蒋介石が日本軍と上海で戦いたかった理由~~第二次上海事件

支那事変(日中戦争)

 前回の歴史ノートで、一九三七年七月七日の盧溝橋事件からわずか三週間の間に多くの日本人が虐殺されたことを書いた。とりわけ七月二十九日の通州事件では通州の在留日本人・朝鮮人三百八十人のうち二百六十名が惨殺されたのだが、このような大事件に世界がどのように反応したのかが気になるところである。

通州事件の残虐さを世界は知らない

 以前このブログで、フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズが著した”Behind the News in China” (邦訳『中国の戦争宣伝の内幕』)という本の内容を紹介したことがあるが、この本には通州事件で大量の日本人が虐殺されたにもかかわらず、日本に居住していた中国人が平穏に暮らしていたことや、このような重大事件について世界はほとんど知らされていなかったことが記されている。

 (通州事件)の後も、日本帝国に住む六万人の中国人は平和に生活していた。彼らの生命や財産は、日本人たちと渾然一体となった友好的な社会関係の中で守られていた。私は横浜のチャイナタウンを歩いたことがある。他の町でも遊んでいる中国人の子供を見つけた。危険や恐怖など何も知らない表情だった。
 かたや中国では、かの国人が暴徒と化して、日本人の子供を好きなように捕まえていたのである。東洋的微笑の中で我々のように暮らし旅した者は、「日本人の残忍さと非人間性、それに較べて貧しき中国人の平和な人間性とはいかにちがうものか」と聞くことがある。通州で無辜の日本人たちを虐殺したまさしくその中国兵たちが、捕虜になったときは日本人によって給養され、「罪を憎んで人を憎まず」のサムライ精神によって、「もうああいうことはしてはいけない。さあ行け。」と説かれていたのである。日本軍の将官は虐殺の罪を無知な兵隊に帰するのではなく、南京の軍閥やモスクワ、無知な耳に叩き込まれた反日宣伝のせいだとしたのである。
 世界はこれらの非道行為を知らない。もし他の国でこういうことが起きれば、そのニュースは世界中に広まって、その恐ろしさに縮み上がるだろう。そして殺された人々の国は直ちに行動を起こすだろう。
 しかし日本人は宣伝が下手である。商業や戦争において、西洋諸国のような方法を取ることに熟達していたとしても、日本人は自らの敵が世界で最強のプロパガンダ勢力であることにもかかわらず、宣伝を無視するだろう。
 中国にいる外国人には驚きとしか思えないのだが、日本はすぐに動かない彼らは共産主義者によって虐殺が遂行されたことがわかっていた。また西洋諸国が日本を世界貿易市場から締め出した以上、北支との間でビジネスをしなければならないことが分かっていた。率直に言って、中国と戦争をしたくはなかったのである
フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ『中国の戦争宣伝の内幕』芙蓉書房出版 p.35~36

 他国であれば全世界に中国の非道を訴えたであろうが、わが国がそのような対応をしなかったようだ。もしわが国がこの時中国の非道を世界に強く訴えていたら、中国が世界の非難を受けて大きく信用を失墜し、その後の歴史が全く異なる方向に進んでもおかしくなかったと思うのだが、なぜわが国は世界に向けて真実を強く発信しなかったのか。
「罪を憎んで人を憎まず」という日本人の考え方によるものかもしれないが、私は主たる理由は財界にあったと考えている。
 わが国の財界はこれまで中国に巨額の投資をし、長い期間をかけて現地人の信頼を得て市場を開拓してきた経緯にある。この中国の商圏はわが国経済にとって極めて重要であり、財界としては中国との関係が悪化するようなことは何としても避けたかったことが考えられる。この財界からの意向を受けて、政治家も中国を強く批難することができなかったのであろうが、この問題は今のわが国にも通じる話で、政府が国益よりも財界の利益を優先するようではまともな外交交渉ができるはずがない。わが国の権益を犯すような大きな事案があっても、外務大臣が電話で遺憾の意を伝えるレベルでは、どんどん相手国のわが国対する嫌がらせがエスカレートしていくだけではないか。

ドイツの軍事顧問団が蒋介石に進言したこと

蒋介石

 教科書などにはおそらく書かれていないと思うのだが、蒋介石にはドイツの軍事顧問団がついていて、彼らは蒋介石に対して、日本に対しては単独では勝てないので外国に干渉させるように仕向けることをアドバイスしていたことが前掲書に記されている。
 ウィリアムズ氏によると、ドイツ顧問団が蒋介石に対して次のように進言したという。

 外国に干渉するように頼みなさい。あなたは一人では勝てない。ロシアは今ここにはいない。協力者が必要でしょう。イギリスに頼みなさい。しかしながら、力のある干渉者となると好ましいのはアメリカです。こうしたことになるとアメリカ人はいつも便利だ
同上書 p.40

 「ロシア」の名前が出てくるのは、ドイツの軍事顧問団を招くまでは蒋介石の軍事顧問はソ連から招聘されていて、その後蒋介石が反共産党の姿勢を明確にしたためにソ連の軍事顧問団が離れて行った経緯にある。
 蒋介石はこのドイツ軍事顧問団のアドバイスを受けて、外国人居留地(租界)のある上海に着目し、この場所でもし日本軍の攻撃により外国人が殺害されれば、外国の干渉と日本に対抗する強力な同盟を形成できると考えたドイツ軍事顧問たちはこの蒋介石の案に賛成したが、戦いを決して長引かせず「一撃して去る」ことをアドバイスしたという。

第二次上海事変

1937/8/14東京朝日新聞 『朝日新聞に見る日本の歩み 昭和12年-14年』p.63

 蒋介石は上海の混雑した地域に、十万を超える部下を集めて軍服を着せずに苦力のような格好で潜り込ませたのだが、当時上海にいた日本の水兵と陸戦隊はわずかに二千名であったという。圧倒的な数的有利な状態で、同年の八月十三日、通州事件から半月後に日中の戦いが開始された(第二次上海事変)のだが、攻撃を仕掛けたのは蒋介石軍である。

 戦いは始まった。しかし、最初の銃撃が始まる前に、モスクワとヨーロッパのプロパガンダ機関、中国の報道機関が動き始めていた
 世界では、統一されて目覚めた中国が侵略者に直面しているのだと報道されていた。
日本兵にとっては驚愕としか言いようがなかったのだが、すべての地域がひそかに要塞化されており、数万の訓練された飛び切り上等の武器を持った中国兵と自分たちは直面し、罠を仕掛けられたことを理解した
のだ。一週間夜も昼もなく、ほとんど食うものもなく、弾薬は不足していた。しかし王手をかけられながらも、彼らは数十倍の敵を持ちこたえたのだ。…中略…
 戦いは(日本軍が)圧倒的な不利にもかかわらず、血の一週間を持ちこたえた。しかしながら世界の新聞は日本を罵り、嘲った。特にアメリカが率先していた。と同時にある外国の国々は日本の没落を熱望しつつ、中国軍に援助と武器の供給を始めたのだ。貿易においては日本はライバルであるからである
 日本軍は大至急でやって来て本気で戦った。蒋介石は上海にさらに何師団もつぎ込んだ。南京のドイツ顧問たちは怒鳴り散らし、激怒し、抗議した。「もういい。もういい。兵隊をすぐさま引き揚げさせなさい。撤退させなさい。後退させなさい。あなたは日本軍に制圧される。…」
同上書 p.43~44

 日本軍は圧倒的な数的不利の状況を良く持ちこたえた。蒋介石はドイツ顧問団が一撃してすぐに撤退させよとのアドバイスを無視し、アメリカを巻き込もうと多くの犠牲者を出しながらさらに戦いを続けることになる。

「正当史観年表」第二次上海事件

 蒋介石は国際世論の同情を誘おうと戦闘を続けたのだが、そのためには自国民を犠牲にすることも厭わなかった。 八月十二日に上海租界から外に通じる道路を遮断して、中国人を中心とする一般市民を閉じ込めたうえで、十四日には中国軍機がキャセイホテルやパレスホテルなどを爆撃して民間人三千人以上の死傷者が出しておきながら、国民党メディアはその爆撃を日本軍がやったと嘘の報道を流したという。

 干渉をもたらそうとする絶望的な努力が続けられていた。中国は何度も何度も日本軍の砲火を国際租界に命中させようと企んでいた。最初の頃だが、中国軍機がキャセイホテルやパレスホテルに爆弾を投下さえした。中国人が何百人も死んだ。後になって彼らは「これはミステイクだ」と主張した。しかし地上で見ていた多くの人は、これらのホテルの爆撃やエドワード七世通りその他の混雑した中心街を爆撃で血まみれにすことには計画性があり、干渉をもたらそうとしたのだと確信していた。…中略…

 共産主義のプロパガンダを吹き込まれている世界の新聞は、大喜びでたたかいがはじまったことをわめきたてた。中国兵を上海から追い立てることに日本が失敗することを予告し、「よく戦った。そしてよく戦うだろう」と中国にひそかにエールを送っていたわけだ。…中略…

 その後は毎日毎日、日本は蒋介石軍の精鋭を倒していった。南京のドイツ顧問たちは蒋介石に会いに行き、彼が政治的に葬られかねないから上海から退去してくれと懇願した。
「面子だ、面子」と蒋介石は叫んで言った
。「世界の前で私は面子を失うだろう。外国の驚くべき宣伝を見たまえ。そうはできない。干渉させるチャンスなんだ」
 しかし、ドイツ顧問団にとっては何年もかけて蒋介石のために作り上げた軍隊が消耗し、消滅の危機にあった。報道など気にしていられなかったのだ。アメリカ人よ、自国の新聞をよく読んでもらいたい。新しい統一された中国が日本と戦っていると書かれている。しかし実際の問題としては、蒋介石は「面子」を保つために彼の部下を犠牲にしていたのだ。そして中国にいる人々はほぼ一致して(特に上海では)軍閥のボスが上海から出て行き、平和を取り戻させてくれと神に祈っていたのだ。
同上書p.44~46

 日本軍を挑発して国際租界地に砲撃させるために蒋介石は多くの部下を失い、中国人苦力の住む建物から銃を構えて多くの苦力を生贄にしたが、日本軍は蒋介石の攻撃の意図を理解し、他国から干渉される原因となるような行動はとらなかったのだ。
 そのことはウィリアムズ氏だけが書いているのではない。アメリカの新聞報道を見ても同様の事が書かれているという。
 Wikipediaによると一九三七年八月三十日付のニューヨークタイムスでは一連の事件について「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」と上海特派員によって報じ、またニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙は九月十六日に「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じたという。

 その後蒋介石はプロパガンダを強化して、中国軍が善戦しているとか日本軍が酷いことをしているなどの嘘情報を世界に発信するようになっていく。欧米から物資や兵器の支援をつなぎ止めるためにはそれが必要だったのだが、宣伝の使い方は極めて巧妙で、わが国とは較べものにならなかった。ウィリアムズ氏はこう書いている。

 総統と軍閥の軍隊が日本の打撃に落ちこぼれ始めると、蒋介石は宣伝力を強化した。これはモスクワとあるヨーロッパの国々と結びついた。あらゆる退却が戦略の転換に、あらゆる敗北が英雄的な行為へと変えられた。後には嘘だと証明されるのだが、勝利の物語を新聞に載せさせた。同時に日本の本当の勝利の価値を貶めて差引きゼロにさせようとした。…中略…

 これらは、すべて外国の騙されやすい人々に鵜呑みにされたのである。…プロパガンダ機械によって世界中に蔓延した物語がその耳に吹き込まれ、多くの国の紙面に『中国は勝っている』という見出しが躍っていたのである。…中略…
 中国の勝利という物語が幾つも合わさってくると、一方では日本人は狂った野蛮人だということに照明を当て、キャセイホテル爆撃のような流血を巧妙に隠すことをおっ始めた
同上書p.48~49

 この三か月に及ぶ消耗戦は日本軍が勝利し、十一月九日に中国兵は一斉に退却した。この戦いにおける日本軍の戦死者は九千百十五名、戦傷者は三万千二百五十七名だったという。
 蒋介石は、日本軍を貶める嘘のプロパガンダを何度も繰り返していた記録が残されているのだが、戦後のわが国の歴史学者の多くはこういう事実にはあまり触れたくないようである。

中国もアメリカもプロパガンダで日本を貶めようとした

 さらに日本軍の掃討作戦で蒋介石軍の南方拠点である宿縣(現:蘇州市、淮北市)も陥落しようとしていた。
 あまりに早く宿縣が陥落しては欧米からの支援を得るのに不利となるので、ここで蒋介石はさらに大きな芝居を打っている。日本に飛行機を一機だけ飛ばして空襲を試みたのだ。しかし爆弾を搭載すると飛行高度が下がるので日本軍機に確実に撃墜されてしまう。そこで爆弾を積まずに高々度を飛行し九州南部の山の上から日本国民に向けた反戦パンフレットをばら撒いてすぐに引き返したのである。
 蒋介石の宣伝班は世界に向けて六機 (本当は一機) の爆弾を持った飛行機が日本に深く潜入して日本軍を驚かせたとのニュースを発信し、それをアメリカの新聞は「中国軍機が日本を空襲」と報道したという
 さらに蒋介石夫人の宋美齢は外国人特派員を前に日本空襲の際に爆弾を落とさずにパンフレットを撒いたかの理由を語るのである。再びウィリアムズ氏の著書を引用する。

 彼女は世界にその理由を語ったのだ。彼女は会議の結果、日本空襲を優先する数名の将軍たちは勧告だけでなく強硬に日本の都市爆撃を主張したと思われると打ち明けた。彼女はクリスチャンで、そのバイブルを夫はいつも持ち歩いている。夫は立ち上がり、バイブルに手を置いて情感を込めて宣言した。
『こういうことはキリスト教的ではない。我々は世界に中国が人道的であることを示さなければならない。日本の野蛮人と同じことをしてはならない。つまり罪のない女子供の上に死の雨を降らせてはならない。』…中略…

 ここに町や村を敵によって空から爆撃されているだけでなく、自国の飛行機が敵国を空襲できる時でも、彼らと同じ行為を拒否する侵略された国の国民の統治者がいた。蒋介石夫人に味方する小利口な新聞どもは大きな同情の波を作り、宿縣の敗北と夫の軍の逃走をひた隠しにして、落ち込んだ穴の中から拾い上げ、別口で生涯の信用を与えたのである。
同上書 p.61~62

 宋美齢は明らかな嘘を述べたのであるが、このスピーチで蒋介石は欧米のシンパシーを獲得することに成功したという
 ウィリアムズ氏は母国のアメリカ人に、中国の発表を信じることの危険性をこの著書で訴えようとしたのだが、アメリカの反日の流れは止まらず、さらにアメリカもまた様々な反日プロパガンダを世界に発信していた。

 写真雑誌ライフは一九三七年十月四日号に、日本軍が八月二十八日に爆撃した上海南駅でハースト社カメラマンの王小亭が撮影した「上海南駅の赤ん坊」を掲載した。この写真が欧米の反日世論を高めるのに大きな影響を与えたことは有名な話だが。この写真は「中国によるやらせ写真」である可能性が高く、Wikipediaには線路の上に泣いている赤ん坊を運ぶ人物の写真などが紹介されている。

真実を伝えようとした先人たちの記録

 ところで、この第二次上海事件の時に上海にいて、日本人捕虜と日本人に協力して逮捕された上海住民に対して行われた中国人兵士による残虐な処刑の一部始終を画像に収めた人物がいる。スイス人写真家トム・シメン氏が撮影した写真の一部(残虐映像を含む)を米国在住の岩谷文太氏のブログ「Red Fox」の記事で見ることができる。

1937.12.20撮影 朝日版支那事変画報 1938.1.27刊 南京にて

 こんなに酷いことをしていた中国軍や南京政府が中国民衆から支持されていたことは考えにくい。むしろ日本兵の方が多くの中国の民衆に信頼されていたことは日本兵や従軍カメラマンが撮影した写真を見れば誰でもわかる。このような写真は多数残されているが、「南京大虐殺」がもしあったなら、中国民衆が日本兵や従軍カメラマンに笑顔で交わすはずがないだろう。南京戦についてはいずれこのブログで書く予定である。

1937.12.15南京占領2日後 カメラマン佐藤振寿撮影

 先人達が真実を伝えようとして書き残した記録や写真、あるいは蒋介石が繰り返したプロパガンダの記録などいくつかを読むと、これまで何度も聞かされてきた「わが国が侵略国である」とする歴史叙述に多くの疑問を感じるようになるのではないだろうか。
 もちろん当時の新聞やウィリアムズ氏の記述にも、それなりのバイアスがかかっていることを否定できない。しかしながらその点を割り引いて考えても、現在使われている教科書などに書かれている歴史は、中国やロシアや共産主義者の立場からは極めて都合のいい叙述になっており、当時の中国側のプロパガンダとあまり変わらない内容になっていることについては理解して頂けることだろう。

 つくづく思うのだが、わが国は昔も今も、このような明らかな嘘を拡散する情報戦・宣伝戦への対応が下手すぎる。「相手を刺戟したくない」とか、「真実はいずれ明らかになる」として相手が垂れ流す嘘に対してすぐにキチンと反論しない姿勢は、他国からすれば「日本が反論しないのならば、中国の主張の方が正しいのではないか」と解釈されても仕方がないではないか。そのためにわが国は、中国から仕掛けられる歴史戦と戦わねばならなくなったのだが、今の歴史学会は左巻きが多すぎて、真実の歴史を世界に発信できる人材が育っていないように感じているのは私ばかりではないだろう。
 日本人は嫌なことをすぐに忘れようとすることが多いのだが、相手の国はわが国が何も反論しないことをいいことに、自国民に嘘の歴史を教え込んで日本が悪い国であると洗脳している。このような国とわが国とが真の意味で友好関係が築けるとは思えない。
 しかるべき地位にある者が、しかるべき時に相手に言うべきことを言わずに問題を先送りすることが、さらに大きな災いを生む原因となりうることを知らねばならない。

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