「送信サービス」で公開されていた本が非公開になるケースが多発

武藤貞一は今ではほとんど知られていないと思うのだが、戦前の昭和十一年から「大阪朝日新聞」の論説委員となり、昭和十四年に「報知新聞」の主筆となり、戦中の昭和十七年に読売新聞社編集局顧問となった人物で、多くの著作を残している。戦後になって『武藤貞一評論集』全五冊が刊行され、彼のプロフィールには「延べ部数二百余万部を世に送り、古今を通じて日本評論界におけるレコード・ホルダーである。言論生活五十年。戦時、東條軍閥を攻撃して拘禁二回、戦後は代わって占領軍に弾圧され六年間追放。爾後逆流の中に生きている。」と書かれている。
武藤が戦前戦中に発刊した三十二点の書籍のうち約四割にあたる十三点がGHQに焚書処分を受けているのだが、これほど多くの著書が高い確率で焚書処分されているケースは珍しい。
私は六年前に勤務先を定年退職してから『国立国会図書館デジタルコレクション』でGHQ焚書を読むことが多くなったが、当時は武藤貞一の著作でネット公開されているものが一冊もなく、「日本の古本屋」などで見つけては取り寄せて武藤の著作について記事をいくつか書いた。その後、令和四年五月に国立国会図書館で「送信サービス」が開始され、利用者登録をすることでGHQ焚書の9割程度がネットで読めるようになって、武藤貞一の本も大半が「送信サービス」を利用することで読めることになったのだが、その後いつの間にか、過去私がブログで紹介した『世界戦争はもう始まっている』と『日支事変と次に来るもの』が「送信サービス」で読めなくなり、読むためには国立国会図書館に行って閲覧するか、遠隔写真印刷サービスを用いる必要があり、いずれにしても余計な時間と出費が必要になった。
なぜ同一人物の著作について、同様にデジタル化されているにもかかわらず、「送信サービス」で読める本と読めない本があるのか理解に苦しむところだが、武藤の著作のうち三点について、これまで「送信サービス」で読めていたのが急に読めなくなった理由はどこにあるのだろうか。武藤が他界したのは一九八三年で著作権が切れていないことから、権利を買い取った出版社があるかと考えたのだが、その後武藤の本が復刻された様子はない。
「国立国会図書館デジタルコレクション」では、これまでも同様なことが別の著者でも起きたのだが、同じ著者の作品で三点も、途中で公開対象から外された事例は武藤以外には思いつかない。どういう理由があるのかよくわからないが、日本人には絶対に読ませたくないという勢力が本の公開を阻んでいるのかと勘繰りたくなる。
『英国を撃つ』も武藤の著作でGHQ焚書だが、この本も以前送信サービスで読めていたにもかかわらず、今はそれができなくなっている本である。この本は以前購入して手元にあるので、今回はこの著作の内容の一部を紹介させていただくこととしたい。


イギリスという国
最初に『英国を撃つ』の序文の一部を紹介させていただく。この本が発行されたのは昭和十二年十二月で、南京が陥落した直後に刊行されているのだが、当時に於いてイギリスという国がわが国の知識人からどのように認識されていたかがよくわかる部分を紹介させていただく。
イギリスはインドを奪い、インドの黄金を吸収し、それによってさらに他の領土をかすめ取る資本とした。イギリスの肥満と繁栄は何を措いても第一にインドの恩恵によるものであって、イギリスが肥満し繁栄した分だけインドはやせ細り、困苦に陥っていた勘定である。
おそらくイギリス人の常識を以てすれば、インドはイギリスの富源吸収用としてつくられた国土としか考えられないだろう。三億五千万人のインド人は、何のために、縁もゆかりもないイギリスに対して忠誠な奴隷をもって甘んじなければならないかについては、おそらく如何なる国際法学者を拉し来たっても解釈し得ないであろう。
インド人はヨーロッパ大戦(㊟第一次世界大戦のこと)に引き出され、イギリスの為にドイツ=オーストリア軍と善闘した。だがそれによって何を得たか。自治の空名は得たかも知れぬが、現にインド大衆は衣食住の『衣』の大宗たる綿布を筆頭に、多くの日用品種目にわたって、わざわざ廉価の日本品を避け、興かなイギリス品を押し付けられている。直接生活に対する圧迫、これより大なるはないのだ。…中略…これはひとりイギリス対インド関係に止まらず、千三百二十マイルのイギリス帝国全版図にわたる共通の現象なのだ。現世界は、この驚くべき矛盾、途方もない不自然が平然と看過されているところから、百の酷烈なる不幸を生じつつある。イギリスは、目覚めかかったインドを空軍の爆弾によって抑えつけ、この現状を維持するに内心必死の姿であるが、表面は何食わぬ顔をして、なおその侵略の毒牙に支那を引っかき毮っているのである。
侵略世界の凄惨は、むろんイギリスひとりによって来るものではないことはわかっている。ただイギリスがその頭目であるという事実を如何ともし難いのである。この意味で、われわれはまずイギリス帝国を以て世界の禍因と断言するに憚らない。
武藤貞一『英国を撃つ』新潮社 昭和12年刊 序文p.3~6
戦後の書物でイギリスについて「世界の禍因」とするような書物はほとんどないが、武藤は同時代のイギリスの作家でありジャーナリストであり政治家でもあったバーナード・ショーの文章を紹介している。イギリスがいかにして世界に版図を拡大したかについて、ショーは彼の作品の中でナポレオンに次のように語らせている。

イギリス人は生まれながらにして奇妙な力を持ち、それがために世界の主人となるのである。
第一、イギリス人はある物を欲しいと思う場合、決してそれが欲しいとは口に出しては言わぬ。じっと機を窺っている。そしてその欲しい物を持つ所有者を征服することが道徳であり、宗教であるという理屈をこね上げたとき、初めてその欲しいものを取るのである。奴らはとうとうこの手で全世界の半分をとっちめてしまい、それを植民地と称している……。
粗製のマンチェスター品のために新しい市場が必要なときは、土人に平和の福音を伝えるとて宣教師を送るのだ。土人はこの毛色の変わった宣教師を殺す。そこで彼はキリスト教保護のために武力に訴える。これがために戦う。これが為に征服する。そして天からの報酬として、その市場を取ってしまう。その島海岸を護るために、船に牧師を乗り込ませる。十字架のついた旗をその一番高いマストに掲げる。そしてこれと争うものは、すべて撃沈したり、焼いたり、破壊したりして、地上の果てから果てへとすすんでいく……。どんなに悪い事でも善いことでも、およそイギリス人のやらぬことはない。しかしイギリス人が悪かったといった例しがない。何でも主義によってやる。愛国主義によって戦争をする。商業主義によって掠奪をする。商業主義によって奴隷にする。帝国主義によって脅迫する。勤王主義によって王を助け、共和主義によって×の首を刎ねる。その合言葉はいつも義務というのだ。しかも自分の利益に反してその義務を行う国民は、失敗するのだということはチャンと覚えている……(ナポレオンの口をかりて)
同上書 序文p.6~8
武藤は出典を記していないが、バーナード・ショーは数多くの戯曲を執筆しており、ナポレオンを主人公にした戯曲も書いているので、おそらくその作品のナポレオンのセリフなのであろう。イギリス人も、自国がこのような方法で植民地を拡大して行ったことを理解していたと思われる。
武藤は、ショーの文章を引用した後、現下に於ける世界の問題は即ちイギリス問題であるとし、イギリスのアジア戦略がわが国と衝突したことを述べている。
日支事変(日中戦争)について
昭和十二年(1937年)七月の盧溝橋事件から始まった日中間の戦争について、今の教科書では「日中戦争」と書かれているが、この用語が用いられたのは終戦後の昭和二十五年(1950年)以降のことで、勃発した当時に於いては当初は「北支事変」、第二次上海事件以降戦線が拡大してからは「支那事変」「日支事変」と呼ばれていた。武藤はこの本では「日支事変」と呼んでいるが、この戦いで中国の背後に動いている国について次のように述べている。
日支事変は、日本にとって防共戦争であり、支那を舞台とする日ソ戦争を意味するものと考えられた。だが劈頭第一にぶつかったものはソ連であるというよりもむしろイギリスであったのである。
この思い設けざる奇怪の事実に、日本国民は一度はいぶかり、一度は憤り、しかして初めて成るほどと首肯するに至った。いぶかったのは、北支那での激突にどうしてイギリスが好んでぶつかって来ねばならぬかの理由についてであり、憤ったのは、伝統的にイギリスを信頼し、日本が防共すなわちソ連勢力の阻止に乗り出す限り、イギリスは敵であるよりも味方であるとのみ思い込んでいたからだ。日露戦争当時の悪い先入主がわれわれ日本人の頭脳にこびりついていたのである。
しかして、実際に当たってみて、成るほどと合点が行ったのは別のことでもない。今日、世界のどこをつついても、イギリス勢力とぶつからずに済むものは一つもないということである。日本は南に進んでイギリスと衝突するばかりではない。北に進んでもまたイギリスとの間に激突を来たす。日支事変は最も苛烈な形においてそりを日本国民に垂訓した。かくて、今事変は、形の変わった日ソ戦争であるが、同時にまたそれ以上の大きな理由に基づく「日英戦争」なのである。抗日の本拠は、初め南京だったのが、事変勃発後、幾許もなくして香港であることを日本人は知った。否、それも支那を舞台とする場合においての話で、事変と共に、支那を舞台とする抗日は世界を舞台とする抗日へ転化した。その意味よりして、今や抗日の本拠はロンドンに移っている。
もし支那が言うところの独立国で、日支事変が字義のごとく日本と支那との闘争であるならば、常識から割り出しても当然に、首都南京の陥落をもってこの戦争は終わりを告げなければならぬはずである。いつの世に、国都を屠られ、中央政府が四部五裂し、主権者が風を食らって逃亡した後に、戦いはこれからだと揚言する例があったろうか。しかも現実に支那は長期抵抗はこれからだといっているのである。それというのも、支那自身が独力で日本と戦っていない証拠であって、支那を擁する背後の力が、なお執拗にあとからあとから武器を持たせて戦いを続けよと命ずる限り、支那は戦わねばならないのだ。結局において日本が支那と戦っているのではない。支那に取り憑いた背後の力と戦っているのだ…
武藤貞一『英国を撃つ』新潮社 昭和12年刊 p.2~4
日支事変が起きてイギリスの正体が日本国民に広く認識されるようになったのだが、この頃のわが国では日米戦よりも日英戦が起きる可能性が高いと考えられていた。例えば昭和十四年から十六年にかけて、世界創造社から刊行された『戦争文化叢書』というシリーズ本が三十五冊刊行されているのだが、このうちイギリスに関する本が約半分で、アメリカに関する本は一点しかない。
当時イギリスは全世界の陸地の四分の一を領有し、それらの植民地を統治するために様々な悪事を働いてきたことは、戦後のわが国ではほとんど知られていない。狙った国同士が対立するように仕掛けて、いずれ両国が武力衝突するように誘導されていく。戦争が勃発すればいつの時代も儲けるのは武器メーカーと武器商人であり、仕掛けられた国は消耗していくばかりなのだが、現在のウクライナ戦争も同様であろう。欧米諸国やわが国がウクライナに武器や資金援助を続ける限り、容易には戦争は終わらない。
GHQが焚書処分した武藤貞一の著作リスト
GHQ焚書リストの中に武藤貞一の著作は全部で十三点存在する。
ネット公開されている作品は存在せず、分類欄に「△」と表示されている書籍は、「国立国会図書館デジタルコレクション」の送信サービス(無料)を申し込むことにより、ネットで読むことが可能。「×」と表示されている書籍は、国立国会図書館に行って閲覧するか、遠隔写真印刷サービスを用いる必要がある。
| タイトル | 著者・編者 | 出版社 | 分類 | 国立国会図書館デジタルコレクションURL 〇:ネット公開 △:送信サービス手続き要 ×:国立国会図書館限定公開 |
出版年 | 備考 |
| 印度 | 武藤貞一、 エ・エム・サハイ |
モダン日本社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1217645 | 昭和19 | |
| 英国を撃つ | 武藤貞一 | 新潮社 | × | https://dl.ndl.go.jp/pid/1461612 | 昭和12 | |
| 抗英世界戦争 | 武藤貞一 | 高千穂書房 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1440804 | 昭和12 | |
| 世界戦争はもう始まっている | 武藤貞一 | 新潮社 | × | https://dl.ndl.go.jp/pid/1256031 | 昭和12 | |
| 世界の将来 | 武藤貞一 | 統正社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1267220 | 昭和17 | |
| 大東亜の肇造 | 武藤貞一 | 新生社書店 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1270036 | 昭和17 | |
| 日米十年戦争 | 武藤貞一 | 興亜書房 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1267224 | 昭和16 | |
| 日支事変と次に来るもの | 武藤貞一 | 新潮社 | × | https://dl.ndl.go.jp/pid/1256875 | 昭和13 | |
| 日本革新の書 | 武藤貞一 | モダン日本社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1463468 | 昭和12 | |
| 日本刀 | 武藤貞一 | 統正社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1275922 | 昭和18 | |
| 日本の変貌 | 武藤貞一 | 興亜書房 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1271613 | 昭和15 | |
| 驀進 | 武藤貞一 | モダン日本社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1268380 | 昭和13 | |
| 陸海軍名将伝 | 武藤貞一 | 東雲堂 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1717735 | 昭和17 | 少国民の軍事読本 |
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