GHQ焚書に記された支那軍の戦い方 『遊撃隊・遊撃戦』を読む その2

長野朗

 前回に引き続き長野朗の『遊撃隊・遊撃戦』の内容の一部を紹介させていただく。「遊撃戦」というのは、不正規戦、ゲリラ戦のような武力を用いる戦いだけではなかったのだが、戦後の歴史叙述では日中戦争のこのような重要な部分が伏せられてしまっている。「遊撃戦」で中国はどのような戦いをしていたかについて、武力戦、政治戦、経済戦、宣伝戦について長野が解説している文章一部を紹介させていただく。

遊撃隊の武力戦

 正規軍同士の戦いを「本戦」あるいは「正規戦」というが、「遊撃戦」はかつては「本戦」の一補助手段とされていたが、わが国との戦いでは次第に「遊撃戦」が重視されるようになり、「遊撃戦は正規戦よりも重し」と言われるようになったという。

 共産軍が遊撃戦の本家であるが、彼らが遊撃戦の要訣としているのは、強大な部隊に対しては「敵進めば我れ退き、敵駐れば我れみだし、敵疲れれば我れ打ち、敵退けば我進む」としている。また作戦の上では「東に声して西を撃ち、実を避けて虚を撃ち、能く進み、能く退き、連戦速決する」にありとなしている。…中略…

 また毛沢東はその「持久戦を論ず」という論文の中で「抗日戦争は持久戦である」といい、持久戦は三つの段階とし、「日支戦争の持久戦は具体的には三つの段階として現れる。第一段階は敵の戦略が攻勢でわが戦略が防御の時期、第二の段階は敵の戦略が保守的で我の戦略が反攻準備の時期、第三の段階は我の戦略が反攻で敵の戦略が退守の時期である」…中略…
「抗日戦争の三つの段階に於ける作戦形式は、第一段階では運動戦が主要なものであり、遊撃戦と陣地がこれの補助的である。第二の段階では遊撃戦が主要なる地位に昇格し、運動戦と陣地戦とがこれらの補助をなす。第三の段階では運動戦が再び主要形式となり、これを補助するのが遊撃戦と陣地戦である」

 遊撃戦で主としてやるのは我に対する襲撃と後方の破壊であるが、これについては(毛沢東は)次のように言っている。
襲撃には敵を油断させる。例えば戦闘力の弱い遊撃小隊を前に出しておいて敵の緊張をゆるめ、その油断を見すまして突然襲撃する。敵を麻痺させてうるさがらせる。例えば東をつくと見せて西を撃ち、北にあるかと思えば忽ち南に現われ、捕えどころのないようにしてそこを襲撃する。また遊撃小隊を派遣し、あるいは小組が大遊撃軍の名を騙り、眞物の大遊撃隊は別な方面で襲撃を実行する。また相手を疲労困憊させるために民衆を動員して村を空っぽにし、敵をして食糧が得られなくて飢餓に苦しませる。(この方法は実際彼らがやったことで、村の食糧馬糧を皆持ち去ったり、使えないように捨てたり、井戸には毒を入れ、西瓜にはバイ菌を注射するなどあらゆる手段をとった) また遊撃隊を分けて各所から起ち、あるいは多くの遊撃小隊を派遣して、時を厭わず駐屯している敵を襲撃して絶え間なく擾がし、疲労困憊させる。また間諜を敵の駐屯地に潜入させて人民を内応させ、襲撃の効果を大にする

 次に後方破壊の手段としては、
「日軍の攻撃は多く鉄道線、自動車路に沿い、また大河流を主要なものとして進軍している。軍隊、武器、弾薬、器材、糧秣、被服等は多く汽車、自動車、船舶、飛行機等で運ばれている。日本軍は多く、後方連絡線は長く、輸送は頻繁であるから、遊撃隊活動の機会は多い。もし日軍の後方設備、交通機関、後方の機械兵器(飛行機、タンク、装甲車等)を破壊し得たならば、日軍をして極大なる困難に遭遇させ、その進攻を遅滞させる。また日軍の糧秣、弾薬、燃料の供給を絶つことが出来る。通信連絡は敏活を欠き、命令実行は不便に陥り、警戒の増加、兵力の分散となり、給養の困難を来たす。
長野朗『遊撃隊・遊撃戦』和泉書院 昭和15年刊 p.98~102

太田政之助『満州戦線ペン画集』GHQ焚書 「過労」

 遊撃戦は主として山地で行われ、次いで沼地や沢などで、平地で戦う場合は村落や河や丘や窪地な樹木など、遊撃部隊を隠すことのできる場所が必要だという。日本軍は、いつ襲ってくるかわからない遊撃隊の為に疲労困憊していたことは他の書物にも書かれている。以前紹介させていただいた『満州戦線ペン画集』(GHQ焚書)には、いつ襲ってくるかわからないために兵士たちは緊張の連続で、充分な睡眠がとれない日が続き、疲れ切って眠りこけている兵士が描かれている。彼らの目的は、日本軍兵士を疲労困憊させることにあり、襲撃してすぐに逃げて姿を隠せばよかったのだ。
 国民党軍も遊撃戦を行ったが、共産軍の遊撃戦の戦術は随分異なっていた。

 彼らの最も惨酷な戦術はその焦土戦である。これが国民党のやり口と大いに異なっている。国民党の方では、自分の地盤であるから、村に襲ってきてもこれを壊すようなことはしないし、人民の恨みをかうようなことはないが、共産軍になれば日本軍の利用されるおそれのある都市には、日本軍が占領する前に一切の財物を運び出させ、その後を灰燼に帰せしむることがある
 またある都市がいよいよ日本軍に占領されそうになると、その街に住む全住民を引きつれ、一切の食糧を持って付近の村や山間に潜み、日本軍が占領し食糧を求めるため小部隊が郊外に現れるのを待ってこれを襲撃し、あるいは夜陰に乗じて町に忍び込み家屋に放火襲撃するようなことをやる。また地方に治安維持会などが出来た時には、そこにテロ団を組織進入させ、暗殺を企てたりしてこれを妨害するのである。
同上書 p.106

水間政憲『ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実』PHP 2012年刊 p.46

 焦土政策は、南京戦の記事で書いたよう南京郊外で実際に行われ、家を失った民衆は南京城内の安全区に逃げ込んでいったのである。こんなことをやられては、住民が中国軍の遊撃隊を恐れるのは当然である。日本軍が遊撃隊を退治して住民から歓迎された話はこのブログでいくつか紹介させていただいたが、民衆が日本軍の方を信頼していたことは当時撮影された多くの写真を見ておおよその見当がつく。

遊撃隊の政治戦

 しかしながら、共産党軍は中国民衆を政治工作により遊撃戦に巻き込む活動を続けていた。日本軍が武器食料の補給を行うためには、敵情を把握のために情報を収集するにも民衆の協力が不可欠なのだが、地域によってはそれが次第に厳しくなっていくのである。

 政治隊の目的は支那大衆の獲得にある。民衆の支持が去れば重慶政府はすぐに倒れるだろうが、民心が繋がっている間は保つだろう。又遊撃戦の展開は民衆の支持なくては全く成り立たない。そこて日本側が占領地区内の人心を得れば、彼らの遊撃戦は直ちに壊滅するだろう。「政治は軍事よりも重し」と彼らが絶叫しているのはそこである。それでは彼らの民衆運動は如何にして行われているか。この方面で最も活動しているのはもちろん共産軍である…
同上書 p.110~111

 もちろん日本軍も当初は中国民衆の人心掌握に努力して成果も出ていたのだが、が次第に中国共産党による民衆工作が成功していく。彼らがどうやって民衆の支持を得るようになっていったかについて、新四軍副軍長・項英が記録を残している。「新四軍」とは中国工農紅軍が第二次国共合作により華南地区で再編された軍隊組織だが、主力は中国共産党軍だった。

新四軍副軍長・項英 Wikipediaより

 項英の記録によると江南地区に中国共産党軍が編入された時は、軍の規律が乱れていて、親日勢力が主導権を握っており、そのような異分子を排除し、その後短期間で民衆の信頼を得ることに成功した。彼がどのような方法で民心を掌握したか、八つのポイントを書いている。第一は軍隊の規律改善、第二は宣伝戦で終わるのではなく作戦で勝利すること、第三は戦線を統一したことで、第四以下は次のように述べている。

4 深く民衆に食い入ることである。民衆を動員し、組織する有効な方法は、組織をなし動員を行うには、単に宣伝や標語では行かぬ。これらの作用には限度がある。必ずや民衆の懐に深く入って始めて民衆が了解もするし、民衆と接近も出来る。こうした基礎の上に彼らの組織が起こり、動員も起こる。民衆の上に浮かび上がって民衆工作を行わんとするのは空想である。

5 民衆の生活に注意すること。これは民衆の動員、抗戦の主要条件である。また必要素因である。広大なる民衆を抗戦に参加させるには、必ず彼らの生活問題に注意せねばならぬ。彼らの生活問題を解決する方法を考えずには、彼らの熱情を高揚し得ない。これは彼ら切身の問題で、吾人の経験によれば、この問題に注意を払い、相当の解決を得た地方とこの問題に到達し得ない地方の民衆運動都では、大きな相違がある。前方だけでなく後方も同じである。…中略…

6 如何なる民衆運動の発展の開始、継続と深入にも、民衆組織の鞏固が必要で、それにはその地の民衆の中から多くの幹部を選抜し、工作指導の骨幹を養成せねばならぬ。これなくては民衆運動は発展せず、民衆組織は鞏固にならぬ。…中略…

7 方法上に於ける一個の教訓と経験 それは演劇と化装講演である。これは農村宣伝の有効な方法である。もし吾人に農村に適合した好い芝居があれば、彼らの抗戦意識は高揚し、吾人の幾多の報告講演に優る。…中略…

8 民衆運動工作と民衆の動員 民衆運動工作のある地方は、民衆動員は容易である。また抗戦の需要に適応し、動員の困難を減少する。すべて民衆組織のある地方は、動員がさらに迅速である。組織なき群衆は政治認識が不足で、動員力が少ない。要するに抗戦中の最大の弱点は、民衆動員が出来ないことである。ゆえに民衆運動工作のためには民衆組織を要する
同上書 p.118~121

 新四軍の民衆運動を担当したのは戦地服務団といい、団員は数百で大体がインテリ部隊で、留学生や大学教授、大学生、中学生、インテリ労働者のほか小学生や妙齢の女性もいたという。また八路軍では晋察冀辺区行政院会が九名の行政委員が会議で方針を決議し、各村で救亡室、山西では民族革命室を設けて、民衆の啓発に努めていた。
 遊撃戦が展開されるにつれて民衆運動は各地に拡がっていき、抗日の旗のもとに農民救国会、青年救国会、工人救国会、婦女救国会などが結成されていったという。

遊撃隊の経済戦

 戦後のわが国ではほとんど議論されることがないのだが、欧米では第一次世界大戦頃から経済戦が重要な役割を演じていたし、日中戦争でも全く同様で、中国は日本の国力を減耗させて、自国の国力を極力保存することを狙って様々な方法が採られていた。例えば米の産地では遊撃隊が日本軍に米を出させないように工作するなど、日本軍に必要な必需品が容易に手に入らないようにしていたのである。

 目下日本は積極的にその占領地の統治を鞏固にせんとしているが、かかる情勢下に於いては遊撃区内に於いては日本軍の支配する都市と、遊撃隊の支持する農村との間には、政治経済文化各方面にわたって猛烈なる争闘が行われることは必然的である。現在これらの問題はしばらく措き、単に経済問題のみについて見るに、日本側の遊撃根拠地に対する厳密なる経済封鎖の施行に対し、遊撃区の農村経済が、果たして独立して遊撃隊を支持し、長期抗戦をなし得るか否かが、支那抗戦の前途に横たわる一大問題である。

 支那の農村経済は、吾人の見るところでは、完全に独立して長期遊撃戦を支持し得る。これ支那の経済と西欧諸資本主義国の経済とは同じからず、支那の都市経済は、一の民族機構内に於いて、資本主義国家のそれのように決定性をもたない。資本主義国では、農村は都市の付属物となっている。農村生産の大部分は都市に支配され、都市の需要によって生産する。支那は然らず。支那の農村経済は今なお大半は自給自足の状態に止まっている

 支那の人的方面からいえば、農村が絶対多数で、資本主義国では農村人口は都市人口の二、三割であるのに、支那では農村は全人口総数の八割を占めている。即ち支那の人と物との大部は農村にある支那の農村が使っているのは、大部は都市から来たのでなく農村で出来たのである。都市から来た品物は、一般農家にあっては奢侈品の部に属している。食糧についてみるに、外来のものは極めて少ない。衣服の方では、大都市からやや離れた農村になると、外国品か都市生産品は極めて少ない。支那農民が平均一過程で市場から購買する被服の百分比は、江蘇江寧を百とすれば、安徽宿県は七二.八、山西武郷と河南の開封は一〇.二である。これで見ても、交通不便で都市から離れたところでは、一層自給自足の状態にあることが分かる。
同上書 p.138~139

 当時の中国では食糧他生活に必要な物は農村で作っており、都会で生産していたのは主に奢侈品であったという。日本軍が占拠していたところは主に都会であり、遊撃隊により農村から都会への流通を止められてしまっては日本軍は食料や生活必需品の欠乏に悩まされることになる。

中国の得意な宣伝戦

 近代戦は宣伝戦であり文化戦で、第一次世界大戦でドイツは武力戦では勝利したが英国の宣伝戦で敗れたと言って良い。その失敗を教訓に、第二次世界大戦でドイツは積極的に宣伝戦を用いたのだが、中国は伝統的に宣伝戦に強く、日中戦争でも国民党、共産党は活発にわが軍に宣伝戦を仕掛けていた。彼らの宣伝を助けたのは遊撃区の核心にある租界の存在と無線の発達であった。

 租界はその不可侵権を利用し、すべての抗日運動の巣となったのである。ここに大無電があって、重慶側と遊撃隊の小無電の中継をなす。重慶から来たニュースや指令は、ここで受けて遊撃区に伝えられ、また遊撃区の情勢はここから重慶に報告される
 いかに無電連絡が巧くついているかの一、二の例を挙げてみると、天津の近くに小さい遊撃隊が夕方やって来たことがある。するとその晩の長沙(武漢陥落前のことである)のラジオでそれを放送している。また天津で省長が腹心の二、三人とあることについて密議をしたことがある。すると翌日はそれに対する指令が重慶から抗日団に飛んだのである。また租界はあらゆる抗日派、共産党もCC団も藍衣社も、その他すべてのものがここに潜んで、種々の謡言を放ったり、出版物を配ったり、親日系のテロをやったりする策源地をなしている。武器その他もここで仕入れられて、全く抗日の根拠になっている。その最も有力なものは上海と天津である。

 次は無電の発達である。無電は如何に堅固に守られた戦線も飛び越えて、自由に連絡が取れるのである。重慶の中央放送局から放送されるラジオニュースは、各種のデマをうち混ぜて、支那側戦勝のニュースと、日本の悪口とを、ひっきりなしに遊撃区に飛ばすのである。それは聴取者により、尾ヒレをつけて、口から口へと非常な速さと広さとに、等比級数となって伝わっていくし、またこのニュースを種子にして、遊撃隊の方で新聞を発行して民衆の間にバラ撒くのである。それから遊撃隊は概ね小無電を持っているから彼らは諸所を流動しながら、よく連絡が取れ、遊撃戦が非常に有利になる。

 「無電」というのは「無線電信」を意味し、「電信」とは情報を電気信号に変えて伝送する通信を意味する。外国が自治権や治外法権を持つ「租界地」には大型の無電機器があり、ここを経由して地方の遊撃区に情報や指令が飛ばされていたという。彼らが流す情報には「各種のデマ」が混ざっていて、中国にとって都合の良い話と日本を貶める話をひっきりなしに各地に飛ばすことは今もよく似たことをやっているような気がする。

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