コレヒドール要塞攻略

フィリピン

コレヒドール要塞

 バターン半島の沖合にコレヒドール島があり、そこにはスペイン統治時代からマニラ湾を守るための要塞が築かれていたのだが、フィリピンがアメリカ領となったのちアメリカはその補強工事を行い、30センチカノン砲8門、30センチ榴弾砲12門等の重砲群と、巨大な地下室、発電所のほか電車まで備えた近代的要塞を構築していた。

『大東亜戦争写真史 第6回』富士書苑 昭和29年刊 p.37

 上の画像はバターン半島南部とコレヒドール島の地図だが、コレヒドール島はおたまじゃくしのような形をしていて、島には巨大な要塞が築かれていた。

コレヒドール要塞の巨砲 『捕虜日記』より

 昭和十七年(1942年)四月九日にバターン半島の米比軍が降伏したあと、コレヒドール島からバターン半島への砲撃は激しくなっていた。従軍していた火野葦平は次のように記している。

 バターン半島の敵は壊滅してしまったが、コレヒドール島だけが頑張るというのである。そしてマリベレスの町をはじめ、バターンには米兵や比兵をはじめ無数の難民がいるにもかかわらず、コレヒドール島から砲撃をしてくるのである。

 東海岸に沿った道路からちょっと入った密林の中に米兵の大きな野戦病院がある。多くの負傷兵や病人がいて、日本軍から保護されている。そこへコレヒドール島は何の遠慮も撒く、砲弾を落とす。コレヒドールの為に戦った米兵の負傷者をコレヒドールの砲弾は殺してしまうのである。コレヒドールは今や狂気の島の如く思われる。

『大東亜戦争陸軍報道班員手記 〔2輯〕』大日本雄弁会講談社 昭和17年刊 p.185

 米比軍はコレヒドール島から自軍の傷病者が治療を受けている病院にも砲撃をし、そのために米兵の死者が出たというのだが、アメリカはバターン半島の戦った味方の兵士を誤爆で死に至らしめたり、病気で死んだ米兵まで、日本兵が虐待して死んだとプロパガンダしてはいないだろうか。とにかくバターン半島を失ったのち、気が狂ったように米比軍は砲撃を繰り返すのだが、バターン半島はジャングルに覆われていて、日本軍がどこにいて何をしているかが判らない。日本軍はバターン半島先端に重砲を設置し、砲撃の準備をしていたのである。

コレヒドール陥落

 四月十四日に日本軍の重砲兵第一連隊の24センチ榴弾砲が砲撃を開始した。互いに海越しに重砲を撃ち合う砲撃戦となったが、この戦いは日本軍が圧勝することとなる。この点については、マッカーサーがフィリピン脱出したのち米比軍の指揮を任されたジョナサン・ウェーンライト中将の著書の一節を紹介したい。

ジョナサン・ウェーンライト(Wikipediaより)

 バターン半島は、百フィート以上の高さもまれでない樹木がそそり立つ、濃密な熱帯性の繁茂でおおわれている。こんな高い樹木の下にかくれた敵の砲台は無烟火薬を使用しているので、わが方の測距儀ではほとんど発見できなかった。一方、バターン南端の近くにある四千七百フィートもあるマリベレス山脈の頂上にある日本軍の観測所、ならびに日本軍の観測気球や観測機はその砲手たちがわが方の砲台およびその他の重要な目標を射撃する場合に、修正をきわめて容易にしたのであった。

 その不公平な砲兵戦の上に、わが方の砲台はほとんど絶え間ない敵の爆撃機の制圧をうけるという事実が加わって、その不利なことはまったくがっかりさせられるばかりであった。日本期の一部は一トンにもおよぶような重爆弾を投下したが、わが方の射撃技術をもってしては、いかに慎重にやっても追いつかなかった。
 二十七日間のコレヒドール攻防戦全期を通じて、砲撃が行われなかった日は一日もなかった。夜間といえども止むことはなかった。これは、わが方を間断なく攻撃した日本側の砲台に脅威を与えたり、士気を低下させる余地が全くなかったことを示す、何よりの証拠である。

ジョナサン・ウェーンライト著『捕虜日記 : 敗北・降伏・捕虜-屈辱の四年間』原書房 昭和42年刊 p.114~115

 日本軍の砲撃はかなり正確であったようだ。コレヒドール要塞には要塞の中心部に数多くの重砲が設置されていたほか、海岸に沿って七十五ミリ野砲四十八門が設置されていたそうだが、うち四十六門が日本軍の砲撃により吹き飛ばされ、コレヒドール島の中央高地にはためいていた星条旗も三度倒されたという。
 日本軍がバターン半島のどこに砲台を設置したかはよくわからなかったが、バターン半島からコレヒドール島の中心部までの距離は最短で約五キロはあり、これだけ離れているにもかかわらず狙った場所を命中させていた日本軍の砲兵隊は凄いと思う。

 ウェーンライト中将は日本軍砲台からの四発の命中弾のことが忘れられないと記している。

コレヒドール地下壕の食堂 『捕虜日記』より

 その一発は海兵中隊の食堂に命中したのだ。ちょうどその時、海兵隊員はわずかな夕食を手に入れようとして列をつくっている所であった。その一弾でじつに勇敢な戦士たちの七十五名が死傷したのである。もう一発は、予防接種を受けようと集まっていたフォート・フランクの一群の隊員たちの真中に命中した。第三弾はトンネルの西の入口にある下士官兵食堂に飛びこんだのであった。
 しかし、ギアリイ砲台への直接弾が多分最悪のものであったろう。その命中弾は砲手を一掃したばかりでなく、バターンを射撃できる十二門の重迫撃砲のうち、七門までも破壊し去るという猛威をふるったのである。その上もう一門がひどくやられてしまった。ムーア将軍と私は、その直撃弾を受けた直後に、調査のためギアリイ砲台に出かけて行った。それは日本軍の砲台の恐るべき威力をまざまざと見せていた。十トンもある砲身が爆発のため、まるでマッチ棒のように引き抜かれ、丘をこえて砲弾の穴だらけになったゴルフ・コースまで、百五十フィートも投げ出されていたのであるから、びっくりせざるを得なかった。 

同上書 p.115

 砲撃戦でほぼ決着がつき、日本軍は五月五日の夜にコレヒドール島上陸作戦を開始した。ウェーンライト中将は翌日の正午に降伏を申し入れたが、本間中将はフィリピン全土の米比軍が伴わなければならないと主張し、結局七日までにコレヒドール島の全軍が降伏している。

『大東亜戦争写真史 第6回』富士書苑 昭和29年刊

 上の画像はコレヒドール要塞から出て来た投降兵の群れだが、日本兵ならこんな簡単に降伏することはなかったであろう。

日本兵が見たコレヒドール要塞と米兵

 日本兵はコレヒドール要塞を見て、軍事施設には不必要な贅沢さに驚いている。先ほど引用したウェーンライト中将の文章にもあったように、コレヒドール島にはゴルフ場があった。ほかにも、映画館やダンスホールや喫茶店まであったという。

コレヒドールの米看護婦 『比島従軍記』より

 朝日新聞の従軍特派員であった西川佳雄が著した『比島従軍記』(GHQ焚書)の中に、コレヒドール戦を戦った兵士九名の座談会の記録を載せている。面白いので一部を紹介したい。

(A)コレヒドールへはじめて上陸した時、「こりゃ凄い宝島だ!」と思ったね。わが守備隊の最初の仕事はまず戦場掃除だった。海岸から丘の上まで到るところ、大砲と自動車と銃器の山でね。要塞砲、野山砲、連射砲、速射砲、対戦車砲など二百数十門からの火砲があった。このルーズヴェルトからの贈り物、兵器の蒐集には米兵捕虜を使ってやったが、実に骨を折ったよ。二ヶ月かかってもまだ集めきれないほどあるのだ。…中略…

(D)米兵は弱いくせに馬鹿に贅沢だな。大抵コダックかライカか何らかのカメラを持っていたからね。彼らにとっては兵器よりカメラの方が大切なんだ。カメラは全部集めて軍へ送ったが、これが大型トランクに四五杯もあった。…中略…

(E)地下室の倉庫を開けたところ、これまた驚いた。マニラで一個二円五十銭もするという「ラッキー・ストライク」や「キャメル」や「チェスタ。フィールド」なんかの高級煙草が腐るほど積んである
(C)とにかく、ウェンライトが白旗を掲げて降伏した時に、まだコレヒドール要塞には大砲や砲弾はもとより、食糧も一万人に対して二ヶ月分も貯蔵していたんだ。まだ戦えばいくらでも戦えるんだ。それだのにあっさり手を挙げてしまったわけだ。
(G)日本軍がもしコレヒドールを守備するんだったら、全滅するまでは一歩も敵を島へ踏み込ませないだろうになあ。
(F)結局、贅沢は兵隊を弱くするよ。…中略…

(H)マッカーサー司令官がコレヒドールを逃げ出す時、必ず増援軍を連れてやって来ると固く約束していった。ところが待てど暮らせど飛行機一台やってこない。一方日本軍の空爆は益々烈しくなる。コレヒドールの米兵たちはやけくそになり、マッカーサー呪いの唄を作ってトンネルの中でうたっていたそうだ
(C)指揮官が部下を置いてきぼりにして平気でいられるというのも、アメリカ軍ならではだな。
(B)それに米軍の軍規は、日本軍とくらべてまったくなっていないね
(I)降伏したって、当たり前だくらいに思っているんだ。少しも精神的な苦痛なんてことは思わないらしい。だから毎日ひまがあると、トランプで金をかけて賭博ばかりしている。…中略… 

(D)コレヒドールはまず要塞である前に米将兵の慰安の施設の方が大切だったのだ。こんな手のひらのように狭い島に電車が通っている。これは米兵を宿舎から各砲台まで運んでいく通勤用の電車である。こんな贅沢な日常だから、一里も行軍するとすぐ悲鳴をあげるんだ。…中略…

(I)映画館が党内に三軒もあって今年の二月初旬まで、もう既に荒鷲の爆撃がはじまっていたのに、悠々映画をみせていたらしい。それも間もなくわが巨弾な跡形もなく吹き飛ばされ、今トップサイドに「コレヒドール劇場(シアター)」と書いた看板が淋しく落ちているだけだ。
(F)映画はハリウッドから最新のものがやって来て、一週に一度だけ無料で開放されるが、その他の日は入場料二十五セントを払うのだそうだ。
(G)その他にダンスホールがあり、喫茶店があった。毎晩マニラ湾の快い潮風に吹かれながら将校やその妻君や娘、そして看護婦たちがビールを飲んで踊り狂ったのだそうだ。…中略…

(I)ルーズヴェルトと蒋介石はラジオではるばるコレヒドールにデマ宣伝をばらまいていたばかりでなく、インチキな抗日宣伝写真を製作して米兵に配布。これを真実と思って交戦していた米兵も相当に多かった。ところが上陸してきた日本軍将兵はいずれも勇敢でかつ紳士的態度を示しているので、彼らはかえってルーズヴェルトや蒋介石のデマ宣伝をうらんでいる
(B)また日本軍の爆撃と砲撃の正確さは世界で一番だと驚いていた。何故だと聞いてみると、全島到るところ、弾丸の穴のないところはないといった程の烈しい猛撃を受けたのに、たった一ヶ所屋根に赤十字を描いたトップ・ヒルの病院にだけは一発の爆弾も、一発の砲弾も落ちてこなかったというのだね。

西川佳雄 著『比島従軍記』興亜書院 昭和18年刊 p.169~179

 またコレヒドールでは「レディ・ファースト」が厳然として行われており、看護婦が幅を利かせていて、看護婦の中に中尉、少尉の階級を持つ者が結構いたという。ある兵士が、コレヒドールは「要塞である前に、米将兵の慰安施設の方が大切だった」と述べたが、その指摘は正鵠を射ているのではないだろうか。アメリカはヤンキーボーイたちを「戦争宣伝」で日本に対する強い敵愾心を抱かせて軍隊に志望させ、必要な訓練を実施したのちに戦場近くの基地に送り込んだわけだが、それぞれの基地の兵士たちに不満を持たせないだけの娯楽施設・慰安施設を整えなければならなかったのだろう。

 その後日本軍は米比軍の全部隊を降伏させフィリピン全土を占領したのだが、アメリカが一九三五年に十年後の一九四六年にフィリピンが独立することを約束していたので、わが国は一九四三年五月の御前会議でフィリピンを独立させることを決定し、十月にホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン第二共和国が誕生した。しかしながらアメリカはこれを日本の傀儡政権だとして、新しい国家として承認しなかったのである。

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