)、鉄条網等を始め、あらゆる防御材料をば、蟻の這う隙間もなく布設して、いかほど猛烈なる日本軍の砲火に対しても、いかほど精鋭なる逞兵(ていへい)の突撃を被っても、このようがいこそ敵を制するに間然する所なき、難攻不落の堅城なれと自信していたのである。これに反して我が軍の攻撃正面はいかなる地形なりしか。すなわち嶮しき山か深き谷か、さもなくば敵の陣地に向かって、しぜんに緩徐(かんじょ)なる傾斜をもって登らねばならぬのであった。旅順口一帯の地利はすなわち守るに易く、攻むるに難きにあった。ことに糧食弾薬等は、他よりの供給を仰がずとも、十分に持久の籠城ができるだけの永久経営はほとんど完備していたのであった。

 されどどの要塞でも、永久に抵抗した先例はない。・・・・・・中略・・・・・・昔からいずれの要塞でもついには陥落している。されどおよそ要塞の任務は、一日でも長く包囲陣に抵抗して、敵全軍の作戦を阻害するにある。しからば、旅順要塞の任務は何であったか。すなわち日本軍を一兵でも多く、一日でも長く南方に牽制して、北満州の任務におけるクロパトキンの作戦を有利に導かんとするにあった。この重大なる任務のために、ステッセル将軍は世界無比の堅塞(けんさい)を固守して、あくまでも攻撃軍を拒止(きょし)せんとしたのである。仮に旅順が、奉天の大会戦まで持続したものとしたら、我が軍に取ってドウであったろう。旅順の価値はしかく大いなるものなれば、彼はこの価値を失わざらんとし、我はこの価値を奪わんとし、彼に死守あれば、我に死攻あり。しかして、乃木将軍ついによく幾万精兵の犠牲を払ってこの価値を購い、しかして旅順の価値をしてますます大ならしめたのである。

 三年をも支え得べしと誇れるこの堅城を抜くに、わずかに八ヶ月をもってしたること、すでにその攻撃戦のいかに惨烈なりしかを察するに余あるのである。旅順戦は古今の最惨戦である。・・・・・・中略・・・・・・従軍記者ケナン氏は、この攻撃戦を評して、阿鼻叫喚の地獄をこの世に現出したものだと言った。しかしてこの大悲劇を演ぜしめたものは、元はと言えば全く旅順要塞の価値そのものに外ならぬのである。 

櫻井忠温『肉弾:旅順実戦記』中公文庫 p.45~48

 ロシア満州軍総司令官であったアレクセイ・クロパトキンは、「旅順はいかほど猛烈なる攻撃を受くとも、優に三年を支えて余りある堅城なり」と自負していたのだが、日本軍は八ヶ月で陥落させたのである。しかしこの戦いはとんでもなく悲惨なものであった。

攻撃準備

 櫻井は旅順の総攻撃までに、金州南山や太白山などの激戦を戦ってきたのだが、この点については省略して、第一回旅順総攻撃の記述部分をいくつか紹介したい。戦争というものは、いきなりただ銃剣で戦うものではなく、ロシア軍は簡単に日本軍を要塞に近づかせないために、様々な仕掛けをしていた。その障害を速やかに排除していかなければ前進することが出来ない。櫻井はいよいよ始まる総攻撃のための準備についてこう記している。

 見渡す限り、山という山、丘という丘、ことごとく砲台ならざるはなく、堡塁ならざるはなく、旅順はただこれ鉄壁をもって、十重二十重に囲繞(いにょう)せられたる金城湯池である。しかもこれを守るは老将ドラゴミロフの訓練に成れる露国最強最鋭の猛将勇卒であった。予等は今目睫の間にすでに、この金城湯池を控えていたのである。しかし八月十九日はすなわちこの旅順の死命を制すべき総攻撃の第一日であった。世界の戦史上に、最難最惨の戦闘として特記せらるべき旅順攻撃は、実にこの日をもってその端を開いたので、これよりして四ヶ月余、我死攻すれば、彼は死守し、我が軍は多大の犠牲を価とし払って、旅順の山谷を焦土とし、弾丸の巣窩(そうか)として、ついにこれを屠(ほふ)り、これを陥れ、環睹(かんと)の列国をして、大和魂の発射せる肉弾の効力を驚愕せしむるに至ったのである。

 予らは大孤山麓に在りて、攻撃に関するすべての準備を急いでいた。ことに敵が副防御中の最有力なるものとして頼んでいた鉄条網――我が軍が、かの棒杭とその鉄線とのために、幾多の生命を奪われたか、その鉄条網破壊の研究に怠らなかった。見渡す限り一面の逶迤(いだ)たる山稜は大小高低を問わず、遠く望めば点線の如くに取り巻いているは、すなわち鉄条網である。予らはこれを踏みこれを壊して進まねばならぬ。これを破壊するのは工兵の本務なりとはいえ、その人員には限りがあって、鉄条網にはほとんど限りがない。されば歩兵もまたこれが破壊に努めなければならなかった。そこで我らは大孤河の前岸を利用して、鉄条網を仮設し、工兵からその破壊方法を教えられたりした。始めに、まず鉄挟隊(てつばさみたい)が前進して直ちに鉄線を切る。続いて鋸(のこぎり)の一隊が進んで杭を揺すって仆(たお)す。仆れなければ鋸で引き仆すという工合(ぐあい)にして、この網の一部を破って突撃隊の進路を開くのである。

 予らは鉄条網破壊が眼前に迫った第一の仕事であったから、一所懸命にその下稽古をしていた。されどいよいよ実地に臨みしや、鉄条網破壊のために驀進したる我が歩工兵の決死隊は、恐るべき機関銃の銃先で仕事をするのであるから、ほとんど一名の生還者もなかったのである。

同上書 p.170~172

 この鉄条網には強力な電流が流されていて、そのために電殺された者もいたという。またそこかしこに地雷が埋設されていて、その導火線を切断しつつ進まねばならない。もたつけば、敵の銃の標的となるばかりである。

総攻撃開始

 そしていよいよ八月十九日の払暁に、全砲兵隊が砲撃を開始し旅順総攻撃が開始された。日本軍は砲撃の援助に頼って敵塁に近接し、砲火の効力が表れるのを待って一気に突入する計画であった。しかし、旅順要塞は想定した以上に堅牢であり砲撃によって突破口を開くことは出来なかった

 勇士の死屍は山上さらに山を築き、戦死の碧血は凹処に川を流す。戦場は墳墓となり、山谷は焦土と化す。実に第一回総攻撃の結果を回想すれば痛恨腸(はらわた)を刺すの思いがある。

 英国新聞スタンダードの一記者は、「日本軍の喊声は露兵の心臓を貫けり、その腸を刳(えぐ)れり。」と言った。しかり日本軍の喊声は敵の心臓を貫き、腸を刳ったに違いない。しかしその喊声は一日一日と薄れて敵塁前山と死骸を積んだに過ぎなかったのである。いくばくの鉄弾を抛ち、いくばくの肉弾を費やしても、彼の堅牢無比と誇った敵塁に対してはほとんど何の効果も奏せざるに終わったのである。否、その後数回の大突撃も、肉弾また肉弾を投じて、勇士の血を涸らし骨を砕きしに止まったのである。乃木将軍は涙を払って犠牲を擲(なげう)ち、部下は死を甘んじて殊死決戦、奮って肉弾となって敵塁を撃ったのであるが、全滅また全滅を重ねるのみであった。

同上書 p.178
東鶏冠山北堡塁

 この戦いで、櫻井は東鶏冠山砲台を目指して進軍中に重傷を負っている。

 まず敵の第一散兵壕において、爆薬戦が開かれた。我が兵の擲(な)げ込む爆薬は見事に爆発して散兵壕はたちまち火事場の如く、板が飛ぶ、土嚢が吹き出す、頭が飛ぶ、足が捩(ち)切れる。火焔は黒煙と共に煽り上って、赤き火光は予らの顔を輝らして物凄く、戦線は一時に騒がしくなった。かくする内、敵は叶わじとや思いけん、この地点を棄ててどこかへ逃げ去った。ヨシ!とばかり予らは勝ち誇って勇み進んだ。中隊長川上大尉は軍刀を翳(かざ)して、「前へ!」中隊長と並んでいた予は、「櫻井小隊、前へ!」と令した。

 予はかく叫びつつ、進路を見届けんがために中隊長の左側を駆け抜けて、塁道を進んだ。前に立ち塞がった黒き大の者は何ぞ? 北堡塁下の塹壕であった。後を顧みれば一兵だに従い来たらず。しまった! 連絡を切ったのかと、予は左方に身を避けつつ、我が第十二中隊を呼ぶと、
「櫻井中尉殿!」
としきりに呼ぶものがある。声を頼りに帰り来たれば、伊藤曹長が声を揚げて泣いていた。

「何で泣くか? どうしたのか?」
曹長は涙をハラハラと流しながら、予の腕を確(しか)と抱えて、
「櫻井中尉殿、あなたは今大事な体です・・・・・・」
「泣くことはない、どうしたのか?」
彼は予に耳語(じご)して、
「中隊長が戦死しました。」

 予はこれを聞いて愕然とした。中隊長が「前へ!」の号令は、ただの今のことである、予が中隊長と離れたのもまたただ今のことである、しかるに大尉はすでに亡き人となったのである。一瞬にして川上大尉と予とは幽明を隔てたのである。夢か現(うつつ)かと疑えば、伊藤曹長の指示する所、中隊長の遺骸は、わずかニ三間離れた塁道の中に斃れていた。予は走り寄りて大尉を抱き起し、
「中隊長殿・・・・・・」

 予はこう言ったきり胸へ何ものかが込み上げてきた。されどかくあるべきならねば、予は中隊長の持てる機密地図を取りて、猛然と奮起し、第十二中隊はこれより予が指揮するぞと叫んだ。しかして中隊長の死骸は負傷者の中にてこれを収容して下れと命じた。一人の傷兵が中隊長を舁(かつ)ぎ上げんとすると、またもや急所を撃たれ隊長に寄りかかって死んだ。代わる者も、代わる兵も皆傷つき斃れた。

 予は二宮少尉を呼んで、小隊はことごとく纏まっているかと尋ねたれば、しかりと答えた。予はまた伊藤曹長に連絡を絶つなかれと命じ、予は散兵戦の中央に在ることを示した。されど暗夜のこととて、いかなる方面より進むべきか、さらに弁別できず。暗き空にヌッと聳(そび)えたるは、望台と北堡塁となり、天嶮は前に横たわり、身は釜中(ふちゅう)に在るに等し。かくてもなお一隊は連ねて前進せんとした。

「第十二中隊、前へ!」
 予は歩を右方に取って進んだ。まるで無中、実に当時の状況はほとんど何事をも明らかに記憶せずという外はない。
「連絡を切るな、切るな」
 これぞ予がこの時に叫んでいた唯一の言葉であったのだ。しばらくして手足と頼んだ伊藤曹長の声も聞こえなくなった。暗(やみ)に閃(ひらめ)く剣尖(けんせん)も次第に薄らぎ、黒山を築きつつ進んだ部下も今は余すところ数人となった。たちまちにして予は棍棒もて殴られたようで、パタリと四つ這いに倒れた。

同上書 p.193~195

 櫻井はこの時右手を撃たれて、腕は関節より砕けてブラリと垂れ下がっていた。ただちに三角巾を巻いて戦ったが、その後の激しい銃撃戦のなかであちらこちらを撃たれて倒れてしまったのだが、作品の紹介はこの程度に止めておこう。興味のある方は是非この作品を読んで欲しいと思う。

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 櫻井は本書に参謀本部の方針には触れていないのだが、このような戦いを肉弾戦を余儀なくさせた責任は、参謀本部にあると言っていい。「歴史ノート」の最新記事で書いた通り、当時の参謀本部は歩兵万能論が主流で、乃木には十分な砲兵を与えず、砲弾もわずか供給されなかった。また第一回総攻撃で用意された大砲も、最も口径の大きいもので十五センチしかなく、旅順要塞の頑丈な胸墻を破壊する威力はなかったのである。乃木のもとに二十八センチ砲が届いたのは九月十四日で、第二回総攻撃が十月二十六日から開始されたが、旅順要塞の堅固さは日本軍の予想をはるかに上回るものであったことを知るべきである。

GHQに焚書された櫻井忠温の作品リスト

 以下のリストはGHQ焚書のリストの中から桜井忠温の著作を集めたものであるが、11点が「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されている。

タイトル著者出版社国会図書館デジタルコレクションURL出版年備考(復刊情報など)
北を征く桜井忠温 朝日新聞社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1029130昭和10 
子供のための戦争の話桜井忠温 一元社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464871昭和8 
銃剣は耕す桜井忠温 新潮社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1258865昭和7 
銃後桜井忠温 春陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1110557昭和7Kindle版あり
常勝陸軍桜井忠温 新日本社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1443092昭和9 
昭和十七年軍隊日記桜井忠温 春秋社松柏館デジタル化されているがネット非公開昭和17 
新戦場桜井忠温 春秋社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1220820昭和13 
征人桜井忠温主婦の友社デジタル化されているがネット非公開
昭和14  
孫子桜井忠温 成光館書店https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1456921昭和16 
大乃木桜井忠温 潮文閣https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1057903昭和18 
戦はこれからだ桜井忠温 新潮社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1214753昭和8 
戦ふ国 戦ふ人桜井忠温偕成社デジタル化されているがネット非公開昭和19  
肉弾桜井忠温 ・画英文新誌社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/904708明治392016中公文庫、Kindle版あり
肉弾(独訳)桜井忠温世界公論社デジタル化されているがネット非公開昭和15
乃木大将桜井忠温 偕成社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1719069昭和18 
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