前回の「GHQ焚書」で、長野朗著『民族戦』の一節を紹介したが、今回は、同じ著者の『支那三十年』(昭和十七年刊)の文章を紹介したい。長野朗は、中国で排日運動が始まった大正八年(1919年)に北京にいて、身近でその動きを観察した人物である。この本には、戦後の一般的な歴史書には絶対に書かれていない、中国の排日運動の実態が描かれている。文中の「欧州戦争」は、「第一次世界大戦」のことで、「休戦ラッパが鳴り響」いたのは、第一次大戦が終わった大正七年(1918年)十一月のことである。
私は北京で日本人の居留地から離れ、一人で支那人の家に下宿していたが、私のいたすぐ近所で排日の第一声が起こり、それから排日が抗日になるまで見物していたから、ここには北京政府時代の排日の起こった時から私の実見記を簡単に述べてみよう。
排日が起こったのは大正八年の五月四日であるから、五四運動(ごしうんどう)といわれている。やったのは北京大学の学生だが、起こりはいろいろでここに詳しく述べている暇もないが、第一には英米が欧州戦争中に、東亜の市場を日本に独占されていたのを、何とかして取戻そうとして、排日を煽り日貨排斥を宣伝した。欧州戦争中はさすがに気兼ねしていたが、休戦ラッパが鳴り響くや忽ち英米新聞が排日の宣伝を始め、それが支那新聞に伝染し、漸く気勢が出来てきた。そこに欧州戦後の新思想が北京大学の学生教授の中に流れ込み、一方では当時北京政府の政権を握っていた親日派の段祺瑞(だんきずい)一派に対し、反対派の直隷派(ちょくれいは)や失意政客が段派を倒して政権を握る手段とした。それに新興支那財閥の国貨運動も加わって、排日の気勢が醞醸(うんじょう)されてきた。
五月四日の夜、親日派の曹汝霖(そうじょりん)邸を焼打ちし、章(しょう)駐日公使に負傷させた北京大学生は、さすが自分たちのやったことに驚き、学校に帰って小さくなって震えていると、翌日の全市の新聞が大いに彼らの行動に肩を持っているし、政府の処置が緩やかであったのに元気を出し、忽ち火の手は北京の各大学から天津に伝わり、全国の学校に及んだ。全国の学生運動の中心をなしたのは英米系の学校と、基督(キリスト)教青年会の幹部とであった。基督教青年会の連中は学生を取り付けるために、映画を見せたり、お茶を出したりして誘い込むのである。
私は日本人の居住地と離れて支那人の家にいたので、よく排日の宣伝ビラを私の所に投げ込んでいったものである。私も度々排日の行列を見物したが、実際だらだらしたもので、熱も活気もなく、ブラリブラリと歩いていた。それもその訳で、行列賃一日五十銭で狩り出されたのである。幹部連がうんと運動費を儲け、一般の学生には五十銭しかやらない。後には幹部連中の間で運動費の分配について内輪喧嘩が起こった。幹部連は金は儲かるし、一躍愛国者としての名誉を得るし、男女学生の合作であるから、その間に恋の花も咲くし、一挙に金と名誉と恋とを得るので、排日運動がやめられなくなり、遂に排日商売が出来上がり、機会ある毎に排日運動を起こすに至った。学生の方は行列賃を貰うし、授業は受けなくてもよいし、試験もいらないので、試験になるとよくやったものである。ために学生の遊興が多くなり、学生の堕落となった。
(長野朗『支那三十年』呉PASS復刻選書 p.62~64)
排日運動の演説をすると1回あたり五十銭、巧い演説には一円、女学生の演説は効能があるので一円が支払われていたとも書かれている。
また当時中国には国定教科書がなく、商務印書館とか中華書局とかいうところで勝手に教科書が作られていたが、排日が流行になると盛んに排日記事を入れた教科書が売り出されるようになり、初めて排日教科書が現れたのは大正八年(1919年)で地理の教科書が最初だったのだが、例えば「日本」について、「日本は島国なり、明治維新以来国勢驟(にわか)に盛なり、我が琉球を県とし、我が台湾を割き、我が旅順大連を租借し、朝鮮を併呑し、奉天、吉林に殖民し、航業商務を我国各地に拡張す。」(同上書p.65)と、沖縄も台湾も、もともとは中国の領土であったかのように書かれている。その後国民政府が成立すると、政府自ら排日教科書を編纂し、いろんな教科で排日を盛るようになったという。昔も今も、この国のやることは変わっていない。
排日運動を初めから眺めていると、英米人の煽動は実に目に余るものがあった。公吏が自ら乗り出してやっているし、運動費を出す。それも一度に出すとパッと焚(も)えて後は火の消えたようになるから、毎月に出すし、外字新聞が排日煽動の音頭取りをやるし、それに自分の新聞だけで足らずに、支那紙を買収して盛んにやったものである。各地の学生会でも、英米人経営の学校がすべて中心になっている。宣教師共が排日運動に大童(おおわらわ)で活動する。殊に基督教青年会の活動が目立っている。英国は未だ日英同盟が存在していたので、表面には出ないで、アメリカを表に出して裏で盛んに活動した。彼らの最も恐れたのは日支の結合である。日支が結合すれば、世界何物もこれを冒すことはできない。それでは彼らの野望が達せられないので、まず日支を離間することに全力を注ぎ、次にこれを衝突させ相闘(あいたたか)わしめようとした。この深謀遠慮は、二十年のたゆみなき努力により、蒋介石の長期抗戦となって現われた。
(同上書p.65~66)
要するに英米は中国に「反日」の種を蒔いて、日中両国の間に対立軸を生じさせて、両国を離間させようとしたわけだが、そのために英米が送り込んだ宣教師の数が半端ではなかったという。
最初に英米人は、排日と親英米の空気を造るのに全力を注いだ。そのために宣教師と学校を配置した。英米の宣教師は僅か数百の県を除き、支那数千の県に悉く配置され、その数は数千に達した。大正八、九年には、一船毎に数十人の宣教師が送られ、アメリカは二千万ドルの金を費った。これ等の宣教師は教会に簡単な診療室を設け、支那人の歓心を得た。また教会の手で各地に学校が設けられた。大学、専門学校など外人設立のものが支那で設けられたものよりも多く、二十七を算した。中学校が数百、小学校、幼稚園は数千に達した。準備は完了した。これを基礎に排日の運動を起こしたから、燎原の火のように一挙に全国に広がったのである。…<中略>…
英米の狙いの一つは支那市場の独占である。それに日本品を支那市場から追っ払わねばならぬ。ところが日本の方が万事条件がよいので、尋常の方法では駄目だから、日貨のボイコットをやって、その間に英米貨を入れようとした。事実アメリカの対支貿易はずっと低いところにあったが、めきめきと出て来て、英を抜き日本を抜いて第一位となった。
(同上書 p.66~68)
長野朗の書いている内容が間違いでないことは、「神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ新聞記事文庫」の簡易検索機能を使い、「対支貿易」「対支輸出」などのキーワードで検索して、出版日順に並べることによって、その裏付けとなる新聞記事を見つけることができる。
大正八年をピークにわが国の対支輸出が「支那の排日貨」のために激減し、昭和四年の新聞記事では、中国の「排日貨の隙をねらって」英米独からの対支輸出が近年増加している記事があり、昭和六年にはアメリカが日本の対支輸出を越え、一位になったことがわかる。
教科書などをいくら読んでも、中国で排日運動が起こった理由はさっぱりわからないのだが、長野朗の本を読めばすっきり理解できる。しかしながら、わが国の歴史学者は、今も戦勝国を忖度してか戦勝国にとって都合の悪い史実を封印したままだ。この重要な史実を抜きに、この時代の歴史の真実を正しく理解できるとは思えない。
長野朗の著作については、「国立国家図書館デジタルコレクション」でネット公開されている本は一冊もないが、呉PASS出版から三冊が復刻されており、いずれもお勧めしたい本である。
『支那三十年』については、4回にわたり西尾幹二氏が解説しておられる動画があるので、興味のある方は視聴して頂きたい。
・支那軍閥の徴税・徴兵・略奪
・支那政治の裏を描く本当の歴史
・大正年間の支那 民衆の生活様々
・今の反日の原点 蒋時代の排日
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前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、2019年4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しました。
通説ではほとんど無視されていますが、キリスト教伝来以降ポルトガルやスペインがわが国を植民地にする意志を持っていたことは当時の記録を読めば明らかです。キリスト教が広められるとともに多くの寺や神社が破壊され、多くの日本人が海外に奴隷に売られ、長崎などの日本の領土がイエズス会などに奪われていったのですが、当時の為政者たちはいかにして西洋の侵略からわが国を守ろうとしたのかという視点で、鉄砲伝来から鎖国に至るまでの約100年の歴史をまとめた内容になっています。
読んで頂ければ通説が何を隠そうとしているのかがお分かりになると思います。興味のある方は是非ご一読ください。
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