日本人が虐殺された重大事件が戦後の日本人に知らされない理由
前回の記事で、一九三八年にアメリカ人ジャーナリストのフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズが著した”Behind the News in China” (邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』)という本の中から、中国が「排日」に至った背景から「通州事件」に至る部分を紹介した
この「通州事件」は誰が考えても重大事件であり、当時の新聞や雑誌などで大きく報道され、中国人に虐殺された日本人の名前もすべてわかっているのだが、教科書や通史にこの事件が記述されることはなく、テレビや新聞などで解説されることは皆無であると言って良い。
なぜこのような重要な史実が戦後の日本人に知らされないのかと、誰でも疑問に思うだろう。
このブログで何度も書いているのだが、いつの時代もどこの国でも、歴史は勝者が書き換えてきた。歴史とは単なる史実の叙述でなく、勝者にとって都合よく書き換えられ、時には史実がねじ曲げられて叙述されたものに過ぎない。そしてわが国の日本史教科書などに書かれている近現代史は「戦勝国にとって都合の良い歴史」と考えて良い。
「通州事件」のほかにも、日本人が虐殺された重要事件が多数存在するのだが、このような事件が戦後の日本人にほとんど伝えられていないのは、このような「戦勝国にとっては都合の悪い真実」が広く知られるようになると、戦勝国にとって都合の良い「日本だけが悪かったとする歴史観」が日本人に通用しなくなってしまうからなのだろう。
第二次上海事変の実態
戦後封印された史実はこの時代の中国に関するものが結構多い。そしてほとんどの事件に共産主義勢力や他国勢力が絡んでいるのだ。そのことを理解していただくために、一般的な歴史教科書とウィリアムズの本を少し読み比べてみよう。
手もとにある『もう一度読む山川の日本史』には、日中戦争についてこう記している。
一九三七(昭和十二)年七月七~八日、北京郊外で日本軍と中国軍の武力衝突がおこった(盧溝橋事件)。つづいて上海でも日中両軍が衝突し、戦火は中国中部にもひろがった。日本がつぎつぎに大軍をおくって戦線を拡大したのに対し、中国側は国民党と共産党が協力して抗日民族統一戦線を結成し(第2次国共合作)、日本に抵抗した。こうして事変は宣戦布告がないままに、本格的な日中戦争に突入した。
『もう一度読む山川の日本史』p.301
このような事実の羅列だけのつまらない記述に学生時代は閉口しながら、テストのためにいやいや丸暗記した記憶があるのだが、この文章を普通に読めば、ほとんどの人は日本軍が一方的に大軍を送って中国を侵略し、中国は国民党と共産党が協力して日本軍と戦った解釈するだろう。しかしよく調べてみると、事実はそんな単純なものではなかった。
盧溝橋事件の部分は省略して、一九三七年(昭和十二年)八月から始まる上海での日中両軍の衝突(第二次上海事変)の部分を、『中国の戦争宣伝の内幕』ではどう描かれているのか紹介しよう。
同書によると、蒋介石にはドイツの軍事顧問団がついていて、その顧問団が蒋介石に対して、日本に対しては単独では勝てないので外国に干渉させるように仕向けることをアドバイスし、さらに日本に干渉させる国はアメリカが最適で、日本が世界の侵略を企んでいるとの情報を流せば、アメリカは「世界から民主主義を救え」との理由で動き出すとの考えを述べたという。
そこで蒋介石はどういう行動をとったのか。同書にはこう記されている。
蒋介石はドイツ軍事顧問たちから干渉を引き起こすよう耳にささやかれて、上海に着目した。そこには国際租界*があった。外国人がいて、外国の銀行があって、会社があって、外国人住宅があった。ここで事を起こせばもっと簡単ではないのか? 町は日本人の避難者でごった返していた。日本の水兵と陸戦隊は彼らを乗船させ、国外に出そうとして忙しかった。上海での戦いは結果として日本人を外国人区域に閉じ込め、そして外国人が殺害されることは、外国の干渉と日本に対抗する強力な同盟形成を意味することになる。
『中国の戦争宣伝の内幕』p.41
*租界:清朝末期から第二次大戦末期まで中国にあった、治外法権の外国人居留地
ドイツ軍事顧問たちはこの蒋介石の案に賛成し、戦いを長引かせず、「一撃して去る」ことをアドバイスしたという。
蒋介石は上海の混雑した地域に、十万を超える部下を集めて軍服を着せずに苦力のような格好で潜り込ませた。当時上海にいた日本の水兵と陸戦隊はわずかに二千名であったという。
圧倒的な数的有利な状態で、蒋介石軍は攻撃を開始する。攻撃を仕掛けたのは蒋介石軍なのだ。
戦いは始まった。しかし、最初の銃撃が始まる前に、モスクワとヨーロッパのプロパガンダ機関、中国の報道機関が動き始めていた。
世界では、統一されて目覚めた中国が侵略者に直面しているのだと報道されていた。…中略…戦いは(日本軍が)圧倒的な不利にもかかわらず、血の1週間を持ちこたえた。しかしながら世界の新聞は日本を罵り、嘲った。特にアメリカが率先していた。と同時にある外国の国々は日本の没落を熱望しつつ、中国軍に援助と武器の供給を始めたのだ。貿易においては日本はライバルであるからである。…
同上書p.43~44
日本軍は圧倒的な数的不利の状況を良く持ちこたえたのだ。蒋介石はドイツ顧問団がすぐに撤退させよとのアドバイスを無視して、アメリカを巻き込むために、多くの犠牲者を出しながら戦いを続けることになる。
干渉をもたらそうとする絶望的な努力が続けられていた。中国は何度も何度も日本軍の砲火を国際租界に命中させようと企んでいた。最初の頃だが、中国軍機がキャセイホテルやパレスホテルに爆弾を投下さえした。中国人が何百人も死んだ。…中略…
共産主義のプロパガンダを吹き込まれている世界の新聞は、大喜びで戦いが始まったことをわめきたてた。中国兵を上海から追い立てることに日本が失敗することを予告し、…中国に密かにエールを送ったわけだ。…中略….
その後は毎日毎日、日本は蒋介石軍の精鋭を倒していった。南京のドイツ顧問たちは蔣介石に会いに行き…上海から退去してくれと懇願した。…蒋は叫んで言った。「世界の前で私は面子を失うだろう。外国の驚くべき宣伝を見たまえ。そうはできない。干渉させるチャンスなのだ」
しかし、ドイツ顧問団にとっては何年もかけて蒋介石のために作り上げた軍隊が消耗し、消滅の危機にあった。報道など気にしていられなかったのだ。アメリカ人よ、自国の新聞をよく読んでもらいたい。新しい統一された中国が日本と戦っていると書かれている。しかし実際の問題としては、蒋介石は「面子」を保つために彼の部下を犠牲にしていたのだ。そして中国にいる人々はほぼ一致して(特に上海では)軍閥のボスが上海から出て行き、平和を取り戻させてくれと神に祈っていたのだ。
同上書p.44~46
日本軍を挑発して国際租界地に砲撃させるために蒋介石は多くの部下を失い、中国人苦力の住む建物から銃を構えて多くの苦力を生贄にしたが、日本軍は蒋介石の攻撃の意図を理解し、他国から干渉される原因となるような行動はとらなかったのだ。
そのことは同書だけでなく、アメリカの新聞報道にも同様の事が書かれているようだ。Wikipediaにはこう記されている。
一九三七年八月三十日付のニューヨークタイムスでは一連の事件について「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」と上海特派員によって報じた。…中略…
またニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙は九月十六日に「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じた。
蔣介石の宣伝戦と日本の対応
その後蒋介石はプロパガンダを強化して世界に訴えるようになっていく。欧米から物資や兵器の支援をつなぎ止めるためにはそれが必要だったのだが、宣伝の使い方は極めて巧妙で、わが国とは較べものにならなかった。
総統と軍閥の軍隊が日本の打撃に落ちこぼれ始めると、蒋介石は宣伝力を強化した。これはモスクワとあるヨーロッパの国々と結びついた。あらゆる退却が戦略の転換に、あらゆる敗北が英雄的な行為へと変えられた。後には嘘だと証明されるのだが、勝利の物語を新聞に載せさせた。同時に日本の本当の勝利の価値を貶めて差引きゼロにさせようとした。…中略…
これらは、すべて外国の騙されやすい人々に鵜呑みにされたのである。…中略…プロパガンダ機械によって世界中に蔓延した物語がその耳に吹き込まれ、多くの国の紙面に『中国は勝っている』という見出しが躍っていたのである。…中略…
中国の勝利という物語が幾つも合わさってくると、一方では日本人は狂った野蛮人だということに照明を当て、キャセイホテル爆撃のような流血を巧妙に隠すことをおっ始めた。
同上書 p.48~49
この第二次上海事変で上海は陥落したのだが、この戦いで日本側の犠牲者も大きかった。調べると戦死者は九千百十五名、戦傷者は三万千二百五十七名だ。
さらに日本軍の掃討作戦で蒋介石軍の南方拠点である宿縣も陥落しようとしていた。あまりに早く宿縣が陥落しては欧米からの支援を得るのに不利となるので、ここで蒋介石はさらに大きな芝居を打つ。日本に飛行機を一機だけ飛ばして空襲を試みたのだ。しかし爆弾を搭載すると飛行高度が下がるので日本軍機に確実に撃墜されてしまう。そこで爆弾を積まずに高々度を飛行し九州南部の山の上から日本国民に向けた反戦パンフレットをばら撒いてすぐに引き返したのである。
蒋介石の宣伝班は世界に向けて六機 (本当は一機) の爆弾を持った飛行機が日本に深く潜入して日本軍を驚かせたとのニュースを発信し、それをアメリカの新聞は「中国軍機が日本を空襲」と報道したという。
さらに蒋介石夫人の宋美齢は外国人特派員を前に日本空襲の際に爆弾を落とさずにパンフレットを撒いたかの理由を語るのである。同書にはこう解説されている。
彼女は世界にその理由を語ったのだ。彼女は会議の結果、日本空襲を優先する数名の将軍たちは勧告だけでなく強硬に日本の都市爆撃を主張したと思われると打ち明けた。彼女はクリスチャンで、そのバイブルを夫はいつも持ち歩いている。夫は立ち上がり、バイブルに手を置いて情感を込めて宣言した。
『こういうことはキリスト教的ではない。我々は世界に中国が人道的であることを示さなければならない。日本の野蛮人と同じことをしてはならない。つまり罪のない女子供の上に死の雨を降らせてはならない。』…中略…
ここに町や村を敵によって空から爆撃されているだけでなく、自国の飛行機が敵国を空襲できる時でも、彼らと同じ行為を拒否する侵略された国の国民の統治者がいた。蒋介石夫人に味方する小利口な新聞どもは大きな同情の波を作り、宿縣の敗北と夫の軍の逃走をひた隠しにして、落ち込んだ穴の中から拾い上げ、別口で生涯の信用を与えたのである。
同上書 p.61-62
宋美齢は明らかに嘘を述べたのであるが、このスピーチで蒋介石は世界のシンパシーを獲得することに成功してしまったのだ。このように蒋介石も宋美齢もとんでもない嘘を世界にばらまいたのだが、日中戦争については彼らの作り話がそのまま正しい歴史として叙述されることが少なくないのだ。
宣伝でアメリカを味方につけた蒋介石・宋美齢
つくづく思うのだが、日本人は昔も今も、このような明らかな嘘に対する対応が甘くないだろうか。 「相手を刺戟しない」とか、「真実は歴史が証明する」として相手が垂れ流す嘘にキチンと反論しない姿勢は、何も知らない国からすれば「日本が反論しないのならば、中国の方が正しいのではないか」と解釈されても仕方がないではないか。
尖閣領土問題にせよ、従軍慰安婦問題にせよ、反論すべき時にしっかりと対応しなかったことが往々にして問題を複雑にしてしまっている。
日本人は嫌なことをすぐに忘れようとするだが、相手の国はわが国が何も反論しないことをいいことに、自国民に嘘の歴史を教え込む教育を開始し洗脳してしまっているのだ。しかるべき時に相手に言うべきことを言わずに問題を先送りすることが、さらに大きな災いを生む原因となりうることを知るべきである。
『中国の戦争宣伝の内幕』の文章に戻ろう。著者は宋美齢のスピーチがプロパガンダであることを当然理解している。
私が中国、その恐ろしい戦場、骨と皮ばかりの町や村から帰ってきたとき、私は心に残る別の画像を消し去ることができなかった。金持ちの政治家と軍閥とそのずる賢い妻、片手で麻薬中毒患者を殺害しながら片手で同胞に麻薬を売っている将軍、立派なスピーチをして国民の改善を約束しながら、その軍隊を維持するために貧弱な稼ぎの中から貢物を取り立てて人々を飢え死にさせ、彼の家族と取り巻きは豪華な宮殿に住んでいる一人の軍閥の画像を。
同上書 p.63
フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズは母国のアメリカ人に、中国の発表を信じることの危険性をこの著書で訴えようとしたのだが、アメリカの反日の流れは止まらなかった。
ところで、この第二次上海事変の時に上海にいて、日本人捕虜と日本人に協力して逮捕された上海住民に対して行われた中国人兵士による残虐な処刑の一部始終を画像に収めた人物がいる。スイス人写真家トム・シメンは、生前にこの写真を息子のジョン・シメンに将来公開するように伝えていた。次のURLで写真の一部(残虐映像を含む)を見ることができる。
ここで最初に紹介した『もう一度読む山川の日本史』の記述をもう一度読んでみてほしい。そして日本人の多くがこの時期に虐殺された事件が幾つもあることを知ってほしい。
そして、このブログで何度か紹介した「神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ」の「新聞記事文庫簡易検索」機能を用いて、当時の新聞が何を書いているかを読んで、当時の空気を感じ取ってほしいと思う。このサイトで検索キーワードに「虐殺」と入れるだけで、経済記事が中心であるにもかかわらず三百九十三件もヒットするという異常さに気が付いて欲しい。そして誰が、どの組織が、どの国が虐殺行為を行っていたかを記事から読み取って欲しい。中国、ソ連などの共産主義につながる勢力が恐ろしい活動をしていたことが誰でもわかるだろう。
当時の新聞を普通に読んで、史実を追いながらこの時代の「空気」に触れると、ほとんどの人は戦争の責任が日本にあるとは思わないと思うし、わが国が侵略国だと呼ばれることに疑問を感じることになるだろう。
もちろん当時の新聞やウィリアムズの記述には、それなりのバイアスがかかっていることだろう。その点を割り引いて考えても、現在使われている教科書などに書かれている歴史は、中国やロシアや共産主義者の立場からは極めて都合のいい叙述になっていることについては理解して頂けると思う。
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