福永恭助は海軍少佐で退役した後、小説や軍事に関する評論などの著作を残しているが、戦前・戦中の作品34点のうち12点がGHQによって焚書処分されている。
また、国立国会図書館デジタルコレクションでデジタル化されていながらネット公開されていないのが21点、国立国会図書館に蔵書がないかデジタル化未済のものが7点もあり、ネット公開されているのは5点のみと少ない。
福永恭助の没年が昭和46年(1971年)で、著作権保護期間のためネット公開書籍が少ないことに文句は言えないのだが、「著作権法の一部を改正する法律」が今年の5月26日に国会で成立したことから、福永だけでなく多くの絶版書が令和4年1月1日より「一定の要件の下で」読むことができるようになることを期待したい。
福永の著書は、以前このブログのテーマ別で『軍艦物語』と『国の護り』の一節を紹介させて頂いたことがある。
今回は『挑むアメリカ』(GHQ焚書)の一部を紹介させていただきたい。最初の文章は、カリフォルニアの日本人移民が排斥された経緯について述べている部分である。
…ところでカリフォルニアにはどんなアメリカ人が住んでいただろう?
そこに住んでいた西洋人というのは、あの名高い「メイフラワー」号に乗り組んで渡って来た清教徒の子孫たちではなかった。住民には外国生まれの者が多かった。ドイツ人やアイルランド人、ことにアイルランド人が多かった。したがって宗教も新教よりもカトリック教が盛んで、サンフランシスコ市などではカトリック信者が市民の八割を占めていた。カリフォルニアにおける日本人の数がだんだん増えて来たとき、こうした外国生まれの白人たちが先ずブツブツ言いだしたのである。
「どうも日本人が多く来すぎるナ。」こうしたアイルランド人上がりにサンフランシスコ市長のフィーランという男があった。元来アイルランド系米国人が日本移民を排斥したがるのは日本移民が自分たちの後輩であるアイルランド移民の邪魔になるからであるが、この男はよほどの日本人嫌いだったとみえて、1889年にサンフランシスコで開いた太平洋沿岸労働組合大会が日本移民排斥を決議した時に――これが組織的の排日第一声である――こんな演説をしている。
「日本移民は猿のような人真似人間である。彼らに物を教えれば我々の文明を模倣して、行く行くは我々の競争者となる。そして彼らは我々に貢献する何等の文明も持ってこない。反って我々の下層社会と交わって東洋の悪臭を伝播するだけである。日本人の学僕を援助して学校に通わせ、そして米国文明を教えるような米国人が多いのは我々の頗る遺憾とするところである。よろしく日米両国の関係は物品の交換だけに止めて、外交官や商人や旅行者の外は交通を禁止するがよろしい。」
このフィーラン市長の指しがねで翌1900年(明治三十三年)にはサンフランシスコに日本人排斥市民大会というものが催された。またその翌年にはカリフォルニア州知事が州会に与えた教書の中で排日を進めたところがあった。がしかしそれらの運動はまだ微々たるものであり、少なくとも日露戦争(1904~千1905年)の始まるまでは、カリフォルニアの世論というものは日本人に対して悪い方では決してなかったのである。
いや、悪い方でなかったというだけでは当たらない。ウクライナのキエフでユダヤ人一万七千人を虐殺したロシア、支那における門戸開放を蹂躙したロシアに対して起った日本にはアメリカ全体として声援をさえ惜しまなかったのだ。…日露開戦の報が伝わると、サンフランシスコの三大新聞が実に日本の戦勝を祈る記事までも掲げるという同情ぶりだったのである。
ところが愈々戦争の火蓋を切って見ると日本がなかなか味なことをやる。ご承知の通り陸に海にの全勝振りだったから、これは同情どころのさわぎではない。いったい同情されるということはされる方の力が弱いからこそ成り立つので、強いものが同情されたタメシはあんまりない。で戦局も進んで日本海にバルチック艦隊を全滅させた頃になると、アメリカ人もいささか警戒しだしてきたのだ。
「こいつ、少し剣呑な奴だな。」こうして、日露戦争の結果はアメリカ人の対日世論に変調をもたらすことになったが、このことはカリフォルニア州に於いて最も著しかった。それまでは大の親日新聞であったサンフランシスコ・クロニクルは戦争がすむと今日も排日、明日も排日という具合に鉾先を日本に向けだした。主筆ジョン・ビー・ヤングの言うところによると、「日本人は他日太平洋上で我がアメリカと優越を争うように立ち至るべき有為な国民だから、極力排除しなければならない。」のだそうだが、その前半句は今日から見て確かに当たっている。また排日新聞の中にはべらぼうなのがいて、「ロシアをやっつけた日本は終にはアジアから全白人を駆逐する考えだ」とか「日本はフィリピンやハワイを取ってしまうだろう」くらいはまだしも「しまいには両米大陸も濠洲も占領してしまうだろう」とか「多数の日本移民はみんな日本の兵士である。一朝事ある時は日本はこれらの偽移民を使ってカリフォルニアを取ろうという企みなのだ」などというデタラメを言って、日本及び日本人に対する悪感情を煽り立てたものである。そういわれて国内を見ると、この怖るべき日本移民が既に四万人を突破していたのであったが、これが漸くカリフォルニア人士の尖った神経を刺激するようになったのであった。
1906年(明治三十九年)四月にサンフランシスコには大地震があった。地震に排日は付き物だと見えて、その後日本が関東大震災でペシャンコになった時に排日運動の総決算ともいうべき排日移民法をたたきつけられたが、この時のサンフランシスコ大震災は実にこの、公然たる排日の皮切りであったのだ。つまり地震に始まり地震に終わった排日だったのであるが、事の起こりはこの年の十月十一日にサンフランシスコ市学務局は、日本人と支那人と朝鮮人の小学生を一般白人の小学生と隔離して授業するところの「学童隔離実行令」というものをいきなり発布したのである。
(福永恭助 著『挑むアメリカ』日本評論社 昭和6年刊 p.12~16)
サンフランシスコ大地震があって数か月間に、日本からは日本赤十字社の名前でサンフランシスコ市に宛てて二十四万四千九百六十ドルという義捐金を送っている。しかしながら、サンフランシスコ市当局が日本に対する姿勢を変更することはなかったのである。
日露戦争の後でアメリカは中国市場の拡大を狙っていた。アメリカの鉄道王とも呼ばれるエドワード・ハリマンは南満洲鉄道の共同経営を日本側に申し入れてきた。その提案に伊藤博文、井上馨ら維新の元勲や財界人も賛成し、桂首相はハリマンと仮協定を締結したのだが、ポーツマス条約締結から帰って来た小村寿太郎が大反対したためにこの仮協定は破棄されてしまう。ハリマンの提案は、資金力の乏しい日本からすれば悪い話ではなかったのだが、小村は日本軍が血を流して得た南満州鉄道に関する利権を、アメリカと共有すべきではないというものであった。
一方的な協定破棄にハリマンが怒りに燃えたであろうことは想像に難くない。サンフランシスコで日本人学童隔離問題が起きたのは、彼が帰国した直後のことである。そしてアメリカは中国と直接交渉して中国における市場拡大を図ろうと動いたのであるが、中国はそのアメリカを利用しようとした。
「夷を以て夷を制する」のは支那の伝統的政策である。支那側から進んで威海衛をイギリスに与えたのも、青島のドイツ、旅順のロシアの勢力を牽制する策であったと言われている。それならばロシアに代って新たに南満州に座った日本の勢力を牽制する方法は何であったろうか? それは英米、ことに米国勢力を満州に迎えて日本勢力と相殺させることであった。そしてそこにはちょうど獅子の分け前に預かろうとするアメリカがいたのであった。当時の在奉天青年米国総領事のウィラード・ストレートは中々の策士だったと見えて、本国国務省の後援の下にさきに述べたハリマンと気脈を通じていろいろなことを企んだ。
1907年(明治四十年)11月8日に支那政府は英国資本家すなわちロンドンのボゥリング商会と英清公使に新民屯から法庫門に至る、日本の里程にして二十里ばかりの短い鉄道を敷設する権利を与えたが、無論これは他日北の方四百マイルばかりのシベリア横断鉄道のチチハルまで延長し、南は営口および秦皇島で海に出る下心だったのである。このことを知ったストレートは直ぐにハリマンに手紙をやって割込み運動をやらかしたが、これは当時アメリカの財界に恐慌があったので、資金の調達が出来なくてオジャンになった。しかも鉄道敷設も日本の厳重な抗議に遭って実行を見るに至らなかった。…中略…
この法庫門鉄道問題が内々進行中であった頃に、ストレートとハリマンが企んだ仕事に満州銀行の設立ということがある。これはアメリカで二千万ドル(四千万円)の公債を募って満州に銀行を建てるのだが、その目的とするところは満州の幣制改革、産業開発とそれから鉄道建設の三つであった。鉄道はいま述べた法庫門鉄道と連絡して北の方黒竜江畔の愛琿(アイグン)に至る線で、つまりハリマンの世界一周鉄道計画の一部となるものである。策士ストレートは奉天巡撫の唐紹儀と東三省の親分の徐世昌(後大総統となった)を巧く抱き込んで一つの覚書を作った。1907年(明治四十年)8月7日それをハリマンに送ってしまうと彼は日記にこう記している。「唐は覚書案文を承認した。手紙は投函した。素晴らしい可能性を積んでいる。もし採用されたならば、我々は満州の開発に重大な役割を演ずることになる。我々の支那における勢力は素晴らしく高められるに違いない。」(クローリー著『ウィラード・ストレート』)
(同上書 p.141~144)
この計画が進めば、全満州が米国資本化される第一歩となる処であったのだが、袁世凱が失脚したために 唐紹儀も地位を失い、満州銀行も鉄道の計画も流れてしまう。その後1909年にハリマンが死去したが、その後もアメリカは中国の門戸開放・機会均等・領土保全を主張し、第一次大戦後はイギリスとともに日本の中国への進出を警戒し、日本勢力を駆逐しようとした。では、列強に権益を小出しに与えながら、肝心の中国はどう動いていたのであろうか。
自分には一本立ちの力がない。が、さりとて日本を信じててを握り合って西力の東漸を防ごうというのでもない。それならばアメリカ人は心から頼りにされているかというと実はそうではない。そうでないどころか、そうした列強の力を迎えておいて実はお互いチャンチャンバラバラをやらかすのを待っている風があるからどうもけしからん話なのだ。日米戦争とまではいかなくても、日米紛争の直接原因は実はここにあるのだ。
こうしたシナ人の悪い癖を頭に入れておいて満州問題に少し触れてみよう。
(同上書 p.229)
国家意識に目覚めて来た支那が租借地や利権の改修に狂奔するのは当然なことである。で近い将来に今日本の持っている旅順・大連の租借地の返還と満鉄の回収ということが必ず問題になる。いや近い将来ではない。パリでもワシントンでもすでに支那全権はこれを問題にしたばかりではなく、非公式の会合ではあるが、例の太平洋会議ではいつもこの事が支那側代表によって華々しく論ぜられているのだ。そしてこれが、あからさまに言えば満州における日本の勢力を駆逐してこれにとって代わろうとするアメリカによって支持されているところに、満州問題の重大性が潜んでいるのだ。
福永は日露戦争後の中国とアメリカと日本の関係をこう記している。
自分の国の領土内に起こった災難を自分で払いのけようとする意思もなければ力もない支那が一方にいる。口では「門戸開放」などと言いながら――そして正式の抗議迄も出しておきながら、何らそれに対して責任を執ろうとしないアメリカが片一方にいた。で仕方がなしにすべての責任を双肩に担ってイチかバチかの戦いをやらかすべく立ったのが日本ではなかったか!
(同上書 p.231)
あの時責任を回避して全責任を日本に背負わせておきながら、さて責任を果たした日本が功によってロシアの権利を少しばかり継承して満州に臨むに及んで、トヤカク言い出したり、支那の利権回収に後押しするとは、なんと虫のいいアメリカではあるまいか。
アメリカは、日露戦争で両国が疲弊した後の中国市場を狙っていた。アメリカの魂胆を見抜いていた中国は、アメリカにも利権を与えて投資を誘導した。列強諸国も同様に競って中国に投資したのだが、結局すべてを失うことになった。
戦後になって鄧小平が改革開放路線を推進し、世界の有名企業がこの国に投資をするようになり、わが国も多くの企業が工場進出したのだが、総ての資産をこの国に没収されるリスクについてどの程度考慮されているのだろうか。
以下のリストは、戦前・戦中に出版された福永恭助の著作である。いつものようにGHQに焚書された本はタイトルに*印を付して太字で表記しているのだが、焚書処分されている比率が3割を超えかなり高い。
タイトル *印太字はGHQ焚書 | 著者・編者 | 出版社 | 国立国会図書館URL | 出版年 |
愛国三勇士 | 福永恭助 | 金星堂 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和16 |
*挑むアメリカ | 福永恭助 | 日本評論社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1278779 | 昭和6 |
海のブルドッグ | 福永恭助 | 一元社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和9 |
海鷲の歌 | 福永恭助 | 自動車日本社 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和18 |
*親鷹子鷹 | 福永恭助 | 金星堂 | 不明 | 昭和16 |
*海軍物語 | 福永恭助 | 一元社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464942 | 昭和5 |
*海将荒井郁之助 | 福永恭助 | 森北書院 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和18 |
海戦 | 福永恭助 | 海軍研究社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和8 |
海戦記 | 福永恭助 | アルス | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和17 |
国の護り 新日本少年少女文庫 ; 第4編 | 福永恭助 | 新潮社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460792 | 昭和14 |
*軍艦読本 | 福永恭助 | 一元社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和8 |
*軍艦物語 | 福永恭助 | 一元社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464363 | 昭和9 |
口語辞典 | 福永恭助 岩倉具実 | 口語辞典出版会 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和14 |
国語国字問題 | 福永恭助 | 聚英閣 | デジタル化されているがネット非公開 | 大正15 |
子供のための軍艦の話 | 福永恭助 | 一元社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和7 |
三等水兵マルチン 世界大衆文學全集 第31巻 | タフレール 福永恭助 訳 | 改造社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和4 |
*上海陸戦隊 | 福永恭助 | 第一書房 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和13 |
少年航空兵 : 附・海軍少年航空兵志願者の栞 | 福永恭助 伏見晁 | 新陽社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和11 |
迫る國難 : 小説 | 福永恭助 山中峯太郎 平田晋作 | 新潮社 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和10 |
*潜水艦 | 福永恭助 | アルス | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和16 |
潜水艦読本 新日本児童文庫 9 | 福永恭助 | アルス | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和17 |
*戦ひ | 福永恭助 | 一元社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和7 |
翼の誓ひ. 前篇 | 福永恭助 | 博文館 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和17 |
翼の誓ひ. 後篇 | 福永恭助 | 博文館 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和17 |
南郷少佐 | 福永恭助 | 小学館 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和16 |
南進竜王丸 | 福永恭助 | 童話春秋社 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和16 |
南方挺身隊 | 福永恭助 | 鶴書房 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和17 |
日米戰未來記 :小説 | 福永恭助 | 新潮社 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和9 |
*日本は勝つ | 福永恭助 | 高山書院 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和18 |
*非常時突破軍縮問答 | 福永恭助 | 新潮社 | https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452427 | 昭和10 |
ヘボン式ローマ字論を撃滅する | 福永恭助 | 福永恭助 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和8 |
*僕の兵器学 | 福永恭助 | 三省堂 | 国立国会図書館に蔵書なし あるいはデジタル化未済 | 昭和17 |
ほまれの十字章 | 福永恭助 | 博文館 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和2 |
ローマ字綴り座談会 日本ローマ字会パンフレット, 第7冊 | 福永恭助 | 日本ローマ字會 | デジタル化されているがネット非公開 | 昭和6 |
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