新年 あけましておめでとうございます。
旧年中は拙い私のブログにお付き合いいただき、まことにありがとうございました。
何度も訪問して頂いた方や、私の記事にリンクして頂いた方、ランキングの応援をして頂いた方、コメント欄やメールなどで貴重な情報や感想のメッセージを送っていただいた方、また拙著を買っていただいた方、皆さん本当に有難うございました。とても嬉しかったです。
一昨年の二月以来悪性リンパ腫が悪化し、何度も入退院を繰り返して様々な治療方法を試みましたが、結局完治せず、昨年七月に腸閉塞の後下血したあと緊急入院となり、小腸に残っていた病変部を一メートル近く切除する手術をして八月に退院しました。その後二度PET検査を行いましたが、最近の検査でも消化器官などの悪性リンパ腫が消えているとの診断を得ることが出来ました。血液検査ではいくつかの項目で正常でない値が出ていますが、徐々に改善している傾向にあり、日常生活上は問題がないと診断を受けたことはうれしいことです。
病院で処方されている薬の効果もあるのでしょうが、闘病生活が始まって以降食生活を大幅に見直して、甘いものや油っこいもの、刺激物を極力控えるほか、小麦をなるべく摂取しないようにしています。
また長い入院生活のせいですっかり足腰が弱り、十㌔以上痩せてしまいました。筋力回復のため、退院後はほぼ毎日近所を二時間近く歩いています。
悪性リンパ腫は再発する可能性があるため、検査のために月一~二回程度の通院がこれからも続くことになりますが、今の食生活や毎日の散歩を続けて、この一年を入院することなく過ごし、近場でも良いので何度か歴史探索旅行を楽しみ、旧友との交流も再開していく所存です。
ブログについては、GHQが焚書処分した書物に何が書かれているか、これからも少しずつ紹介させていただく所存です。また友人から、「国立国会図書館デジタルコレクション」の膨大な蔵書からどうやって本を探すのかなどといった質問を受けていますので、その点についても今月中に記事にする予定です。
まだまだ勉強不足ではありますが、読者の皆様の応援で元気を頂きながら、日本の歴史や文化について、あるいは日本と関わりのある世界の歴史について私が興味を覚えたことや、疑問に感じたことを調べたり、旅行したり考えたことなどをこれからもこのブログに書き記していきます。三年前に読者の皆様に宣言した新著を書く約束が果たせないままになっているのが気になっていますが、今年も病院通いやリハビリを優先せざるを得ず、何時間も自室で集中しなければできない作業はしばらくは控えようと考えています。当面は記事を書くペースも三日に一本(月間十~十一本)から、四日に一本(月間七~八本)程度に変更させていただく予定ですのでご理解ください。
今年もがんばりますので、引き続きご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
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前ブログ(『しばやんの日々』)で書き溜めてきたテーマをもとに、2019年の4月に初めての著書である『大航海時代にわが国が西洋の植民地にならなかったのはなぜか』を出版しました。長い間在庫を切らして皆様にご迷惑をおかけしましたが、このたび増刷が完了しました。
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内容の詳細や書評などは次の記事をご参照ください。
コメント
明けましておめでとうございます。
今年は一体どんな年に成るか?恐らく平穏ではないでしょう。
正月早々石川県では人工地震と思える揺れで人災が発生し
羽田ではやらせに近い衝突事故を演出し国民の眼を欺いています。
今後、日本各地で地震が起される可能性は大です。人工地震と気象兵器は
食糧危機を演出する道具でしょう。それはもう馴染みの物です。
日本は独立国では無いので、横田基地のDSにやられるままです。
政府機関や政治はすでに乗っ取られていますから、
分かって居る者は政治に期待などしないでしょう。
更なる注射で人口は半減するのを狙っています。
しばやん様、まさか注射して居ませんよね。
リンパ腫というので不安がよぎりました。
小生も昨年七月に酷い帯状疱疹に罹り、
その影響で九月に鼠経ヘルニアで切りました。
今でも下腹部には違和感と痛みと痺れがあります。
とにかく今年は健康回復に努めてください。
早く元気になられてご著書を出される事をお祈りします。
あけましておめでとうございます。
悪性リンパ腫は6年ほど前からの病気なので、今回の注射とは無関係です。
私はネットでワクチンを実施した各国の事例や、モンタニエ博士などの発言からワクチンは打たないことに決めましたが、結局長い入院生活時に何度も輸血をし、病院側で強く勧められたエバーシェルドを打ちましたので、私の体はワクチンを接種したのとよく似た状態にあるのかもしれません。
正月早々大災害や事故が続いていますが、何が原因かはよくわかりません。地震については、P波がなかったとか、12/31午後2:10に能登町宇出津山分にある北陸電力の変電所で3回爆発音が出たというニュースが削除されたり、おかしなことが起こっていますね。人工地震なのかもしれませんが、犯人まで断定するためには根拠が乏しすぎます。羽田の事故は海保機のボイスレコーダーの解析がなされれば、原因がはっきりとするでしょう。
しばやん様
私はアメリカ人で、埼玉大学で歴史の修士課程を学んでいます。あなたのウェブサイトを見つけましたが、とても素晴らしいです。本当に歴史について詳しいですね。以下のページについて質問があります。
あなたは1868年に長崎県知事の沢宣嘉がキリスト教徒について以下のように述べたと書いています。
「慶応四年(1868年)二月に長崎裁判所総督を命じられた澤宣嘉は大隈重信、井上馨らとともに長崎に着任し、五榜の掲示で新政府のキリスト教の禁止方針を確認すると、国法を犯していることを放置できないとし、浦上の信徒たちを捕えて改宗の説得を試みたのだが、彼らは頑としてそれに応じなかった。」
その情報源とページを教えていただけますか?彼は、私の1867年から1868年の浦上キリシタン迫害に関する論文の一部です。私の電話番号は070-3864-0027です。ご協力ありがとうございます。
David Rosascoさん、古い記事を読んでいただきありがとうございます。日本史を研究しておられるのですね。頑張ってください。
Davidさんが引用された部分は、澤宣嘉の発言ではなく、澤宣嘉が大隈重信、井上馨らとともに長崎に着任してからの動きを私がまとめた部分です。
この経緯については、『近世日本基督教史』のp.672~673および、『大隈侯昔日譚』のp.220~222に詳しく書かれています。
https://dl.ndl.go.jp/pid/963367/1/360
https://dl.ndl.go.jp/pid/1908934/1/121
ご返事をありがとうございます。メールでの返事かと思いましたが、こちらでご返事をいただきました。それでも十分です。もう一つ質問があります。イギリスの総領事が1867年から1869年の間に何度も会ったと述べている柳河藩の池辺吾井?Ikebe Goi(いけべ ごい)という人物についてです。これはイギリスの文書に記載されていましたが、日本語では彼に関する情報が見つかりません。「吾井、伍井など」という名前が本名なのか仮名なのかもわかりません。池辺吉十郎(いけべ きちじゅうろう)という名前かもしれませんが、確信が持てません。池辺はキリスト教について非常に詳しいとイギリスの外交官は記録しています。この人物について何かご存知でしょうか?あなたは本当にこの分野の専門家です。ありがとうございます。
私は専門家ではありませんが、疑問を覚えた時にどうやったら調べられるかということについてはいくつかの引き出しを持っています。
人物を調べる時は「国立国会図書館デジタルコレクション」の検索機能を用いればいいと思います。
https://dl.ndl.go.jp/
検索ボックスに、「柳川藩」「池辺」というワードで検索を掛けると1244件の資料がヒットします。関連性の高いものは上の方に出てきますので上の方から、関係のありそうなものを探していきます。
『柳川藩資料集』という本のp.455に池辺城山と英国公使との会談が出ています。そこには「城山は池辺永益の号で通称は藤左衛門のちに節松と称した」と書かれています。
「Goi」というのは「五位」で位階のことですね。
https://dl.ndl.go.jp/pid/9574993/1/259
「池辺城山」で検索すると7つの資料がヒットします。
「池辺永増」で検索すると24件の資料がヒットします。
「池辺藤左衛門」で検索すると246件の資料がヒットします。
「池辺節松」で検索すると75件の資料がヒットします。
「池辺五位」で検索すると90の資料がヒットします。
その中から探したい資料が見つかればいいですね。
「池辺吉十郎」は熊本藩出身で別人のようですね。
ご指導と有益な情報を教えていただき、誠にありがとうございます。私の中では、情報を見つけることができるあなたは、自称専門家と同じくらいの専門家だと思います。私は、日本の重要な立場にあった人々がキリスト教やアメリカ人やイギリス人と初めて対峙した際に、本当に何を考えていたのかを知りたいです。これにより、人々が実際に何を考えていたのか、また彼らが個人としてどのような人であったのかを理解し、長い間亡くなった人々に人間味を与えることができます。これはアメリカやイギリスの話だけでなく、日本の物語でもあり、伝えられるべきものです。あなたのウェブサイトにあるアイデアやコンテンツは非常に有益なので、今後も投稿を続けてください。私は、この理解に何かを加える論文を書くために一生懸命取り組んでいます。
David Rosascoさん、コメントありがとうございます。お役に立ててとてもうれしいです。
どんな人物であれ、国や藩の代表としての交渉にはいい加減なことは出来ず、はりつめた空気の中で大変なエネルギーが不可欠です。その交渉過程の中にはドラマになるようなやり取りが少なからずあったと思うのですが、多くの歴史研究者は交渉の結果だけを知ろうとしています。しかし、それではその交渉に関わった人々の苦労を理解することが出来ません。彼らが交渉を通じて何を考え、何に悩んだかを知ることは、将来外交などで難しい交渉を担当する可能性のある人が学ぶべきことだと思うのですが、今の政治家や官僚はそのような視線で学ぶことがあるのでしょうか。
David Rosascoさんの研究論文の完成を楽しみにしています。