支那事変に到る道 長野朗『民族戦』(GHQ焚書)を読む5

長野朗中国関連

支那の対日戦略の変遷

 漢民族が満州に大量移住し多数を占めるようになると、漢人たちは満洲から蒙古人を追い出し、満洲人を圧迫して同化させ、次いで朝鮮人を圧迫し、最後に日本人に様々な圧力をかけるようになった。日本勢を圧迫し弱体化させる動きは満州だけでなく支那各地に拡がっていったのだが、満州事変も支那事変も漢人がわが国に仕掛けた「民族戦」の流れの中で理解すべきであろう。長野は、日支の民族戦を三段階に分類して、それぞれの段階でわが国に対する圧力のかけ方が変化していったことを述べている。

 今回の支那事変は、本質的には明らかに日支の民族戦であり、それは今日に始まったものでなく、日本の満州進出と共に始まり、明瞭になって来たのは欧州戦後、 大正八、九年頃からである。 その経過から見れば明かに次の三階段を経ている
一  ボイコット
二  一面抵抗一面交渉
三  抗日

 支那民族は現実的な民族である。 したがっその計画は現実的かつ気が長い。彼等は既に日支民族の必然的衝突を予期し、 これに対する手段を考え、二十年計画でかかって来たのである。

 彼等が第一期に採用した対日民族戦の方式はボイコットであった。彼等は曰く、今支那は武力では日本に敵わない。しかるに日本は経済的には自給が出來ない。 支那から物資を取り、支那を市場とせねばならぬ。卽ち支那に依存せねばならぬから、まずボイコットにより日本を経済的に弱め、 支那の実力充実をまって武力を以て日本に抗せんとするものである。 その間にボイコットの地域は支那全国から南洋一体に拡がり、支那民族のボイコットとなった。また期間も数ヶ月から数年となり、その方法も次第に深刻となりその日本に与えた貿易上の打撃も決して少くないが、更に重大なことは、この十数年の間に、 支那民衆の間に植付けた排日意識であつて、 女から五、六歳の童子にまで深く排日感情を植え付け、日支民族戦の思想戦の根拠を造り上げたことだ×××××××××××××<27字伏字>×××××××××××××××

 次は昭和六年の満州事変から昭和十年末の北支問題が起こるまでの期間で、この期間に於ては、 一面抵抗、 一面交渉と称し、未だ武力を以て抵抗出来ないので、ここに時間の余裕を得る必要があり、そのために案出されたのが一面抵抗、 一面支涉である。 この期間に於ては、 一方では依然として徹底したボイコットをやりながら、一方では抗戦の準備をなした。彼等は満州を撤退して日本軍の占領地域を大にし、成るべく期間を長くし、地域と時間による持久戦を講ずると共に、 一方では戦備を整え、 蒋介石は共産軍討伐を口実に中央軍を整備し、 武器弾薬を準備した。 またこの間に腹心の患である共産軍を討伐し、内部の結束を堅むべく、共産軍の大討伐を敢行し、昭和九年秋その本拠江西を陥れて西北の一隅に押し込めた。また国際的に日本を孤立せしめるため、ソ連と通じ、英米と結びて、日本の国際的包囲を企てた

 第三期は昭和十年末の北支自治運動に始まり、全国的抗日運動となり、愈々武力を以てする日本との抗戦を準備した時代で、十二年七月の支那事変勃発に至る期間である。この時代にはボイコツトは既に影を潜め、抗戦準備に向って全力が集中された時である。
この三期は外形は異っているが、すべて一貫した目標に向い、一定の方針に従って着々歩を進めて来たことが分る。
長野朗『民族戦』柴山教育出版社 昭和16年刊 p.234-237

 第一期は第一次世界大戦終戦後の一九一九年から満州事変が起きた一九三一年までで、この時期からボイコットが始まった。「ボイコット」というのは「日貨排斥」ともいい、日本製品に対する、不買、不売、不使用運動である。またこの時期から反日教育が開始され、小学生に至るまで「反日」感情が刷り込まれ、反日プロパガンダが支那全土に拡大されていった。
 第二期は満州事変の一九三一年から一九三五年までで、長野が「一面抵抗・一面支持」と書いたように武力では日本に抵抗できないので、ボイコットを続けながら裏で戦争の準備を行なうという両面作戦で臨んだ時期である。
 第三期は一九三五年から盧溝橋事件のあった一九三七年までだが、一九三五年からは反日気運が急速に高まり、一九三七年には盧溝橋事件ののち何度も停戦協定を破り、通州事件を起こしたほか何度も挑発行為を繰り返し、わが国を戦争に巻き込んでいる。

「ボイコット」を最初に仕掛けた理由

「神戸大学新聞記事文庫」燐寸製造業1-175

 支那はいずれ日本との衝突は避けられないと考えていて、最初に彼らが日本を弱体化させる手段として考えたのが「ボイコット」である。
 支那がわが国に対して最初にボイコットを仕掛けた背景について長野は次のように解説している。

 ボイコットは民族武力戦の前提としての経済的打撃を日本に与えるとともに支那国民の間に民族的排日感情を瀰漫せしめ、 民族長期戦に對する思想的準備を整えたのである。
 そこで大正八年から起って慢性的に断続して来た排日運動について見るに、 その原因は種々あり、 また各時機に応じ当局者あるいは反対派その他により種々利用されはしたが、これを民族戦の立場から見れば、日本民族の大陸進出に虞れをなし、 支那従来の歴史から見て東方からの勢力に絶えず脅かされているために、 日本の進出を同様に考え、 支那を侵略するものとしてこれに対する民族戦を始めたのである。
 日清戦争前までは、 支那は大国として日本を蔑視し、日本は支那に敬意を表していたが、日清戦争の結果、その位置は顚倒した。 次で北清事変、 日露戦争を経て日本の地位がますます向上するに従い、 支那はその積弱を暴露して来た。 かくて日本が朝鮮を合邦し、 関東州を得、 満鉄に拠って満州に進出し、 更に日独戦により山東にまで迫るに及び支那の恐怖は漸く増大した。 …中略…

 …支那人は以上の如き民族的反感に加えるに、民族的嫉妬心を抱いていた支那人には白人崇拝心はあるが、同じ人民である日本人に対して崇拝心なく、日本人が白人と同じように支那人に威張るのを小づら憎く思った。それに日本が小国でありながら、一躍世界列国の列に入り、列強の一として支那に臨んでいることに対しては、少からざる嫉妬心さえもっているのである

 彼等がボイコットを採用したのは、 実に日本の経済的弱点に乗じたのである。日本は土地狹くして資源少く、それに人口が多く、商工中心政策を採っては来たが、原料と販路を他に求めねばならぬ
 然るに隣邦支那には幾多の原料を蔵し、かつ四億の民衆があるから、日本は勢い原料と販路を支那に求める。この関係を知っている支那人は、日本は支那が無くては生きて行けないと思うから、日本を虐めるには日貨排斥を行うことが第一策だということになる。…中略… 武力で日本に及ばないことを知っている支那は、ボイコットにより日本のこの弱点を衝くことが、 最も有利な戦法であると考えているから何か一寸した事があってもすぐにボイコットをやって日本の進出を牽制し防止せんと試みたのである。

 ボイコットの一因は支那民族資本の勃興であった支那が外国の市場的位置から脱却せんとし、上海を中心に民族資本が起るや、まず日本の産業と衝突した。日本の産業は支那よりは進んでいるが、欧米に較べては遅れている。そこで支那の産業が進歩するに従って、日本の産業とは競争的地位に立つことになり、日本工業品の輸入により圧迫される支那の工業家は、自己の販路を展開するため、ここに日貨排斥の挙に出で、日貨に代わり国貨を以てせんとしたから、日貨排斥には必ず国貨提唱が付き纏い、国貨の製造販売業者が日貨運動の中心の一つとなった。同じ外貨でも欧米品は多く高級品であるか、あるいは支那品と競争しない特種品であるため、欧米品を排斥しても得る所なく排斥の必要を感じなかったことが、ボイコットの対象が日本品に限られた一因でもある。

 排日の目的は日本に対する経済戦であると共に将来の抗日戦に於ける国民の思想的準備でもあった。そのために盛んに排日教育が行われたが、これがまた排日運動の大きな原因であった。 日本は支那のボイコットによって経済的打撃を受けたことも少くないが、 これは大局から見れば大したことでなく、 また一時的のものであるが、支那民衆に深く植え付けられた排日の威情は、 子孫の代までも残り、 将来にわたり日支民族戦の種子を播く重大なものである
同上書 p.238-240

対日二重政策

長野が「一面抵抗・一面支持」と書いた第二期に関する事例は『民族戦』には記されていないのだが、当時の新聞の記事を探していると、蒋介石が親日になったり親米になったりで、対日外交の二重性を指摘する記事が見つかった。

「神戸大学新聞記事文庫」外交133-134

上の画像は昭和九年(1934年)五月二十四日の大阪毎日新聞だがポイントの部分を紹介させていただく。

 南京の内部を見ると対日外交については二つの相反する勢力が対立している一つは日支関係を整頓して日本からのあらゆる意味の脅威を逃れようとする実利外交政策を立前とする一派と、一つは連盟依存の原則外交政策をもって、あくまで反日的工作によって日本に対抗せんとする一派である。前者を代表するものは汪兆銘、黄郛、唐有任氏らのいわゆる親日派、これは多くは現外交の当局である。後者を代表するものは宋子文、孫科、孔祥熙氏らのいわゆる親米派で、これらは多くは淅江財閥または広東に根をおく財政関係の要人である。この両派を二股にかけて巧に自己の地位を保ちつつあるのが蒋介石氏である。従って蒋氏はある時は親米排日派を重視し、ある時は親日派を利用して、自己の政治的勢力の強化をはかりつつあるがこの南京の外交政策の二重性こそ一面からいえば蒋介石氏の政治生命の動脈硬化を防いだ重大な要因となっている。…中略…

 蒋介石氏は日本で考えるような単純な男ではないのである。一体支那の対日感情を今日のように導いて来た張本人は誰であるか、また満洲に対して日本が手を下さなければならないほどに張学良氏を煽動して排日をやらせた本尊はどこにいる。これを誰が蒋介石氏でないといい得るものがいるであろうか。一言にしていえば蒋氏は排日家ともなれる、親日家ともなれる。しかも何れも仮面である。彼には自己の地位を強化するためには共産党ともなり得る要素があるように見える。
「神戸大学新聞記事文庫」外交133-134

 このように蒋介石は親日派と反日派を使い分けながら、日本に何度も期待をさせては裏切ることを繰り返し、時間を稼いでいたということだろう。

第三期 抗日戦へ

 そして軍備がある程度整って、一九三五年頃から急に局面が変わって「反日」の機運が盛り上がり険悪な状態になって行く。

 北支問題が起るや、日貨排斥に代つて対日宣戦の叫びが到る所に挙った。昭和十年の暮頃から十一年に入っては、 支那人の対日空気は、 北から南に至るまで非常悪化し、従来比較的に良かった北支さえ険悪になった
 宋哲元の二十九軍の空気悪化し、山西は中央支持となり、山東の態度も怪しくなった。民衆の態度は日本人に対して露骨に敵愾心を現わし、官憲は日本人の旅行者に対して殆んど交戦国民扱いで、 その一挙一動は憲兵によって監視された。支那人の細君となっている日本婦人は続々離婚されて帰国した。支那人は傲語していう「現在吾人に残された問題は一つしかない。 それは何時日本と戦うかということである」と彼等は映画やその他の方法で、 支那は日本と戦っても始めは負けるが最後には勝つといふ宣伝を普遍的に大衆の間に繰返した。そうしてこの戦争は支那四億萬民の存亡にかかる民族戦だとなした。
 かくて支那全国に漲るものは抗日救国の空気であつた。その滔々たる勢いの前には如何なるものも反抗は出来ない。右翼から左翼に至るまで、欧米派もソ連派も学生も、農民も労働者も商人も、南方派も北方派も、すべて抗日一色となった。彼等には緊張が見えた。支那の識者も民衆も、極度に内戦を嫌っている。しかし彼等の中の最も平和的な者も、 日本とならば戦うといっていた。
長野朗『民族戦』p.255-256

 冒頭の「北支問題」というのは聞きなれないので当時の新聞記事を探すと、満州に境を接する北支では停戦協定に違反して、対日テロ事件等が頻発していたようだ。

「神戸大学新聞記事文庫」軍事(国防)37-34

 画像は昭和十年五月三十日の大阪朝日新聞だが、この記事を読むと日本側ではこれらのテロ事件が蒋介石の対日工作によるものと捉えていたことが分かる。

 国民だけでなく、軍の兵士たちにも抗日の意識が漲っていたのである。

 第二十九軍は抗日で鍛え上げた馮玉祥の旧部下で、 その上に長城戦以来益々日本との感情を悪くした所に、共産系の北京の学生が盛んに二十九軍に働きかけたので、 師長級は日本との種々の交涉もあるので、表面親日を粧ったが、旅長以下は徹底した抗日で固まっていた殊に国際関係の何物たるを知らない下級少壯将校に対し、学生が盛んに働きかけたので抗日の気勢は全軍に漲り、 それが主として北京を中心に配置され、数十倍の兵力で我が駐屯軍を包囲した形になっていたので、 危機は充分に蔵されていた。
 しかも支那全軍の下級将校の中には烈々たる抗日意識があり、殊にその中心勢力は中央軍であった。 中央軍の中心勢力はまた黄埔軍官学校卒業生の団結である黄埔派と呼ばれるもので、 胡宗南、 黄杢等を首領とする少壮将領団で、彼等は中央直系軍の軍長、 師長、 旅長として、 支那軍隊の核心をなしている。彼等は內に対しては中央集権的統一を叫び、 外に対しては猛烈な抗日論者である。従って一度二十九軍と駐屯軍との間に突発事件が起きれば、 それは忽ち二十九軍の全軍に及び、 また支那の全国に拡がることは極めて明瞭で、 あたかも乾いた火薬の一端に火を点ずるようなものである。
  昭和十二年に入ってからは、二十九軍の態度は挑戦的となり、「今度は支那の方で満州事変の逆をやるのだ」と傲語し、五、六月に入っては、満州事変直前の空気に彷彿し、一觸即発の狀態にあった。 そこに七月七日夜の盧溝橋事件が起り、 遂に支那事変に発展したのは、二十年来の支那側の一貫した既定方針に基くもので、偶発の如くして偶発でなく、 識者は既に数年前から予期していたのである。
同上書 p.260-262

 盧溝橋事件は日本軍と第二十九軍との衝突事件から始まったのだが、当時の新聞や当時の支那関係の解説書などを普通に読めば、戦争を望んでいたのは支那側であったことは明らかである。にもかかわらず、戦後のわが国で広められた歴史では関東軍が暴走したことにされてしまっている。そもそも、反日に凝り固まった支那兵の数十分の一程度しかいなかった関東軍が、自ら戦争を仕掛けるようなことはありえないことではないのか。

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