GHQは様々なジャンルの本を焚書処分して戦後の日本人に読めなくさせたのだが、焚書リストの中にはどうしてこのような本をGHQが焚書したのかと不思議に思うようなタイトルの本が少なくない。
今回紹介したいのは、昭和十七年に多忠龍(おおの ただたつ)氏が著した『雅楽』(六興商会出版部 昭和十七年刊)という本であるが、なぜGHQが焚書処分しようとしたかはタイトルだけでは見当もつかなかった。
雅楽の多くは外国から伝えられた
Wikipediaによると著者の多忠龍氏は、古代以来の宮廷雅楽家の家に生まれた雅楽師で、この本を出版された二年後に亡くなられたとある。この本には、雅楽の歴史について詳しく記されているのだが、雅楽は推古天皇の御代以降奈良時代にかけて朝鮮や支那などの音楽がさかんに渡ってきたということはこの本を読んで初めて知った。
私どもがうかがっているところによりますと、推古天皇さまの御代のころには、外国の音楽をわがくにに輸入することがさかんに行われていたらしい。支那や朝鮮の音楽が、どんどん日本にはいってきた。もっとも、朝鮮の音楽はその前から日本にはいってきていたようで、允恭天皇さまの御大葬に、朝鮮の楽人が朝鮮の楽器を奏したというような話も残っているそうですが、朝鮮とか、支那とかの音楽がさかんに日本に渡ってきたのは、推古天皇さまの御代、聖徳太子さまの時代になってからのことのようです。つまり、そのころ、朝鮮にあった高麗、百済、新羅なんかというくにの音楽がどんどん日本にはいってきたわけで、いまから思えば、そのころの朝鮮はなかなか立派なくにであったにちがいないのです。支那の音楽もはじめは朝鮮を通じて日本に渡ってきたようですが、後には、支那からぢかに渡ってくるようになった。こういうわけだから、いま日本に残っている雅楽のなかには、支那の音楽もあるし、朝鮮の音楽もある。だからして、いまでは、もうすっかり日本のものになっているのだけれど、支那から渡ってきたものを「唐楽(からがく)」といったり、朝鮮から渡ってきたものを「高麗楽(こまがく)」といったりしているのです。たとえば、「陵王(りょうおう)」「太平楽」「越天楽(えてんらく)」というような曲は支那から渡ってきた唐楽で、「納蘇利(なそり)」「白濱(ほうひん)」というような曲は朝鮮から渡ってきた高麗楽なのです。
ところが、わがくにに渡ってきて、雅楽のなかにとりいれられている外国の音楽は支那と朝鮮の音楽だけではないので、聖徳太子さまのころから奈良朝の時代までに、支那や朝鮮の音楽のほかに、印度(インド)、安南(アンナン:現在のベトナム北部から中部)、シベリア、中央アジアなどというところの音楽もどしどし日本に入ってきているのです。たとえば、印度から渡ってきた「迦陵頻(がりょうひん)」、今の安南地方、その頃は林邑国といっていたそうですが、そこの音楽であった「陪臚(ばいろ)」、今の西蔵(チベット)、そのころの大月氏国いうくにから伝わってきた「還城楽」、中央アジア辺の音楽といわれている「胡飲酒(こんじゅ)」、いまのシベリアの沿海州にあった渤海というくにの音楽の「新靺鞨(しんまか)」など、こういう曲はいまでもしばしば演奏されているので、雅楽を知っているひとなら、だれでも知っている曲なのです。
けれども、いま言ったような、朝鮮とか、支那とか、印度ととか、こういう外国からやってきた音楽だけがががくなのではなくて、雅楽のなかには神代以来の神楽歌もあるし、「久米歌(くめうた)」とか、「東遊(あづまあそび)」とかいう日本古来の音楽もはいっているのです。
多忠龍著『雅楽』(六興商会出版部 昭和十七年刊) p.14~16
雅楽は日本古来の伝統音楽とばかり思っていたのだが、聖徳太子の時代に外国から伝えられた音楽が多いのだという。「越天楽」はテレビで放送されることも多く、高校時代の音楽の教科書にも出ていてたので知っているのだが、この曲が中国から伝わったとは知らなかった。
ところが、わが国に伝えてくれた国ではこのような音楽は今ではほとんど残されておらず、わが国において千数百年にわたり演奏され、今も昔のままに残されていることは驚きである。
またこれらの音楽のルーツをたどるとギリシャにもつながるのだという。
雅楽をいろいろと研究して調べているかたにうかがいますと、アジアの北から南までの音楽を集めただけのものではないのだそうで、なんでも、西洋の芸術の元祖のようにいわれているギリシャのくにの音楽も雅楽に脈を引いているというのですから、驚くのほかはありません。私がうかがったお話を、そのまま、ここでみなさんに申しあげますと、つまり、西洋でいちばん最初にひらけたところは、よく話に出てくるバビロンというところと、アフリカのエジプトなんだそうですが、そのバビロンもエジプトも滅ぼされて、ペルシアというくにになり、そのペルシアもまたギリシャに滅ぼされるというわけで、なんでも、そういう具合にくにが滅びたり興ったりしているあいだに、学問とか芸術とかいうものも、滅びたくにから、新しく生まれたくにに伝わって、結局のところ、大むかしのヨーロッパとアジアの学問と芸術がギリシャのくにで大いに栄えたという。これはまあ、私が偉い先生にうかがった話なのですが、このギリシャの学問や芸術が、それから後になって、前にもちょっと申し上げた大月氏国というくにに伝えられ、そのころ、大月氏国と往来をしていた支那にも伝えられたという、こういうわけなのだそうです。…中略…
歴史をしらべてみると、西洋の音楽も大むかしから支那に伝わっていたはずであるし、支那を通じて日本にもはいっていたはずだという、こういうわけなのです。だからして、日本の雅楽はアジアの北から南までの音楽をそっくり今日に伝えているだけではなくして、実際のところは、大むかしのヨーロッパの音楽まで今日に伝えていることになるので、これは雅楽の楽器とか、楽曲の組立とか、舞の種類とか、面の形とか、そういうものをいろいろしらべてみると、はっきり証拠が残っているので、雅楽という音楽が世界中に自慢することのできる音楽だということに、すこしもまちがいはないと、こういうことになるのです。
同上書 p.18~21
その後わが国では千数百年にわたり雅楽の新しい曲目はほとんど作られず、著者によると雅楽の新曲は昭和十五年(1940年)に行われた二千六百年式典のときに、著者の従弟である多忠朝が作曲した二曲ぐらいだという。雅楽の精神の基本は古典の保存にあり古いものが古いままに残されてきたということなのだが、千数百年前の音楽が今も残されていることは本当にすごいことである。
Wikipediaによると雅楽は重要無形文化財、ユネスコ文化遺産に指定されていて、宮内庁式部職楽部で今も百曲ほどが継承されているのだそうだ。
なぜGHQはこの本を焚書処分したのだろうか
この本には雅楽の歴史やエピソードやら楽器のことなどが記されているのだが、なぜGHQが焚書処分にしたのかと多くの日本人が不思議に思うことであろう。GHQの書類には焚書の理由は記されていないので想像するしかないのだが、思うにこの本に次のような記述があることが気に入らなかったのではないだろうか。
ひとくちに雅楽とはいうものの、いろいろ種類があるわけで、日本古来のものもあるし、外国から渡ってきたものもある。そして、外国から渡ってきた音楽も、聖徳太子さまのころから、多くの偉い楽人の手にかかって、日本独特の音楽となって、それが今日まで伝えられているということになるのです。つまるところ、日本古来の音楽をはじめとして、朝鮮、支那、シベリアの音楽、もっと遠いところでは、安南、印度、チベットというようなくにの音楽が、日本人の手によって雅楽という一つの音楽にまとめられ、それが今日の雅楽になっているというわけですから、何ですね、よく大東亜共栄圏ということをいう、その大東亜の音楽を一つにまとめたものが雅楽、と、こういうことになるのです。ところが、こういう立派な音楽を日本に伝えてくれたくにには、もうむかしのままの立派な音楽は残っていないので、これは余談になりますけれども、私のところへ来るひとから聞いた話にこんな話になる。東宝舞踏隊というのがあるでしょう。あの、丸の内の日本劇場で踊りをやっているあの娘たちですね。あの連中が昨年の暮、こんどの戦争がはじまろうというときに仏印(ふついん:インドシナ半島にあったフランス植民地)へ行った。あそこの娘たちは舞楽もやるのだそうで、仏印へ行ったときに、舞楽をやってみせたところが、これがたいへん評判がよかったという。あのへんはつまりむかしの安南なのだから、舞楽をやったといってもなにをやったのか知らないが、あのへんのひとたちとしては、自分たちの先祖の音楽を聴いているという気持ちが、しらずしらずのうちに湧いてきたのではないかと、私はこの話を聞いたときに、これは面白い話だと思ったのでした。
同上書p.17~18
もともと雅楽はアジアからわが国に伝わった音楽で、わが国に伝えた国ではほとんど残されていないのだが、これらの国々で伝えられていた文化を消し去ったのは大航海時代以降の白人たちではなかったか。もしアジアの国々で、日本の雅楽が遠い昔の先祖たちの音楽を伝え残していることが広がり、それぞれの国が雅楽を通じて日本に親近感を抱いては困るとGHQが考えたのかどうかはわからないが、いずれせよこの本はGHQにとって不都合な記述のあるものとして焚書処分されたことを知るべきである。
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コメント
興味深かったです。
読んでいただきありがとうございます。
GHQがこの本を焚書にした理由については私の想像ですが、ほかに理由が思い当たりません。
ご快癒をお祈りしております。
最近、読んだ本の中で強い印象を受けたもので「日本とユダヤの古代史&世界史」田中英道、茂木誠著があります。古代からユダヤ人が何度にもわたって渡来し,縄文人が受け入れ大きく政治、文化に関わってきたという内容です。
その中で伎楽面(舞楽とは別芸能なのでしょうか?)がユダヤ的であること、弓月国を経由して渡来してきたのではないかという考察がありました。
ネコ太郎さん、コメントありがとございます。
入院中にその本を買いましたが、まだ読んでおらず、さっそく読んでみます。
戦前からそのような研究が存在しましたが、GHQの焚書処分にあったものもあるようです。いずれ紹介したいと思います。
日本古代におけるユダヤとの関係は長い間タブーにされてきたように思うのですが、最近はいろんな人が情報を発信していて興味深いです。