山海関事件
前回の「歴史ノート」で、一九三二年十二月八日の国際連盟総会における松岡洋右の演説とその直後の支那の動きを書いたのだが、一九三三年の正月早々に万里の長城の東端の山海関にある日本憲兵分遣所等に何者かが手榴弾を投じさらに小銃射撃を行った事件が起きた。さらに翌二日には日本軍守備隊が南門で中国軍から突如射撃されたために児玉中尉が戦死し、数人の負傷者が出ている。支那駐屯軍司令官の中村中尉は、同日に張学良に対し警告文を手交し、陸軍は三日にこの事件を国内に発表したのだが、四日の大阪朝日新聞はこの事件の背景について陸軍が次のように発表したことを伝えている。
目下張学良が盛んに兵を熱河省及び山海関附近に進め反満抗日の行動に出でつつあるの状況にかんがみ、支那側官憲が日本の国際的地位を不良ならしめんがため行った計画的挑戦であることが明瞭である。
「神戸大学新聞記事文庫」外交122-3
また満州国政府外交部も同様に三日に張学良に警告電文を発しており、この事件は張学良が国際連盟再開前に満州問題を有利に決着させようとした計画的策謀だとしている。ところが張学良の翌日の回答は、「この事件は日本軍の計画せる所でこれに対する全責任は日本軍の負うべきもの」(『国際知識 第十三巻 第二号』昭和8年刊 p.110)というものであった。また南京政府も一月四日に日本公使に対して、この事件は日本軍の計画によるものとし、事件を起こした兵の処刑などを要求している。
上の画像は一月五日付の神戸新聞だが、一月三日の午後に支那代表の顔恵慶が急遽ジュネーヴに向かい、同日夜連盟事務局に対し山海関事件に関する支那側の報告書を提出したことを報じている。
連盟筋では少からぬ衝動を受けているのはいうまでもなく、今回の事件によってようやく成立の曙光が見えて来た日支事件の和解手続も、最早完全に成立の見込みがなくなるのではないかと非常な不安を示している。但し連盟における各国代表部の首脳者は殆ど全部クリスマスの休暇でゼネヴァを留守にしているので連盟事務局も未だ各国代表部に山海関事件の詳細を報告していない。ただ支那代表顔恵慶のみ三日午後急遽ゼネヴァに帰来し逸早く三日夜連盟事務局に対し山海関事件に関する支那側の報告書を提出した。
「神戸大学新聞記事文庫」外交122-7
要するに支那は満州事変と同様に日本軍による自作自演だとし、南京政府はわが国に回答する一日前に、わざわざジュネーブに行って国際連盟に日本に満州侵略の意図ありと報告した。まともに原因の追究もせず、わが国に回答する前に、真っ先に連盟に報告し、世界に日本が悪いと宣伝したのである。
海外の主要メディアの多くは山海関事件は日本軍の自作自演であったかのように伝えたのだが、こういう宣伝戦にかけてはわが国は支那の足元にも及ばない。
私は陸軍が発表した通り山海関事件は張学良が仕掛けたものと考えるのだが、その理由はいくつかある。
まず第一は国際連盟で日本の命運がかかっている総会決議の前に日本軍がそんなことをしては逆効果になり、わが国にとっては何のメリットもないことは明らかであるということ。第二に既に前年末から支那政府の命を受けて「東北失地回復」のため張学良が一万五千の大軍を熱河に進めていたこと。第三に連盟当局が日支両国を和解させようとする動きがあった中でこの事件が起きていること。また、先ほど述べた通り、わが国の警告文に回答する前に支那代表が事件後すぐにジュネーブに向かい、この事件を国際連盟に報告していること。しかも連盟に対して報告書を書いた人物は、国際連盟の議場で支那代表として演説し、松岡に論破された顧維鈞であること。これだけ挙げれば十分であろう。
上の画像は一月八日付の時事新報だが、張学良は南京政府から満州国進撃を要望されていて、この攻撃で彼は、満州を失ったことで負わされてきた汚名を回復しようとし、南京政府にとっては「連盟会議の再開を前にして日本の好戦的大陸政策を如実に宣伝し、支那側に背きかけた連盟の空気を逆転させようとする」目的があったが、この「田舎芝居」は見事に失敗したと書かれている。当時の日本人の多くは、この事件をそのように認識していたのではないだろうか。
しかしながら、海外の主要国の論調は、主要国で中国によるプロパガンダの影響が出ていた。
一月十一日付の大阪時事新報は山海関事件についての欧米の新聞記事を紹介している。アメリカやドイツはニュヨークタイムス以外は、支那の主張に近いことを書いている。イギリスやフランスは一紙を除き、日本の主張に近いことを書いている。例えばデーリー・メール紙は「山海関における日支両軍の衝突は支那側の挑戦によることが明かで、その原因は学良が日本の警告を無視して国境に増兵したためである」と報じたと記されている。
アメリカによる干渉で流れが変わった
国際連盟総会における対日決議案の内容をいかなるものにするかは、国連の十九ヵ国委員会で検討されていたのだが、委員会で一方的に決めるのではなく、駐日イギリス大使リンドレーが窓口となって我が国との調整が行われていた。ところが当初の案では満州国の存在を認めない内容であり、わが国が満足できる内容ではなかったので、その後もイギリスが中心となって満州問題をなんとか国際連盟で解決しようと協議が続けられていた。しかしアメリカが欧州主要国に満州国を承認するなと圧力をかけたことがきっかけとなって、一気に連盟の空気が変わっていく。
上の画像は一月十八日付の大阪毎日新聞だが、次のように報じられている。
米国国務省はロンドン、パリ、ジュネーヴ等欧洲主要国駐在の米国使節に対し、「日支問題に関する米国の態度を聞くものあらば、米国は日本が武力をもって支那において獲得したものは絶対に不承認の立場を堅持するものなるを明確に答えよ」との意味の訓電を発した。右は最近欧洲で米国の態度が軟化したと伝えられているとの報道に鑑み、従来の不承認主義を強調した…
「神戸大学新聞記事文庫」外交122-61
アメリカが自国の考えを伝えただけと言えばその通りなのだが、この後イギリスは急に態度を硬化させてアメリカの言う通りに動き、他の主要国も同様であった。もちろんアメリカには他の国々に命令する権利などはどこにも存在しないのだが、実際には各国ともアメリカの要望に逆らえなかったと理解するしかない。アメリカからすれば、なかなか言うことを聞かないわが国は生意気だと思われていたのではないか。
アメリカが欧州主要国に圧力をかけて以降、十九ヵ国委員会の大勢は満州国不承認に傾いていった。一月二十四日の大阪毎日新聞は次のように報じている。
二十三日の十九国委員会会議の要点は、満洲事変前の状態復帰も不可能なると同時に満洲国承認も出来ないというリットン報告書の最重要点を採択して委員会の報告中に明記すべしとの主張が大勢を占め、…中略… 総会の勧告案も大体リットン報告第九章の原則でゆくものとみられる。なお二十三日の十九国委員会は日本の連盟脱退をも覚悟していたようである。
「神戸大学新聞記事文庫」外交122-89
リットン報告書第九章の問題となっていた部分は、満州の主権が支那に存在するという点と、満州の秩序維持方法について「外部的侵略に対する安全は憲兵隊以外の一切の武装隊の撤退及び関係国間における不侵略条約の締結」によるとしている点にあった。しかしながら連盟のわが国に対する勧告案は、わが国が絶対容認できないことが分かっていながら、アメリカの意向に沿った内容に変えられていったのである。
満州国の独立は認められず、満州の主権は支那にあり、日本軍は条約の定めた範囲内に撤収することなどを定めた勧告案が準備されていた。支那は今も内乱状態にあり、支那兵には匪賊のように掠奪や凌辱を繰り返すような連中が少なからず存在した。勧告の通りに日本軍が撤収してしまっては、これまでわが国が莫大な投資をして整えたインフラや、企業の資産ならびに居留邦人の生命財産をどうやって守ることが出来ようか。
このような国際連盟加盟国の動きを見て、松岡洋右は大阪朝日新聞の特派員に次のように述べたという。
…今日の連盟は七分通りイギリスの意思で動いており、残り二分がフランスで、小国の勢力は一分位に過ぎないのだ。それを連盟は小国の道具だなどと思ったのは見当違いだった。また小国はその主張に無理からぬところもあり、余はむしろ同情を禁じ得ない。しかし連盟は明かにイギリスの機関として動いていることを直視すべきだ。日本人の多くはこの事実に気がついていないようだ。そのイギリスはまたアメリカの意向に反することは何も出来ない。余の同僚軍人もまたこの点につき同意見を示してくれている。
「神戸大学新聞記事文庫」外交123-175
松岡が「連盟は明らかにイギリスの機関として動いている」、「イギリスはまたアメリカの意向に反することは何も出来ない」と述べていることは重要である。当時のアメリカは国際連盟に加盟していなかったのだが、なぜ加盟していない国が国際連盟を操ることができたのか。その点については最後に考察することにしたい。
国際連盟脱退の閣議決定
さらにアメリカは、わが国に対して様々な圧力をかけて来た。アメリカはこのような内容の勧告が出された場合、わが国が国際連盟を脱退する可能性が極めて高いことはわかっていたのだが、もし脱退すれば金融制裁をかけてわが国に圧力をかけることを検討していたことが新聞に報じられている。
二月二十一日の神戸新聞の記事には次のように報じている。
十九ヶ国委員会が和協手続を放棄し第十五条第四項に基く勧告案を採択した以上、日本が勧告案を拒否する場合乃至勧告を実行しない場合の処置が当然予定されねばならぬわけであり、熱河の匪賊討伐をもって戦争行為と見なす的違いの議論から第十六条による制裁規定の発動を説くものもあるが、事実上日本に対する経済封鎖は国際政局の現実に徴して到底実行不可能であり、その結果は主要金融諸国間にもし日本が依然その満洲政策を変更しない場合には自国市場における日本公債を何らかの方法によって制限し、かくして経済的に日本に圧迫を加えようとの案が討議されているとも伝えられている。
「神戸大学新聞記事文庫」外交124-12
しかし、如何にアメリカから圧力をかけられても、このような勧告案が通過するようなら、わが国は国際連盟を脱退するしかないとの方針を二月二十日の緊急閣議で決定している。
二月二十一日付の大阪朝日新聞に日本政府が松岡代表に対して出した訓令案が出ている。
連盟総会における帝国代表に対する訓令案については
(一)十九国委員会の採択せる勧告案はとうてい帝国政府の受諾し得ざるものであるから、断乎勧告案を拒否すること
(一)総会においては松岡代表をして帝国の反対意思を明かにし投票においても棄権するがごときことなく、堂々反対投票をすること
(一)これにもとづく詳細なる訓令は外相の手許で作成せしめ一両日の閣議に上程すること
などを決定した後、帝国政府の最高政策に関する最後的態度につき慎重協議した結果、連盟総会が最後まで帝国政府の主張を顧みず十九国委員会勧告案そのままこれを採択し何らの誠意を示さざるにおいては、帝国政府としては連盟との関係を絶ち独自の見解において東洋平和維持の責任を果さなくてはならぬ。よってこの場合には連盟より脱退の外なし、というに決意するとともに、松岡代表に発する訓令に関し帝国政府の主張に反し十九国委員会が採択した勧告案は東洋平和と一致しない。したがって連盟総会がこれを採択した場合は将来連盟と行動を共にすることは困難である旨を強調せしむることに決し…
「神戸大学新聞記事文庫」外交124-3
連盟に参加していなかったアメリカとロシアの動き
これまで記してきたように、連盟の議場では松岡が支那代表を圧倒し、連盟は解決案を突き付けるのではなく、日支両国間で交渉させ和解に導こうとする流れが出来たのだが、それを打ち砕いたのがアメリカであった。アメリカが日本を叩いたの真の目的はどこにあったのか、そのヒントになりそうな記事が大阪毎日新聞の記事に出ている。
わが国対連盟関係の悪化を契機とし支那の対日経済ボイコットは果然悪化して、対支貿易はもっとも危険と見られた天津方面をはじめ青島、上海、漢口、広東の新規取引は一両日前から急に手控えられたが、その原因につき某所入電によると、国際連盟で各国がボイコットを正当の愛国運動と認定し、さらに連盟外の米露の在支商人が日本品に代って自国商品市場を獲得しようと支那各地で排日団を暗々裏に煽動しているので、裏面に列国を控えるだけに日支貿易は愈々危機に瀕するであろうといわれている。
これにつき某有力貿易業者は語る。「支那の本邦品不買は予想通りいよいよ火の手をあげて来たが、これは英米諸国が日本に経済封鎖を断行しようとしても実際に効果をおさめようとするには実力を要し、もし実行すれば世界戦争となるおそれがある。また経済封鎖は日本を苦しめるだけでなく、自国の棉花、羊毛等の市場を喪失するため少なからず打撃を受けるので、これを回避して日本を苦しめるとともに自国の市場を獲得しようとする一石二鳥式の露骨な手段である。
「神戸大学新聞記事文庫」日中貿易a補-13
日本を叩くためにわが国に経済封鎖を仕掛けた場合は、対日貿易で稼いでいた日本の市場をも失うことになる。しかし支那市場における日本を叩けば、日本が開拓して来た支那市場をごっそり奪取することが可能になる。支那の排日勢力を操り日本の支那市場を荒らしていたのは米露の支那商人だということは在り得ることだと思う。
「神戸大学新聞記事文庫」で「ユダヤ」を含む記事を検索すると五百四十三件の記事がヒットし、一九三三年が最も多く八十二件の記事がヒットする。二月二十三日の国民新聞はユダヤ人と国際連盟との関係について述べており、国際連盟関係者の中に、ユダヤ人秘密結社フリー・メーソンの会員が多いことを指摘している。
連盟内に公然とメンバーとして列席しているものと認められる者には、事務総長ドラモンド氏をはじめ事務次長アブール氏、チェッコ代表ベネシュ、スペイン代表マダリヤガ情報部長コムメン、支那代表ウェリントン、顧氏等で、連盟外では支那衛生顧問ライヒマン、リットン調査団書記長ハース等で、この人達はフリー・メーソンの指令の下に連盟内外で盛んに暗躍し、事毎に支那を助け日本に対抗した…
「神戸大学新聞記事文庫」人種問題2-74
この記事によると、国際連盟は創設の当初からユダヤ人が関与しており、連盟の事務局や参加国のメンバーには多くのフリー・メーソンがいた。Wikipediaに主なフリーメーソンのメンバーが示されているが、第二次世界大戦に関わった重要人物として、アメリカの三十二代大統領フランクリン・ルーズヴェルトも、国務長官のコーデル・ハルも、占領期に日本を支配したGHQの最高司令官のダグラス・マッカーサーも、後にイギリス首相となったウィンストン・チャーチルもフリーメーソンであった。
彼らのフリー・メーソンのメンバーとしての活動は各国の公文書には残らないので確たる証拠を提示することは困難だが、各国の国益よりもユダヤ国際資本の稼ぎに繋がる方向に世界が導かれ第二次世界大戦に突入した背景には、組織からの何らかの指令があった可能性を疑いたくなるところである。彼らにとっては真面目にかつ誠実に着々と市場を開拓していく日本人は邪魔な存在であり、それが故にわが国は叩かれて世界大戦に巻き込まれた可能性を考えるのだが、戦後復興して経済復興を果たした今のわが国も、彼等にとっては邪魔な存在ではないだろうか。
次回は、わが国が国際連盟総会で対日勧告案が可決されたのち連盟脱退を表明した松岡の最後の演説について書くこととしたい。
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