一面抵抗、一面交渉
前回の歴史ノートで満州事件のきっかけとなった柳条湖事件が起きるまでの支那の排日運動がいかなるものであったかについて述べて来たのだが、満州事変以降は支那の排日運動が大きく変化することになる。
長野朗は支那の民族運動を三期に分けており、第一期は五四運動が起きた一九一九年から一九三一年に満州事変が起きるまで、第二期は満州事変以降から一九三五年の年末まで、第三期は一九三五年末から一九三七年の支那事変の勃発迄としている。『民族問題概説』で長野は第二期について以下のように述べている。
昭和六年の満州事変から昭和十年末の北支問題が起きるまでの期間は第二期で、この期間には一面抵抗、一面交渉と称し、未だ武力で抵抗できないので、ここに時間の余裕を得る必要があり、そのために案出されたのが一面抵抗、一面交渉である。この期間に於いては、一方では依然として徹底したボイコットをやり、その期間は数年間も続き、方法は峻烈を極めた。しかも一方では日本と交渉を続けて時間の引き延ばしをやっている。また彼らは満州を撤退して日本軍の占領地域を大にし、なるべく期間を長くし、地域と時間による持久戦を講ずるとともに、一方では戦備を整え、蒋介石は共産軍討伐を口実に中央軍の整備を行い、武器弾薬を準備した。またこの間に腹心の禍である共産軍を討伐し、内部の結束を堅むべく共産軍の大討伐を敢行し、昭和九年の秋に至り、その本拠江西を陥れて西北の一隅に押し込めた。また国際的に日本を孤立せしめるため、ソ連を通じ、英米と結び、日本の国際的包囲を企てた。
長野朗『民族問題概説』小学館 昭和16年 p.184~185
第二期における支那の対日方針は「一面抵抗、一面交渉」だと書いているが、要するに武力では日本に対抗できないので、戦備を整えるまでの間は、ボイコット(日貨排斥)を行い、日本から抗議を受ければ交渉に応じては時間を稼ぎ、一方でソ連や英米に接近して、最終的に日本を孤立させ消耗させていく戦略であったという。
上の画像は柳条湖事件からまだ日も浅い、昭和六年十月一日の大阪朝日新聞の記事だが、今までになく日貨排斥が徹底されるようになり、日本商人が大きな打撃を受けていることを報じている。
【上海特電三十日発】反日会が抗日救国会となり、上海市商会とともに中心となって改めて起って来た排日貨運動は極めて底力の強いもので、徹底的なことは未曾有のことといわれ、金融、綿業、貿易、海運各方面に大小洩らさず行き渡り、経済絶交はある意味で実現しつつあり、事態はますます悪化の傾向にある。最も早く打撃を受けたのは海運界であるが、次いでは綿業界特に加工綿布類で、約六十五万円の在貨は受渡し不能のため非常な損失が予想されている。一般貿易もこの状態が二ヶ月も続けば、大商社はとも角中流以下の商人は破産に瀕するもの続出する懼がある。それよりも上海以外の長江一帯の邦人商人の生計上の打撃は最も悲観されている。
「神戸大学新聞記事文庫」外交99-79
もう少し詳しい内容が十月四日の中外商業新報に出ている。
大きな活字を読むだけでだいたいのことが分かるが、上海では排日貨運動が激烈で、支那商人は日本船に商品を積み込まず、日本船が到着しても貨物の荷揚げが拒絶されるなど海運会社の打撃は大きかったようだ。また上海の銀行は日本人の預金払い戻しに応じないなどの問題が生じていたという。これでは日本企業に勤める従業員への賃金支払いなどに支障が出ることになる可能性を示唆しているほか、日本産の砂糖が契約通りの受渡しが不能になっていることや、支那商人がジャバ産の砂糖に乗り換える動きがあることを伝えている。
日本政府も、八日に臨時閣議を開き、支那に対する抗議文を取りまとめている。
この抗議全文が十月九日の大阪毎日新聞に掲載されている。
一、南支における排日貨事実を挙示して、右の事実は通商条約違反たるにとどまらず、帝国として現に通商関係の存続する以上は断じて黙過すべからざる事実たるを指摘せること
一、支那側が排日運動の発生を満洲事変と結びつけ排日貨運動をもって満洲事変の報復たるかの如き口吻を示しておるに対し、満洲事変の発生は全然支那側の不法行為にもとづくもので、したがって非違は全然支那側に存すること
一、要するに排日運動の取締ならびにこれに伴う在留邦人の生命財産保護の責任は、全部南京政府が負うべきものであると帝国政府の適正なる立場を力強く表明すること
「神戸大学新聞記事文庫」外交99-186
この抗議文が重光駐支公使に訓電が発せられたのは十月八日の午後のことだが、同じ頃に錦州上空を偵察していた日本軍の飛行機に向かって支那軍が一斉射撃を浴びせてきたので、日本軍が錦州城壁外に爆弾を投下した事件(錦州事件)が起きている。
以前このブログで、満州事変勃発後直ちに支那は、満鉄を爆破したのは日本であるとの宣伝戦を開始したのだが、国際連盟は支那のために積極的な手段を取らぬことを決議し、英米も支那が期待したようには動かなかったことを書いた。ところが、この錦州事件を機に支那は再び国際連盟理事会の再招集を要求し、さらに国際連盟の総会で満州国不承認の決議を行うべく小国を巻き込んだ多数派工作に動き出した。そして国際連盟総会では支那の要望通りの案が決議されてわが国は国際連盟脱退をやむなく決断するに至るのだが、この点は依然詳しく書いたので繰り返さない。
支那排日を推進した勢力は?
支那の排日貨運動は、言い方を変えると、支那商人が輸入契約をした日本商品の受け取りをせず、契約上の支払い義務を果たさず、宙に浮いた商品がどうなろうと支那は責任を負わないということである。そのために日本商人は大損害を受けたのだが、問題はそれだけではない。満州事変の支那敗残兵が各地で略奪や暴行事件を起こしていたのだが、支那官憲は相変わらず取締りを行わず、支那政府もかかる事態の改善をはかる姿勢がなかった。
このような排日貨運動でいったい誰が得をすることになるのだろうか。わが国の商品を取扱っていた支那の業者は商品の調達先を変えるしかなかったのだが、当時は世界的な不景気状態にあり世界の企業が新規市場開拓に動いていて英米がこのチャンスを逃すはずがなかった。当時の新聞を読むと、支那の排日の裏に、この頃にも背後に英米がいたことを匂わせる記事が結構出ている。
十一月五日付の大阪朝日新聞によると、前年から各国の有力な視察団が支那を訪れていたという。記事には次のように記されている。
各国が世界的不景気による生産過剰の捌け口を、一斉に支那市場に向け出したことを示すものであるが、なかんずくイギリスのあの業々しい遺り口は一体何を物語っているか。…中略…
満洲事変に端を発する支那の全国的排日貨が始まった。イギリス公使の支那における策動、イギリス代表の国際連盟における対応、事毎に吾れに非であったのも、その真意の那辺に存したかを深く穿鑿するには及ばぬようである。…中略…
この状態が続けばイギリス品の殺到は蓋し必至の勢いである。そしてその結果が何であろうかは余りにも明瞭な事柄ではないか。
「神戸大学新聞記事文庫」日中貿易5-119
イギリスは第一次世界大戦の前は支那における外国貿易の17%を占めていたのだが、戦争中にシェアをわが国とアメリカに奪われて、一九二九年には9.5%にまでシェアを落としていたので、支那市場の奪回に必死であったというのである。
十一月十五日から大阪毎日新聞で連載された「英国の計画的支那市場奪回策」という特集記事の冒頭には、次のように記されている。
支那における排日運動が激化するにつれて、その背後にイギリスの影が濃くなって来た。この間昇格したばかりのわが重光公使の名は、昨今の新聞紙上にも、あまり現れて来ないのに、今度の日支問題には、全然局外者であるべき、イギリス公使ランブスンの名が、あまりにも繁く出現する。…中略…
一、ランブスン氏が南京において頻繁に往来せる実業部長孔祥熙は、南京政府に対し英国より輸入される新聞用紙および綿布類数種に対する関税免除を要求し、近く政治会議を通過のはずである。即ち今までこれ等の品物は、全部日本より輸入されていたものであるが、日本品を廃して英国品をこれに代えんとするものである。
二、同じく実業部長よりの提案によれば、支那は英国に対する団匪賠償金の一部を担保として、英国より紡績機械五千台、染物工場二ケ所、人造絹糸百六十万元、新聞紙工場の設立を計画しすでに殆ど中央政治会議の決定を見た。これも勿論ランブスン氏の計画に基くものであると。
「神戸大学新聞記事文庫」中国12-75
支那駐在のイギリス公使であったマイルズ・ランプソンが、日本品の代わりに英国品を入れるように率先して動いていたことが明確に書かれているのだが、以前このブログでも書いたように、このランプソン公使が張学良を支援し、通信社を動かして日本の悪宣伝を世界に発信したことが当時の東京朝日新聞に報道されている。
支那排日の我が国の損害
十一月十七日付の中外商業日報によると、
澎湃として南支一帯を蔽いつつある排日排貨の影響は既に各方面に顕著にあらわれ、我国の対支貿易激減の反面に英、米、独その他各国商品の進出めざましきものあり。
一、大水害による奥地購買力の減退
二、日貨の荷動き停止による金融の梗塞
三、排日停止の際支那及び外国商人の蒙る損害の懸念等の事情からいまだ全商品にわたる永続的脅威とまではなってはいないが、しかもなおわが貿易の蒙りつつある実害の程度は既に総額二億円以上といわれ(商務官の推定)、商品によっては根本的の脅威をうけ既得市場を根柢から覆滅されたものである。
「神戸大学新聞記事文庫」市場6-171
「商務官の推定」とあるので正式な統計値ではないのだが、わが国の貿易の損失額は満州事変からわずか二ヶ月で二億円程度に達しているのではないかと言われていたという。当時の二億円は現在価値にして四千億円を優に超える水準である。
当時イギリスほど露骨な行動はとらなかったが、支那による日貨排斥により、日本品に代わって欧米商品が取り扱われるようになり、特にアメリカは綿花や木材などで大幅に取扱量を増加させたようだ。これらの記事が出た時期は、国際連盟総会で松岡洋右が満州問題について日本の立場を主張していた時期であるのだが、松岡の尽力により連盟総会の空気が一反は妥協に傾きつつあるのを一変させたのはランプソン英国公使の行動が大きく、当時の新聞が書いているように彼はアメリカ、フランスなど欧米諸国および国際連盟にも盛んに出入りして、日本の支那における市場奪取を画策していたと考えられる。
このような支那におけるイギリスの情報工作は戦前には多くの日本人に知られていた史実なのだが、戦後の歴史叙述の中でこの問題が採り上げられることはない。これでは、支那排日の問題やわが国が国際連盟脱退に追い込まれたことを正しく理解することは困難だ。
上の画像は十一月二十一日の大阪毎日新聞だが、支那に進出した日本企業の悲惨さを伝えている。
銃砲声とどろく北満の戦線の優勢に引かえ上海を中心とする南支一帯の経済戦線において、われらは今まさに総退却の危機に直面している。投資総額五億三千万ドル在留邦人三万余。過去数十年間何等の特異的背景なく、英米諸国の進出に伍して粒々辛苦築き上げたわれらの経済的地盤は、執拗あくなき彼等支那側の対日経済絶交によって今や根柢から覆えされようとするのだ。
長江*一帯では邦人の居住すら危険だ。軍艦数隻と陸戦隊一千余名の保護下にある上海においてすら邦人は頻々として暴徒の襲撃を受け、街路には排日ポスターの波!最近まで月額八百万円以上だった日本品輸入額はついにその四分の一、わずか二百万円に蹴落された。軍服ようの制服姿憎々しく、官憲を尻目に横行の抗日会日貨検査隊はすでに綿布、機械、金物など合計六千万ドルの日本品を差し押え、日本人経営工場のうち彼らの脅迫監視のため操業不能の陥ったもの六十余件、会社商店の取引も彼等に門前を鎖されて殆ど杜絶。一般金融界は名状すべからざる危機に臨み、銭荘**の閉鎖せるもの二十余件。支那側銀行は今年末一斉にモラトリアム実施の外なきに至るであろうとの噂しきりで、外国銀行側では極度に警戒を初めた。
*長江:揚子江 **銭荘:中国の旧式の金融機関
「神戸大学新聞記事文庫」外交103-75
この国は排日教育で洗脳された人民を武器同様に使っていたのだが、今後同様なことが行われる可能性は決して小さくないだろう。九月に深圳で日本人学校に通う男児が刺殺されたが、過激な反日教育が続いている以上、同様なことはこれからも起きると思う。中国に進出している企業は、早めに中国から撤退するとか家族を帰国させるなどの対策を打つことが必要だ。反日思想に凝り固まった人民は、新聞やテレビで煽れば容易に暴徒化し日本人や日本企業を襲う可能性が高く、戦前の同胞は支那でさんざん苦労して来たことが、戦後はほとんど伝えられていないのだ。
満州やチベットやウイグルの歴史を学ぶと、中国はまず大量の漢人を移民として送り込み、人口の大多数を漢人で占めるようになると武力を用いてこれらの国々を中国が支配するようになっていったことがわかるのだが、このような歴史がテレビや新聞で報じられることはほとんどないといって良い。未だに世界侵略を続けている中国にとっては、移民は侵略の為の尖兵であり武器のような存在ではないだろうか。
自公政権は実質的に移民政策を推進してきたのだが、野放図にこのような国の移民を受け入れ続けては、いずれ国を奪われることになると考えている。
日本文化が好きで日本語を覚えて日本でまじめに働きたいという移民なら大歓迎したいところだが、移民を侵略の為の尖兵あるいは武器として送り込むことがありうる国に対しては何らかの対策があってしかるべきなのだが、今の政権ではそのような問題認識すら持ち合わせていないのではないか。
今のペースで中国人移民が増え続けて、特定地域にある程度集中することを許してしまうと、その地域から彼らの支配地を拡大していくことになるだろう。ある地域から日本人を追い出すことは非常に簡単で、反日暴動を繰り返すことで日本人は安全な場所を求めて自主的に他の地域に移っていく。
それからどのようなことが起こりうるかは、読者の皆さんの想像にお任せすることといたしたい。
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