戦争は最後は武力によって勝敗が決まるものだが、武力に優位性がある方が戦争に勝利するとはかぎらない。もし他国から思想戦、宣伝戦、情報戦等が仕掛けられて国民が分断されたり国民の戦意が乏しくなっていては、そもそも勝てるはずがないのだ。そのような工作は古くから存在し、特に動画に音声を吹き込まれるようになってからは、映画が国民の啓蒙や、他国に対する工作に積極的に用いられるようになった。今回は津村英夫著『映画戦』(朝日新選書 ; 13)という本を紹介したい。
平和な時代に思想戦の武器として映画が用いられるようになった
第一次世界大戦および第二次世界大戦に於いて、思想戦・情報戦がいかに行われたかについて『映画戦』には次のように記されている。
前大戦(第一次世界大戦)では公然の思想戦武器として最も活躍したのは新聞紙および通信事業であり、雑誌による政治評論などであったが、当時の英国は有名なる海底電線網を世界的に張ってドイツと戦った。しかも、一九一四年八月五日、自国の宣戦布告の翌日には ―― 早くもドイツ側の大西洋横断海底電線を二本とも、海軍力によって切断している。この海底電線は一本はコンウォール地方ベンザンスに引き揚げられ、一本はフランスのブレストに引き揚げられた。二本ともに前大戦中は連合国によって使用されるまでに至らなかったが、しかしドイツの宣伝武器を破壊し去った効果は莫大で、ドイツの宣伝戦は開戦三日目にしてすでに敗れたといってよいのである。ドイツはやむを得ずナウエンからの無線電信を以て戦い、これはペルシャ、メキシコにまで受信網を持ってはいたが、遺憾ながら最大の目標たる対米宣伝戦、思想戦に於いては到底、英国の威力に抗し難かったのである。
帝政ロシアは一九一七年の革命によって崩壊し、革命政府も武力的にはドイツに屈服し、一八年二月ブレスト・リトヴスクで単独講和を行ったが、その左翼的革命思想は逆にドイツの内面をも崩壊せしめるに役立った。即ち思想戦によってドイツは復讐されたのである。帝政ドイツ軍部はレーニンやトロッキーの如き革命思想家を密かに援助して、ロマノフ王朝を倒したが、その左翼共産主義思想の毒手はさらに鋒を転じて、カール・アウグスト・フェルディナンド・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルグのドイツに於ける活動となった。彼らはスパルタクス団(後のドイツ共産党)を組織し、逆にドイツ国民の心臓に喰い入り、まず海兵を煽動するに成功したのである。
戦争に勝って戦争に負けたと言われるドイツは、国内戦線から敗れたともいい得よう。食糧問題も明らかに重要な原因の一つではあったが、同時にそれに加わった力の中には共産党の思想戦と、売国的ユダヤ金融勢力の跳梁のあったことも否定できないであろう。もちろん英国の思想戦・宣伝戦もまた帝政ドイツを崩壊せしめるに与って力があった。…中略…
現代戦ではすでに、ラジオが最も威力を発揮し、これは敵国軍隊のみならず、銃後の国民生活や占領地住民の攪乱を狙って作用する。現に今次大戦(第二次世界大戦)においても、敵米英はイタリア国民に向かって謀略電波により厭戦思想を注入し、シチリア上陸作戦に先立ってチャーチルは、米国よりも放送した。更にチャーチルとルーズベルト共同で欺瞞的休戦条件を放送して、遂にバドリオ等売国の徒をして七月二十五日かの陰謀事件を惹起せしめるに至ったのであった。
さらに英、米はバルカン、フランス及びベルギーなどのドイツ側占領地に対しても常に電波攻勢を持続しつつあり、電波はかくの如く交戦国双方の各国家群によって最も熾烈に使用されつつある。しかし他面においては、ビラやパンフレット形式も決して衰亡したわけではない。現にスペイン内乱に際しては、一マイル半の射程距離を有するロケットによって、一弾ごとに一千冊のパンフレットを撒布する戦術が使用された。
戦時中の思想戦、謀略戦を過大評価するのは当たらぬ。開戦となればあくまで武力が中枢であり、勝利を収めて進みつつある国民には如何なる思想謀略戦も効果はない。ただ前大戦や今次大戦においては、戦況にも一進一退のあるのは普通であるから、ひとたび守勢に転じた国民の何よりも警戒すべきは、敵側の国内攪乱工作なのである。これを逆にいえば、こちらの武力的攻勢をより一層効果的ならしめ、敵の背後総力戦組織を衝くには、何よりも思想戦手段を付随せねばならぬということになる。…中略…
前大戦より今次大戦への約二十年間は全くの思想戦の時代であったと言える。もちろん、この間に左翼マルキシズム思想の世界的謀略戦も展開されて、局面は一層複雑となったといえよう。わが国はその二十年間にこの左翼の思想的謀略と戦いこれを克服したが、しかし英米民主主義思想とその文化の侵犯の方面にはよく抗し得たであろうか。
この二十年の平和時代に、思想戦は実は最も苛烈を極めたのであった。そこに登場した武器はすでに新聞紙や通信事業以外に強力なラジオ網の電波の速度があると同時に、新たに映画が採用された。その他音楽、文学などあらゆる学芸の表現形式、政治、軍事評論や謀略的文化事業などが使用された。思想戦の真実の活舞台は平和時代であるといってよいかも知れない。それは長年月の持続的攻勢によって相手国の国民思想の中に喰い入り、その生活感情、風俗をも支配するからである。
津村秀夫 著『映画戦 (朝日新選書13)』朝日新聞社 昭和19年刊 p.3~8
昔の映画は音の出ないものであったのだが、一九二七年にサイレント映画から音声が吹き込まれてトーキーと呼ばれるものとなった。それ以降、映画は国民に様々な情報を伝えるために盛んに用いられるようになっていく。例えばソ連ではスターリンが一九二九年頃から国策として、経済建設や国防宣伝、反ファシズム宣伝や、民族精神高揚のために映画を盛んに製作したという。その後、ナチスドイツとイタリアにおいて国策として映画製作が行われると、フランスなどでは反ナチ映画が製作されたり、アメリカではニュース映画が盛んに製作されるようになっていった。
第二次世界大戦と映画戦
このように映画は思想戦・情報戦の有効な武器として利用されるようになっていったのだが、第二次大戦に入ってからはどのように用いられたのであろうか。
第二次大戦の開始されるや、まずドイツ、イタリアの枢軸国家は自国の国内に向かい、あるいは占領地および中立国に向かい熾烈な映画戦と電波戦を並行的に開始した。たとえばラジオで最も有名なのは、第二次大戦前にドイツ放送局が行った戦術の一つで、かの「ホウホウ卿」と称する人物が芸術、政治、思想などあらゆる問題を流暢な英語で放送講演し、英国民の敬愛と信頼を博したことである。これは学識あるイギリス人を利用したのであった。アメリカもまたソ連とともに世界の有数の映画国である上に電波の国であるだけに、映画と電波の総動員を敢行して応戦しつつある。
電波と異なって、映画の場合は直接にフィルムを敵国内に撒布する攻撃的戦術を使用することは不可能である。しかし、映画は国内戦線および同盟国や中立国、特に占領地に対しての影響力に於いてその威力を発揮し得る。電波の如き速度を持たず、世界的浸透力を持たないが、しかしラジオの観念的、抽象的手段たるに対して、映画は具象的、感覚的手段たる特質を利して、目指す対象に強烈な印象を与えることが出来るのである。
かくの如く映画の運命は一方においてはトーキーの誕生と、一方においては第二次世界大戦準備期間の各国の政治的要請にによって、必然的に国家主義へ、民族主義へと発展したから、普通にその本質といわれるところの国際性は一見希薄になったように見えた。しかし実は言葉を持つようになっても、その障碍は「音のない映画」への一般的不満に比すればより小さいものであったといえる。即ちトーキーは国語をめぐる障碍よりも、より一層大きな魅力を人類に与えたのである。「音のある世界」は、言語のみに限らず一般の現実者の表現及び映画音楽の魅力を含む。これらの新しい映画美の世界に捉えられた人間は。――その習慣にならされた人間の感覚は、もはや古い芸術形式に未練はなくなったのである。色彩映画が発達すればさらにこの言語による障碍はなおさら緩和されるであろう。
しかも内容的にいっても、映画は国家主義へと移行することによって、必ずしも普遍性を喪うとはいえないのである。むしろそれに徹することによって却って説得力と影響力を生じることも可能なのである。
同上書 p.18~20
映画はやがて言語の壁を乗り越えて、特にアメリカ映画は世界で上映されるようになっていった。
アメリカ映画の世界的進出の背景
多くの国が国家主義的な映画を製作して国内の引き締めを図ろうとしたが、アメリカの映画は国家主義を標榜することなく、世界に販路を拡大していったという。
その手段はどうかというと、トーキー誕生に絡まる上映設備、その再生装置のパテントの威力や、撮影、録音等の機械類や生フィルム資材の質的優位性のみならず、その大量生産の企業組織の厖大なる力も有効であった。と同時に、世界的に手を拡げた配給組織の商業的活動も看過できない。
しかし、、アメリカ映画の世界的進出の重要な原因は、やはりその作品的色彩と傾向にあることも否定できない。即ち性的魅力と実生活上の物質的豊かさや精神的楽天性、要するにアメリカ的生活水準への異民族の憧憬を掻き立たせるところにあったといえよう。のみならず、アメリカは植民地よりの発展国として当然のことではあるが、歴史的伝統や因習に拘束されない自由奔放さがあった。…中略…
アメリカ映画はその他にも世界的に普及した英語を使うトーキーという言語上の有利な条件も持っていたが、また製作企業の高度資本主義的規模に於いても世界に類を見ない相貌を持っていた。したがってその特質とするところは、国家経営によらず民間の商業的発展によって、しかもよく国家の思想的謀略を達しつつあったことである。いいかえると、映画の営利的傾向自体が国際主義的であったからこそ、そのよく世界的浸透を行い得たのであった。すなわち、英、米のデモクラシィはこの世界主義、人道主義を標榜するところに、国家的政略を含むのであり、そこに民間の映画商業主義と相容れるものがあったわけである。したがってアメリカ映画は、表面の形としては国際主義であったが、結果としては一種の国家主義の効果を持っていたともいい得るのであって、常にアメリカ国民生活を謳歌、讃美することを忘れなかったのである。
しかしそれはあくまでも平和時代の戦術としての効果であり、参戦後は自ずから異なるわけである。
同上書 p.21~23
満州の「映画戦」
第二次世界大戦に於いてわが国は、進出した各地でアメリカやヨーロッパ諸国及び中国の「映画戦」に対応することを余儀なくされている。この本には、満州から北支那、中南支、香港、インドシナ、タイ、フィリピン、ジャワ、ボルネオなどの各地に於ける対応が記されているのだが、満州におけるわが国の対応について、同書には、昭和十二年に「満州映画協会」(略して「満映」)が創立された経緯について以下のように記されている。
満州建国後、痛切に感じられたことは満人に見せるための映画の創造ということであって、当時の満州には上海映画、香港映画等の支那映画と、天津を通じて侵入する一部のアメリカ映画のみが上映されていたのである。しかしアメリカ映画の浸潤が喜ぶべきものでないのは勿論、支那映画といえども厳重なる検閲を以てせねば甚だ危険な状態にあった。そこで関東軍の支援の下に「満映」が生まれたのであるが、思うにこの機関に求められた任務は大別して三つあったといえよう。
その一は、いうまでもなく映画製作であり、その二は映画館建設及び巡回映写であり、その三は配給事業である。この中で最初に着手されたのは日本映画をも含めての配給であり、即ち建国後にわかに増大した在満邦人の娯楽提供という事業も軽視すべからざるものがあったからである。…中略…
すべて映画国策においても映画文化戦においても、作品そのものの創造と同時に基礎的に緊要なことは、映画館網の整備、充足である。殊に文化の幼稚な国土においては映画館はその僻地における娯楽と社会教育上の手段である。だが「満映」が映画館建設に着手したのは、子会社たる「満州電影総社」の創設後に漸く軌道に乗るので、昭和十七年以後のことである。
十八年十月現在の調査では、日満の両系統を合して総計二百十四の映画館があるが、その内訳は次の如くになっている。
同上書 p.73~75
「満映」直営館(十一館)、日本人経営館(八十七館)、満人経営館(八十六館)、「満州電影総社」直営館(三十館)
厖大な満州国の面積(百三十万平方キロ)からすれば映画館の数はかなり少ないといわざるを得ないのだが、人口四千三百万人では人口密度(三十三人/平方キロ)が低すぎて観客を集めることが厳しかったのであろう。そのため満州では「移動映写」が盛んに行われ、移動映写班が昭和十九年当時で百九十二班あったという。
満州国建国以降、内地から開拓民として移住した日本人が二十七万人程度いたのだが、彼ら開拓団の生活を慰安することが「満映」が設立された目的の一つであった。彼らの為に娯楽映画も作られたが、「満映」には満州国の発展を、日本人や満州人及び、ドイツ・イタリア等の枢軸国にも報道し伝達する使命があり、記録映画や啓発目的の映画が多数制作されている。もっとも満州国は民族的には複雑であり、日本語、満州語のほかに、蒙古語版、ロシア語版も用意されたのだが、日本的な考え方を詰め込みすぎたこともあり、満州国の原住民にはあまり親しまれなかったようである。
「宣伝戦」「思想戦」「情報戦」に関するGHQ焚書
第一次大戦後に映画が宣伝戦、思想戦、情報戦の武器として用いられるようになり、戦前戦中のわが国では、戦争が勃発するかなり前から「宣伝戦」「思想戦」「情報戦」についての研究もされていたのだが、戦後のわが国ではこのような言葉がマスコミなどで解説されることはほとんどない。しかしながら、世界ではこのような戦いが今も盛んに行われていると考えるべきだと思われる。そのことは、主要各国から発せられるニュースを読み比べればおおよその見当がつく。
いつの時代も、特定国からの情報を鵜呑みにするのは危険なことであるはずだが、わが国は特定国の主要メディアが発する情報を検証することもなく振り回されてはいないか。政治家も官僚もマスコミも、戦前・戦中に記された「宣伝戦」や「思想戦」「情報戦」に関する本を読んで勉強してほしいものだと思う。
下記のリストは、GHQ焚書全リストから、タイトルから判断して「宣伝戦」「思想戦」「情報戦」にかかわる作品を抽出したものである。
「分類」欄の「〇」は、「国立国会図書館デジタルコレクション」でネットで一般公開されている本で、「△」は「個人向けデジタル化資料送信サービス」の手続きをすることによってネットで読める本、「×」はデジタル化されているが、国立国会図書館に行かないと読めない本、空欄は国立国会図書館に蔵書がないか、デジタル化未済であることを意味している。
タイトル | 著者・編者 | 出版社 | 分類 | 国立国会図書館デジタルコレクションURL | 出版年 | 備考 |
映画戦 | 津村秀夫 | 朝日新聞社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1125788 | 昭和19 | 朝日新選書 ; 13 |
欧州の宣伝戦とは 戦争は戦争でない |
山口勝治 編 | 厚生書院事業部 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和14 | ||
近代戦とプロパガンダ | 小松孝彰 | 春秋社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1461956 | 昭和12 | |
現代思想戦史論 | 野村重臣 | 旺文社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1062859 | 昭和18 | 日本思想戦大系 |
国家宣伝統制 | 森崎善一 | 宣伝統制局 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1459081 | 昭和10 | |
思想戦 | 棟尾松治 | 六芸社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1042016 | 昭和17 | |
思想戦 : 近代外国関係史研究 | 吉田三郎 | 畝傍書房 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1062862 | 昭和17 | |
思想戦経済戦 | 陸軍省つはもの編輯部 編 | 軍事科学社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1457952 | 昭和9 | 国の力叢書 ; 3 |
思想戦大学講座 | 大日本言論報国会 | 時代社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1062852 | 昭和19 | |
「思想戦」と宣伝 | 神田孝一 | 橘書店 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1462333 | 昭和12 | |
思想戦と科学 | 荒木俊馬 | 新太陽社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1460314 | 昭和18 | 日本文化新書 |
思想戦と国際秘密結社 | 北條清一 | 晴南社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1062864 | 昭和17 | |
思想戦の根基 | 大日本言論報国会 | 同盟通信社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1062853 | 昭和18 | |
思想戦の勝利へ | 高須芳次郎 | 大東亜公論社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1038432 | 昭和18 | |
思想戦より観たる敵アメリカ | 小林五郎 述 | 世界思想戦研究所 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1270374 | 昭和18 | 世界思想戦研究所断案 ; 第1輯 |
思想戦略論 | 小林知治 | 地平社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1460326 | 昭和18 | |
思想戦論 | 志村陸城 | 赤坂書房 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1460329 | 昭和19 | |
思想戦を語る | 下中弥三郎 | 泉書房 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1439722 | 昭和19 | |
思想闘争と宣伝 | 米山桂三 | 目黒書店 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1460328 | 昭和18 | |
支那の対日宣伝策 | 海軍省海軍軍事普及部 | 海軍省海軍軍事普及部 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1445903 | 昭和12 | 宣伝戦参考資料 |
戦時宣伝論 | 小山栄三 | 三省堂 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1062855 | 昭和17 | |
戦争と宣伝:情報心理学 | F.C.パートレット | 高田書院 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1062832 | 昭和17 | |
宣伝技術 | 報道技術研究会編 | 生活社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1061891 | 昭和18 | |
宣伝戦 | 中島鈆三, 平井政夫 | ダイヤモンド社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1062858 | 昭和18 | 国防科学叢書 ; 10 |
宣伝戦の史実と理論 | 戸沢鐵彦 | 中央公論社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1439719 | 昭和19 | |
総力戦・思想戦・教育戦 | 寺田弥吉 | 敞文館 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1460251 | 昭和18 | |
総力戦と宣伝戦 ナチス思想謀略の研究 |
水野正次 | 新民書房 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1450656 | 昭和16 | |
大東亜戦争と思想戦 | 竹田光次 | 週刊産業社 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 |
昭和18 | ||
大東亜戦争の思想戦略 | 水野正次 | 霞ヶ関書房 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1450652 | 昭和17 | |
戦ふカメラ: ニュース映画班員の手記 | 牧島貞一 | 映画出版社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1884443 | 昭和18 | |
敵国アメリカの戦争宣伝 | 中野五郎 | 新太陽社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1460325 | 昭和20 | |
独逸宣伝中隊の組織と活躍 | 川端勇男 | スメル書房 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1062854 | 昭和17 | |
ドイツ的戦略とは : 戦争と謀略・宣伝 |
水野正次 | 名古屋新聞社 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1463175 | 昭和15 | |
独逸の映画体制 | 独逸文化資料社 編 | 報国社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1871334 | 昭和16 | |
独逸の宣伝組織と其の実際 | 外務省調査部 編 | 日本国際協会 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1450457 | 昭和15 | |
東亜聯盟結成論 : 東亜宣化(思想戦)の原則的研究 |
東亜思想戦研究会 | 東亜思想戦研究会 | 〇 | https://dl.ndl.go.jp/pid/1457117 | 昭和13 | |
独逸宣伝中隊員の手記 | 稲本勝彦 | 晴南社 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1132315 | 昭和18 | |
日本の歴史と思想戦 | 佐藤忠恕 | 昭和刊行会 | △ | https://dl.ndl.go.jp/pid/1041414 | 昭和18 | |
米国に於ける思想戦 | 東亜研究所 | 東亜研究所 | × | 国立国会図書館限定 | 昭和18 |
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