張学良はなぜ山海関事件を起こしたか
前回の「歴史ノート」で、一九三二年十一月二十一日から開催された満州問題に関する国際連盟理事会において日本全権松岡洋右との論戦に勝てず、英仏が日本を支持する側に廻ったことを不満とした支那が、国際連盟に参加していないアメリカやロシアに接近して日本を牽制しようと動き出し、アメリカから飛行機五百機を購入し、担保として支那の東海岸一帯を米国海軍根拠地に提供したと新聞に報じられていることを書いた。
また十二月二十二日の大阪時事新報は、張学良が国際連盟にみきりをつけて、自ら戦闘準備に入ったことを報じている。
そして翌一九三三年の正月早々に、万里の長城の東端の山海関にある日本憲兵分遣所等に何者かが手榴弾を投じ、さらに小銃射撃を行った事件(山海関事件)が起きた。さらに翌二日には日本軍守備隊が南門で中国軍から突如射撃されたために児玉中尉が戦死し、数人の負傷者が出ている。支那駐屯軍司令官の中村中尉は、同日に張学良に対し警告文を手交し、陸軍は三日にこの事件を国内に発表。また満州国政府外交部も同様に三日に張学良に警告電文を発している。ところが張学良の翌日の回答は、「この事件は日本軍の計画せる所でこれに対する全責任は日本軍の負うべきもの」(『国際知識 第十三巻 第二号』昭和8年刊 p.110)というものであり、南京政府も一月四日に日本公使に対して、この事件は日本軍の計画によるものとし、事件を起こした兵の処刑などを要求した。
張学良が何の為にこのような行動を取ったかについて、一月五日の神戸新聞には次のように記されている。
【北平三日発連合】張学良が今回の如き積極的行動を起すに至った動機につき確聞するに、既に連盟方面において支那側の期待は全く水泡に帰し、一方日満軍の熱河方面における偽勇軍掃蕩は単に時日の問題と見られるに至ったので、先ず日満軍の機先を制し日本軍をして山海関方面に行動せしめ、北寧線を危殆に瀕せしめることによって列国殊にイギリスの神経を刺戟し、イギリスを再び支那の味方に抱込み、かくて行詰れる連盟の空気を打開せんとする苦肉策に出でたるものである。何柱国が故意に北寧線の一部を破壊せしめたのもこの理由による。右の如き張学良の魂胆より見て、日本軍の和平に対する希望も徒労に帰すべく、成行は全く楽観を許さぬ状態となった。
「神戸大学新聞記事文庫」外交122-8
かつて北京から瀋陽(奉天)を結ぶ路線は京奉線と呼ばれていたが、1932年に満州国が成立するに伴い、奉天から山海関までを奉山線、山海関から北京までを北寧線と呼ぶようになった。南満州鉄道が昭和十三年に刊行した『北支那経済綜観』によると、北寧線の沿線の天津を中心に電力会社、水道会社、獣皮・棉花の圧搾工場や石油関連企業などイギリス企業が多数進出しており、張学良は北寧線を動かなくさせることにより、国際連盟で日本を支持する側についたイギリスに圧力をかけようとしたものと考えられる。
一月十一日付の大阪時事新報は山海関事件についての欧米の新聞記事を紹介している。アメリカ・ドイツは一紙を除き、支那の主張に近いことを書いているが、イギリスやフランスは概ね日本の主張に近いことを書いている。例えばイギリスのデーリー・メール紙は「山海関における日支両軍の衝突は支那側の挑戦によることが明かで、その原因は学良が日本の警告を無視して国境に増兵したためである」と報じたと記されている。
アメリカが介入して以降、連盟の空気が変わった
このように張学良の仕掛けた宣伝工作はイギリスには通用しなかった。
当時国際連盟では満州問題の協議が続けられていた。当初の案では満州国の存在を認めない内容であり、それではわが国の軍事行動は自衛のためではなく侵略行為ということになってしまう。そのような決議はわが国が飲める内容ではないので、その後もイギリスが中心となって満州問題の落としどころを探るための協議が続けられていたのだが、連盟に参加していないアメリカが欧州主要国に対し、「満州国を承認するな」と圧力をかけたことがきっかけとなって、一気に連盟の空気が変わっていく。
米国国務省はロンドン、パリ、ジュネーヴ等欧洲主要国駐在の米国使節に対し、「日支問題に関する米国の態度を聞くものあらば、米国は日本が武力をもって支那において獲得したものは絶対に(満州国)不承認の立場を堅持するものなるを明確に答えよ」との意味の訓電を発した。この後イギリスは急に態度を硬化させてアメリカの言う通りに動き、他の主要国も同様の行動を取るのである。
アメリカが欧州主要国に圧力をかけて以降、満州問題を検討している国際連盟の十九ヵ国委員会の大勢は満州国不承認となり、満州国の独立を認めず、満州の主権は支那にあるとし、日本軍は条約の定めた範囲内に撤収することなどを定めた勧告案が準備されていた。
支那は今も内乱状態にあり、支那兵には匪賊のように掠奪や凌辱を繰り返すような連中が少なからず存在した。勧告の通りに日本軍が撤収してしまっては、これまでわが国が莫大な投資をして整えたインフラや、企業の資産ならびに居留邦人の生命財産をどうやって守ることが出来ようか。
アメリカによる国際連盟介入後の張学良の動き
満州問題に関する報告書が採決される総会の日程は二月二十四日に決定していたのだが、その日に照準を合わせたかのように張学良の動きが激しくなっている。
山海関事件のあと日支の小競り合いが多発し、その後南京政府の命により張学良が満州南西部の熱河に一万五千の大軍を進め、彼らが満州国住民に掠奪・暴行を繰り返すようになった。
満州国政府は張学良ならびに南京政府に対し満州国外撤退を要求し、二十四時間以内に撤退しない場合は強制掃討を実施する旨の最後通牒を二十二日に発することを伝えている。しかしながら張学良軍は満州国の最後通牒を無視して一触即発の状態となるのである。
わが国も二十三日に南京政府に対し支那軍の撤退を口頭で通達したのだが、支那の回答は、熱河に軍隊を送ることは支那の主権を侵害するものであり全責任は日本にあるというものであった。この回答はアメリカの圧力によって修正を余儀なくされ国際連盟で近々に決議される決議案と全く矛盾しないことに留意する必要がある。すなわち、国連が支那の立場の満州観を認めたということは、今回の件でわが国が自衛のために軍を動かせば国際連盟はこれをわが国の侵略と見做し、支那の反日行動はわが国の侵略に対する抵抗であることを容認せざるを得なくなるのだ。
国際連盟脱退を余儀なくされた日本
熱河省の多くの民衆や満州の邦人居留民を犠牲にすることは出来ないので日本軍も自衛のために動いたのだが、この事件の解決に日本軍が動いたことが国際連盟総会の決議においてわが国に不利な影響を与えたことは想像に難くない。
国際連盟で満州問題に関する決議が行われたのは二月二十四日で、賛成四十二票、反対一票で反対議案が採決されてしまうのだが、この日に行われた松岡洋右の演説は多くの日本人に読んでいただきたいと思う。
この演説の全文が掲載された書籍がGHQによって焚書処分され、戦後の長きに亘り日本人に読めないようにされていたのだが、二年前の五月に「国立国会図書館デジタルコレクション」の「個人向けデジタル化資料送信サービス(無料)」が開始され、簡単な手続きをすることによって大半のGHQ焚書がネットで読めるようになっている。
松岡の演説を読めば、わが国がどのような状況に置かれており、支那の排日運動がいかなるものであったかが非常によくわかる。戦後の一般的な歴史叙述では松岡を戦犯のように扱うのだが、そのように記述している著者の多くは、松岡が何を主張していたかを知らずに書いているのだと思う。
戦後八十年近く経ってそろそろ日本人も、これまで学校やマスコミが流す自虐史観にずっと洗脳されてきたことに気が付いてほしいものである。
今の新聞やテレビのニュースはどこかの勢力に情報を統制されているようなので、私もあまり信用していないのだが、戦前の新聞報道は各社が報道内容を競い合っているところがあって、しっかりとした取材に基づいて記事が書かれていたし、外国の勢力から報道に圧力があったとは考えにくい。中には尾崎秀実のようなソ連のスパイが潜り込んで記事を書いていた事実もあるが、戦後の新聞やテレビでは絶対に報道できないような内容の記事が散見できるのである。
国際連盟で満州問題の決議が行われた二月二十四日が近づくと、大阪毎日新聞や神戸又新日報などが、支那の排日の背後で動いていた勢力について記事を載せている。少なからずの日本人は、支那排日の背後で動く巨大な勢力の存在に気が付いていたのではなかったか。
例えば神戸又新日報にはこう記されている。
今回の国際連盟については、事務総長のドラモンド氏を始め次長アプール、反日先鋒チェッコ代表ベネシュ、スペイン代表マダリアガ、情報部長コムメン支那代表ウェリントン、顧氏等がこのフリー・メーソンのメンバーで、連盟外では支那衛生顧問のライヒマン、リットン調査団書記長でリットン報告書を執筆したハース氏等がおり、フリー・メーソンと連盟の関係についてパリのフリー・メーソンの機関誌に、「指導精神から考えて連盟はユダヤの運動に深い関係を持っており、吾々ユダヤ人は連盟の最初の具体的提案者で、連盟はユダヤ民族に世界的放浪生活をさせている根本原因を政治的に解決するものである」と書かれてある。
しかも連盟内に、前記のごとくフリー・メーソンのメンバーが軍要な地位を占め連盟と極めて深い関係にあるとすれば、今回の日本が連盟の無視に対し脱退の余儀なきに至った裏面に、フリー・メーソンの信奉するプロトコールのうちの「弱小国不平国を援助し」世界攪乱の過程に導びかんとするものであると見るのは、単にユダヤ禍恐慌病者のみではなかろう。会員は全世界にその数百万を算し、それらが着々世界の支配的地位にある有力なるメンバーからの指令によって、世界征服の陰謀が続けられていると言われている。
「神戸大学新聞記事文庫」人種問題2-76
日本を追いつめた国連の主要メンバーが、ユダヤの秘密結社「フリー・メーソン」のメンバーであったと書いてあるのだが、これはとても偶然だとは思えない。もっと言えば、第二次世界大戦とかかわりの深いチャーチル英首相、F.ルーズヴェルト米大統領も、また戦後GHQ最高司令官として日本に進駐したマッカーサーも「フリー・メーソン」のメンバーであったのである。
彼らのフリー・メーソンのメンバーとしての活動は各国の公文書には残らないので確たる証拠を提示することは困難だが、各国の国益よりもユダヤ国際資本の稼ぎに繋がる方向に世界が導かれ第二次世界大戦に突入した背景には、組織からの何らかの指令があった可能性を疑いたくなるところである。
彼らにとっては真面目にかつ誠実に着々と市場を開拓していく日本人は邪魔な存在であり、それが故にわが国は叩かれて世界大戦に巻き込まれた可能性を考えるのだが、戦後復興して経済復興を果たした今のわが国も、彼等にとっては邪魔な存在だと考えられていてもおかしくないであろう。
ここ数年来、どう考えてもわが国にとってマイナスにしかならないような多くの施策が推進されたり、欧米に於いてもおかしなことが相次いでいるにもかかわらず、既存の大手メディアは殆んど報じることが無い状態であるのは、政治家や官僚や財界やマスコミなどにどこかの勢力が工作をかけているからではないのか。
スパイ防止法がいつまでたっても成立しないのは、与野党やマスコミには外国から裏でつながっているような議員が相当数いると理解するしかないのだが、次回の選挙ではスパイ防止法成立に汗をかいてくれそうな候補者に一票を投じたいものである。
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