イギリスの伝統的な植民地統治手法である「分割統治」とは~~「戦争文化叢書」を読む3

戦争文化叢書

 前回に引き続き、戦争文化叢書 第25輯の『英国の世界統治策』を読み進もう。
 この本の第三章は「分割して支配する」だが、わかりやすく言えば、ある者が統治を行うにあたり、被支配者を分割することで統治を容易にする手法である。英国はこの手法で世界各地の植民地を支配した。 

分割統治とは何か

 GHQ焚書にはイギリスの「分割統治」について解説された本が多数存在し、このブログでもいくつかの著作を紹介させて頂いたが、『英国の世界統治策』 にはこう解説されている。

 分割支配の政策は、イギリスの老獪なる政治工作として、全世界の諸被圧迫民族の間に盛んにその非を喧伝せられている。というのは、この政策がイギリスの植民地獲得競争、植民地統治、諸外国との外交等において、驚くべき効果を挙げたからである。
 かのフランス革命に際して、イギリスが有効なる手段を講じてフランス国内世論の分裂に導き、その間対仏植民地競争に完全なる勝利を博したことは史上に名高きところであり、昨今日本に於いて、イギリス情報官が諸々の手段を弄して、国内における世論の対立を招来しつつあるのも、この政策の切実なる一例であると言えるであろう。
 日本や支那等東亜に於けるイギリスの政策の批判は、直接日本国内の政治問題に関連するゆえ、例をパレスチナや、アイルランドに求めて、この政策の本質とその運命とを具体的に闡明しよう。

 英国の世界統治策の最も典型的なる技法は、その統治せんとする国内に党派を生ぜしめ、これらの相互の分裂を利用して自己の統治を全うする、いわゆる「分割して支配する」技法であり、その実例は、インド政策においてもっとも明瞭に看取されるであろう。
 インドにおける異民族間に惹起するあらゆる矛盾衝突は、インド民族の多種多様性と混淆とのもたらすところであって、インド人自身が自治の能力に欠けている事を示すものであるとイギリスは宣伝し、かくのごとき混乱を収拾統一することがイギリスに課せられた任務であると言っている。しかしながら、事実に於いてインドは、かつて幾度か政治的統一を全うし、盛大なるインド文化を世界に輝かしたのであって、今日の如き分裂と抗争の悲惨な歴史は、むしろイギリスのインド統治以後においてみられる現象であることを思わなければならない。
 1916年以来、従来激しい反目の中に過ごしてきたインドの二大宗派なるヒンズー教徒とマホメット教徒が協同戦線を形成したのであるが、この傾向の裏面には、ここに説かんとする「分割して支配する」政策が看取せられるのである。
 イギリスはインドの統治にあたり、マホメット教徒を公然優遇し、選挙に際しても宗教自治の原則に従って、州会議員のための宗教団体を組織することによってマホメット教徒に優位を与えんと努めたのであった。
 イギリスインド軍の内部においても、マホメット教徒は土民に対する指導的な役割を演じている。即ちイギリスがインド人に士官の地位を与えるのは、殆んどイスラム教徒に対してであった。第一次欧州大戦以前にイギリスインド軍は、七万六千のイギリス人のほかに、十六万のインド軍を擁していたが、その大半はマホメット教徒よりなっていた。インド民族の混乱に処するにあたって、イギリスは常にマホメット教徒、なかんずくマホメット教を信ずる貴族を支持し、これを頼りとしていた。しかもこれらの貴族は、経済的にはインドに於ける最も無能なる階級に属するのであった。

戦争文化叢書 第25輯『英国の世界統治策』 世界創造社 昭和15年刊 p.22~24

 イギリスは二大宗派が協同戦線を取らないように両派の分断を図り、両派を対立させるために、インドに於いては最も無能な階級に属していたマホメット(イスラム)教徒の貴族を極端に優遇し、そうすることでインド人の間に根強い対立関係を生じさせ、インド人の不満が直接、反英に向かわないようにしようとしたのである。

 インドにおける「分割統治」の破綻

 しかし、マホメット教徒を優遇してインド人の対立を生むという政策が、二十世紀の初めには次第に通用しなくなっていった。

ベンガル地方

 文中の「ベンガル地方」とはガンジス川とブラマプトラ川の下流にあるデルタ一帯を占め、インドの西ベンガル州とバングラデシュが含まれ、歴史的に古く、人口の多い地域である。

 1905年にイギリスはベンガル地方を二分せよとの命令を発し、この分割によってインドの国民運動に対して決定的打撃を与えん事を欲したのであるが、その結果は、まさにイギリスの欲するとは反対のものとなりつつあるのである。ベンガル地方及び北高インドの重要都邑においては——アラハバートよりアムリトザルに至るまでの間に——インデアン・アソシエーションの分派が創設され、外国の支配下に喘ぎ、屈辱の惨状から脱却しようとするインド民族の叫びが漸く政治的組織を形成せんとするに至った。これより先1874年、ベンガル地方分割が行われ、アッサム地方はベンガル地方より分離され、イギリスの支配に好都合の状況を齎したが、この分割に際しても住民は、非常なる抗議を申し出たのであった。しかしイギリスはこれら住民の抗議を一蹴し去り、さらに東部ベンガルと西部ベンガルとを、同様にして二つの州に分立せしめたと言われている。

 かくて、1905年のベンガル地方の分割が、国民の間に憤激の嵐を巻き起こしたことは、極めて当然の帰結であった。・・・1905年の8月7日には、分割に抗議するための国民大会がカルカッタ市庁において開催され、数万に達する全ベンガル地方出身のヒンズー教徒の有識者たちがこの大会に参加し、次の如き決議をなした。「この抗議を無視して、もし分割の実施された暁には、我らはイギリスの物貨を購入しない。但しベンガル分割の命令が施行せられざること、即ちかかる命令が撤回されることをイギリスが確約する場合には、イギリスの物貨を購入するであろう。」

 以上がその決議の内容であり、ヒンズー教徒はこの制約の下に、自らその後の行動を律したのである。この抗議を無視するカルゾン卿が1905年10月16日にアッサムの分割を断行した際のカルカッタ市は、まことに前代未聞の光景を呈した。ヒンズー教徒の商人たちは、その店舗を悉く閉じ、全市の営業は全く停止の状況に陥り、ヒンズー教徒の家からの炊煙は、一つとして起ちあがらず、彼らはいずれも喪服を着用したのである。・・・全市の二十四か所において、分割反対の大会が開催せられ、民族の苦悩を吐露する愛国の熱情は、次第に国民上下の間に浸透していったのである。

 イギリス人たちは、ベンガル地方分割に対するインド国民の憤激によって、歴史的に久しく対立状況に置かれていたヒンズー教徒とマホメット教徒との大同団結が結成されようなどとは、夢にも思わなかったようである。・・・

同上書 p.25~27

 イギリスは、当時ベンガル地方で盛り上がっていた反英運動を分断するためにベンガル地方を分割することを画策したのだか、分割に反対する運動はベンガル地方からインドの他の地方にも波及し、ヒンズー教徒とマホメット教徒が接近するようになっていったのである。「分割支配」に立ち向かうためには、イギリスの分断工作の逆を行えば良いことにインド人が気づいたのである。

 次いで10月16日には、カルカッタに於けると同様の分割反対大会が、ベンガル地方の各市町村に挙行せられ、英国の織物のボイコットが決議された。最初の間は、イギリスの重圧によって、かくの如きボイコットは直ちに弾圧されるものと信じられていたが、間もなくイギリス側の期待する如くに簡単に解決を齎し得るものでない事が明瞭となった。
 周章狼狽したイギリスは、峻烈を極めた弾圧の手を加えたのであるが、事態は却って悪化するばかりである。即ちベンガルの分割反対の運動は、全インド人の団結へと進展したからである。更に言えば、インド国民の国民的統一を目標とする秘密結社がこの機会に於いてかつてなき勢力を拡大したのであった。

 かくて、六年後に於いては、イギリスはこの分割を事実上撤回せざるを得なくなった。のみならずボイコットによるイギリスとの通商の障害、秘密結社の活動、暗殺の陰謀、その他憂慮すべき事件が頻々と惹起せられ、鉄腕を以ってベンガル地方の分割を遂行せんとしたクルゼン卿は、この事態に直面してその責任を感じ、遂に本国へ帰還すべきことを申し出るに至ったのである。

同上書 p.29~30

イギリスのインド統治は如何なるものであったのか

 いくら「分割統治」を行い国民の対立を煽ったとしても、インド国民がそれなりに生きていけるのであれば、反英運動が熾烈になることはなかったであろう。

 以前このブログで三回に分けてイギリスのインド統治のことを書いたが、イギリスのインド統治は、実際にかなりひどいものであった。
 イギリスがインドに侵入する前はインドは富み栄えていたのだが、イギリスが統治した二世紀の間に多くのインド人が餓死し、虐殺され、子供のころからアヘンを与えられて、平均寿命はわずか二十六歳という状態であったのだが、このような歴史は戦後の日本人に殆んど知らされてこなかったのではないだろうか。

アヘンをインド人に奨励したイギリス
イギリスはインドを世界最大のアヘン産地とし、約半分をインドで消費させるために、インド人にアヘンの消費を推奨した。子供たちは二歳になるまでにアヘンを飲まされ、そのため多くの子供は死に、平均寿命はわずかに26歳であった。イギリスはアヘンの有害性を認識していたが、単に財政上の理由ではなく、インド弱体化のためにアヘンを用いたと考えられる
かつて豊かな国であったインドがいかにしてイギリスに富を奪われていったのか
ムガール王朝のシャー・ジャハーンの治世はインド・イスラム文化が花を開き豊かな国であったのだが、イギリスがインド全域における覇権を確立した後1765年にベンガル地方の徴税権を獲得すると、インドを搾取するようになり、インドの村落制度は崩壊し、農民を飢餓に追いやった。
GHQが焚書処分したイギリスのインド統治に関する本には何が書かれていたのか
GHQが焚書処分にした、ラス・ビハリ・ボースの『インドの叫び』には、戦後の日本人に知らされなかった、イギリスのインド統治の実態が記されている。かっては読み書きできる国民が多かったが9割以上が文盲となり、重税が課されて毎年のように飢饉が起きた。1919年4月には無辜のインド人数百名が虐殺された。

 1900年から1902年に亙る大飢饉に於いては、実に一千万人が餓死したと言われている。これが自然の現象であると解し得るであろうか。我らは、食糧配給という当然の処置を講じなかった政府当局の暴虐をここに思わざるを得ないのである。

 宗教に関しては、既に述べた如く、ヒンズー教徒と回教徒との衝突の深刻化が、イギリスの政策によって企てられており、教育においても、必ずしも一部で宣伝せられているようにはインド人の知識程度の増進をもたらしておらない。現在読み書きをなし得る者は、全人口の僅か八%、即ち百人中九十二人は文盲である、イギリスの文化が相当浸潤しているはずのインドでありながら、英語を読み書きし得る者は、人口一万につき百二十三人にすぎない
 このような状況を目撃したアメリカ合衆国教育協会長ウィリハム・ハーリスは、かつてある議会の席上で「英領印度には一の公立自由学校も見いだされない。義務教育の制度すらない。しかしインドの青少年は飢えたように教育を望んでいる。古き文化と驚嘆すべき哲学とを有するこの大陸に、教育の普及を図ることは、英国の当然なすべき義務である。」と言ったことがあった。

 立派な病院の陰に隠れたインド国民の健康の状態は如何。病院の威容と相応ずるものであろうか。貧困なる生活を強いられているインド国民が、万病の因ともいうべき栄養不良に陥っていることは想像に難くない。イギリスの統治以来、インドには疫病、コレラ、インフルエンザが未だかってなき流行の記録を残し、死亡率は高く、なかんずく幼児死亡率の如きは千につき百八十七に達すると言われている。インド人の栄養不良についてある人は、三人に一人が飢えているとさえ言っている
 ボースもまた、インドでは「すべての人が三度の中一度の食事をとっていないわりになる。インド人が肉体的に進歩しないのは、かかる原因に基づくものである。しかもイギリスは、インドが満足し繁栄し、イギリスのおかげで治安は保たれ、衛生設備、飢饉対策が行われていると誇る。しかして、かかる上田邦宣イギリスが巨額の富を得んとしつつあることは、大きな運命の皮肉である。イギリスがいわゆるイギリスの平和(Pax Britanica)により、インド人を飢餓戦線に逐い立てながら重税を課し、インドのあらゆる生活を吸収している事実を認めようとしないのは、勿論容易に理解できることである」と述べている。

同上書 p.48~49
『英国の世界統治政策』挿絵

 Wikipediaによると「分割統治」は「分断統治」「分断工作」とも言い、「被支配者同士を争わせ、統治者に矛先が向かうのを避けることができる。統治者が被統治者間の人種、言語、階層、宗教、イデオロギー、地理的、経済的利害などに基づく対立、抗争を助長して、後者の連帯性を弱め、自己の支配に有利な条件をつくりだすことを狙いとし、植民地経営などに利用された」とある。

 しかしながら、「分割統治」は宗主国が植民地を統治していた時代の統治手法と考えることは妥当ではなく、「分割統治」と同様な手法が特定の国を弱体化させるために、「分割工作」「分断工作」という名で古くから用いられていると認識することが重要である。
 このような工作はわが国においても何度も用いられ、戦前も戦中も戦後も、そして今現在も、マスコミなどを利用して、様々な国から世論分断のための情報・宣伝工作がかけられてきた。たとえば、アジアの一部の国に反日国がつくられたのも、アジアや有色人種を団結させないために白人によって仕掛けられたものなのだが、そういうことを戦後の日本人に気付かせないために、多くの書物がGHQによって焚書処分されたのだと考えている。

 インドに関わるGHQ焚書のリスト 

 インドに関する本は、かなり多くの本がGHQによって没収廃棄され、戦後の日本人に読めないようにされている。以下のリストはインドに関するGHQ焚書の全リストで、多くはイギリスのインド統治に関わる著作である。

タイトル著者・編者出版社国立国会図書館デジタルコレクションURL出版年
British Misdeeds in India
(印度における英国の圧政)
ラッシュ・ビヘヤー不明国立国会図書館に蔵書なし
あるいはデジタル化未済
昭和17
アジア民族の中心思想
印度篇
高楠順次郎 大蔵出版https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1230076昭和11
英吉利の印度支配
仮面をとつた英国
ラインハアルト・フランク ニッポンプレスhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1153768昭和15
イギリスの印度統治
其経済諸政策の研究
東亜経済調査局東亜経済調査局https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1281293昭和10
印度
世界地理政治大系
浅井得一白揚社デジタル化されているがネット非公開昭和17
印度エ・エム・サハイモダン日本社デジタル化されているがネット非公開昭和19
印度松村新吾興亜文化協会デジタル化されているがネット非公開昭和17
印度金子健二 湯川弘文社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042560昭和17
インド解放へ
戦争文化叢書 ; 第23輯
小倉虎治今萩茂樹デジタル化されているがネット非公開昭和15
印度資源論P.A.ワデイア,
G.N.ジヨシ
聖紀書房デジタル化されているがネット非公開昭和17
印度思想史
大東名著選 6
木村泰賢大東出版社デジタル化されているがネット非公開昭和16
印度史の解剖と独立問題木村日紀 日本放送出版協会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042561昭和18
印度史の分析金川義人国民社デジタル化されているがネット非公開昭和19
印度侵略悲史ラス・ビハリ・ボース東京日日新聞社デジタル化されているがネット非公開昭和17
印度統計書総合印度研究室編国際日本協会https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124152昭和18
印度統治機構の史的概観中島宗一満鉄東亜経済
調査局
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1028046昭和17
印度と英帝国主義
東洋研究叢書 第2
中平亮 東洋研究会デジタル化されているがネット非公開昭和7
印度独立運動の真相
動く新世界情勢 ; 第1輯
實川勝太郎日本合同通信社デジタル化されているがネット非公開昭和15
印度独立と日本永松浅造 大理書房デジタル化されているがネット非公開昭和17
印度独立戦争波多野烏峰 錦正社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1042555昭和17
印度と濠洲松本悟朗 聖紀書房https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1044233昭和17
インドの叫びボース・ラスビハリ 三教書院https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444427昭和13
インドの話松山厚三フタバ書院成光館デジタル化されているがネット非公開昭和18
印度の回教徒小川亮作 地人書館https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040057昭和18
印度の曙輪堂寺燿啓徳社出版部デジタル化されているがネット非公開昭和17
印度の抗戦力
綜合インド問題研究. 第1輯
後藤 勇 編東晃社デジタル化されているがネット非公開昭和17
印度の資源と工業総合印度研究室編総合印度研究室デジタル化されているがネット非公開昭和18
印度の全貌
新東亜風土記叢書 ; 4
高岡大輔岡倉書房デジタル化されているがネット非公開昭和16
印度の全貌網本行利修文館デジタル化されているがネット非公開昭和17
印度の闘争チャンドラ・ボース 興亜書房デジタル化されているがネット非公開昭和17
印度の独立筈見一郎霞ヶ関書房デジタル化されているがネット非公開昭和17
印度の分析竹内 雄神栄館デジタル化されているがネット非公開昭和17
印度の民族運動総合印度研究室編総合印度研究室デジタル化されているがネット非公開昭和18
印度の流通経済総合印度研究室編伊藤書店デジタル化されているがネット非公開昭和19
印度緬甸の展望桑原官吉
亀尾松治
大阪雑貨
印度輸出組合
デジタル化されているがネット非公開昭和15
印度・ビルマの展望亀尾松治ジャパンクロニクル出版部国立国会図書館に蔵書なし
あるいはデジタル化未済
昭和16
印度ビルマの
教育植民政策
吉田 実三享書房デジタル化されているがネット非公開昭和17
印度仏教概説 下大谷大学 編法蔵館デジタル化されているがネット非公開昭和14
印度復興の理念吉岡永美北光書房デジタル化されているがネット非公開昭和19
印度民族運動史
東研叢書 第10
加藤長雄東亞研究所デジタル化されているがネット非公開昭和19
印度民族論
戦争文化叢書 ; 第20輯
堀 一郎アジア問題研究所デジタル化されているがネット非公開昭和15
印度洋柴田賢一 興亜日本社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1876269昭和18
印度洋
朝日時局新輯 ; 第35
浅井得一朝日新聞社デジタル化されているがネット非公開昭和17
印度洋問題伊東 敏大和書店https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1459236昭和17
印度を語るラス・ビハリ・ボース日本電報通信社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1267128昭和17
印度を知る大倉仲助蔵王閣デジタル化されているがネット非公開昭和18
英帝国敗るるの日エ・エム・サハイ象山閣デジタル化されているがネット非公開昭和15
革命亜細亜展望ラス・ビハリ・ボース 万里閣書房デジタル化されているがネット非公開昭和6
現代の印度日本拓殖協会 編越後屋書房https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1044237昭和18
今日の印度翁 久允改造社デジタル化されているがネット非公開昭和8
最近の印度 :
英印関係の推移
島田巽 朝日新聞社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1275897昭和17
虐げられし印度ラインハルト・フランク高山書院https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045068昭和18
ジヤワルラル・ネール
印度の新太陽
アヌーブ・シング霞ヶ関書房デジタル化されているがネット非公開昭和15
印度侵略序幕
戦争文化叢書 ; 第27輯
深尾重正世界創造社デジタル化されているがネット非公開昭和15
大戦下の印度蘆田英祥汎洋社デジタル化されているがネット非公開昭和17
大東亜戦における
重慶・インド・濠洲
東京日日新聞
東亜部 編
大同出版社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1273599昭和17
泰ビルマ、印度東恩納寛惇大日本雄弁会講談社デジタル化されているがネット非公開昭和16
闘へる印度 :
S.チヤンドラ・ボース自伝
チャンドラ・ボース 綜合インド研究室https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045067昭和18
立ち上がる印度の全貌浅井治平帝国書院デジタル化されているがネット非公開昭和19
立ち上がる印度永川俊美東京講演会出版部デジタル化されているがネット非公開昭和17
独立印度の黎明ラス・ビハリ・ボース 照文閣https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045063昭和17
独立運動をめぐる
現代印度の諸情勢
福井慶三フタバ書院成光館デジタル化されているがネット非公開昭和18
独立の闘争ラス・ビハリ・ボース 述昭和書房https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045064昭和17
南進叢書. 第7 インド南方産業調査会南進社https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1044038昭和17
南方経済資源総攬
第8巻インドの経済資源
伊東 敬東亜政経社デジタル化されているがネット非公開昭和19
ボースは叫ぶラス・ビハリ・ボース 述盛運堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453697昭和19
ラングーン・カルカッタ浅井得一 目黒書店https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1450329昭和18

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