ロシア革命の活動資金はどこから出ていたのか
300年以上続いたロマノフ王朝を転覆させるためには、世論を動かしてさらに軍を動かさねばならない。相当な資金が必要であったとはずなのだが、その資金がどこから出ていたかが昔から気になっていた。
明確に金額が記されている本は他にもあるかもしれないが、先日このブログで紹介した安江仙弘著『ユダヤの人々』*にこんな記述がある。文中の「ヤコブ・シッフ」は、以前このブログで紹介した「ジェイコブ・シフ」で、日露戦争時にわが国が戦費調達の為に発行した外債を大量に引き受けた人物である。
* 安江仙弘著『ユダヤの人々』 は下のリンクから電子書籍(Kindle版\324.-)の購入が可能。
(1917年)3月この革命がロシアに勃発するや、かの有名なるレーニンはドイツから、四千万金マークの軍資金を携え、ロシアに飛び込んできた。続いてニューヨーク下町に、腕を扼して待っておったところのユダヤ革命家は、陸続としてロシア革命の舞台に登場した。当時駐ロ米国大使フレンシスが米国上院の委員会で、説明したところによると、ユダヤ人は革命開始のとき、一週間に約八百人ずつ群をなしてロシアに入って来たと報告している。
ヤコブ・シッフの公開せるところによれば、彼がロシア革命のために、テロリストに提供したところの軍資金は、千二百萬ドルであると言っている。またロシア革命に於て、世界ユダヤ民族の提供した革命軍資金は、一人シッフのみならず、各国のユダヤ富豪より提供せられ、仏国官憲の言によれば、約二百万円の金が、そのユダヤ富豪のみによって、革命家に寄贈されたのである。
かく虚無党、社会主義、無政府主義、ボリシェヴィキ、及びメンシェヴィキ等各種各様の破壊主義のユダヤ人は、無限の財力を有するユダヤ大富豪の、熱烈なる後援により、後顧の憂いなく、全力を尽くして活動したのであるからたまらない。
(『ユダヤの人々』p.129-130)
学生時代に世界史の授業で学んだロシア革命は、ニコライⅡ世の圧政に苦しめられた人民が蜂起して帝政を転覆させたというニュアンスであったのだが、安江の文章を普通に読むと、ロシア革命の本質はユダヤ人の革命であったと理解できる。
ちなみに当時は1ドルが約2円で、当時の1円の価値は現在の四千倍程度と考えると、シフがテロリストに提供した資金は現在価値にして約九百六十億円、各国のユダヤ富豪が革命家に寄贈した資金は約八十億円程度ということになる。
ロシア革命を推進した勢力と国家機関の要職の大半はユダヤ人が占めていた
安江はさらに、革命政府の人事と要職を握ったボリシェヴィキ(後の共産党)の主要メンバーリストを同上書に掲出しているが、レーニンやトロッキーだけでなく、ほとんどのメンバーがユダヤ人なのである。
さらに、主たる国家機関においても役員の八割以上がユダヤ人であり、それらの組織におけるロシア人の役員はわずか6%程度に過ぎなかったのだ。
ちなみに当時のロシアの人口は一億六千万人程度であったが、ユダヤ人はたかだか三百万人弱に過ぎず、ロシア人の方が圧倒的に多かったのである。
またユダヤ人の富豪が支援したのは、革命の主導権を握ったボリシェヴィキだけではなかったという。ロシア革命に至るまでに各種の反帝政社会主義団体が活動していたのであるが、それらの組織のメンバーにもユダヤ人が大多数を占めていたことを知るべきである。
ロシア革命後にレーニンらが最初に取り組んだこと
では政権を握った彼らは、最初に何を行ったのであろうか。再び安江氏の著書を引用したい。
スラブ国家は根底より転覆せられ、今まで主として虐げられ、その居住権さえ限定せられていたユダヤ民族は、一躍大ロシアの支配権を獲得し、事実におけるユダヤ政府を樹立し、共産主義の美名のもとに、一般スラブ民族を脚下に蹂躙して、これを昔帝政時代の農奴生活よりも、更に悲惨なる獣的乞食生活に突き落としたのである。
ある日本人がロシア革命直後に、ゲー・ペー・ウーなるユダヤ人が、ロシアの富豪、貴族、僧侶等を捕え、片っ端からどしどし虐殺するので「如何に共産主義反対者であっても、君たちのやり方はあまりにひどいではないか」と詰問したところ、彼応えて曰く、
「我々ユダヤ民族が数百年来、ロシアの貴族らに虐待せられたことを考えるならば、われわれの復讐は実に些々たるものである」
と答えたということである。この一事によっても、ロシア革命に対する彼らユダヤ民族の観念の如何なるものであるかを推知することが出来ようと思う。
(同上書 p.130-131)
このようにユダヤ人は多くのスラブ人(ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人、ポーランド人等)を粛正したのだが、どの程度の犠牲者が出たのだろうか。元駐ウクライナ大使の馬渕睦夫氏の著書によると、「少なく見積もっても数百万人」(『世界を操るグローバリズムの洗脳を解く』p.98)と書いておられるが、この数字についてはスターリン時代の粛清も含まれたものであろうか。含まれているとすれば少なすぎる数字である。
ソ連側の処刑についての統計が存在しないので推測するしかないのだが、一橋大学経済研究所の雲和弘教授の論文『ロシアの人口動態』に1989年時点のロシアの人口ピラミッドが掲載されている。このグラフで1917年のロシア革命以前に生まれていた72歳以上の世代で男性が女性よりはるかに少ないことに注目して頂きたい。男性が女性の半分にも満たないのはなぜなのか。
このグラフで第一次世界大戦に参戦した世代は90歳を超えるので無視しても問題ない。また第二次世界大戦に参戦した世代は60歳代後半の世代が中心だ。したがって72歳以上の男性が女性の半分以下である理由は、ソ連の内戦での戦死や処刑などが主因だとしか考えられないのである。
1922年の飢饉で5百万人、1932~33年の飢饉で6百万人が飢饉で死んだといわれているのだが、飢饉の被害者には男女格差はあまり生じないと考えて良い。また第二次大戦で犠牲になった一般市民が7百万人とされるが、これも男女格差は少ないと思われる。
前述した通りロシア革命前には約1.6億人の人口があった。その内の80百万人が男性だと考えよう。もしロシア革命後に、仮に男性の3割が内戦などで命を落とした場合、その死者の数は24百万人と計算される。そこから飢饉の死者(11百万人)、第二次大戦の死者(7百万人)の半分が男性と考えて、革命以前に生まれた世代に犠牲が集中したと仮定して9百万人を差し引くと15百万人という数字が残るのだが、この数字以上の犠牲者がロシア革命後に出ていたとしても決しておかしくないのだ。馬渕氏は「少なく見積もっても数百万人」と言っているが、実際は15百万人を大幅に超える虐殺や処刑が行われていないと、この人口ピラミッドグラフの異常な形状は説明できないだろう。
明治大正期の外交官である小松緑氏が、大正十三年(1924年)四月四日に『試練の実蹟より見たる過激主義と国粋主義』という題で中外商業新報に寄稿した文章を、神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 政治(27-070)で読むことが出来る。
小松氏は、ソ連では革命後も相変わらず大軍を保持し、役人の数が一層増加していることを指摘したのち、ユダヤ人がどのような政治を行ったかについてこう述べている。
従前の貴族富豪が零落の結果、賎業に就いたり甚だしきは乞食の群に投じた者も多い。昔深窓に育った姫君が今は酒場の給仕となり粋漢の陵辱に泣きつつ露の命を保つ例も少くない。大道でタバコや果物などを売っている貧乏人の中にさえ、由緒ある名家の成れの果とも見うる気高い男女を見ることが稀ではない
別けて悲むべきは知識階級の没落である。プロレタリアット全盛のロシアにおいて篤学者や研究家などの軽蔑されるのは素より怪しむに足らぬ。過激政府はその教育方針として共産主義者養成に重きを置いているから、他の無要の学術(過激主義者より見て)を一切奨励しない。大学教授の平均月俸が日本貨にして三十円に過ぎないという事実から見ても、その虐待の程度がほぼ推察されるではないか。もっとも医科とか工科とかいう過激主義者にも有用な方面には相当の注意が払われているけれどもその入学には特別の制限があって、主義者が優先権を有し、その中でもユダヤ族が一層強い特典を持っている。かくて学生の八割はユダヤ族が独占している。
現在のロシアでは貴族、資産家、知識階級の三者が、殺されたり監禁されたり、追放されたり、然らざるも貧窮の極寒に倒れて了ったので、残るは無学無識のプロレタリアットばかり。しかもその一部から出た為政者に、その陰険と兇暴とにおいておさおさロマノフ朝の暴君汚吏にも譲らないということだ。
過激政府は、内は異主義者の反抗をふせぎ、外は異主義国の襲撃に備える必要上、多数の偵察員と警官と軍隊とを養わねばならずそれがため、ばく大の費用を要することロマノフ時代より多くとも少くない。然るに他の一方では、さなきだに安逸の気風を有するロシア人は財産私有の保証が頼みにならないため、概してその日暮らしの怠惰者となり、来月の事はおろか明日の事すらも考える余裕を失って了った。随って総ての生産事業は益々衰頽する一方で、国力はいよいよ疲弊するばかり、ロシアは今後如何にしてその存在を保って行くであろうか、それが大いなる疑問である
レーニンの死滅に伴うて間もなく過激政府が倒れてゆくものと思ったら勿論間違いである。その遺業を承け継ぐべき幾多のレーニンがあるからだ、併し人間の天性が一変せざる限り—世界の人類が悉く純真無垢の善男善女に生れ代らざる限り、共産主義は言うべくして行うべからざる理想に過ぎないことを実験上において立証した以上、百千のレーニン再生するとも、同じ失敗を繰返す外如何ともすることはできまい。ただし過激政府が永続すれば、知識階級となり、折角今日まで築き上げた文化の没落となり、終には中世期に出現したような暗黒時代を見ることになるかも知れない。
この危険なる試練がロシア一国だけで済んだのは、他国にとって勿怪(もつけ)の幸いだ。吾人はかかる試練の材料となり犠牲となった哀れな国民に対し、満腔の同情を捧げねばならぬ。
『試練の実蹟より見たる過激主義と国粋主義』 大正13年4月4日付 中外商業新報
ユダヤ人は積年の恨みを果たさんがために貴族、富豪、知識階級を虐待し、逆にユダヤ人を優遇し、そのために経済は衰退していったのだが、このような事実の指摘は戦後のマスコミや歴史解説ではお目に掛かることがない。
政権を批判することしか考えないメンバーがいきなり政権を担ったところで、まともな政治が行われることがないのはいつの時代もどこの国でも同じであるのだが、革命後のソ連がひどい状態であったことについては、私も長い間何も知らなかった。
スターリン時代に政府の権力構造はどう変わったか
レーニンが死亡した後はスターリンが後継者争いを制したのだが、スターリンはグルジア人でありユダヤ人ではなかった。スターリンはユダヤ人が中心のソヴィエトをどう変えたのか。安江氏は前掲書でこう解説している。
「1924年のレーニンの死後、現在のスターリンが専制的勢力を獲得し、また一方ではソヴィエトロシアにおける、横暴なるユダヤ政権に対する、一般スラブ民族の反感と覚醒とにより、所謂幹部派(スターリン以下非ユダヤ人)、反幹部派(トロッキー、ジュノビェフ、ヨツフェなどのユダヤ人側)の争いとなり、遂にユダヤ政権没落し、スターリンらの天下となり今日に及んだ。しかしユダヤ潜勢力はなお偉大なるものがある。」(同上書 p.139)
安江がこの本を書いたのは1937年で、スターリンが権力を掌握していた時代であったのだが、スターリンといえども自国の経済建設のためには各国とのユダヤ財閥との関係を無視することは出来ず、外務人員委員、貿易人民委員や通商代表などのポストはユダヤ人を任命した。しかし、冷戦が進行するとともにユダヤ人を次第に危険視するようになっていくのである。
「ロシア革命はユダヤ革命」との認識はかつて世界で広く存在していた
イギリスの歴史家のヒレア・ベロックは1922年の著作『ユダヤ人』で、ロシア革命をユダヤ人の革命であると記しているが、この様な認識は当時のヨーロッパでは珍しくなかったようだ。
例えばイギリスの首相ウィンストン・チャーチルは1920年2月8日付の『イラストレイテット・サンデー・ヘラルド』紙上でこう述べているという。
ボルシェヴィキ主義を生み出し、ロシア革命を実際に引き起こす上で、これらの国際的で、大部分が無神論的なユダヤ人が果たした役割を誇張する必要は全くないけれども、確かにその役割は非常に大きなものがある。きっとそれは、他のどの役割よりもまさる。レーニンは明らかに例外であるが、指導的な人物の大多数はユダヤ人であった。さらに中心となってそれを鼓舞し、その推進力の生みの親はユダヤ人のリーダーたちである。
(ヒレア・ベロック『ユダヤ人』訳者あとがき p.386)
チャーチルは、「レーニンは例外」と述べているが、レーニンは父親がアジア系で母親がユダヤ系である。ハラーハー(ユダヤ法)ではユダヤ人の母親から生まれた者、あるいは正式な手続きを経てユダヤ教に入信した者はユダヤ人なのだという。だとすれば、レーニンもユダヤ人と解釈する方が正しいことになる。
戦後の長きにわたりわが国の教科書や通史などでは、ロシア革命についてユダヤ人の革命であることを書くことがタブーとされ、その様な発言をすれば「ユダヤ陰謀史観」とのレッテルが貼られてそれ以上議論することすら難しい時代が続いてきたのだが、わが国の戦前の書物や新聞などにおいても、ロシア革命がユダヤ人の革命であったと明記されている事例はいくつも容易に見つけることが出来る。そのことを立証する多くの資料も残されていて、普通の人がこれらを読めば、誰でも「ロシア革命はユダヤ人の革命である」と認識することになるだろう。
しかしながら、そうなっては困る勢力が今も国内外に存在し、マスコミや教育機関だけでなく外圧まで利用して、彼らにとって都合の悪い史実を封印することに成功してきたのだが、彼らが定着させようとしてきた歴史叙述がネットを通じて真実を知った国民の力によって否定され、全面的に書き換えられる日が早く来ることを祈りたい。
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コメント
>ネットを通じて真実を知った国民の力によって否定され、全面的に書き換えられる日が早く来ることを祈りたい。
第一次世界大戦の末期、ドイツ革命を起こし「背後からの一突き」でドイツを敗戦に追いやったのもユダヤ人。このことがドイツ人の恨みを買い、後のユダヤ人迫害に繋がっていく。ユダヤ人を被害者とだけ教えるのが今の歴史教育だが、それでは正確な歴史認識はできない。
しばやん先生の記事にはいつも「なるほど!」と得心させられます。
今後も楽しみにしております。
アハハのおじさん、読んで頂いた上に嬉しいコメントまで頂きありがとうございます。とても励みになります。
学生時代に歴史を学んた時に疑問に思ったことは、戦前の本を読めばすっきりすることがよくあります。戦後の歴史学者の大半は左翼で、ソ連や中国にとって都合の良い歴史を垂れ流し続けてきましたが、最近の近現代史研究により第二次世界大戦はソ連・コミンテルンが関与していたことが次第にわかってきました。しかしながら、戦前・戦中において多くの著者がそのような視点でソ連の動きについて言及していることに驚いています。こと歴史に関する限り、古い本から学ぶべきことは多いです。